礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

台湾をおいて沖縄に来たなあ(芦田隊長)

2016-03-31 06:22:02 | コラムと名言

◎台湾をおいて沖縄に来たなあ(芦田隊長)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『永田町一番地』から、三月三一日および四月一日の分(一八八ページ)、そして、『原爆投下は予告されていた』から、三月三一日から四月二日までの日誌を紹介する(六四~六九ページ)。

『永田町一番地』
 三月三十一日
 繆斌の問題について、緒方〔竹虎〕国務相は今日、米内〔光政〕海相を訪問して、懇談した。

 四月一日
 緒方国務相は柴山〔兼四郎〕陸軍次官と会見した。繆斌の問題につき、柴山次官はさういふことの責任をとりたくない、いはば見送りの態度である。
 米軍の沖縄本島上陸が本朝来開始された。上陸兵力約三倍といふ。わが本島守備兵力は約二万五千である。すでに上陸が始まつた以上この兵力差では、戦〈タタカイ〉の帰趨は明かである。やがて起ることを予想せねばならぬ沖縄の失陥に伴つて、日本は南方との交通はもちろんのこと、朝鮮を通ずる大陸との交通も事実上、切断されることになる。やがて日本の孤立が来る。事態の深刻さは、筆舌に尽し難いものがある。
【一行アキ】
 小磯総理は繆斌の問題について東久邇宮〈ヒガシクニノミヤ〉〔稔彦〕殿下に拝謁した。

『原爆投下は予告されていた』
 三月三十一日 (土) 晴
 午前零時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、「昨晩午後十時のニューディリー放送では一昨日よりつづけている米海軍機動部隊の艦隊よりの沖縄本島への艦砲射撃を、昨日(三月三十日)はさらに強化して千二百発の艦砲射撃を行なったと放送しました。したがって、三日間連続で三千発、平均一日当たり一千発になります」と。
 敵の物量の多さにおどろく。これだけ徹底したのなら、今日ぐらいはあるいは上陸してくるかも知れない。一勤の勤務は先日来からの、勤務のいきさつによってであるが、非常に一勤は静かな毎日の連続である。【以下略】

 四月一日 (日) 晴
 午前零時、上番下番の挨拶をして田中候補生と勤務の交替をする。田中候補生の申し送り事項として、「昨夜午後十時のニューディリー放送では昨日(三月三十一日)、米軍B29百四十機が九州各地の飛行場、防空施設を空襲し爆撃を加えました。またこれとは別のB29三十機は、瀬戸内海並びに豊後水道一帯に機雷を投じたと報じております」【中略】
 午後四時上番する。田中候補生が、「まったく何もめりません。申し送り事項もありません」という。上山少尉は午後二時ごろから入られていたようである。いつものようにただ黙って、手帳に小さな文字を書き込んでおられた。
 午後四時半ごろ、隊長〔芦田大尉〕も入って来られた。久しぶりに見る隊長や上山少尉だ。
 午後五時、インド・ニューディリー放送が流されてくる。本当にインドかと思うくらいに雑音がない。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれぼ、本日四月一日午前八時、沖縄本島中部の嘉手納【かでな】・茶谷【ちやたん】海岸に米軍上陸部隊は上陸しました。上陸軍はすでに嘉手納飛行場と北飛行場を完全に占領した模様でございます。繰り返し申しあげます。…………。――
 隊長「おい上山、台湾をおいて沖縄に来たなあ。沖縄対応策はどうだろかなあ」
 上山「沖縄は牛島満中将以下三十二軍が守備しております。第三十二軍は最近、所属が変わって第十方面早に所属しております。第十方面軍は台湾にあります。たしか保有三コ師団でありましたが、そのうち一コ師団が台湾に今年のはじめ転用され、後詰め部隊の派遣が中止になったと聞いております。したがって、第三十二軍はニコ師団のみ保有のはずであります」
 隊長「敵の攻撃状況がわからぬが、日本の空軍はだらしないなあ」
 上山「おおせの通り当初、沖縄に来攻する敵を撃滅する主役はわが空軍で、三十二軍は端役にすぎないとする見方が普通でした。残念ながら空軍の出方が少ない上に、海軍も沖縄に気やすく上陸させすぎです」
 隊長「この部屋にも、沖縄の地図を張り出してくれ。沖縄県なんだよ」
 上山「かしこまりました」
 上山少尉は、中学用の三省堂の地図から沖縄の頁のところをあけて見ながら地図を書かれ出した。
 午後七時になると、NHKで大本営の放送があるかと思っていたが、流れて来たい。なぜ放送しないのだろうか。当番兵が夕食を持って来てくれた。放送を待っていたがないので食べはじめた。
 上山少尉はまだ地図を書いていた。都市名には◎印を入れておられた。自分はレシーバーをかけてマイクとにらめっこして待機していた。
 午後九時、またもニューディリー放送が流れて来た。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべきところの情報によりますと、沖縄攻略の米軍は本日午前八時、上陸を開始し、一時間以内に四コ師団一万六千人と戦車部隊が上陸し、昼までに嘉手納の中飛行場と読谷【よみたん】の北飛行場を占領した。夕方までに六万人が上陸し、砲兵部隊もすべて揚陸が完了しました。繰り返して申しあげます。…………。――
 上山少尉は腕組みして聞いておられる。四コ師団で一万六千人ということは一コ師団が四千人の計算になる。夕方までに六万人の上陸ということは十五コ師団の編成となる。上山少尉は午後五時のときに沖縄防衛軍は第三十二軍で現有ニコ師団といわれていたと思う。
 もちろん日米の師団編成は違うので、一概に比べるのはおかしいかも知れないが、十五対二では比較にならないではないかと思う。
 これだけ詳細な放送が敵側からあるのに、大本営からの放送、すなわちNHKからは何の放送もない。上山少尉も午後十一時過ぎに席を立たれた。
 午後十二時、田原候補生と上下番の挨拶をして下番する。下番後はすぐ横になる。

 四月二日 (月) 晴
 午前八時半、起床する。すでに田原候補生が下番してよく眠っている。【中略】
 午後四時半ごろか、午後の静けさの中を破って、敵側同士の無線か電話か知らぬが、隣室で英語翻訳専門の兵隊が一人で翻訳してスピーカーで流されだした。「せっかくこの土地に来たと思ったのに、また出発だって」「よいではないか、おれなんかここ一年になるよ」「あっ、君の彼女からレター届いたかい」「いや、ぜんぜんそんなものお目にかからないね」「僕も、手紙はどんどん出すんだが、彼女からは何も来ないんだよ。どうかしてるんではないかと気になって仕方がないよ。ああキスしたいたあ。一度ぐっとだきしめたいよ」
 気になって横後ろの隊長の方を振り返って見たら、まじめな顔をして目をつむっておられたが横を向くと、「おい上山、今の最初の地点の場所がどこか調べさせてくれ。せっかくこの土地に来て、また出発といっていた地点だ」
「ハッわかりました。調べさせます」といって立ち上がると、隣りの部屋に行かれた。
 どうも南支内の地点に米軍の通信施設が、中国軍の飛行隊にまじって勤務しているように思える。それにしても、敵さん、公器を勝手に私用に使っている。しかも彼女とか何とか、これなら精神面で日本は絶対に勝てると思った。
 情報室に入って思うに、物量作戦での敵の大量武器の豊富さと、その武器をおしげもなく重点的に使っていることが気になって仕方がない。日本軍としては国内はともかくとして外地にあまりに東西南北各地に分散しすぎ、敵の突く沖縄には手勢わずかで制空権、制海権を敵にあたえてしまっているのが現状だ。しかし、日本は負けたことがなく、敵兵の交信に見られるように、兵隊の意志では日本の方が絶対に勝ちだ。
 午後九時、内地のNHKニュースもよく聞こえる。
 ――大本営発表、昨日、米軍は沖縄中部地域に上陸の模様なるも詳細不明――
 また他のニュースもつづける。
 ――郵便・鉄道・酒類が四月一日より値上げに。勝札〈カチフダ〉という宝籤が発行された――
 それにしても、ニューディリー放送が沖縄に関し、米軍情報を昨日あれだけ細かに放送したのに、今日になってなお詳細不明とはどういうことか。本当にはがゆい気持だ。
 午後十一時、隊長、上山少尉があいついで退出された。午後十二時、下番する。田原候補生上番、要点的に勤務中のことを話し申しおくる。

*このブログの人気記事 2016・3・31

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本日は、「このブログの人気記事」の紹介のみ

2016-03-30 17:15:19 | コラムと名言

◎本日は、「このブログの人気記事」の紹介のみ

 本日は、「このブログの人気記事」の紹介のみで失礼します。2016・3・30

*このブログの人気記事 2016・3・30

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回虫ばかり二十匹以上も出る(黒木勇治伍長)

2016-03-28 02:12:07 | コラムと名言

◎回虫ばかり二十匹以上も出る(黒木勇治伍長)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、三月二八日から三〇日までの日誌を紹介する(五九~六三ページ)。
 
 三月二十八日 (水) 曇
 昨夜のニューディリー放送の興奮はまだつづいている。隊長はこの部屋で知り得た情報は、何人にも知らしてはならぬと言われたが、逆にだれかと話したい気になる。もう隣りの部屋は全員引きあげた。壕の中に自分一人が勤務している。【中略】
 午前七時、当番兵が朝食を持って来てくれたので、さっそく朝食を食べた。ところが、食べ終わった途端に腹全体が痛み出した。下腹部もちろん、胃も腸もとにかく腹が痛い。額からは油汗が出る。
 午前八時、二人の少年兵はやって来た。上下番の挨拶もちゃんとできるし、電話応待も問題なくやってくれそうなのと、とにかく腹が痛むので(二人には言われぬが)二人で午後八時まで勤務するように命じた。
 下番後、腹痛のために厠に直行する。意外にも回虫ばかり二十匹以上も出る。昨年の三ヵ月、木の根を噛ったり、砂糖黍〈サトウキビ〉をしゃぶったり、生のままのピーナツを食べたり、そのうえ蛇や鼠を食べた悪縁によることだろう。
 医務室に行って話をしたら、下剤をくれた。下剤を呑んで一時間か一時間半か、また腹が痛くなり、厠にかけ込んだ。今度も出るわ出るわ三十匹から四十匹くらいか、透明なようなものから白くなっているものまで、長さは五センチから十センチ以上のものまで、自
分ながら驚く。その後、また一時間後、厠に行く。まだ出てくる。
 昼すぎからやっと仮眠ができる。午後七時、夜の勤務に備えるため入浴、夕食をすます。
 午後八時上番し、勤務交替する。原隊の野高砲の人々はどうだろう。あるいは自分と同じく回虫にやられた者がいるのではないだろうか。ここでは医務室に遠慮なく自分は行って話をしたが、初年兵ではいいにくいだろうなあ。そういえぽ二中隊には医務室はあったかなあ。そんなことを考えていると、今日も午後十時、ニューディリー放送が流されてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべきところの情報によりますと、米軍B29百機は昨夜、夜間より本朝未明にかけて北九州地区を空襲し、関門海峡一帯にかけて機雷を投下致しました。繰り返し申しあげます。…………――
 一体、B29には機雷は何個積めるのだろうか。五十個から百個の間くらいと思うが、かりに五十個として、百機から投下された機雷は五千個となる。日本に掃海艇が何隻あるか知らないが、五千個の除去作業は並み大抵のことではないだろう。
 
 三月二十九日 (木) 晴
 夜の勤務をつづけていると、日の変わったという意識が少ない。夜の勤務は静かそのもので、安東兵長が言っていたが、考えようによれば、夜の勤務は楽なうちに入るのだろう。
 午前三時すぎに厠に行く。昨日あった場所にない。便利なもので、満杯になると土がかけられ、別のところに穴が掘られて、丸太四本に茣蓙〈ゴザ〉がかけられるから、すぐに新しいのができる。しかし、月が暗かったらまったくわからない。【中略】
 午後八時、勤務に上番する。田中、田原が勤務中の情報を報告してくれる。もうこれからは情報室の勤務中は田中候補生、田原候補生と呼ぶことにしよう。内務班では田中君、田原君でよいだろう。
「本日午後五時のニューディリー放送によりますと、昨二十八日夜半より本日二十九日早朝にかけ、米艦載機千三百機は九州地区の船舶並びに航空施設などを空襲し銃爆撃を加えました」と記録したメモ用紙を見ながら、二人が報告してくれた。
「えっ千三百機」と私は驚いた。二人は声を揃えて、
「間違いありません」という。
 一航空母艦に何機積めるのか知らないが、かりに一艦に二百機としても、七艦も九州付近にいるということになる。日本の陸海の空軍はどうしているんだろう。
 夜になると、白雲飛行場からエンジンの音が高く低く流れてくるのが厠に行くたびによくわかる。
 午後十時、またも、ニューディリー放送が流れて来た。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、昨日よりつづけております米機動部隊の艦隊は、沖縄本島への艦砲射撃を昨日八百発でありましたが、本日は強化して一千発の艦砲射撃を行ないました。繰り返して申しあげます。…………。――
 毎日毎日、一千発も砲弾を浴びてば、撤退せざるを得ないだろう。おそらく海岸線から幾重にも幾重にも壕が掘いれあるといえども、艦砲射撃には小銃や機関銃では弾丸【たま】は届かないだろう。届いても艦隊の鉄板では跳ね返るのが関の山だろう。火砲の部隊でないと、話にならないだろう。火砲を撃てば逆に集中砲火されるだろう。こうなったら空軍力で行くか、あるいは海軍対海軍で、海上戦闘をやってもらわねばならないだろうに。空軍や海軍はどうなっているのだろうか。

 三月三十日 (金) 晴
 午前零時になって、情報室内の日めくりをめくり、三月三十日の頁を出しておく。三月三十日金赤口とある。こんな壕の中まで日めくりがあるのには驚いた。【中略】
 二人が午前八時に上番のつもりでやって来た。自分は勤務に集中するために八時問制度を採用したことを説明し、二人にジャンケンさせたら田原が勝って、田原の希望を聞くと、午前八時からの勤務に着きますというので、二勤の勤務を田原に命じた。田中は休養して、三勤午後四時からの勤務に着けるように準備させた。下番後、すぐ床についた。
 下番して二時間も横になって眠っただろうか。田中が、「班長殿! 空襲警報です」と自分を起こす。「鉄帽をかぶれ」と指示する。飛行場からドオーン、ドオーンという地響きが起きる。B29四機が、飛行場付近で急降下しては爆撃を繰り返している。友軍機は飛び立たない。高射砲陣地からの弾丸の炸裂する音がつづく。
「田原の応援に行きましょうか」と聞く。自分自身、先ほどから行ってやろうかどうしようかと迷っていたが、「経験だ。経験だ。かりに応援に行ったら、いつもこんなときには来てくれる。自分は頼りにならぬかと思うかも知れぬ。それより一回一回当たれば、それだけ自信がつくからやらせておこう。彼のためだと思う」と言った。十分ぐらいの攻防がつづいたが、敵機は去ったのであらためて横になる。【以下略】

*都合により、明日から数日間、ブログをお休みします。

*このブログの人気記事 2016・3・28(9位に珍しいものが入っています)

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各島の随所で住民の集団自決が……

2016-03-27 02:23:25 | コラムと名言

◎各島の随所で住民の集団自決が……

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、三月二七日の日誌を紹介する(五七~五九ページ)。

 三月二十七日 (火) 晴
 午前零時、勤務に上番する。よく眠ったもので、二日分を眠ったから、二十分前の午後十一時四十分に起床して、夕食が残してあったのを食べ、服装をととのえるのにやっとだった。「勤務中の問題点、情報などはなかったか」と質問すると、田中が申し送りに書いたものを読みあげて報告してくれた。
「昨夜午後十時、ニューディリー放送がありました。(一)米軍は昨日(三月二十六日)、沖縄本島西方の慶良間【けらま】列島の座間味【ざまみ】島に上陸し、座間味島の陣地を攻撃しました。(二)米軍は同じく昨日、約千五百名は、戦車を先頭にフィリピンのセブ島に上陸しました。以上であります」
 申し送りには、子供にしては読める字で書いてあった。「ご苦労、ご苦労」と声をかけてやり、内務班に帰らせて休ませた。
 午前三時、厠に行ったついでに内務班を見たら、二人、頭を並べてよく眠っていた。かわいい坊やだ。【中略】
 当番兵が三人分の昼食を持って来たので一人分は内務班においておくように指示する。二人にはおれの説明が終わってから交替して食べるようにいう。今日は最初なので、上番下番の挨拶申し送りからぱじめた。
「きよおつけ!」自分が号令をかける。田中は、きちっと足を四十五度に開いてちゃんと不動の姿勢をとっているのに、田原は足を休めにしたままなげ出している。自分は知らないうちに、田原の顔面を右に左に撲っていた。そのうえ田中にも、同僚の不注意を指摘してやれなかった貴様も同罪とばかり、二、三発撲った。【中略】
 自分は下番して、はじめて手を振ったので手の掌【ひら】が痛い。彼ら少年は軍靴も履かず、小学生の履くゴム運動靴を履いている。そんな子供に手を加えたことを後悔する。しかし、これが基本になって上下番の申告がきちんとできるようになってくれと願いながら横になった。
 午後八時。勤務のために情報室に入る。田中が号令をかけ、上下番の申し送りをきちんとやってくれた。昼に彼らを叱ったことがよかったのだ。報われたという気持で一杯だった。
 今日も情報室は、おかげさまでというか昼の間も、自分の勤務になっても、どこからも電話もなく情報の放送もない。
 午後十時。まったく昨日同様、ニューディリー放送が流されてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信じられるところの情報によりますと、本日、米軍は慶良間列島の渡嘉敷〈トカシキ〉島および慶良間島に上陸し、昨日上陸の座間味島と共にいずれも完全に占領しました。各島とも住民の大量の集団自決が随所に見られました。繰り返し申しあげます。信じられるところの情報によりますと。…………。――
 自分は途中で聞くに耐えられなかった。いかに敵側の放送にしても、往民の集団自決とはどんなことだろうか。会津若松藩の白虎隊を思い出したが、まだ彼らは子供ではあったが戦闘員だった。まったく戦闘に関係のない爺さん、婆さん、幼児を含め、夫が妻を殺し、親が子を殺し、子が親を殺し、あるいは親子夫婦ともども海中に身を投げたのか。ここにいたって住民までが自決に追い込まれるとは? 大量とは十人、二十人ではないだろう。何百人かも知れない。【以下略】

*このブログの人気記事 2016・3・27

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覚醒剤のせいか全く眠くならない(黒木伍長)

2016-03-26 05:29:19 | コラムと名言

◎覚醒剤のせいか全く眠くならない(黒木伍長)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、三月二六日の日誌を紹介する(五五~五六ページ)。

 三月二十六日 (月) 晴
 覚醒剤のせいか、まったく眠くならない。隣りの部屋に数名詰めていた者も、午前一時ごろからか、全員引きあげたようだ。物音一つしない。壕の中はただ一人である。午前一時、二時、三時と時計の針は進む。どこからも電話もなければベルもない。軍隊ではすべ
て日本内地の時間と同じ時間を使っているので、草木も眠る丑三つ時とは、午前四時ごろにあてはまるのだろうか。静寂そのものである。
 午前六時ごろ、厠に急いで行って帰る。まだ外も夜の帳【とばり】のままだ。【中略】
 午前九時、安東兵長が隊長に挨拶に来た。その後、「班長殿、お世話になりました」という。お世話になったのはこっちの方だ。「お互いに元気で頑張ろう」といって別れた。【中略】
 午前十時ごろ、二名の少年兵が入って来た。振り返って見て驚いた。子供ではないか。襟には座金〈ザガネ〉をつけて一ツ星、すなわち二等兵階級の幹部候補生だ。聞いてみると、中学二年生という。一人は静岡中学、一人は静岡商業、昨年中学、商業にそれぞれ入ってすぐ志願し、乙種幹部候補生となった。生徒のほとんどが志願したそうだ。静岡に第一航空情報連隊があってそこに入隊し、すぐ第五航空情報連隊配員と決まり、船の便で台湾を経由してやっとこちらに来たという。
 隊長は、貴様の思う通りやれといったが、話の最中に一人は不動の姿勢も取れず、足を休めの形にしてぶらぶら動かしている。軍人精神からたたき込んでやらなければなるまい。それにしても子供だ。年齢を聞くと十五歳というが、満年齢でいうと十三歳だ。いずれにしろ軍人は人殺しをやる。場合によっては殺される。断わろうかと思ったが、情報伝達という情報室の職務を考えれぼ、断わるわけにもゆくまい。【中略】
 静岡中学の子は田中といって、丸顔でやや色白、身長一メートル五十五、静岡商業の子は田原といって、やや面長な顔で、顔色はよく焼けて黒く、身長一メートル五十くらいだ。【以下略】

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