礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

近衛公派遣の真意はソ連政府には秘匿すべし

2016-09-30 05:06:23 | コラムと名言

◎近衛公派遣の真意はソ連政府には秘匿すべし

 一昨日からの続きである。「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「近衛公の派遣決定」の節の最後の部分を紹介する(二一~二二ページ)。

 事態は荏苒〈ジンゼン〉たる会議の連続を許さない。対立する両論はどこかで一致点乃至妥協点を見出さねばならない。結局、和平の形式については予め〈アラカジメ〉日本側の態度を固定しておくことなく、専ら「急速な戦争終結による人類惨禍拡大防止」といふ点を強調してソ連に働きかけるといふ甚だ瞹眛なところに落着いたのであつた。
 近衛公のモスクワ派遣に関する大体の具体的方針は七月九日に至つて一応決定を見た。よつて陛下には七月十二日、折柄重臣会議出席のため疎開先軽井沢から上京中であつた近衛文麿公を会議の席上から御前にお召しあそばされて、御自ら〈オンミズカラ〉公に対し重大使命を帯びてモスクワに使〈ツカイ〉すべき旨の使命を仰せつけられたのであつた。その際、陛下には公に対して、スターリン首相に会見の上は、最近における米空軍の大小都市無差別爆撃の実情を詳細説明して、世界の平和確立のためスターリン首相の協力を熱望あらせらるる旨を充分に伝へるやうにとの御言葉があつた由である。
 近衛公は謹んで勅命を拝受した。
 かくて十二日夜、モスクワの佐藤大使に対して近衛公の派遣に関する至急訓電は発せられたのであるが、ここでわれわれとして特に指摘しておきたいことは、事この期〈ゴ〉に到つてなほ右訓電は「ソヴェト政府に対する右通告に際しても近衛公派遣の真意に関しては当分これを秘匿するやう」との趣旨が特に付記されてゐたといふ事実である。
 何者の圧力で、またいかなる経緯と事情とから、かかる姑息な配慮がめぐらされたかについてはいまは多くを問ふ必要はない。要はただ、かかる小策を弄し、このやうな卑小な魂をもつてそれが外交上の秘術であるかのごとく考ふる者が当路〈トウロ〉にゐる限り、日本の外交は決して処期の目的に近づくことはできないといふことを認識すれば足りる。

*このブログの人気記事 2016・9・30(6位に珍しいものが入っています)

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2016-09-29 18:03:58 | コラムと名言

◎このブログの人気記事(2016・9・29)

 都合により、本日は、「このブログの人気記事」のみ。
 6位と10位に珍しいものが入っています。特に、10位を読んでくださった方がいたことを、うれしく思っています。

*このブログの人気記事 2016・9・29

 

 

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無条件降伏不可避論と商議和平論

2016-09-28 20:42:09 | コラムと名言

◎無条件降伏不可避論と商議和平論

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「近衛公の派遣決定」の節の、昨日、紹介した部分に続く部分を紹介する(二一ページ)。

 ここにおいて鈴木内閣の最高使命はハツキリと決まつた。またその対ソ工作のすべては再出発を必要とした。
 大御心を体して開かれた爾後の最高戦争指導会議におかて決定されたことは、またしても四度の「大物の対ソ派遣」案であり、これがために選ばれたのは元首相近衛文麿公爵であつた。
 しかし今度の大物特使派遣は従来考へられたそれとは些か異つて、はつきりした目的を持つてゐる。しかも勅旨に基くものである。特使はスターリン首相に宛てられた天皇陛下の親書を携行することに内定した。.
 ところが、ここではたと行き詰つた問題は、親書の内容および、これに関連してソ連に斡旋を依頼することにしても、当方から提示すべき和平の条件をいかにするかといふ難問であつた。
 当時、関係者間に二つの意見が鋭く対立して相譲らなかつた。一は、諸般の情勢から判断して、この戦争を終結せしめるためには、かねて米・英がカサブランカ会談以来その鉄則として宣伝してゐるいはゆる無条件降伏を受諾する以外に可能性はないこと、従つてソ連をして和平斡旋の役を引受けしめるためにも、わが方から進んで無条件降伏受諾の意思表示をすることが必要であらうとする無条件降伏不可避論で、これは東郷外相によつて代表された。他は、いかなることがあつても無条件降伏など絶対に受諾できないとする商議和平論で、これは阿南陸相によつて代表された軍部の主張であつた。
 この両論は会議の都度、激しく火花を散らした。しかし、対立する両論とも、無条件降伏にせよ商議和平にせよ、事苟も〈イヤシクモ〉国体に関する限り完全に意見を一〈イツ〉にしてゐた。即ち国体に些かの変革でも要求されるがごとき場合は和平自体が既に問題になり得ないとする点では悉く一致してゐたのである。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2016・9・28

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日本歴史始まって以来、最も重大な会議

2016-09-27 07:46:35 | コラムと名言

◎日本歴史始まって以来、最も重大な会議

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「近衛公の派遣決定」の節の、最初の部分を紹介する(二〇~二一ページ)。

 近衛公の派遣決定
 六月二十二日、鈴木首相以下最高戦争指導会議の構成員全部に対し、天皇陛下から突如緊急のお召しがあつた。かかることは極めて異例のことであつたが、この日は陛下自身の御発意に基き最高戦争指導会議が御前において開催されたのである。
 会議の内容に関して詳しいことは窺ふベくもないが、席上、陛下には畏き〈カシコキ〉ことながら、はじめて公式に
「何とか戦争終結の方図〔方途〕があるのではないか」との御趣旨の御発意をなし給ひ、更に
「ソ連を仲介とする対米・英和平の実現といふことについても考慮すべし」との叡旨を各員に対して御披露あそばされた由である。
 この日の御前会議こそは日本歴史始まつて以来最重大な会議であつたといふべきである。即ち上掲外務省報告書のいはゆる「速かに戦争を終結せしめて人類を戦争の惨禍より救はんとの大御心」はこのときはじめて最高戦争指導会議に対して御闡示〈センジ〉あらせられたのであつた。これより三日前、対ソ交渉案の内奏に参内した東郷外相に対して陛下がなしたまふた終戦方図に関する御下問はいまだ陛下の正式な御意志表示とは称し難いといへるが、六月二十二日のお言葉は既に至尊の御聖断として仰ぐべき性質のものだつたのである。いまや群臣論議の余地なきものとされた。ただ命是れ従ふあるのみであつた。
 陛下は明かに今次の戦争の終結を命ぜられてゐる。そしてその方法の一つとしてソ連の仲介幹旋による対米・英和平を御示唆あらせられた。しかし、これ以外には別段の具体的御指示は拝されなかつたとのことである。即ち条件、形式その他についてはすべて最高戦争指導会議において考究すべきものと解されたわけである。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2016・9・27

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「何とか今次の戦争を終結する方法はないか」

2016-09-26 03:51:27 | コラムと名言

◎「何とか今次の戦争を終結する方法はないか」

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「廣田・マリツク強羅会談」のうち、最後の部分を紹介する(一九~二〇ページ)。

 以上五項目を中心とする対ソ交渉の開始について、陛下にはこれを御勅許あらせられたと承はるが、このとき、陛下には東郷外相に対して、畏れ多くも
「何とか今次の戦争を終結する方法はないか」との趣旨の御下問を賜はつたとのことである。
 われわれ臣下として、しかも直接その衝に当つたわけでもない者が徒らに叡慮を忖度〈ソンタク〉し参らせることは憚り〈ハバカリ〉多いことではあるが、前後の事情から拝察するに、陛下には痛く戦争の帰結と国民の運命とを軫念〈シンネン〉あらせ給ひ、いま東郷外相が内奏し参らせた対ソ交渉案もさることながら、このとき叡慮は既にむしろ戦争それ自体の終結といふ方向に赴かせられてゐたのではないかと考えへられる。即ち鈴木内閣の根本的対外三案中、最終の(C)案こそ陛下におかせられては最も深き御関心をもつて御吟味あそばされたものではないかと拝察されるのである。
 東郷外相は恐懼〈キョウク〉して退出した。そして、陛下の御言葉は御言葉として、ともかく御勅許を得た対ソ交渉原案はこれをそのままマリツク大使に伝達して、本国政府への取次方を依頼したのであつた。
 しからば当時、この対ソ交渉案はわが外交専門家の間で一体どのやうに考へられてゐたかといふに、第一に条件そのものがこれではソ連の関心を惹き得るに足らぬ――いはば日本側としては可成り〈カナリ〉虫のよいものであると批判されてゐた。しかし、当時の日本国内事情としてはこれでも随分思ひ切つた案であつたともいへるのである。従つて率直な結論としては、この交涉はこれだけでも大体において駄目だといふやうに予想されてゐたが、加ふるに、かねて噂されてゐた重慶政府行政院々長宋子文氏のモスクワ訪問が六月末を期して実現するに至つて、日ソ交渉見込みなしとの観測はほぼ決定的なものとなつて来たのであつた。.
 事実、ソ連政府はマリツク大使によつて取次がれた日本政府の具体案に対してはその対日参戦の日まで何らの回答をも寄せては来なかつたのである。

*このブログの人気記事 2016・9・26(6・10位にやや珍しいものが)

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