礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『日本児童生活史』(1941)のカナヅカイ

2014-02-28 04:17:44 | 日記

◎『日本児童生活史』(1941)のカナヅカイ

 桜井庄太郎の『日本児童生活史』(刀江書院、一九四一)は、一九四一年(昭和一六)六月に初版が出ているが、すでにこの段階で、新しいカナヅカイを採用している。
 本日は、同書の「序」から、カナヅカイについて言及している部分を引いてみよう。なお、漢字は、新字に改めてある。

 なお本書の執筆に当つて、わたしは、引用の場合を除いては、全部、文部省臨時国語調査会発表の「カナ遣改定案」に拠つて書いた。わたしは、文字と発音とは一致すべきもので、小さい子供たちに、今日の発音とは異る歴史的カナヅカイを教えることは、全く無意義で愚かしい限りだと信するものである。文部省が進んでこの「カナ遣改定案」を実行に移し、国民学校、青年学校、中等学校などの致育もこの発音式カナヅカイに拠つて行われ、一般の新聞雑誌の文章もこれによつて書かれる日が、いづれ来ることをわたしは確信しまた望んで止まない。わたしがあえてこの発音式カナヅカイによつて、この書を書いたのは、児童文化の重要な問題がここにもあることを意識したからである。昭和十四年頃から、高倉テル氏の「大原幽学」、羽仁五郎氏の「ミケルアンヂエロ」など、この「カナ遣改定案」によつて書かれたすぐれた著述が、つぎつぎに出版されたことは大いに喜ばしい。わたしのこの小さな著述に何のとりえがないとしても、発音識カナヅカイで書いたことだけは、ささやかながら、日本文化への一貢献であると、みづから信じている。

 桜井庄太郎(一九〇〇~一九七〇)は、社会学者。あまり有名でないのは、学問的な実績がないからではなく、単に学閥にめぐまれなかったためであろう。この『日本児童生活史』などは、岩波文庫、東洋文庫、講談社学術文庫、平凡社ライブラリー、講談社学術文庫のどれにはいってもおかしくない名著だと思う。

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秋葉原事件と名古屋駅前事件

2014-02-27 07:47:48 | 日記

◎秋葉原事件と名古屋駅前事件

 今月二三日の日曜日の白昼、JR名古屋駅前で、自動車が歩道を暴走し、男女一三人を次々はねるという事件(殺人未遂事件)が起きた。
 この事件を聞いて、二〇〇八年六月の秋葉原事件を思い出した人も多かったろう。
 たまたま『東拘永夜抄』(批評社、二〇一四)を読んでいたところだった。この本は、秋葉原事件の加藤智大〈トモヒロ〉上告人(同事件で上告中)が書いた本である。次の一文が目にとまった。

―27 結局、世の中に真相が伝わりません。他者の失敗を教訓にして自らは同様の失敗をしないように気をつけることは、よくあることだと思います。同じことで、私は自らの「失敗」を世の中に正しく伝えることで、同じような「失敗」をした人が同じようにして事件を起こすのを未然に防げるのではないかと思うのです。
 重大な事件や事故で人が死ぬと、「犠牲者の死を無駄にしないように」が合い言葉にされます。しかし、事故の場合はあつものに懲りてなますを吹くように規制が強化されることはあっても、事件の場合は何の対策もされません。言い訳のような措置がいくつか取られるだけです。一方で、米国カリフォルニア州のようにネット上での成りすまし行為を規制するような動きは、日本ではありません。
 根本的な問題は、発生した事件の真相が明らかにされていないことです。原因不明なのではなく、別の事件に作り変えられていることが問題なのです。捜査機関としては、より凶悪な事件、より凶悪な犯人像を創った方が重い刑を勝ち取れるでしょう。もしくは、自らの「正義」をより輝かせられるでしよう。報道各社でも、より面白い事件、より面白い犯人像を創った方が世間の興味を引きつけられるでしょうし、実際、私が語る「面白くない真実」は見向きもされません。彼らには事件の真相を解明することにメリットはないのであり、口では「犠牲者の死を無駄にしないように」と言いつつ、実際には無駄にしているのです。【以下略】

 今回の名古屋の事件の加害者が、秋葉原事件のことを知っていなかったはずはない。しかし、秋葉原事件の加害者が、『解』(批評社、二〇一二)、『解+』(批評社、二〇一三)、『東拘永夜抄』と、三冊の本を書き、同じような事件が起こることを未然に防ごうと願っていたことは、たぶん知らなかったと思う。今回の事件を起こす前に、せめてどれか一冊を手にとってほしかったと思う。
 また、今後、この事件を報ずるマスコミ関係者、加害者の取り調べにあたる警察関係者に対しては、引用した文章の、第三段落を、心して読んでいただきたい、と申し上げておく。

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利を離れて刻苦精励する近江商人

2014-02-26 05:50:22 | 日記

◎利を離れて刻苦精励する近江商人

 本日も、中村元の『日本宗教の近代性』(春秋社、一九六四)から。
 昨日のコラムでは、日本の近江商人について中村が、「かれらは日本のユダヤ人と呼ばれるほどねばり強く、利益追求に対して執拗極りないと言われている」と書いていることについて、不満を述べておいた。
 ただし、これだけでは、中村元が近江商人に対して、偏見しか持っていなかったかのように受けとられてしまう。中村の名誉のために、別の箇所も引用しておこう。

 職業生活においては、特に慈悲の精神にもとづく奉仕的活動がなされねばならぬということが一般に強調された。例えば、徳川時代の中期以後における近江商人の活溌な商業活動には、浄土真宗の信仰がその基底に存するという事実が、最近の実証的研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を雛れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神をたもっていた。実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのである。その一人である中村治兵衛の家訓によると『信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし』という。これは当時浄土真宗において世の中の商人に対し仏の慈恋をよろこぶべきことを教えていたことに対応するのである。例えば江左諦住の『極楽道中独案内』には、職業生活は報恩の行であると説く。『人々商を事とししのき〔鎬〕をけづり奉公に隙〈スキ〉なきありさま、全くうきよごとにて、後世ねがう身には似てもつかぬ事のようなりとも、御慈悲よろこぶ手前には、あきなひするも奉公するも、すぐそれが報恩報謝のつとめにそなわるなり。』そうして仏に由来する慈悲がまた人間の慈悲として世俗生活のうちにも現われなければならない。『此世の吉凶禍福は前世の因縁に任せ、唯正直に家業に出精致し、家を斉へ、家来けんぞくをよく養い、其上心にかけて身分相応に慈悲善根、先祖の追善仏事等のいとなみをいたすべし。』慈悲は凡夫をはるかに超えているものであるが、しかも凡夫によるのでなければどこにも実現され得ないものである。〈一七四~一七五ページ〉

 ここでは、中村は、日本の近江商人について、「浄土真宗の信仰がその基底に存する」、「利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念した」などと書いている。中村は、日本の近江商人のそうした一面も把握していたのである。中村は、そうした一面も把握していたが、江戸期以来の偏見にも一理あると見ていたのだろうか。
 ちなみに、ここでいう「最近の実証的研究」というのは、内藤莞爾の論文「宗教と経済倫理―浄土真宗と近江商人―」(『日本社会学会年報 社会学』第八輯、一九四一)などを指していると思われる。

*金子様、昨日のコラムに対し、貴重なコメント、ありがとうございます。秩父の矢尾商店は、たしかに近江商人で、その堅実な経営姿勢は、地元民にも愛され、秩父事件のときも、この店だけは略奪を受けず、かえって営業の続行を求められたと聞いています。

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インドのマールワール商人と日本の近江商人

2014-02-25 08:34:50 | 日記

◎インドのマールワール商人と日本の近江商人

 本日も、中村元の『日本宗教の近代性』(春秋社、一九六四)から。本日は、中村が、インドのマールワール商人を、日本の近江商人と比較している部分を紹介する。

 人民が土地に結びつけられ、移転の自由をもたなかったということは、封建制社会の一つの特徴であると言われるが、土地の開拓に附随する移住の形態における人口移動は、日本の封建制社会の内部においても行なわれていた。浄土真宗信徒についてもこのような現象が認められる。例えば越後についてみても、信濃の方から移住して来た農民は多くは真言宗・天台宗の信徒であったが、越後の農民の大部分を占める真宗信徒の祖は、加賀越中の方から来たものが多い。かれらは海岸伝いに越後に来て市を立て、あるいは土地を開墾した。新田、前田(仏の前の田の意)、御前田と呼ばれるものは、多くは浄土真宗の僧侶が指導者として開拓した(ここでは僧侶は完全に世俗内的innerweltlichである。)
 また近江商人の問題は重要である。近江の国には浄土真宗の寺院が圧倒的に多いが、かれらが他国に進出したのは風土的な理由があるといわれる。土地の三分の一を湖水に占められ、琵琶湖からの収益は少なく、痩せ地が多かった。そこでかれらはこのような故郷に見切りをつけて他国に出かせぎし、忍耐強い性格を頼りに一家をなした者が多い。かれらは日本のユダヤ人と呼ばれるほどねばり強く、利益追求に対して執拗極りないと言われている。
この点で対比考究さるべきはインドのマールワール(Malwar)出身の商人である。かれらはヴァッラバ派の信徒が多いが、ヴァッラバ(Vallabha)の宗教は親鷲のそれと対比さるべき多くのものをもっている。
 ヴァッラバ(一四七九~一五三一年)は親鷲より少しく後の時代に生き、神の爺を受けて公けに結婚した最初の遍歴行者であり、現世生活を肯定し、ヴィシヌ神に対する信仰と恩寵を強調し、その教団はかれの子孫が代々管長となっている。古来の聖典にかなり無理な解釈を加えた点までも似ている。法主崇拝が盛んになり、のちには宗教上の教師が初夜権(jus primae noctis)を行使する儀式さえも起こった。ところで、マールワール地方にはヴァッラバ派の信徒が多かったが、この地方は土地が不毛で曠野が相つづき、生活できないために、人々は行商人として他地方に赴いて、経済的に成功した人々もかなり多い。カルカッタの経済的実権者にはマールワール出身者がかなり多い。かれらはインド独立の際にカルカッタ特別市をつくろうとしたが、ベンガル人の反撃を受けて、その試みは失敗に帰したという。近江商人とあまりにも共通性が多いので、これらの事実を報告しておく。

 興味深い指摘であるが、若干、不満がある。近江商人には浄土真宗の信徒が多かったという。であれば、近江商人における「忍耐強い性格」の由来は、その風土性ではなく、むしろその宗教性に求めるべきではないのか。また、近江商人に対する、「利益追求に対して執拗極りない」という評価は、江戸期以来の偏見から脱しておらず、むしろ近江商人の成功の秘訣は、忍耐・勤勉・正直・薄利などにあったと見るべきではないか。マールワール商人については詳しくないが、これと同様のことが言えるに違いない。

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魚に詫び念仏を唱えた和泉の漁師・五郎右衛門

2014-02-24 06:09:13 | 日記

◎魚に詫び念仏を唱えた和泉の漁師・五郎右衛門

 昨日の続きである。中村元〈ハジメ〉の『日本宗教の近代性』(春秋社、一九六四)から、本日も、『妙好人伝』の内容を紹介している部分を紹介する。

 真宗の信徒は財貨を独占しないで、他人に頒ち〈ワカチ〉与えようとする。紀伊国の長兵衛は仁愛がふかく、困窮している人々には金銀米銭を人の知らぬようにして施しめぐんだ。奥州の中村屋とく女は貧しい人々に味噌・米あるいは衣類などをやり、常に感懐を洩らしていた。『世の中は有るにまかせてほしくなる習いなるに、いささかなりとも人に遺す心になりたるもひとえに仏祖の御蔭なり。』同行〔信者〕の間で牛を買ってやることもあった。必要な場合には財貨を豊かに施し恵むということは、また封建君主の理想として武士の間でも讃えられていたことであった。しかしこれは単に封建君主の理想と真宗信徒の理想が偶然に一致しているのではなくて、むしろ人間性そのものの理想と解せらるべきであり、だからこそこのような一致が認められるのであろう。
 そうして営利を無限に追求するという精神はあまり現われていない。和泉の五郎右衛門という漁夫〈ギョフ〉は、常に釣をたれ綱をおろすのに、念仏の称名を絶やすことがたかった。かれは得た魚がほぽ「二百銅」ほどの価になると思ったときには『是にて一日の料あり』と思って帰ってしまった。魚を得たときには、『鳴呼〈アア〉不便〔不憫〕なり、こらえてたもれ、我は其性魯鈍にて商はせず、田畠はもたざれぱ、百姓の業もならず、やむを得ずしてなんぢの命をとり我腹を養うなり。』と言って、いくたびも魚にわびて念仏を唱えたという。
 しかし浄土真宗信徒には、利息をとってはならぬ、という思想はなかった。すでに原始仏教において借金は必ず返さねばならぬということが説かれていた。『実に負債があるのに督促されると、「わたくしはあなたに負債はありません」といって遁れる人、――かれば実は「賤人」であると知れよ。』ちょうどこれと同じように、一般に日本の封建社会においては、借金は必ず返済せねばならず、また適当な利息をとることは差し支えないという倫理が武士の間でも承認されていた。
 ただしこれは、「妙好人」として伝えられている信徒の場合であって、現実の浄土真宗信徒の場合にはまたそれとは異なった思惟方法が支配していることがある。例えば、戦後の農地改革に至る以前の北陸の大地主の多くはへ真宗信徒であるが、かれらは徹底した無限の利益追求をめざしていた。資本の蓄積をめざすという点では、かりに農業に由来する資本主義と呼んでよいものであった。【以下略】

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