◎東京駅発・鳥羽駅行きの急行列車に乗り込む
月刊誌『旅と伝説』(通巻四八号、一九三一年一二月)から、下村作二郎のエッセイ「汽車の旅と電車の旅」を紹介している。本日は、その二回目。
東京―山田間
九月の或る日曜日の夜、十時十五分東京駅発、鳥羽〈トバ〉行列車に乗る予定で、渋谷駅から東京駅へ来てみると、未だ三十分も、発車時刻に間がある、が兎に角ホームへ上つた、左側に鳥羽行と札の掛つた、列車があるが、「只今客車内は掃除中ですから、乗車はしばらくお待ち下さい」といふ意味の札が立つてゐてガランとしてゐる、が片方右側のホームには、下関行急行が、今や動き出さんとしてゐる、そこには、鳴りひゞく発車ベルと、校歌と、万歳のコーラス、窓からホームから変形タクトの交錯、涙と、水ツ洟、涎?のカクテル! この騒ぎを半分遺して、汽車は出て行つた。
もう掃除も終つたらしい気配なので、コツソリと乗込んでみたが、だれも居ない、漸く探し当つた格好の空家=腰を下して先づ一ぷく、といつた様な気分だが、あまり落つき過ぎて、少々間が抜けてゐる、が間もなく乗込んで来た同志? 諸君に依つて都合よく座席が埋まつた。
十時十五分=前の発車の型を踏むでホームを離れた、青い赤い灯の波を、両舷下に眺めつゝ、陸蒸気〈オカジョウキ〉は、静かに捷く、夜の海へ=夢の郷=
騒がしい足音に、醒まされて、頭を持上げてみたら、早や静岡まで搬ばれてゐる、起き上つて、横領? してゐる座席の一部を、傍ら〈カタワラ〉に立つて居る、人のよささうな、お百姓さんらしい人に、譲つたが、朴直な親しみを有つた、目礼を浴びせられて、いさゝか恐縮した、(断るまでもないが、こゝは所謂、民衆席=三等)、東京を発つ時に、可なり自由な、行動の就れる〈トレル〉程度の座席があつたのだから、その場合、許される限り適当な、態度で、行く事は、だれも異議を、はさむものはなからう、がさてこゝで、眼を醒ましてみると、通路に立つて、右顧左眄〈ウコサベン〉、さながら哀願するが如き態度で、座席を求めて居るのは、多く純撲なるお百姓達だ、然るに、この場合尚ほ三尺の橫領ベツトの上で、狸を真似る智慧者が、そこにも、こゝにも! ハテ仮寝の場合に限つて、官能の動きが或は、狸と同じでないのかも知れないテ、然しこの狸の社中になるのも、なかなかお楽ではなかりさうだ。
ホームの時計が、午前二時四十分を指してゐるのを後に、又暗〈ヤミ〉をついて一路、浜松へ、車中は尽く、是睡魔の郷、時々通過のポイントの上で、淡い夢を破られる、いにしへの五十三次の中でも聞えてゐる、島田、金谷〈カナヤ〉、或は、掛川、袋并などは、恰かも流星群の如く、朧眼〈ロウガン〉をかすめて、暗中に飛去り消ゆる、四時過ぎ浜松で五分間停車、ホームへ下りて、眼ざまし運動を行つてみた、もうこゝでは、その日の朝刊―弁当―お茶―納豆などの売声が右往左往してホームが活きる、生気は車中にも甦る、が黎明には少し間があるから、半ば、尚睡郷の延長!
豊橋で一度停まつたが、五時半に近く、岡崎へ着いた頃には、東の空西の地上は,さながら大きなパレツトを、見る様に、いろんな色調が、交々並び浮んで、気持のよい朝の視覚から、より以上の快感を受ける。
もう夜が明けきつた、今日の恵みの萌芽! 列車の内外はその香気に包まれながら、
途中安城〈アンジョウ〉を除いた各駅に停車しつゝ名古屋へ入つたのは、午前六時過ぎ、こゝは乗降が盛んで、大部分のお客さまの新陳代謝で、顔ぶれが更る、そしてこの場合だれもが感じる事だが、この辺は車中に於ても、関東弁と関西弁の交錯地帯だ、ネー、ナモ、サカイ、ナアー、が雑駁〈ザッパク〉として、耳に入る。
六時十七分、乗つて居た列車が逆行し始めた、何だか元の東京へ引戻されさうな気持がするが、乗つたまゝ関西線上へ乗換へてゐるのだ、蟹江、桑名、富田〈トミダ〉、四日市の他はスピートで失敬して、七時四十四分亀山へ着いた、窓を開けて首を出した鼻先へ、ウナギメシーと来た。途中で弁当を買そこなつて、些か〈イササカ〉アセリ気味の食慾が承知でない、現金取引四十銭也で、一頓のウナメシを手に入れた、少々冷つこいが、半分位まで、プロペラの様な、うなりをたて喉を通つて行つた、が俄然災変、床上浸水正に醤油の洪水だ、曰く醤油ドンブリ!
「亀山の丼屋さんよ、醤油をもう少し節約なさい、時節柄だ、お上の御主意に副つて」
こゝから列車は、亦もや逆行、つまり原態に復つて〈カエッテ〉、いよいよ参宮線に乗移つてゐる、これを称してピストン運転?
「皆さんこの列車は、山田まで、一身田〈イッシンデン〉―津―松坂―相可口〈オウカグチ〉―宮川の他は停まりません!」と報らせがある、手ぬぐいマスクをした若い駅員さんが、床上清掃に乗込んで箒〈ホウキ〉をうごかすことに余念がない。
鉄道省のお役人様に、列車内ゴミ整理の迷案を言上致します!
安値な金属製の網式の籠を、クツシヨンの下方へ取つけては如何ですか、奥のはうは蝶番ひ〈チョウツガイ〉で固着、前方(膝頭の内下方に向ふ位置)は弧形の投入口を開けて置いて、螺旋〈ネジ〉式で固定、掃除の時には、栓を引けば、バラリ!
先づこれで、将来は極めて美しくて、そしてバナヽの皮のために背負いなげを喰ふこともなからう。
午前九時十二分―規定の時間に一分も違はないで、神都のホームに、ピタリと停まつた。
日本の汽車は、発着時間の正確な点で世界一の折紙をつけられてゐるさうだが、日本の人も時間観念に於て、世界一? の折紙がついてゐるさうだ、但し杜撰〈ズサン〉な点が。【以下、次回】
この当時、東京駅発・鳥羽駅行きの急行列車があったらしい。ただし、当時の時刻表で確認したわけではない。
このエッセイによれば、東京駅から名古屋駅までは東海道本線、名古屋駅から亀山駅までは関西本線、亀山駅から鳥羽駅までは参宮線を通ったもようである(当時の参宮線は、亀山駅・鳥羽駅間)。筆者は、山田駅で下車しているが、ここでいう山田駅とは、たぶん、今日の「伊勢市駅」のことであろう。
文中、「一頓のウナメシ」とある。辞書を引いて、「頓(トン)」に、一回の食事の意味があることを知った。