礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

和田先生から齋藤氏の著書で英文法を教わる

2022-11-30 00:43:20 | コラムと名言

◎和田先生から齋藤氏の著書で英文法を教わる

 一昨日は、齋藤秀三郎著『熟語本位 英和中辞典 新増補版』(岩波書店、一九五二)から、「増補新版序」の前半を紹介した。本日は、その後半を紹介する。

 次に此の辞書の増補を私が引受けるに至つた事情を述べて置く必要がある.私は直接齋藤氏から教を受ける機会を有しなかつた者であるが,その著書を通して受けた恩恵は大きく,且齋藤氏の学問上の知己で,同氏が一高講師を辞される際,その後任として推薦された故和田正幾〈マサチカ〉先生は私の恩師であつた.即ち私は青山学院の高等学部に入学以来,殆ど毎学期和田先生から齋藤氏の著書によつて英文法を教はつたのである.かゝる縁故があるところに,齋藤氏の女婿澁澤信雄氏及び岩波書店の依頼があり,土居教授の勧告もあつたので,私は増補を受けた次第である.但し増補の目的は飽くまで原辞書の特色を保存且助長し,此の名辞書をして時代の進運に伴はしめようとするに外ならず,かゝる名著の増補に携はり得たことは私の真に喜〈ヨロコビ〉とするところである.又増補の個所に一々星印を附したのは,澁澤氏の希望に基き,且増補の責任を明かにせんがためである.
 尚此の増補に関しては中山竹二郎氏の援助に負ふ所頗る多く,森岡泰,三戸雄一,荻野目博道,長澤由次郎,空西哲郎〈ソラニシ・テツロウ〉の諸氏もその労を分たれ,校正の点では岩波書店の相良満吉氏及び私の手もとでは中山氏を初め森岡榮,石井康一,水之江有義の諸氏を煩はすことが多かつた.又組方体裁等に至るまで凡て出版関係の方面では,岩波書店の藤川覚氏がその任に当られた.茲に記して深き感謝の意を表する次第である.
  昭和十一年二月十日     福岡にて 豊 田 實

 文中、「齋藤氏の女婿澁澤信雄氏」とあるのは、齋藤秀三郎の娘・敦子と結婚した澁澤信雄のことである。ちなみに、澁澤信雄の兄は、実業家・民俗学者の澁澤敬三で、齋藤敦子の兄は、「齋藤メソッド」で知られる音楽家の齋藤秀雄である。
 また、「土居教授」とあるのは、英文学者の土居光知(どい・こうち、一八八六~一九七九)のことであろう。一九三六年(昭和一一)の時点で、東北大学教授。
 末尾に、「福岡にて」とあるが、豊田實は、当時、九州帝国大学教授。
 明日は、同辞典の「新増補版について」を紹介する。

※今日で11月も終わりだが、わが家に自生しているアサガオは、今朝も花をつけていた。しかも五輪。ただし、花の大きさは十円玉ぐらいで、完全に開き切っていないもの混ざっていた。

*このブログの人気記事 2022・11・30(9位になぜか木柄の作り方)

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拙著『村八分』に御高評をいただいた

2022-11-29 05:45:46 | コラムと名言

◎拙著『村八分』に御高評をいただいた

 齋藤秀三郎『英和中辞典』の「増補新版序」を紹介している途中だが、畏敬する徳永忠雄氏から、拙著『村八分』(河出書房新社)に対し、御高評をいただいたので、本日は、これを紹介させていただきたい。文中、一行アキは、原文のまま。

 『村八分』を読んで  徳 永 忠 雄

『村八分』送っていただきありがとうございました。2日にわたりましたが、一気に読ませていただきました。

 村八分は、「同調圧力」だけでなく「村の自治」という観点からも見ることができることに納得しました。権力や多数を背景としたこの国の同調圧力は、時代を遡らずとも現代においても未だ顕著です。こう書くと、村八分が封建時代の遺物であるという前提が成立してしまいますが、本書にある通り、いじめなどの現代の社会問題に照らし合わせてみると、歴史性よりも、もともと人間あるいは日本人が秘めている心性ではないかと思えてきます。
 まず思い浮かべたのは山本七平の『空気の研究』です。村八分とは直接関係はありませんが、集団の中で異見を述べられない雰囲気を持っている軍部の会議は、もしそこで意見を言おうものなら、そこから排除が始まったに違いないと思われ、それを回避させるべく人はマジョリティに黙って従うしかないと書かれています。
 ただ、前提が異質な存在や振る舞いの場合と、火事など村に損害を与えた場合とは、対応が異なるのではないかと思いました。というのも後者の場合は、現代では警察などの介入により法的に処分されるはずでしょうから。
 私の住む近隣では、現在でも過去の出来事についていろいろな噂が流れており、その噂によって人々がアンテナを高くし、行動に影響をしている事実があります。たとえば近世末期に起こった殺人事件や火災での住民放逐事件など、かなり前のことまで話題が遡れます。殺人事件では、該当する住民に関しての証言が得られず特定できずとか、火災事件では、放逐された住民が赦されて戻ったとのこともあるようです。これらは、当地の気風らしく、村八分に至らない住民達の穏便さを示すものではないでしょうか。
 おそらく住民は、村八分などを敢えて行いたくなかったのではないかと思います。本書の例では、村八分が起こった村の住民は十数人の小規模で、これが多ければより穏便な始末が下された可能性があると思います。処分を下す側も受ける側も、その後のことを考えれば、人間関係でストレスを抱えたくないとの思いはあった気がします。本文にもあるように「かつてのムラ(村落共同体)が、主体性を持った「自治共同体」だったこと」という理解は、結果はどうあれ、村独自に決めることの大きさを物語っています。だから『にっぽん□落』のセエダの盗み取りの例は示唆的です。というのも「村八分は村八分を抑止する」のタイトル通り、村の自治から外れることは何よりもおそろしかった、つまりそれだけ村のコンプライアンスのレベルは高かったのでしょう。
 ところが、昨今はそうなりにくくなっています。大分の宇佐の山間の例や静岡の替え玉選挙の例は、村の長老達が民主的な世間の変化に対応できていなかった顕著な事件として記憶に残ります。柳田の 『明治大正史世相編』の「労力の配賦」(親方制度の崩壊 他)にあるように、時流に取り残された権力者はかえって問題の元を作ってしまうのです。
 故田村勇先生の優れた分析である「…村八分の心意は学校教育に今なお生きている」という一文は納得のいくものでした。学校教育での処理の不手際を数々見てきた私は、オリンパスの事件を人ごととは思えませんでした。
 現在でも民事裁判は、判決が出ても遺恨を残します。特に日本人は、あとのことを考えて法律で争わないようにしてきた嫌いがあります。公民教育では単に日本では裁判が少ない、と教えてきました。しかしこの10数年、この傾向も変化してきた気がします。注意喚起としても使われてきた「村八分」制度はその効力を持たなくなり、人々は公の場で第三者に委ねて係争するようになってきました。これは民主的手続きではあるのですが、自治力の低下であるという側面もあるでしょう。
 最後に、『日本近代村落の起源』(松沢裕作、岩波書店)の書評(読売22.8.31)、「そもそも近世の村が、単なる地縁共同体ではなく、年貢を村単位で集める村請制度を軸として制度化された身分集団でもあった」 という刈部直氏の論評を思い出しました。近世の村請制度は、むしろ共同体としては無機的で、近代の村落が大字を単位とした共同体として有機的であった可能性もあるようですが、村八分の現象を見る限り、近世以降の村が共同体として「内面的な紐帯」を保持し、機能していたとは、必ずしも言えないことがわかります。ひとくちに村と言っても、共同体としての村の結びつきはピンキリだった可能性もあるという気がします。

 とにかく、これらはすぐに証明できることではありませんが、人々の心持ち、つまり人情が様々な理由で様変わりしたんだろうなと、読後強く思いました。近世よりも現代の方が人情が希薄になったことに、もう少し自覚的にならねばいけない気がします。
 田舎の人、特にお年寄りは話が長いのですが、ここで生活して時々思うのは、長い話の中で婉曲に拒否したり、注意したりすることがあることです。結論を先に言うとか、言いたいことをはっきりさせなさいという米国式の話術に対して、日本人は逆に、意図をぼかしつつ相手に伝えるという技術があるように思います。『村八分』は、日本人のそうしたむき出しの感情の変化の推移に気付かせてくれた労作でした。

 以上、徳永忠雄さんの書評を紹介させていただきました。掲載をお許しいただいた徳永さんに感謝申しあげます。
 文中、故田村勇先生とあるのは、民俗学者の田村勇先生のことです。先生は、本年一〇月六日に、病気で亡くなられました(一九三六~二〇二二)。ご冥福をお祈りいたします。先生には、村八分に関する論考もあり、拙著『村八分』でも、その論考について紹介しましたが、同書の刊行が同月二〇日だったため、御高覧いただくことは、ついに叶いませんでした。

*このブログの人気記事 2022・11・29(8・9・10位に極めて珍しいものが入っています)

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豊田實、齋藤『英和中辞典』を増補

2022-11-28 00:12:27 | コラムと名言

◎豊田實、齋藤『英和中辞典』を増補

 当ブログでは、今月一八日以降、何回か、豊田實の『日本英学史の研究』(岩波書店、一九三九)を援用した。そのあとになって、齋藤秀三郎(さいとう・ひでさぶろう)著『熟語本位 英和中辞典』の増補を、豊田實が担当していたことを思い出し、久しぶりに同辞典を開いた。
 同辞典の「増補新版」は、一九三六年(昭和一一)三月に発行され、戦後の一九五二年(昭和二七)四月に、「新増補版」が発行された。どちらも「増補者」は豊田實である。
 いま机上にあるのは、一九六一年(昭和三六)二月一〇日発行の「第18刷」だが、巻頭には、豊田實による「新増補版について」(昭和二七年四月)、および「増補新版序」(昭和十一年二月十日)が置かれている。まず、「増補新版序」のほうから紹介してみよう。

    増 補 新 版 序

 故齋藤秀三郎氏による英文法の科学的研究は,単に日本に於ける英語研究史上特筆す可きのみならず,氏をして実に世界的の英語学者たらしむる所以であらう.恰も〈アタカモ〉動植物学者が無数の植物や昆虫の標本を蒐集分類する熱心と興味とを以て,氏が英語の研究に没頭されたことは,そのAdvanced English Lessons叢書の英文の序からも窺はれるのであり,斯かる学的研究態度の所持者実践家であつた同氏が,予て〈カネテ〉心に描かれてゐた理想的の英語辞書をでき得る限り簡明な形で体現されたものが「熟語本位 英和中辞典」であつたわけである.書名に冠せられた“Idiomological”の語こそ先づ本辞書の特色を示して居り,著者の英文の序が語る如く,終始一貫せる科学的精神と老ゆることを知らぬ青年学徒の熱心とを以て,先人の足跡稀なる研究の領域を開拓した著者が,津々として尽きぬ興味に駆られつゝ完成されたものが本辞書であつたのである.即ち本書は微に入り細を穿つた氏の英文法研究の総勘定とも見做し得るものであり,氏の研究の成果が如何に要領よく本書に織込まれてをり,且それが如何に実用的であるかは,例へばFor,Get,Take,Withなどの項を開き読んだだけでも全豹が察せらるゝであらう.Withの用法の説明の如きは実に十頁余に亘つてゐる.蓋し本書は出版以来広く世に行はれ,既に定評があるのであるから,今更その価値を喋々するの要はないであらう.
 但し著者自身此の辞書を以て,改訂の要なき完全無欠のものと思惟〈シイ〉されたのではない.強固な自信の裏に鋭敏な学的良心を蔵されて居た著者は,その序の終りに於いて,不備の点,殊に或は見出されるであらう“not a few of omission”に対しては,以後の版において償ふつもりであることを述べられてゐる.然し天は氏に本書増補の齢〈ヨワイ〉を仮さなかつた.しかも本書初めて世に現はれて既に二十年,生ける言語は短期の間にも変化し,社会は新語,新熟語を生産して止まぬのである.従つて此の名辞書をして永く生命あらしめんがためには,増補が絶対に必要である.今度の増補も,実にかゝる見地から企てられたものであり,その要項を列挙すれば大略次の如くである.
 l.本書の特色たる「熟語本位」の主義を飽くまで尊重し,新旧熟語の増補を心掛けたこと.
 2.本書は元来「要を尽して,不要を省く」方針の下に編纂されたもので,網羅的であることを主眼としてゐるものではないが,必要に応じ語彙を増加し,且語義を追補したこと.
 3.特に必要新語の収容に注意し,本増補進行中に出版された牛津〔Oxford〕大辞典の補遺其の他を参照したこと.
 4.本辞書の旧版に用ゐられた仮名書きの表音には頗る便利な点もあるが,表音上一層正確を期し得る万国音声学協会規定の音標文字が我が国の英語界に可なり普及してゐる現状に鑑み,之を採用したこと.
 5.増補の量は旧版の一割を超過したけれども,組方を整理したため頁数の増加は比較的僅少で済んだこと.【以下、次回】

 文中、「天は氏に本書増補の齢を仮さなかつた」とある。この「仮さなかつた」は、「かさなかった」と読むのだろうが(「貸さなかった」の意)、「ゆるさなかった」という読みもありうる。

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外国人の日本語入門はローマ字によるが便宜(菊澤季生)

2022-11-27 04:57:37 | コラムと名言

◎外国人の日本語入門はローマ字によるが便宜(菊澤季生)

 松尾捨治郎著『国語論叢』(井田書店、一九四三)から、「第三 外国人に教へる基本文型」を紹介している。本日は、その六回目(最後)。文中の傍線、一字アキは原文のまま。

    九 菊澤季生氏の提案について

「外国人の日本語学習の入門としては、ローマ字によるが、便宜であるが、其は会話日本語にだけ役だつて文字言語による日本文化は全然理解出来ない。たやすい漢字は勿論の事、歴史的仮名遣も知らしめなければならない。」といふお説には全幅の賛意を惜まない。強ひて私見を附け加へれば、歴史的仮名遣は用言語尾の者を主とし、他の者は第二にしてよいかと思ふ。
「国語の特色を発揮した文法体系を要する。其には体言用言の観念など主な者である」といふお説にも、大体同感である。但し枝葉の問題については、若干異見を申したい点もある。代名詞を名詞に包括せしめるといふのはよいとして、其の理由根拠を「代名詞なしでも文が書けるから」といふ所に置くべきではない。「用法が名詞と同様であるから」といひたい。又体言用言の外に副言といふ名目を立てゝ、副詞 接続詞 感動詞を一括しようとするのも、同時に之を副用素といふのも、共にいゝが、之を「文中に独立する者」といふのは如何〈イカガ〉であらう。といふことと独立といふこととは、矛盾しないだらうか。
 体用といふことは、無言抄などの流を汲んで、内容から区別することも出来る。さうすると 流れ 運動 などは用となる。又義門流に徹底的に語形から区別することも出来る。さうすると副詞や感動詞は勿論体であつて、  等も体となる。時としては此の双方の混同も昔から多く見られる。お説では副詞等は副用素として用ゐられるといふのであるから、体言 用言 よりは其の点辞の方に近くはあるまいか。同じ機能を果す者でありながら、not,nicht, は副詞であり、が助動詞であり、は終助詞としても取扱はれて居る。やalsoが副詞乃至接続詞であり、 さへ が助詞であることなど参考の余地があらう。お説は昔の学者の混同とはちがふが、此の点一層明かにしたい者である。自分は義門流が最も徹底して居るやうに思ふ。
「従来の文法書が各品詞の説明にのみ詳しく、文の性質構造に就いての説明が無いのは欠陥であらう」といふのは、三十余年間文章論基準を主張して来た自分に取つては、うれしさ此の上もないお説である。近年各種の文法教科書が、多くは冒頭に、少量ではあるが、文章論らしい者を載せるやうになったのは、私見の認められたのではなく、西洋の言語学者などの説の影響のやうであるが、其でもとにかく結構である。語の断続といふことが膠著語〈コウチャクゴ〉たる我が国語の肝要事であり、我が文法発達の歴史にも沿つてゐるのだから。此が自分の信念であつたのに、今同じ主張者を得て、非常に心強い。
 右に関連して「語法といふのはよろしくない、文法といふべきである」といふお説の御趣意は御尤であるが、近年お説とは逆行的に、文法といふ語から遠かつて〈トオザカッテ〉、語法といふ語を多く用ゐて居る自分として、一言したい。文法といふ語は、明治に入ってから発生したと申してもよい。詳しくいへば中期までは、文典といふのが絶対多数である。其以前は多く語学(物集〔高見〕博士は言語学)といつて、主に和歌を対象として居た。其では偏して居るといふので、散文の文語法をも説くやうになり、之を文法と称したのである。即ち文法の文は、元来Sentenceではなく歌に対する乃至国語に対する文語文を指したのである。其故文語のみでなく、口語をも、通じて説く者をば、語法といつた方がよくはないでせうか。
「敬語法を相当程度説明する必要がある」といふ御意見には、勿論大賛成である。敬語法は外国人には六かしいからといふ理由で、いい加減にすることは、断じて不可である。或る程度明かに之を教へ込まないでは、日本語を教へたことにならない。日本文化の語の方面を知らせたことにならない。但し、此の敬語の分類や、其の用法の説明等について、種々の者が行はれて居るが、此はどうしても文句の成分に結び付けて説くがよい。即ち、
 1 主語を尊敬する者
 2 客語を尊敬する者
 3 所有主を尊敬する者
 4 文句の成分以外の対者(対称とは限らない)を尊敬する者
 5 文句の成分たる自己(自称)を卑下する者
といふやうにするのである。此が我が敬語の特色に適合した大綱であることを多年主張し来つたが、文章論規準を唱へられる菊澤さんは、必ず之に賛成して下さることと信じます。
 何卒妄言をお許し下さい。 (昭和一五・九・十一)

 菊澤季生(きくざわ・すえお、一九〇〇~一九八五)は、国語学者。一九六一年から一九七二年まで、日本ローマ字学会会長を務める。

*このブログの人気記事 2022・11・27(9位になぜか大森実)

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松下大三郎のいう「利益態」は、国語特有の語法

2022-11-26 03:13:11 | コラムと名言

◎松下大三郎のいう「利益態」は、国語特有の語法

 松尾捨治郎著『国語論叢』(井田書店、一九四三)から、「第三 外国人に教へる基本文型」を紹介している。本日は、その五回目。文中の傍線、一字アキは原文のまま。

    八 やる型 もらふ型 等

  1/2 > 甲が乙に本を読んでやる。 <  君が僕に本を読んでくれる
                      甲が乙に本をよんでもらふ
  3 甲が乙に本を読んで上げる。               甲が乙に本を読んで下さる
  4 甲が乙に本を読んでさし上げる。         甲が乙に本を読んでいたゞく(頂戴する)
 此等は松下大三郎博士の所謂利益態であつて、我が国語特有の語法中著しい者の一つである。上段は何れも其の動作の影響を授与する意、下段は何れも其の動作の影響を受得する意であつて、同博士の説の如く、我が国民が思ひやりの深い所から生じた言語現象といへる。更に言へば、われ人〈ワレヒト〉の一挙一動は、必ず其の利害を他に及す者であるといふ、国民一体の思想から生じたのである。但し、
  殺してくれ。  あれを殴つてやる。  少々いぢめてあげる
の如く影響が害となることもあるが、松下博士に従へば、此は害を利と見たのである。さて1の下段 くれる だけは標準語としては、其の主語が二人称又は三人称で、客語は一人称に限る。「おれがお前をなぐつてくれる」の如きは、方言である。此の外   を以て表した 主語 客語 には人称的制限が無い。然るに松下博士が上段のやうな者を自行他利(自分の行〈オコナイ〉が他の利となる)、下段のやうな者を他行自利(他人の行が自分の利となる)と説いて居るのは、千慮の一失で、賛成出来ない。此は主行客利(主語の行が自分の利となる)客行主利(客語の行が主語の利となる)とも云ふべき者である。主客といふべきを、自他と説く混乱は、遠く「一歩」や宣長の説からであるが、今日なほ其の流弊が残つてゐるのは嘆はしい。国語各般の事象は、出来るだけ、之を文句の成分に関連させて説明すべき者であるといふのが、筆者多年の信念である。(以上昭和一六・一・一三)〈三八~四〇ページ〉【以下、次回】

 松下大三郎(まつした・だいざぶろう、一八七八~一九三五)は、文法学者、文学博士。「松下文法」と呼ばれる日本語文法理論を打ち立てた。

*このブログの人気記事 2022・11・26(8位に極めて珍しいものが入っています)

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