礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

先生の文章には句読点を施さないのが原則で……

2021-06-30 00:36:48 | コラムと名言

◎先生の文章には句読点を施さないのが原則で……

 昨日の話のつづきである。福澤諭吉著『福翁百話・百余話』(改造文庫、一九四一)から、富田正文による「校訂後記」を紹介する。

   校 訂 後 記

「福翁百話」は、明治二十六年〔一八九三〕福澤先生六十歳の時に起稿し、翌年脱稿したものである。福澤先生の人物事績と其の生涯に就ては、既に大小さまざまの伝記研究書等が出版せられてゐて、世に周く〈アマネク〉知られてゐるところであるから茲に記さないが、先生は天保五年十二月十二日〔一八三五年一月一〇日〕に生れ明治三十四年〔一九〇一〕二月三日六十八歳を以て世を去つたのであるから、此の書は先生の晩年に及んで成つた著作である。
 従つて先生の思想文章ともに最も円熟の境に入り、しかも其の当時は身体極めて健康で意気旺盛、一管〈イッカン〉の筆を以て自から我国文明の指導に任じようとの熱意はいよいよ熾烈〈シレツ〉を加へてゐた時代で、加ふるに我が国運は維新以来の経営施設宜しきを得て、政法具はり〈ソナワリ〉商工興り、将に東洋の先進国として崛起〈クッキ〉しようとする隆々たる勢を示してゐた時である。此の時運に鑑みて、先生は多年昌道して来た文明独立の主義に立脚して、其の宇宙観より個人の居家処世〈キョカショセイ〉の道、学問文化の方向、国家の独立、立国の基礎に至るまで、凡そ人生百般の問題に関する所見を論じ尽さうとして、想を練り筆硯〈ヒッケン〉を新にして起稿したものである。
 先生は如何なる長篇の文章でも、全篇完結の上でなければ発表しないことにしてゐたので、此の百話も明治二十六年に稿を起して二十七年〔一八九四〕の春に脱稿し、いよく其の主宰してゐた「時事新報」の紙上に発表しようといふ手順になつたとき、偶ま〈タマタマ〉其の晩春初夏の交より朝鮮に東学党の乱が起り、日支両国の間が極めて切迫した情勢になつて来たので、先生は其の公表を一先づ見合せ にして、日々出社して自から社説の筆を執り、いよいよ日清開戦となるや、筆に口に又その公私の行動に於て、国論を指導し民心を鼓舞激励して、軍国の事に日夜寝食を忘るゝの有様であつたが、戦雲漸く収まり戦後の事も先づ落着いた明治二十九年〔一八九六〕の二月十五日の紙上に、本書巻頭の序言を掲げて予告し、翌三月一日から始めて之を公にすることになつたのである。一週二三回づゝの割合で翌三十年〔一八九七〕七月四日の紙上で第百回を完結し、同月二十日四六判本文三百八十五頁の単行本として時事新報社から初版が刊行せられた。
「福翁百余話」に就ては本書第二二九頁に収めた石河幹明〈イシカワ・カンメイ〉氏の題言中に詳か〈ツマビラカ〉であるから茲に再び贅しないが、其の第一話より第十四話までは明治三十年〔一八九七〕九月一日より翌三十一年一月一日まで、第十五話より第十九話までは三十二年〔一八九九〕一月一日より二月十一日まで、いづれも十日目に一篇づゝ一の日に掲載せられたもので、先生は明治三十一年〔一八九八〕九月二十六日の午後脳溢血の大患に罹り、間もなく病症はやゝ軽快に赴いたが、爾後再び自から筆を執つて論説を記すことはなかつたのであるから、此の百余話の原稿も新聞社の人々が極めて珍重し大切にして時々紙上に掲載したものであらうと思はれる。第十四話と第十五話との間に一年間の休載のあつたのは、此の間に「福翁自伝」「女大学評論」「新女大学」等が掲載せられた為である。
 先生は明治三十四年二月脳溢血が再発して遂に逝去した。百余話は先生の没後同年四月二十五日、百話と全く同じ体裁で本文九十八頁の四六判小冊子として同じく時事新報社から初版が刊行された。其後此の両書はそれぞれ別々に数十版を重ね、又両書の名を併記した合本として、或は又単に「福翁百話」の書名の下に附録として百余話を収めた形に於て、いづれも時事新報社から出版せられて広く世に行はれた。今度本文庫に収めるに当つては、時勢の変遷により今日に於てはやゝ適切ならずと思はれ数篇を削り「福翁百話・百余話」と名づけたが、削除に就ての責〈セメ〉は総て校訂者の負ふところである。
 掲載の本文に就ては両書とも初版本に拠り異版数種を照合して誤植を正した。たゞ熟語や仮名遺は、今日の正字法で誤〈アヤマリ〉となされてゐるものでも、厳に先生の用法に従つて敢て動かさないことにした。先生は少年の時に十分に漢学を修め、文字の異同、文章の巧拙等に就ては深い素養を持つてゐたのであるが、其の著訳の文章は常に平易通俗を旨とし、努めて難文字を弄ぶことを避け、例へば「上る、登る、攀る、昇る」「修、脩」「赴、趣」「やう、よふ」等の如き読み方の同じな文字や仮名遺の差別に就ては、殊更に無頓着に附したものゝやうである。それから本文庫版は最初新聞に発表された関係上、大半の漢字に振仮名が施されてあるが、本文庫版では大部分これを省略した。又先生の文章には句読点を施さないのが原則で、特殊な場合に限り稀にこれを見ることがある程度に過ぎないのであるが、本文庫版では、現今の読者の便宜を思ひ全部に亘り校訂者の責任に於て新に句読点を施した。
 尚ほ学友昆野和七〈コンノ・ワシチ〉氏は本文庫版刊行に当り、異版数種の比較校訂、校正刷の閲読等、終始熱心な助力を寄せられた。記して深く感謝の意を表する次第である。

  昭和十五年〔一九四〇〕九月           富 田 正 文 記

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『福翁百話』の改造文庫版と創元文庫版

2021-06-29 05:37:15 | コラムと名言

◎『福翁百話』の改造文庫版と創元文庫版

 福沢諭吉の『福翁百話』を最初に「文庫」化したのは、おそらく戦中の改造文庫(一九四一)で、これに次ぐのが、戦後の創元文庫(一九五一)だと思う。
 それぞれのデータを挙げておこう。

〇福澤諭吉著『福翁百話・百余話』改造文庫第一部第二三五篇、改造社、昭和一六年八月四日発行、本文二八六ページ、定価六〇銭
〇福澤諭吉『福翁百話』創元文庫A―42、創元社、昭和二六年一二月一五日発行、本文二七六ページ、定価九〇円

 改造文庫版は、「福翁百話」と「福翁百余話」を収める。創元文庫版もまた、「福翁百話」と「福翁百余話」を収めている。
 私は、この両方を持っているが、先に入手したのが改造文庫だったということもあり、参照の必要があるときは、いつも改造文庫版の方を手に取ってきた。
 ところが、ごく最近になって、この改造文庫版に、重大な欠陥があることに気づいた。ハッキリ言えば、この改造文庫版は、『福翁百話』の完全版ではなかったのである。「福翁百話」全百話のうち、削られているものが六話あり、「福翁百余話」全十九話のうち、削られているものが三話あった。
 ちなみに、創元文庫版では、削られている話はない。
 なぜ、改造文庫版には削られている話があるのか。これは、編集にあたった富田正文(一八九八~一九九三)が、「時勢の変遷」に配慮して自己規制をおこなったからである。そのことは、改造文庫版の「校訂後記」(富田正文執筆)によって明らかである。以下に、「校訂後記」のうち、注目しなければならない箇所を引いてみる。

 ……今度本文庫に収めるに当つては、時勢の変遷により今日に於てはやゝ適切ならずと思はれ数篇を削り「福翁百話・百余話」と名づけたが、削除に就ての責〈セメ〉は総て校訂者の負ふところである。

 次回は、「校訂後記」全文を紹介する。

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読んでいただきたかったコラム10(2021年前半)

2021-06-28 00:22:29 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム10(2021年前半)

 二〇二一年も、そろそろ前半を終わろうとしている。
 恒例により、二〇二一年前半(一月~六月)に書いたコラムのうち、読んでいただきたかったコラムを、一〇本、挙げてみたい。おおむね、読んでいただきたい順番になっている。

1) 栗子峠に比べれば箱根はものの数ではない        5月28日

2) 絞首刑は首しめ、縊死刑は首つり(手塚豊)          6月20日

3) ある予審判事が体験した二・二六事件             3月5日

4) 二・二六鎮圧の殊動者はこの俺だ(田中軍吉)      1月24日

5) 宮本晃男、九州でボロボロの民営バスに乗る(1946)   2月9日

6) 神田喜一郎「万葉集は支那人が書いたか」               4月13日

7) 隠しておいた遺骨を占領軍に没収される        6月10日

8) 中田祝夫先生の精力家ぶりに驚嘆した(築島裕)    5月19日

9) 内乱御鎮圧に付外国の力を御用相成度事(福沢諭吉)  5月3日

10) 火野葦平「歴史の歩み」(1944)を読む          4月25日

次点) 山口の印鑑は後になって平沢宅から発見されている   1月13日

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車掌用語「切符の切らない方はありませんか」について

2021-06-27 02:57:25 | コラムと名言

◎車掌用語「切符の切らない方はありませんか」について

 橋本進吉博士著作集第二巻『国語法研究』(岩波書店、一九四八年一月)から、岩淵悦太郎執筆の「解説」を紹介している。本日は、その四回目(最後)。

   「助動詞の分類について」
 本篇は昭和十一年十月に、雑誌「国語と国文学」特輯号誌上に発表されたものである。
文法上助動詞を分類するのに最も普通に行はれてゐるのは意味によるものであり、使役、受身、希望、時、推量、敬譲、指定、比況等の部類に分けるのが普通である。品詞分類の基準として職能の重んずべきことが認められながら、助動詞の下位分類に至ると、このやうな意味による分類が一般に行はれてゐる。この意味による分類に対して精密な検討を下すと共に、形に基づく分類を試み、それと意味による分類とを比較考察したのが本篇である。
【以下、約七ページ分を割愛】

   「『切符の切らない方』の解釈」
 この篇の前半は、金田一京助博士の還暦記念論文集のために起稿されたものであり、次いで、この問題を取上げて、昭和十八年九月二十八日、三省堂主催の国語学講座で講演される際、増補されたのが後半である。 
 東京市電(都電)の車掌用語として、「切符の切らない方はありませんか」といふのがあつて、これが文法学者の間で問題になつた。「切符を切らない方」又は「切符の切つてない方」なら、普通の文法に従つた言ひ方であるが、「切符の切らない方」となつてゐるところに問題があるのである。
 この言ひ方に対して、文法学者の間から、文法的に解釈しようとしていくつかの解釈が提出されたのであるが、博士は、これらの諸説はいづれも満足すべきものではないとして、別の新しい観点から解釈を下した。すなはち、この言ひ方は、
  切符を切らない方はありませんか 
  切符の切つてない方はありませんか 
といふ二つの表現の混淆(コンタミナチオン)と解すべきであるといふのである。
 次いで博士は、この混淆は、いはゆる文法には従はないものであるが、言語にこのやうな現象の存する事を認識する必要があり、
《混淆の現象を如何に見、如何に耻扱ふべきかを考へておくのは、言語の研究に必要であり、之に対する正しい認識がなければ思はぬ錯誤に陥り又は空しき努力を費す虞がないとも限らない。》
として居る。
 さうして、この事は、文法の限界といふ問題とつながるものであるとし、世に一方には文法の知識の無用論者があり、他方には、その効用を重視するものがあるが、しかし、これはいづれも極端に偏した考へ方であつて、真理はその中間にあるとした。
 文法無用論に対しては、
 一、我々の日常の言語にも文法上のきまりが存するのであり、きまりに従つて言語を用ゐてゐるのであるから、このきまりを自覚することは無用ではない。
 一、標準語、文語、古文等は、平常の言語とは或る程度の違ひがあるから、その文法を学ぶ必要がある。
この二つの点から、文法の知識が必要である事を明かにし、又、文法の効用を重視する論に対しては、
 一、文法は、言語になるかならないかの限界をきめるもので、限界内では、言ひ換へれば、きまりに背かない範囲内では、かなり自由な言ひ方が許される。
 一、実際に言語を用ゐる場合には、きまりに従つた言ひ方ばかりするとは限らない。或る一つの言ひ方によつて言ひかけて、中途で考へがかはつたりして、後の部分は違つた言ひ方を用ゐる事があり、このやうな場合には、時として文法に背いた言ひ方をする事がある。混淆の如きはその一つである。かやうな事は、殊に談話の場合にしばしば起る。
この二点から、文法の力の及ぶ限界がある事を明かにした。
 さうして、最後に、
《文法を無用であると考へるのは誤であると同樣に、文法を非常に重んじ、あたかも万能であるかのやうに考へるのも亦誤である。》
と論定して居る。
 このやうに本篇は、車掌用語「切符の初らない方」の解釈といふ具体的な例から出発して、文法知識の用と文法の限界を明かにしたものであつて、いはば文法の本質を明確にしたものといふことが出来る。

 以上で、岩淵悦太郎が執筆した「解説」の紹介を終える。

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形容動詞の扱いに、ひとつの結論を出した

2021-06-26 02:22:12 | コラムと名言

◎形容動詞の扱いに、ひとつの結論を出した

 橋本進吉博士著作集第二巻『国語法研究』(岩波書店、一九四八年一月)から、岩淵悦太郎執筆の「解説」を紹介している。本日は、その三回目。
 昨日、紹介した部分のあと一行アキがあって、次のように続く。

 本書に収められた四篇のうち、「国語法要説」「国語の形容動詞について」「助動詞の分類について」の三篇は、近い年月のうちに次々と発表されたものである。「国語法要説」が、文法上の単位を解明すると共に、文法上の単位の一つである単語の活用と、品詞の分類とについて論述したものであつて、いはば文法の根本的な問題を取上げたものであるのに対して、「国語の形容動詞についで」は、従来取扱ひに最も疑点のあつたいはゆる形容動詞に対して精密な検討を加へて、その正当な位置を決定したものであり、「助動詞の分類について」は、従来の意味による分類の妥当でない点を明かにして、助動詞分類のあり方を示したものであつて、この二篇は、「国語法要説」を補ふものと見ることが出来る。唯、「国語法要説」は文の構造に説き及んで居ないのであつて、これに関する博士の著作を本書のうちに収め得なかつたのは残念である。「切符の切らない方の解釈」は、言語現象のうち、文法に関するものと然らざるものとのある事を明かにし、いはば文法の限界を具体的に示すと共に、言語の使用解釈に於ける文法知識の効用を説いたものであつて、文法の本質を明確にしたものと言へる。
 なほ、文法の研究法についての博士の考へは、前掲の「国語学研究法」に示されて居り、国語の習得、或は標準語、文語等の学習に於ける文法知識の効用、教育に於ける文法科の目的・意義・効果等についての博士の考へは、前掲の「国語学と国語教育」に明かである。

   「国語法要説」
 この篇は、国語科学講座中の一篇として執筆されたものである。刊行は昭和九年十二月であるが、これ以前、博士は、すでに東京帝国大学の講壇に於いて、「日本文法論」(昭和四年度)、「国語法概論」(昭和七年度)などを講じて、国文法の体系に関する見解を明かにして居られる。博士の文法学説の基本をなす「文節」論も、すでに「日本文法論」に見えてゐる。「国語法要説」は、これらの講義案を基にして整理されたものと見られる。なほ「国語法要説」公刊前に、博士は、中等学校の文法教科書「新文典」及びその別記を著はされた。しかし、これらは教科書であるがために、従来の通説に妥協されたところがあり、必ずしも博士の主張される学説そのままではなく、「文節」の如きも、そこでは取上げられてない。
 この「国語法要説」は、国文法の根本的な問題を取扱つたもので、言語を構成する単位としての文、文節、単語、及び単語の下位成分たる接辞、語根等の性質を明かにし、活用の本質を明らめ、博士独自の品詞分類論を展開したものである。
【以下、約十八ページ分を割愛】

   「国語の形容動詞について」
 本篇は「藤岡博士功績記念言語学論文集」(昭和十年十二月刊)に掲載されたものである。
 普通、形容動詞と言はれてゐるものは、
  第一種  面白かり 苦しかり (カリ活用)
  第二種  静かなり 丈夫なり (ナリ活用)
  第三種  堂々たり 確乎たり (タリ活用)
の類〈タグイ〉である。これらは、起源的には「面白く―あり」「静かに―あり」「堂々と―あり」の合体したものである。そこで語源に従つて、これらを二語に分つて取扱ふ考へがある。しかし、このやうに語源に戻して取扱ふのは、文法上正当なこととは言へない。そのままの形で取扱ふのが正しい行き方である。そのままの形で取扱ふにあたつても、第一種の「面白かり」はこれを一語として取扱ひ、第二種・第三種は、「静か」と「なり」、「堂々と」と「たり」との二語に分けて取扱はうとする考へがある。しかし、「静か」「堂々」は、特殊の場合を除き、これだけ単独で用ゐる事はない。したがつて、「静かなり」「堂々たり」も一語として取扱ふのが穏当であると言へる。
 この「面白かり」「静かなり」「堂々たり」を一語として取扱つた場合、その所属品詞が問題となる。これらは、意味から見ると、いづれも形容詞と同様である点から、形容詞と同類と見た人もあるが、その活用をラ行変格と見てこれを動詞の中に入れるのが普通であつた。
 この形容動詞について詳細に検討を加へ、その取扱方について一〈ヒトツ〉の結論を出したのが本篇である。形容動詞については、博士はすでに東大の講義に於いて独創的な見解を示されたのであるが、吉澤義則博士が発表された形容動詞の論(「国語国文」第二巻第一号所載「所謂形容動詞に就いて」)を機縁として本篇を執筆され、かねて包抱された見解を公表されるに至つたものと考へられる。本篇でも、先づ吉澤博士の説を明らかにし、これを批評しながら自説を展開する態度をとつて居られる。
【以下、約八ページ分を割愛して、次回に続く】

 若干、注釈する。「藤岡博士功績記念言語学論文集」の「藤岡博士」とは、言語学者の藤岡勝二(かつじ)のことである(一八七二~一九三五)。同論文集は、藤岡博士功績記念会編、岩波書店刊。吉澤義則(よしのり)は、『源氏物語』の研究で知られる国語学者(一八七六~一九五四)。

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