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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

原子爆弾の投下だけは避けよ(1945・7・27)

2016-07-27 03:10:05 | コラムと名言

◎原子爆弾の投下だけは避けよ(1945・7・27)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、七月二七日の日誌を紹介する(二三四~二三六ページ)。

 七月二十七日 (金) 晴
 午前七時、朝食を食べていると汗が吹き出る。手拭で拭きながらで、本当に朝から暑い日だ。
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告では、
「前勤務者田原候補生からの申し送りですが、昨夜午後十時のニューディリー放送によりますと、昨日(七月二十六日)、米軍B29三百五十機は松山、徳山、大牟田の三都市を空襲し爆撃をしたと放送がありました」
 四国の松山は軍都、山口県の徳山と九州の大牟田はともに工業都市、平均的に見て百二十機が爆撃を加えたとは、どこもここも焼け野原になっているのではないだろうか。
 ぼんやりそんなことを考えていた。
 突然、午前九時、ニューデイリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、先般来、ドイツ国ベルリン市郊外のボツダムで行なわれていた米英支三国合同会議の結果、昨日(七月二十六日)、米国トルーマン、英国チャーチル、支那蒋介石の米英支三国首脳は、日本に対し無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 隊長は席におられないが、上山中尉は聞いておられる。隊長の寝室には放送は流されているはずだが、隊長がおられたかどうかはわからない。上山中尉から報告されるが、自分としても一字一句、間違いないように記録する。
 間もなく隊長が入ってこられた。簡易略衣袴であるが、きちんとした服装で、珍しく腰に軍刀を着け、長靴〈チョウカ〉を履いておられる。
 隊長「おい上山、聞いたか」
 上山「はッ、聞きました」
 隊長「おれは無条件というのが気にくわんが、天皇制をそのまま残すという条件をつけて、その他は無条件とする交渉すべきではないか」
 上山「そんな虫のよい無条件がありますか」
 隊長「できると思うよ。日本人は皆そう思っているんだから。米国も日本はどんな国であるかよく知っている。その理由は貴様、考えて見ろ。京都、奈良を空襲したということは、一度もおれは聞いてない。ということは、歴史上の残っているものを大事にしようとするのではないかと思う。米国になくて日本にあるのは歴史だ。米国は建国後二百年にも足らず、日本は二千六百年、しかもその間、天皇制が皇統連綿とつづいている。この日本の国体を護持することを条件にすることは当然のことだ」
 上山「無条件降伏とは白旗をあげることです。それだけは絶対にできないです。われわれ軍人が腹を切って死んだ後ならともかく、現状はできません」
 隊長「上山。貴様は現状をどう見ているんだ。毎日毎日、おれたちのいない間に内地には矢弾〈ヤダマ〉が飛んで来ている。そのうえおれたちは帰れない。敵は今度は留守の内地に土足で上がっていこうとしている。女、子供もそれに向かって戦おうとしてる。この間、女十七歳から四十歳と聞いて驚いたが、女、子供まで戦いをさせることはない。本土作戦は絶対にやらしてはならない。この間、近衛さんの訪ソが失敗したが、今度は和平に持ってゆくのによい機会だ。これ以上、内地への爆撃とそれに貴様がくわしく説明してくれた原子爆弾の爆弾投下だけは、絶対に避けねばならないんだ」
 上山「隊長殿。原爆の問題は確かにそうですが、隊長殿の考え方は、失礼ですがおかしいのではないでしょうか。内閣の中に一人、二人の者は隊長殿と同じ考え方をする人もあると思いますが、陸軍大臣はじめ、ほとんどの大臣は反対するのではないでしょうか」
 隊長「いや。今の現状を考えたときに、全大臣みな毎日の爆撃をやめさせるにはどうしたらよいのかを一番に考えているに違いない。陸軍大臣〔阿南惟幾〕も当然、それを考えておられる。逆に陸軍大臣は、この戦さの天王山が比島作戦にあって、沖縄県民を巻き添えにした沖縄作戦をやったことを後悔なさっているのではないかと思う。したがって陸軍大臣としては、ここにいたった責任は取られることと思う」
 上山「責任とは」
 隊長「陛下に対し充分な御奉公のできなかったことと幾多の英霊に対しお詫びをされるであろう。お詫びの方法は、武士として最後の形である切腹という方法をおとりになるだろう」
 上山「自分には、まだ隊長殿のいわれることがよくわかりません。よく考えて見ます」
 われわれ下士官の分際で口を出すことはできない。話がどうなるのか聞き耳を立てていた。
 もし自分の意見を聞かれれば、上山中尉と同意見で、最後までわれわれは戦わさせて欲しい。しかし、日本に制空権、制海権のないのは事実。全員が歩兵となるとしても、小銃からしてない。内地の方も義勇戦闘隊と名前は立派だが、武器はあるのだろうか。中学校の教練で使っていた三八式歩兵銃や騎兵銃は、まだ残っているのだろうか。あったとしても、あれだけでは足りない。
 男十五歳から六十歳、女十七歳から四十歳の国民義勇戦闘隊に編成というが、女は参加させたくない。男の五十、六十の老人もそうだ。隊長のいわれる通り、本土への上陸作戦は避けたければならない。比島作戦が天王山で沖縄作戦はやるべきではなかったといわれたが、そうかも知れない。何だか最初は上山中尉と同意見でありながら、今度は隊長の意見と同じになっている。隊長も黙っておられる。上山中尉も黙って考え込んでおられる。
 午前十一時、珍しく重慶放送が流れ、これも日本に対する無条件降伏を要求するポツダム宣言のことを放送している。隊長の外出禁止令は、時宜的に立派というほかない。
 昨日、南の海岸地帯の船舶が攻撃されたが、今日は敵さん、静かである。隊長は午前中はおられたが、午後は情報室には来られない。上山中尉も同様である。午後六時十分下番。
 田中との入浴、洗濯、夕食も今日で最後である。
 田中には今日の件はいわなかった。要らぬ心配はさせたくない。そのうち上番して記録を見ればわかることだ。
 自分は今日のことが頭の中一杯にあって、きわめて憂欝だ。田中に対して悪いと思ったが仕方がない。

 文中に、「天皇制」という言葉が出てくるが、当時の軍人が、そういう言葉を使ったかどうかは疑問である。この本は、基本的に、あとから「構成」されたものなので、このあたりの不自然さは已むをえないところか。

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