礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

重慶政府の宋子文、スターリン首相と会談

2016-06-30 03:03:53 | コラムと名言

◎重慶政府の宋子文、スターリン首相と会談

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、久しぶりに『永田町一番地』から、六月三〇日と七月九日の日誌を紹介する(二一三~二一五ページ)。その間は、日誌が飛んでいる。

 六月三十日
 米英ソ三国巨頭会談が間近かに迫つてゐる。この間、重慶政府行政院々長宋子文氏が今日モスコーに到着したことが報ぜられた。モスコーの招請によるものか、重慶の発意によるモスコー訪問か、或はモスコー・重慶間に何等かの問題に関し下交渉を見た上での動きか、それは判らない。然し、戦争が明に最後的段階に突入した折柄〈オリカラ〉であり、極東問題がいよいよ国際政局の上に大きく浮かびあがつて来たことを端的に示唆する。

 七月九日
 モスコーからの報道によると宋子文氏はすでに四回にわたつて、スターリン首相と会談を遂げてゐる。
 宋子文氏のモスコー訪問に伴ふソ中国交渉について、朝日新聞のチユーリヒ特電は、ソ連は、重慶政府に対し、満洲における権益の回復を要求し、重慶はこのソ連の申出を結局受諾するのではないかとの観測を行つて来た(掲載禁止となる)
【一行アキ】
 我方の対ソ工作にも満洲問題が包含されてゐる。満洲問題は今や、ソ連に対する日本のそしてまた重慶の交渉の切り札となつた。その何れを取るかは一に〈イツニ〉全くソ連の掌中に握られた形勢である。ソ連は完全にキヤステイング・ヴオートをつかんだ。ポツダムにおける米英ソ三巨頭会談を目前に、斯くして、国際政局は頓に〈トミニ〉緊張の度を加へて来た。
 ワシントン発、今日のユー・ピー電はソ中国間に友好条約が締結されるに至るだらうと報じてゐる。
 東郷〔茂徳〕外相は軽井沢で、近衛〔文麿〕公と会見、要談した。外相としては、強羅会談〔廣田・マリック会談〕に基く対ソ交渉は物にならずとの結論を得、鈴木〔貫太郎〕首相との協議の結果、近衛公の対ソ派遣を考慮したのである。

*このブログの人気記事 2016・6・30(9・10位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読んでいただきたかったコラム(2016年前半)

2016-06-29 04:43:40 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム(2016年前半)

 早いもので、今年も、すでに前半を終えようとしている。
 恒例により、今年度前半で、読んでいただきたかったコラムを10本、挙げてみたい。

◎読んでいただきたかったコラム・10(2016年前半)

・5月17日 清水幾太郎の論理は「自分を利する論理」

・2月18日 午前七時頃、総監私邸に到着した(中島与兵衛)

・1月22日 後藤朝太郎、東急東横線に轢かれ死亡

・6月18日 大東亜戦争決戦下に執筆された大著『不燃都市』

・4月16日 国民は大根なみに扱われて、なぜ激昂しないのか

・6月4日 廣田対ソ提案の骨子はポーツマス条約廃棄

・5月3日 東京市立国民夜学校一覧(1942)

・4月24日 砲兵在那児(砲兵ハ何処ニ居ルカ)

・1月1日 川柳川柳師匠と『鞍馬天狗 角兵衛獅子』

・1月31日 「やせ我慢」と「関係の絶対性」

◎礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト30(2016・6・29現在)

1位 16年2月24日 緒方国務相暗殺未遂事件、皇居に空襲
2位 15年10月30日 ディミトロフ、ゲッベルスを訊問する(1933)
3位 16年2月25日 鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」
4位 14年7月18日 古事記真福寺本の上巻は四十四丁        
5位 15年10月31日 ゲッベルス宣伝相ゲッベルスとディートリヒ新聞長官
6位 15年2月25日 映画『虎の尾を踏む男達』(1945)と東京裁判
7位 16年2月20日 廣瀬久忠書記官長、就任から11日目に辞表
8位 15年8月5日 ワイマール憲法を崩壊させた第48条
9位 15年2月26日 『虎の尾を踏む男達』は、敗戦直後に着想された
10位 13年4月29日 かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか     
11位 13年2月26日 新書判でない岩波新書『日本精神と平和国家』 
12位 15年8月6日 「親独派」木戸幸一のナチス・ドイツ論
13位 16年1月15日 『岩波文庫分類総目録』(1938)を読む
14位 15年8月15日 捨つべき命を拾はれたといふ感じでした
15位 15年3月1日  呉清源と下中彌三郎
16位 16年1月16日 投身から42日、藤村操の死体あがる
17位 14年1月20日 エンソ・オドミ・シロムク・チンカラ     
18位 16年6月7日 世界画報社の木村亨、七三一部隊の石井四郎を訪問
19位 15年11月1日 日本の新聞統制はナチ政府に指導された(鈴木東民)
20位 13年8月15日 野口英世伝とそれに関わるキーワード   
21位 16年2月16日 1945年2月16日、帝都にグラマン来襲
22位 16年2月14日 護衛憲兵は、なぜ教育総監を避難させなかったのか
23位 16年5月24日 東條英機元首相の処刑と辞世
24位 16年6月13日 マトモなことを言うとヒドイ目に遭う
25位 16年6月14日 大政翼賛会は解散、大日本婦人会も解散
26位 15年8月9日 映画『ヒトラー』(2004)を観て印象に残ったこと
27位 15年12月5日 井上馨を押し倒し、顔に墨を塗った婦人
28位 13年8月1日  麻生財務相のいう「ナチス憲法」とは何か   
29位 15年2月20日 原田実氏の『江戸しぐさの正体』を読んで
30位 16年6月8日 石井四郎中将邸は牛込の若松町電停そば

次 点 16年1月27日 国民学校の発足(1941)とその目的

*このブログの人気記事 2016・6・29(6位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米軍、沖縄掃討戦の終結を発表(1945・6・30)

2016-06-28 03:29:03 | コラムと名言

◎米軍、沖縄掃討戦の終結を発表(1945・6・30)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、六月二八日~三〇日の日誌を紹介する(一九一~一九五ページ)。

 六月二十八日 (木) 雨後曇
 雨が降れば敵機が来ないといったって、三日も連続で降られたのでは弱ったものだ。【中略】
 午後やっと雨が上がったので、山のような洗濯物に挑む。例によって室内に干す。満艦飾〈マンカンショク〉のごとく洗濯物が靡【なび】く。干してしまえば三十分あまりで乾く。
 午後三時半、上番準備。今日は編上靴【へんじようか】にも保革油をつける。午後四時、上番する。
 午後七時のNHKのニュースでは、初めの部分雑音が入って来て聞きとれない。係が一度切って途中からだが、前年度の秋田県の木材供出は割り当ての百二十九パーセントで全国一の好成績であるという。前半が聞けなかったのは残念。沖縄戦線のことは、いわなかったのだろうかどうだろう。
 午後十時、ニューディリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、米軍は本日、B29約三十機にて神戸港並びに新潟港の港内外および近海を空襲し機雷を投下致しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 大部隊が出ないのは天候の関係だろうか。午後十二時、下番する。

 六月二十九日 (金) 曇時々雨
 三勤の特権とばかりに朝、ゆっくりと起きる。起きたころには雨は降っていなかったが、空は真っ黒、ぽつりぽつりと落ちて来た。【中略】
 午後四時、上番する。下番田中候補生は、「今日も全然ベルがならす、机に向かうのが息苦しかったです」という。田中は真面目だなあと思う。そこで、
「ないからといって、貴様の責任ではない。おれなんか十日くらいもう電話に接してないよ。これから八時間もこの天候なら、まずないだろう。心配するなよ」といって慰めてやった。予測の通りというか、今日も電話はどこからもかかって来ない。
 午後七時、NHKのニュースが流れる。沖縄戦線のその後、何かあるかと期待したが、期待したのが問違っていて何もなかった。放送は大蔵省の統計によると、昭和十九年度の国民貯蓄総額は、四百八十四億八千九百万円で、目標額を一割八分突破したと発表された。また全国の銀行においては預貯金の共通支払制度を、来る〈キタル〉七月一日からはじめる。すなわち普通預貯金は、全国どの銀行でも払い出しが可能になると発表された。今まで東京都内だけの扱いが拡大されるということのようだ。
 午後八時ごろ、富士山のボタンのベルがなって隊長が出て、「上山を呼べ」ということで、上山少尉と替わると、上山少尉は、「はい、わかりました」とだけいって部屋を出ていかれた。何か事件でもあったのか。
 その後、今日も午後十時のニューディリー放送もない。雨で米軍は休んでいるのだろうか。日本内地が雨なのだろうか。午後十二時、下番する。

 六月三十日 (土) 晴
 朝陽【あさひ】の燦々【さんさん】とした光もあって、午前七時半、起床する。ちょうど田中が上番準備のため服装をととのえているところだった。
「班長殿、早いですね」という。
「いや、太陽光線が東側の入口から斜めに入って顔の辺りで照ってくれるんで、目がさめたんだ」と答えた。
 朝食を終わったところに、田原も下番して来た。午前九時ごろから天気がよいので、洗濯物を持って出て洗濯していると、眠っていたはずの田原が、「班長殿、班長殿」と呼んでいる。見ると隊長名の至急通知書で、『本日全員に一コ宛〈ズツ〉手榴弾を支給する。したがって手榴弾投擲〈トウテキ〉訓練を、本日午後一時より情報室前の広場で行なう。非番者は全員集合すること。なお各班各分隊においてはできるだけ初年次の者を参加せしめられたい。初年次の者が服務中のところは、旧年次、もしくは手榴弾投擲について熟知の者が勤務を交代された上、初年次者を参加させられたし。担当教官高橋少尉』となっている。【中略】
 十二時三十分、上番し、田中候補生を帰らせる。午後一時、隊長が入って来られる。
「おい黒木、ちょっと来い」
 自分はびっくりして直立不動の姿勢で隊長の前に、
「はッ」といって立った。
「諸般の都合により七月一日付をもって監視所を一部閉鎖する。場所は陽江、河源、多祝、海三の四ヵ所とする。閉鎖した各監視所要員は、分散して一週間以内に指定する監視所に合併する。当初、梧州もこの該当となったが、西からの飛来敵機のために残してもらった。以上だ」
 昨夜の上山少尉との打ち合わせはこの件だなと思った。これは南支軍として完全な縮小ではないか。おそらく、それぞれの監視所の併設の部隊が移動することになったからだろう。梧州まで撤退する話が出たのかと驚く。この三月まで自分がいたのに。
 隊長は自分に対して説明した後、すぐ出て行かれた。非番者の投擲訓練の状況を見られるのであろう。幸いに今日も敵機の動き、南支上空はなし。二勤につづき三勤も勤務する。
 午後七時よりのNHKニュースによると、福島県では軍刀報国会が結成され、県下にある各家宝の刀剣三万口の供出促進に乗り出したといっている。
 午後八時、上山少尉、午後九時、隊長と、あいついで部屋に入って来られた。
 午後十時、ニューディリー放送が流れてくる。
 ――こちらニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、本日午後五時をもって米第十軍は、沖縄南部における掃討戦を終了したと発表しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 ついに来るべき日が来たかという感じで一杯だった。おそらく軍、官、民の犠牲になった人は何万、いな何十万となることだろう。沖縄がそこにあったばかりに戦火の渦中に巻き込まれた一般住民に対し、国民の一人として本当にどうもすみませんと言わなければならない。それにしても、上山少尉の六月一杯までという予言が適中したのには敬意を表したい。
 暑い暑い七月が来るという南支におりながら、背中から寒い風が吹いて来るようである。

*このブログの人気記事 2016・6・28(5位にやや珍しいものが入っています) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日蓮の思想と国家権力との関係

2016-06-27 04:12:35 | コラムと名言

◎日蓮の思想と国家権力との関係

 よく知られているように、満州事変(一九三一)の主謀者・石原莞爾〈カンジ〉、血盟団事件(一九三二)の中心人物・井上日召〈ニッショウ〉、二・二六事件(一九三六)の黒幕とされる北一輝〈キタ・イッキ〉は、いずれも日蓮主義者であった。彼らの過激な思想と行動は、日本と世界の歴史を大きく動かしたのであった。
 そうした一面のみを見ると、日蓮の思想、あるいは日蓮系の宗派というのは、国家権力と関わりながら、それを過激な方向に導く傾向があるかのごとき印象を持つ。
 しかし、その一方で、日蓮の思想、日蓮系の宗教団体というのは、ときの国家権力と対決し、それゆえに、国家権力から激しい弾圧を受けてきた歴史がある。
 江戸時代において、日蓮宗不受不施派が、キリシタンと並ぶ「禁教」であったことはよく知られている。 
 戦前・戦中においては、大本教(皇道大本)、ほんみち(天理本道)、ひとのみち(扶桑教ひとのみち教団)、灯台社(ものみの塔聖書冊子協会日本支部)といった新興宗教が、激しい弾圧を受けた。これらと並んで、日蓮正宗系の創価教育学会(創価学会)も、激しい弾圧を受けていることに注意したい。
 日蓮の思想、あるいは日蓮系の宗派というのは、国家権力の激しい弾圧を受けることもあれば、逆に、国家権力と関わりながら、それを過激な方向に導くこともあるという二面性を持っているということが、一応、言えそうである。
 国家権力に対するこうした二面性は、宗教一般に見られる傾向であって、特に、日蓮の思想、あるいは日蓮系の宗教団体に着目する必要はない、という見方もできるだろう。しかし、以下に見る通り、日蓮という宗教家、あるいは日蓮系の宗派は、独特の国家観を持っており、それゆえに、国家にかかわる「二面性」があらわれやすかったのではないだろうか。
 日蓮宗系の宗教の開祖である日蓮が、ときの国家権力(鎌倉幕府)から、激しい弾圧(法難)を受けたことはよく知られている。日蓮の思想については詳しくないが、その著『種種御振舞御書』〈シュジュオンフルマイゴショ〉には、「日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば、釈迦仏の御使ぞかし。僅かの天照太神正八幡なんどと申すは、此の国には重けれども、梵釈、日月、四天に対すれば、小神ぞかし」という文言がある。その思想そのものに、国家権力に立ち向かうという激しい一面があったのである。
 ずっと時代がくだって、戦中の一九四三年(昭和一八)ことであるが、創価教育学会の創立者で、初代会長の牧口常三郎は、皇大神宮の大麻〔お札〕を拒否したため、会幹部とともに、治安維持法違反で逮捕されている(翌年、獄死)。
 日蓮という宗教家、あるいは日蓮系の宗派が、弾圧を受けてきたのは、信仰は国家権力に優位するというという国家観に起因するところが大きい。
 一方で、この国家観は、信仰によって国家権力をコントロールするという志向、あるいは、自己の信仰にふさわしい国家を造るという志向に結びつきかねない。昭和期にあらわれた石原莞爾、井上日召、北一輝といった日蓮主義者も、もちろん、日蓮以来の独自の国家観の持ち主だったと捉えるべきであろう。
 さて、いまの私の関心事は、今日の安倍政権を支えている公明党が、宗教と国家との関係をどのように捉えているのかということである。端的に言えば、「日本会議」を偏重する安倍首相について、どのように考えているのかということである。

*このブログの人気記事 2016・6・27

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会全体の空気が反左翼になっている(菅野完)

2016-06-26 08:09:04 | コラムと名言

◎社会全体の空気が反左翼になっている(菅野完)

 一昨日からの続きである。『週刊朝日』の二〇一六年六月二四日号に載った、「日本会議」関連の記事は、分析が十分でないという印象を持った。しかし、参考までに、この記事の最後の部分を、引用しておくことにしよう。

 日本会議の影響力が及んでいるのは、単に政権に対してだけではない。前出の菅野〔完〕氏は、日本青年協議会の機関誌である月刊誌「祖国と青年」の内容を検証した結果、こんなことに気がついたという。
「『祖国と青年』のバックナンバーをつぶさに読んでいくと、毎年定期的に必ず扱っていた北方領土の話をある時期に突然やらなくなった。同じころ、世間が竹島や尖閣諸島の問題で騒ぎだしますが、『祖国と青年』がどこよりも早く火をつけていました。冷戦が終わってソ運を敵と言えなくなったら、今度は韓国や中国を持ち出してくる。『祖国と青年』に載った話が、数カ月後の『正論』や産経新聞に出てくる。いわば、ネタ本になっているのです」
 源流の「生長の家」時代錯誤と批判
 つまり、日本会議の中核である日本青年協議会の設定したアジェンダが保守陣営の論調を形成してきたというのである。
 ただ、日本会議が実際に安倍政権に対してどれほどの力を持っているのかは、目下のところ意見が分かれる。【中略】
 日本会議が安倍政権を陰から操っているという指摘もある。だが、菅野氏はそんな見方には異を唱える。
「安倍首相の側もどうすれば有権者の支持が得られるかを計算して、主体的に政策を選んでいる面がある。民主党に政権を奪われていた時代、安倍氏が売りにするテーマは経済政策に加え、民主党政権への有権者の反感を背景とした『反左翼』があった。それが日本会議の路線とぴたりと一致したことで、現在のような蜜月の関係になっているのでしょう。今の日本社会全体の空気が『反左翼』になっていることが背景にある」
 日本会議との関わりを取り沙汰されている生長の家は、日本会議の主張する改憲右派路線は、現在の同会の信念とは全く異質であり、7月の参院選でも「与党とその候補者を支持しない」と表明。次のように警鐘を鳴らした。
〈公明党以上に、同会議は安倍首相の政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があります。(略)元生長の家信者たちが、冷戦後の現代でも、冷戦時代に創始者によって説かれ、すでに歴史的役割を終わった主張に固執して、(略)隠密的活動をおこなっていることに対し、誠に慚愧〈ザンキ〉に耐えない思い抱くものです。(略)はっきり言えば時代錯誤的です〉
 安倍政権は日本をどこへ導うとしているのか……。

 菅野完〈スガノ・タモツ〉氏のコメントと、生長の家の声明の引用を綴り合わせ、最後は、「安倍政権は日本をどこへ導うとしているのか」というありがちな問題提起で締めているが、感心しない。記者独自の分析、記者独自の主張を、もっと打ち出すべきではないのか。
 それはともかくとしても、ここで紹介されている菅野氏の「今の日本社会全体の空気が『反左翼』になっている」というコメントは興味深い。
 ところで、同記事の最後のところに、今月二七日に、「日本会議の真実」と題した「緊急復刊朝日ジャーナル」が発売されるという広告があった。一応、買っておくべきだと思った。

*このブログの人気記事 2016・6・26

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする