礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

近衛文麿が自殺の数時間前に書いた遺書

2015-08-31 04:35:09 | コラムと名言

◎近衛文麿が自殺の数時間前に書いた遺書

 最近、近衛文麿〈コノエ・フミマロ〉の「遺書」が話題になった。話題になったかどうかは知らないが、元首相の細川護熙〈モリヒロ〉氏が、週刊朝日八月一四日号のインタビューの中で、近衛文麿の遺書に言及するということがあった。

 私の祖父の近衛文麿は、亡くなる前の晩に次男の通隆〈ミチタカ〉に宛てて遺書のようなものを残していますが、その中で、日支事変の拡大、仏印進駐は自分の政治的誤りであったということを言っています。/先の大戦は侵略戦争であったということを裏付けるような発言です。/当時その責にあった人がそう言っているわけで、その言葉は重く受け止めざるをえない。

 ここで、細川護熙氏が、「私の祖父」と言っているのは、その母・温子が、近衛文麿の娘にあたるからである。ちなみに、細川護熙氏の父は、旧熊本藩主細川家第十七代当主の細川護貞〈モリサダ〉である。
 この週刊朝日記事をインターネット上で読んで、久しぶりに、岩波新書『近衛文麿』を取り出してみた。岡義武著、一九七二年初版。末尾に近い二三三ページに、その「遺書」が引用されている。

 僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、所謂〈イワユル〉戦争犯罪人として米国の法廷に於て裁判を受ける事は堪へ難い事である。殊に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、此事変解決を最大の使命とした。そして、此解決の唯一の途は米国との諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思ふ。
 しかし、僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさへそこに多少の知己が在することを確信する。戦争に伴ふ昂奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に本づく流言蜚語〈ヒゴ〉と是等一切の所謂輿論〈ヨロン〉なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。

 近衛がこの遺書を書いたのは、一九四五年(昭和二〇)一二月一五日午後一一時以降である。次男・近衛通隆(一九二二~二〇一二)が見ている前で書いたのである。近衛が、青酸カリを仰いだのは、それから数時間後の、同月一六日午前二時ごろだとされている。【この話、続く】

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ケルロイターの祖述者・大串兎代夫の戦後

2015-08-30 06:53:33 | コラムと名言

◎ケルロイターの祖述者・大串兎代夫の戦後

 昨日の続きである。ケルロイターの『国家学概説』(一九五五)に対する、大串兎代夫教授の書評を紹介している。本日はその三回目(最後)。
 昨日、引用した部分のあと、改行して、次のようにある。

 かくいいながら、私はケールロイター教授が、ほんとうは何をいおうとされているかをよく知つているつもりである。その人の思想と生活、性癖、信仰、血統とのつながりが、通算六年にわたる一緒の生活でわかるからである。教授はドイツ人の中で、もつともイギリス人に近い人柄であると思う。教授はこういう人柄ないしは、その身についた考え方を、「現実」という言葉に托しておられるのである。「現在」の強調は、教授みずからもいつておられるように、過去とはなれるものではなく、いわんや歴史とはなれるものではないのだから、それが国家学の指標が、将来にあることの意味で強調される場合には、誤〈アヤマリ〉ではないと思う。しかしそれは、国家学が「現在科学」であり、「存在科学」であるといういい方とは別のことである。
 国家学を政治科学として組み立て、より現実的な科学たらしめようとする教授の意図は貴い。しかしそれは国家学が、より多く人類の将来への指標をうみだす意味において重要であるのであつて、もしそれが現在の国家の諸知識の羅列に終るようであつては、一番教授の反対目標にしておられる法学的国家学ことにケルゼンの純粋法学のおちいつた誤と、ちようど反対の誤に堕することになろう。
 国家学は現実科学ではあるが、それはゾルレンデス・ザインの学であつて、やはりあるべきことを内在した意味のザインの学であると思う。
 この同じ批判をして、私はたびたび先生の不興をかつたが、その想出すら今はなつかしいものになつた。
  しかしながら、教授は「第二部」において、あくまで教授の根本理論を追進される。それがまた教授が、その終生の根本主張を、こんどの本で具体化しておられるという所以である。【中略】
 ヒットラー主義の成立と崩壊では、みずからそれに関与した著者がどういう態度をとるか注目されるところで、先日もある日本の公法学の教授にこの著書の話をしたところが、そんなに本を出すようでは、ケールロイターは豹変したのでしようといわれて、そういううけとり方をするその教授の言葉そのものにおどろいたが、ケールロイターその人は、そういう点ではむしろ簡単で、たんたんとして、ナチの成立と崩壊の過程を事実に醐して述べているにすぎない。そういう時代に合わせるという点では、日本人の方が、合わせる場合も、孤高的に合わなないと自分で想つている場合すらも、とらわれているのではあるまいか。【中略】
六 「日本における政治的発展」の節は、さらに細分されて、「外交上の発展と支那事変」「汪精衛の南京政府」「日独伊協定」「日本の戦争参加」「内政の発展」「無条件降伏」「憲法と平和条約」「今日の日本の政治的地位」というように、具体的にくわしく叙述されている。この節だけで十四頁にわたっている。(二六九頁・二八二頁)
 本書には、その他随所に日本についての記述がみえるが、おおむね精確である。戦後の日本について、アメリカの意図を、天皇制をすでに埋没されるものとしてみようとし、できれば日本をキリスト教化しようとし、アジヤ大陸の共産圏にたいする防壁とするために、大陸から日本をきりはなし、西方国家圏の袋のなかに日本をつつみこむことにあるとし、それは結局失敗するだろうとみている。このことは文章としては、一九五二年十月の教授の著書「ドイツ国法学」(Deutsches Staatsrecht)の二八三頁にでているが、本書でもくりかえしおなじ考えがのべられている。
(十一月二十四日早朝。この欄をかりて、本号では、ゲルハルト・ライプホルツ「ボン基本法における民主法治国の憲法裁判権」の続稿が書けなかつたことをおわぴする。)  〔筆者・名城大学教授〕

 長尾龍一氏によれば、大串兎代夫(一九〇三~一九六七)は、「二流のナチ学者」オットー・ケルロイター(一八八三~一九七二)を祖述した学者であるという。
 大串兎代夫の書評を読み、ケルロイターが、戦後もなお、健在であることを知った。同時に、大串兎代夫もまた、戦後なお健在であり、ケルロイターを祖述していることを知った。
 戦後におけるケルロイターの学問については、この書評によって、ある程度わかった。しかし、それを紹介している大串兎代夫自身の学問は、戦後、変化したのか、しなかったのか。大串は、戦中における自己の言動を、どのように捉えていたのか、戦中の日本、戦後の日本を、どのように捉えていたのか。『名城法学』のバックナンバーを見ながら、そのあたりを調べてみたいと思っている。

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ケルロイター、民主主義の再教育を批判(1955)

2015-08-29 05:12:17 | コラムと名言

◎ケルロイター、民主主義の再教育を批判(1955)

 昨日の続きである。ケルロイターの『国家学概説』(一九五五)に対する、大串兎代夫教授の書評(『名城法学』第五巻第二号、一九五六年一月)を紹介している。本日はその二回目。
 昨日、引用した部分のあと、改行して次のようにある。

 著者の、国家学は政治的科学でなけれぱならないという主張は、国家学は現実科学(Wirklichkeitswissenschaft)であるという考えにうらずけられている。この考えは、著者の「一般国家学」(Allgemein Staatslehre,1933)にも述べられているが、この著書の方が、その考えの内容が如実にあらわれてきている。国家学の現実科学であるという考えは、著者の根本主張であるから、精確に著者自らの言葉を引用する必要がある。
「すなはち国家学は政治的科学である。それは現在の政治的現実を探究し、叙途せんとするものであるから、現在科学(Gegenwartswissenschaft)であつて、本来の意味における歴史科学ではない。国家学の指標は将来にあり、過去にはない。しかし現在の政治的現実の真の理解のためには、個々の民族および国家の歴史的発展についての知識が必要である。」(十二頁)
 ここで著者は、個々の民族および国家の歴史の知識が、国家の現実の理解のために、いかに必要であるかを示すために、次のような註をくわえている。
『こういう知識の欠除は、ヨーロッパについて無知識なアメリカ占領軍による民主主義再教育の試みの失敗の原因となつている。カール・フリードリヒの「近代の憲法国家」一七三頁も、これに関連して、いわゆる非ナチ化について批判的である。このことはもつと強い程度に日本の場合にあてはまる。これについては、アメリカ人Vern Sneiderの風刺的自己批判の書“The Teahouse of the August-Moon”ドイツ訳“Die Geishas des Captain Fisby”1952参照』
 すなはち日本における民主主義の再教育(Reeducation)が、日本民族の歴史を無視してなされているというのである。
「故に、一民族に内在する高貴な伝統的価値の保護は、現在の政治的形成にとつて重大な意義を有する。第二次世界大戦においては、スターリニズムさえも、そのことを強調したのである。だから歴史科学は政治的科学にとつて、必須の限定をくわえるのである。」(十二頁)
「国家学は存在科学(Seinswissenschaft)であつて、当為科学(Sollenswissenschaft)ではない。国家学の使命は、国家のあたえられた存在(Sein)を政治的現実として、叙述することにあり、理念的形態(Idealform)としての国家を描出することにあるのではない。そこに国家学と国家哲学の区別がある。」(十二頁)
  ケールロイター教授が国家学を政治的科学であり、現実科学であるとされることは、正しいと思われるが、私はその「現実」の意味をさらにすすんで「現在」とされ、いわんや「当為」(Sollen)と区別される意味の「存在」(Sein)の学とされることは正しくないと思う。社会的現実ことに政治的現実は、自然現象とはちがつて、つねに意義的現象であり、ひろい意味での歴史的現象であるから、それは歴史を背負い、当為(ゾルレン)と切りはなせない現実である。それがたんに観念の世界の中の現象ではなく、それこそ社会的な現実であることはいうまでもないが、さればといつて、これをあまりにも現在的現実に見ることは、学問の上から見て行きすぎであると思う。【以下は次回】

今日の名言 2015・8・29

◎俺が書いてやる

 作家・大西巨人(1916~2014)の言葉。本日の朝の番組「あの人に会いたい」(NHK)に、早くも大西巨人が登場した。代表作『神聖喜劇』を執筆した動機について、軍隊の本当の姿は誰も書いていない、それなら、「俺が書いてやる」と思ったということを言っていた。

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ナチ学者オットー・ケルロイターの戦後

2015-08-28 07:01:43 | コラムと名言

◎ナチ学者オットー・ケルロイターの戦後

 先日、映画評論家の青木茂雄氏と雑談する機会があり、話題が「ケルロイター」に及んだ。聞けば、氏は、ケルロイターの『ナチス・ドイツ憲法論』を持っているという。氏が目利きの蔵書家であることは知っていたが、まさか、そんな本まで持っておられたとは!
 青木に、ひとつ質問された。「戦後のケルロイターの動向を把握しているか」。戦後のケルロイターについて把握しているわけではないが、最近、読んだ「書評」によれば、一九五五年(昭和三〇)に、『国家学概説』という著書を出すなど、戦後も「健在」だったようだ。
 本日は、その書評を紹介してみよう。出典は、『名城法学』第五巻第二号(一九五六年一月)である。評者は、名城大学の大串兎代夫〈オオグシ・トヨオ〉教授である。

書評 オットー・ケルロイター「国家学概説」
 Otto Koellreutter, Staatslehre im Umriss, Januar 1955
  大串兎代夫

 一 ケルロイター教授の近著であり、今年〔一九五五〕七十一歳になられる教授の終生の主張を具現された著書といえよう。教授は、いわゆる「国民国家学説」の代表的学者の一人で、第一次大戦前後からナチ時代にかけてもつとも活躍されたのであり、ドイツ敗戦後はもつとも重い追放処分をうけられたのであるが、学業においてはいささかもおとろえをみせず、次々に業績を発表しておられるが、この著書はその中でも一番学問的意義の大きいものである。教授は昭和十三年〔一九三八〕から十四年〔一九三九〕にかけて交換教授として日本に滞在し、各地の大学で講演せられ、北支、満州および朝鮮に講演旅行をつづけ、帰国後は日本にかんする著書も公けにされた。
 二 この本は、「理論的基礎」(Theoretische Grundlagen)と「現代の国家世界」(Die Staatenwelt der Gegenwart)の二部門に分れている。【中略】
 三 国家学の理論的解明をつらぬく著者の考えは、国家学の政治的科学(political Science,politische Wissenschaft)としての建設である。国家学が政治的科学であり、政治的科学でなければならぬという主張は、教授が第一次大戦前に学界にテヴューされた時から、今日まで、その一生をつらぬいているといえよう。教授から私への最近の手紙にも、このことが力強くのべられていた。私は学者の一生がいかに一本気のもので、その意味でシムプルで、一徹で、したがつてまたその意味で情熱的で、客観的には孤独なものであるかを感ぜざるをえない。著者は敗戦によつて公教職から追放せられたことは、いうまでもないが、その上に財産没収および一年半の重労働の裁決をうけた。著者は戦争によつて、その長男および長女の夫をうしない、それらののこした数人の孫を養育せざるをえない境遇になつた。しかも著者は上記の裁決を不当なりとして、不服の申立、講演および著述による抗議によつて、最近にいたるまで当局とたたかつてきた。財産は本年〔一九五五〕夏に著者にかえり、重労働はまぬかれた。【以下は次回】

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ケルロイターは「二流のナチ学者」か

2015-08-27 08:52:07 | コラムと名言

◎ケルロイターは「二流のナチ学者」か

 先日、インターネット上で、長尾龍一氏の「戦前期独墺公法学におけるユダヤ人――日本公法学との関連で――」という文章を読んだ。あまり知られていないような事実が、数多く含まれており、非常に興味深く拝読した。
 ただ、末尾の「五 ナチズムと日本公法学」にある、次の部分には、やや疑問を持った。

② 大串兎代夫(1903-1967)は東大出身、国民精神文化研究所員で、戦後は名城大学教授。Otto Koellreutter (1883-1972)という(Carl Schmitt(1888-1985)などに比べれば)二流のナチ学者を祖述した。

 オットー・ケルロイターが「ナチ学者」であったことは、紛れもない事実である。この短い文章では、「ナチ学者」であったがゆえに、「二流」と呼んでいるのか、もともと、公法学者としても「二流」だったと言おうとしているのか、といったあたりが、よく読みとれない。そもそも、オットー・ケルロイターを、カール・シュミットと比較し、「二流」と位置づけることに、どういう意味があるのか。
 ちなみに、戦中の一九三九年(昭和一四)、当時、東京帝国大学助教授だった矢部貞治は、ケルロイターの『ドイツ憲法論』第三版(一九三八)を翻訳し(共訳)、これを『ナチス・ドイツ憲法論』(岩波書店、一九三九)と題して出版している。この矢部貞治もまた、「二流のナチ学者」だったのか。その翻訳書を出版した岩波書店も、「二流のナチ出版社」だったのか。その矢部貞治を政治上の顧問としていた近衛文麿も、「二流のナチ政治家」だったのか。ケルロイターを客員教授として招いた東京帝国大学は、「二流のナチ大学」だったのか。ケルロイターが日本に滞在していた一年間、講演などを依頼し続けた当時の日本は、「二流のナチ国家」だったのか。

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