礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和初年における私立医学専門学校の「不正入学」問題

2012-06-30 04:25:07 | 日記

◎昭和初年における私立医学専門学校の「不正入学」問題

 戦前の教育関係の専門誌である『教育思潮研究』をめくっているうちに、興味深い記事を見つけた。それは、私立の医学専門学校、歯科医学専門学校、薬学専門学校の「不正入学」が発覚したため、一九三二年(昭和七)四月、文部省が、これらの学校の「入学試験の答案」を厳重に調査し、「幾多の不正入学」を取り消したことについての記事である。
 これは、戦前の教育関係事件としては、かなり衝撃的な事件だったと思われるが、寡聞にして今まで、この事件に触れた文章や研究に接したことがない。
 とりあえず、同誌第七巻第三輯(一九三三年八月)の記事を引用しておこう。
―文部省は従来私立医専、歯科医専及薬専等で金品の寄付其他に依る不正入学があつた為め昨年〔一九三二〕四月これ等の学校に於て施行した入学試験の答案を厳重に調査した結果、幾多の不正入学を取消し、且つ各学校をして将来再びかかる学力不足の不正入学を許す場合は断乎たる措置に出づる方針を指示する処〈トコロ〉あつたが、学力不足によるこれ等の不正入学は徹底的に防止すると共にその卒業者の実力に遺憾なきを期する必要あるため、現在の医専、歯科医専及び薬専における学生の学力試験を行ふこととなり全国二十六校のうち左記十九校の最高学年の学生千四百名に対し左記要綱の通り学力試験が行はれた。―
 実に驚くべき記事である。文部省は、入学試験答案の調査や不正入試の取り消しにとどまらず、学生の「学力試験」まで実施したというのである。理由はどうあれ、高等教育機関に対する国家権力の露骨な「介入」であることは間違いない。
 さて、記事によれば、この「学力試験」は、一九三三年(昭和八)年の二月から三月にかけて実施されたという。私立医専の学科目は、「内科」、私立歯科医専の学科目は「補綴学」、私立薬専の学科目は「有機化学」だったという。
 ちなみに、この当時、すでに「医術開業試験」(内務省管轄)は廃止されており、大学医学部・医専の卒業生には、無試験で医師の免許があたえられていた。このとき、文部省が一部の医専の卒業者におこなった「学力試験」は、実質的に「医術開業試験」を復活させたものと言えるし、また、戦後に導入された「医師国家試験」(厚生省管轄)を先取りするものとも言える。歯科医師・薬剤師の免許については調べていないが、ほぼ同様のことが言えるのではないかと思う。
 さて、この「学力試験」は、全国二六校のうち一九校が対象となったという。ということは、全国の私立医専、私立歯科医専、私立薬専のほとんどで「不正入学」がおこなわれており、その卒業生の「実力」が疑われていたということになる。
 参考までに、この時、「学力試験」の対象となった学校は、次の通り。
☆医専 東京医専・昭和医専・日本大学専門部医学科・東京女子医専・帝国女子医学薬学専門学校医学科(以上東京) 岩手医専(盛岡市) 九州医専(久留米市) 大阪医専(大阪市)
☆歯科 東京歯科医専・日本歯科医専・日本大学歯科(以上東京) 大阪歯科医専(大阪府) 九州歯科医専(福岡市)
☆薬専 明治薬専・東京薬専・帝国女子医学薬学専門学校薬学科(以上東京) 京都薬専(京都市) 大阪薬専(大阪府) 帝国女子薬専(大阪府)
 ちなみに、今、NHKで放映されている「梅ちゃん先生」で、主人公の下村梅子が通っていた学校は、「城南女子医専」だった。「城南」という地名からして、大田区大森にあった帝国女子医学薬学専門学校がモデルではないか。

今日の名言 2012・6・30

◎方今列国ハ稀有ノ世変ニ際会シ帝国亦非常ノ時艱ニ遭遇ス

 1933年(昭和8)3月27日付の「国際連盟離脱ニ際シ渙発セラレタル詔書」の一節。日本は、同日、国際連盟を脱退した。『教育思潮研究』第七巻第三輯(一九三三年八月)の「教育法令」欄から引用。方今〈ホウコン〉は、「ちょうど今」の意。世変〈セイヘン〉は、「世の中の変乱」の意。時艱〈ジカン〉は、「当面する難題」の意。詔書は、一般に、漢文調の難しいものが多いが、この「国際連盟離脱ニ際シ渙発セラレタル詔書」は、とりわけ難解という印象がある。

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血液型論争と長崎医科大学事件

2012-06-29 05:03:24 | 日記

◎血液型論争と長崎医科大学事件

 かつて、浅田一〈ハジメ〉という法医学者がいた(一八八七~一九五二)。長崎医科大学法医学教室の教授であった浅田は、昭和初年に古川竹二という心理学者が唱えた「血液型と気質」相関説を支持していた。医学の世界では、「血液型と気質」相関説の支持者は少数派であった。浅田は、結果的に、同説の支持者であったことがわざわいし、同大学を追われることになった。
 一九三三年(昭和八)、「長崎医科大学事件」と呼ばれることになる事件が浮上した。この事件は、表面的には、学位請求をめぐる贈収賄事件だったが、その背景は複雑であり、決着にいたる経緯は、当時も今も不透明なままである。
 事件の発端は、一九三二年(昭和七)五月、海軍軍医少佐出身の開業医・田上中次が、学位請求論文をまとめ、これを長崎医科大学に提出したことに遡る。この論文は「実験的胃アトニー」と題するもので、その副論文のひとつに「血液型と性質」があった。田上は、かねてから「血液型とホルモン」の研究をしていたが、浅田一が田上のこの研究に興味を抱いたことをキッカケに浅田の門下生となり、一九二九年(昭和四)から浅田の法医学教室に出入りしていた。
 当時、長崎医大は、京大閥の牙城で、その中心に位置していたのは、付属病院長の勝矢信司だった。勝矢は浅田の血液型研究に批判的で、浅田とは対立関係にあった(浅田は東大閥)。勝矢は、田上が論文を提出する以前から、「浅田の手を経た論文は通さない」と放言していたという。
 一九三三年(昭和八)一二月、このままでは、自分の学位請求は通らないとみた田上中次は、勝矢信司教授を相手どって、「職権濫用」の訴訟を起こす。勝矢が学位審査にあたって、高額の報酬を受け取っていたことを把握していたからである。田上は当時、「正義を楯に」、この告訴に及んだと表明している。
 この告訴によって、「血液型」をめぐる学問上の論争、ないしは長崎医大内部の学閥対学閥の抗争は、「博士号」をめぐるスキャンダルに発展することになった。贈賄側として、勝矢信司・赤松宗二・浅田一の三教授が地検の取調べを受けた。赤松・浅田の二人は起訴を免れたが、勝矢は一二月一九日、浦上刑務支所に収容された(二二日、起訴)。一方、浅田一もまた、門下生である田上の告訴によって、学者としての運命を狂わされた。田上は、自分の告訴が、師である浅田を追いつめることになるとは予想していなかったと思うが、結果としては、そういう形になった(以上の記述については、松田薫氏の『[血液型と性格]の社会史』一九九一を参照している)。
 このとき、浅田までが「贈収賄事件」に連座することになったのは、「血液型」をめぐる論争の双方、学閥上の争いの双方を叩くという、高度の「政治力」が働いていたのではないかという気がする。いずれにせよ浅田は、この事件の責任をとって、一九三四年(昭和九)一月に、長崎医科大学教授を依願退官する。同年四月、東京女子医学専門学校教授となり、翌一九三五年には、東京医学専門学校教授を兼務する。
 今日の感覚で言えば、長崎医科大学を辞めても、東京で医学専門学校(医専)の教授になれたので良かったということになるだろうが、おそらくそれは違う。当時の国立と私立の格差、医科大学と医専の格差というものは、おそらく想像を超えるものがあったと思う。浅田一にとって、長崎医科大学法医学教室教授の地位を失ったことは、その後の法医学者としての歩みということを考えたとき、決定的なダメージであったと思う。
 なお、今、詳論することはできないが、この長崎医科大学事件の本質は、大学の教授会自治に対する国家当局の介入ではなかったかと見ている。同じ一九三三年に、京都帝国大学で、教授会自治に対する国家当局の自治介入事件(滝川事件)が起きていることを想起したい。

今日の名言 2012・6・29

◎数分おきにコップで喉頭をしめしながら、ひくい声で講義されていた

 作家の山田風太郎が、恩師である浅田一を回想した言葉。「喉頭」の読みは〈ノド〉であろう。山田風太郎(本名・山田誠也)は、戦中の1944年、困難な受験勉強の末に、東京医科専門学校への入学を果たし、そこで浅田一教授から法医学を学んでいる。『浅田一記念』(浅田美知子、1953)所収の「浅田一先生追悼」より。

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映画『終身犯』とウィルソン大統領夫人イーディス・ウィルソン

2012-06-28 05:00:23 | 日記

◎映画『終身犯』とウィルソン大統領夫人イーディス・ウィルソン

 映画『終身犯』は、獄中で鳥の研究を続けるロバート・ストラウドという囚人の話で、実話に基いているという。
 彼は、一度、絞首刑の刑が確定していたが、その後、ウィルソン大統領の恩赦によって、終身刑に減刑された。
 この映画には、ロバートの母・エリザベスが、ウィルソン大統領夫人のイーディス・ウィルソンに面会し、息子の恩赦を迫る場面がある。結果的に恩赦が実現したところをみると、夫人はエリザベスの請願を大統領に取り次いだのであろう。
 ところで、ウィキペディアによれば、アメリカの第二八代大統領(任期一九一三~一九二一)は、その在任中の一九一九年一〇月二日に、脳梗塞を発症し、一命は取りとめたものの、左半身不随、左側視野欠損、言語障害という重い後遺症が残ったという。
 映画では、大統領夫人は、エリザベスに対し、「夫は重篤の病気です」と発言していた。すなわち、エリザベスが、大統領夫人に面会したのは、一九一九年一〇月二日以降だったとことになる。
 なお、同じくウィキペディアによれば、病に倒れたウィルソン大統領は、大統領としての執務をおこなうことが不可能となったが、主治医と大統領夫人はこの事実を秘匿し、以後国政の決裁は夫人のイーディスが夫の名でおこなったという。ということは、エリザベス・ストラウドに面会した大統領夫人は、エリザベスの請願を大統領に「取り次いだ」のではなく、大統領に代わって、「みずからが恩赦の決裁をおこなった」と考えるべきであろう。
 映画によると、ロバート・ストラウドの死刑が確定したのは、一九一六年六月二八日のことであった。裁判長は、「被告をレベンワース刑務所に引き渡し、一九一八年一一月八日まで独房にて拘置した後、同日、絞首刑に処すものとする」と述べている。一九一八年一一月八日という絞首刑執行日は、ウィルソン大統領が脳梗塞を発症した日より一年近く前である。エリザベス・ストラウドが大統領夫人に面会したとき、夫人が「夫は重篤の病気です」と言っていた。このとき、絞首刑の執行は「延期」の状態になっていたということか。このあたりは、映画を見ただけでは理解しにくく、いずれ調べてみたいと思っている。

6月28日に関わりがある映画

◎『終身犯』(1962、アメリカ)

 映画『終身犯』の主人公ロバート・ストラウドの死刑が確定したのは、一九一六年六月二八日のことだった。ジョン・フランケンハイマー監督の『終身犯』は、一九六二年の作品。主演はバート・ランカスター(ロバート・ストラウド)。ほかに、セルマ・リッター(エロバートの母エリザベス)、エドモンド・オブライエン(映画の原作『アルカトラズの鳥男』を書いたトム・ギャディスの役)などが出演している。考えさせられることの多い名作である。

今日の名言 2012・6・28

◎死刑は平和を願う者の敵、大統領のご心労の原因です

 映画『終身犯』の中で、死刑囚の母親が、大統領夫人に向かって投げた言葉。恩赦を願っての言葉だが、「涙の助命嘆願」でないところが、いかにもアメリカ映画らしかった。大統領夫人は当初、「大統領が減刑するとお考えですか?」と冷たかったが、母親のこの言葉にやや動揺したかのような表情を見せる。

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橇の訓読みは「そり」、ではその音読みは?

2012-06-27 04:48:32 | 日記

◎橇の訓読みは「そり」、ではその音読みは?
 
 橇の訓読みは「そり」。これが読める人は少なくない。しかし、この字の音読みを答えられる人は稀だろう。「新潟」の「潟」についても、同様のことが言える。
 橇の音読みは、手近の漢和辞典で引いてみると、「ゼイ」または「セイ」とある。しかし、正しくは「キョウ」だと言っている大家もいる。辞書さえ信じられないとしたら、一体、何を信じればよいのか。
 昨日に引き続き、難読漢字の話。今回は、「訓」は知っているが「音」を知らない漢字、あるいは、無理に読もうとすると読み間違える漢字など。例によってタネ本は、岩垂憲徳著の『漢字声音談』(清水書院、一九四三)である。
 ワードやテキストでは出せそうもない漢字については、「説明」によって字形を示した。参考のために、その字を含む熟語も挙げておいた。

廾             ジュウ  『角川漢和中辞典』では〈ニュウ〉  
奴の下に巾       トウ(〈ヌ〉でない) 「内□」〈ナイトウ〉
卅             ソウ    『角川漢和中辞典』でも〈ソウ〉 
齊の下に皿       シ(〈サイ〉でない) 「玉□」〈ギョクシ〉
山の下に疑       ギョク(〈ギ〉でない) 「岐□」〈キギョク〉
門ガマエに癸      ケツ(〈キ〉でない) 「服□」〈フクケツ〉
若の下に虫が横並びに二つ  カク(〈ジャク〉でない) 「毒□」〈ドクカク〉
ケモノヘンに爾     セン(〈ヤ〉でない)  「秋□」〈シュウセン〉
ウカンムリに九     キ(〈キュウ〉でない)  「姦□」〈カンク〉
執の下に土       テン(〈シツ〉でない) 「昏□」〈コンテン〉
テヘンに取        ソウ(〈シュ〉でない) 「郊□」〈コウソウ〉
クサカンムリに禹    ク(〈ウ〉でない)   「規□」〈キク〉
クチヘンに胃       キ(〈イ〉でない)    「□然」〈キゼン〉
萬の下に虫        タイ(〈マン〉でない) 「蜂□」〈ホウタイ〉
ヘンが武、ツクリが虎   ホウ       「□虐」〈ホウギャク〉
木ヘンに施        イ(〈シ〉ではない) 「□架」〈イカ〉 
ヘンが高、ツクリが欠  キョウ(〈コウ〉ではない) 「□雲」〈キョウウン〉
潟              セキ(〈シャ〉ではない) 「潟鹵」〈セキロ〉
ヘンが鼻、ツクリがリットウ  ギ(〈ビ〉ではない)   「□刑」〈ギケイ〉
蔵の臣の部分が貝    テン           「□事」〈テンジ〉
橇              キョウ  『角川漢和中辞典』では〈ゼイ・セイ〉

今日の名言 2012・6・27

◎嫌いだったひばりに今は涙する

 大阪市中央区鰻谷〈ウナギダニ〉の通称「鰻谷川柳通り」の街灯に掲げられている川柳のひとつ。作者はリリー・ローズ(女性であろう)。昨日の日本経済新聞夕刊より。生前、絶大な人気を誇っていた美空ひばりだが、一方で、その性格などを嫌う人も少なくなかった。「美空いばり」などという陰口さえ叩かれた。しかし没後は、時が経過するほど、その歌唱力・表現力を評価する声が高まっている。

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見たことがなく読めるわけがない漢字

2012-06-26 05:34:20 | 日記

◎見たことがなく読めるわけがない漢字

 数回前に、「誰にも読めない漢字熟語」について書いた。今回はその続編。ネタ本は、その時と同じく、岩垂憲徳『漢字声音談』(清水書院、一九四三)に、付録として付いている「熟字音正誤」。
 おそらく、ワードやテキストでは出せない漢字だと思うので、その字形は「説明」によって示す。一応、『角川中漢字辞典』に載っていないもの、あるいは、載っていたとしても、読み方が異なっているものを紹介してみた。なお、字形を説明するのが難しいものは、割愛せざるをえなかった。

ヘンが由、ツクリが頁         〈テキ〉
行という字のツクリのみ       〈チョク〉
穴カンムリに條             〈チョウ〉
呉という字の口の部分が日     〈ショク〉
クニガマエに子             〈ケン〉
ウカンムリに必             〈フク〉  『角川漢和中辞典』の読みは〈ヒツ〉
クサカンムリに爪が二つ横並び    〈ラ〉
生の下に母               〈イク〉
言ベンに卒                〈ショク〉 『角川』の読みは〈スイ〉
穴カンムリに爪             〈ア〉
牛ヘンに字               〈ジ〉
穴カンムリに巾             〈シン〉
マダレの中に何もなし         〈ケン〉  『角川』の読みは〈ゲン〉
叔の下に衣               〈ドク〉   『角川』の読みは〈トク・ソク〉
クサカンムリに取            〈サン〉  『角川』の読みは〈シュウ〉
石ヘンに津のツクリの部分      〈ロツ〉
骨ヘンに九                〈イ〉
口が四つ(上に二つ、下に二つ)     〈セン〉

 まだまだたくさんあるが、本日はここまで。
 ちなみに、『漢字声音談』という本は、戦時中に出た本であるが、まったく戦時色が感じられない不思議な本である。すでに、「敗色」が濃くなっていた当時、どういう読者が、どういう気持ちでこの本を手にしていたのだろうか。

今日の名言 2012・6・26

◎日本の国語問題は、早晩何とかせられねばならぬ問題である

 音声学者の大西雅雄の言葉。その著書『日本基本漢字』(三省堂、1941)の「小序」の冒頭にある。この言葉に続けて、「その内でも、漢字整理の事は焦眉の急務である」と訴えている。大西は、綿密な調査を踏まえた上で、日本では漢字は3000字あれば足りると主張する。大西によれば、日本で使われる漢字のうち、91%は、3000字に収まるという。 

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