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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

首相は円卓を囲める閣僚を左より順次指名

2025-08-13 01:40:39 | コラムと名言
◎首相は円卓を囲める閣僚を左より順次指名

 下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その二十二回目で、第二五章「対四国回答閣議(八月十三日)」の第六〇節「全閣僚の意見陳述」の全文を紹介する。
 この章に関しても、ブログ子の裁量によって、議事録の前後などを一行アキとし、発言者名を太字とするなど、原文に変更を加えている。また、《  》の記号は、ブログ子が付したものである。

 第二五章 対四国回答閣議(八月十三日)

   第六〇節 全閣僚の意見陳述
 あくる十三日には公文書も接手された。九時前に首相官邸に首相、外相、陸相、海相及び両総長六人だけの会議が開かれ意見の交換があり、両総長は参内の為め九時より十時半まで中断されたが、さらに十五時まで前後約五時間にわたり、くりかへし巻きかへし議論が蒸しかへされ、閣議の開会もためにのびのびとなり十六時に至り漸く開会された。昨日の懇談に引つゞき四国回答に対し首相は円卓を囲める席次を左より順次指名して閣僚の腹蔵なき開陳を求めた。

 松阪法相 第三点政治形態の字句解釈に疑あるから之が了解を得たい。しかし折衝の余地なしとすれば、皇室の問題を国民の意思によりきめると云ふことは臣民の感情として相容れないから承服しがたい。國體の本義の上より受諾することができない。戦争継続を覚悟する外なしと考ふ。
 東郷外相 不戦条約の問題と同じくこれ以上の了解を求めることは事実上不可能と考ふ。すべて日本の内部の現状をよく見極めての上である。
 松阪法相 国民に主権ありて決すると云ふ思想は理念に於て根本より違ふ。
 東郷外相 八月九日最高戦争指導会議に於て御聖断の際
 《戦争継続ノ見込ハナイ堪ヘ難キヲ堪ヘ宣言ヲ受諾スル》
旨の御詞であります。不本意なことでも戦争は見込なしと云ふ御思召を基本とし後退の観念を強くするのであります。
 松阪法相 御思召とあれば是非ありませぬ。御聖断には背きませぬ。
 豊田軍需相 第三点につきては松阪法相の言の如くである。表現方法は受入れがたきも、外相の言の如き御聖断とあればその御示しの下に考へるならば此事柄もその中へ含まれる誠に感激に堪へぬことと思ふ。(といふので聖断をまつと云ふことに落ちつく。)

 安倍内相より中言あり、指導会議云々と屡々援用されるが、憲法上の会議にあらず、要は政府の責任であり政府が補弼の責を果さねば困る。

 東郷外相 聖断となりし事実を申したので、閣員は各自信ずる処により、補弼の責任上意見を述ぶべきである。その為に閣議を願ふことゝなつた。
 安倍内相 國體護持ができぬ限り戦ふ外なしといふ閣議決定であつたと思ふが……

 之に対し迫水翰長より國體護持及天皇統治権の文句につき問答あり、次で首相より軽くそれでは桜井君はと外らす〈ソラス〉。

 桜井国務相 理屈を超越してゐる。総理に一任します。私は国政と統帥が合一の要ありと信ずる。戦争の継続には希望が持てす、それへ原子爆弾となりソ連は参戦した。独逸の実状を見ても日本は異民族として一層の窮境に陥らねばならぬ。さりとて国政と統帥の合致なくんばこれ亦国家の滅亡となる。戦争を継続するに於ても亦然り。死はやすく生は難い。今日国政と統帥と一致出来ぬはずがない。此点大に努力していたゞきたい。此まゝでは平家の最期となる外ないと云ふ見通しの下に総理の御意見に御一任します。
 鈴木首相 私の意見は最後に申します。先づ各位の意見を……広瀬君。
 広瀬蔵相 國體の護持が大体に於て保たれる限り外相の話の如く承諾する外に道がない。戦争の継続につき考ふるに重要生産力は本年四五月頃より、本年末を予想しても、昭和元年〔1926〕程度に下り、その後全国中小都市の破壊となり、さらにソ連の参戦となりては今後の事態の悪化は何層倍となるや計られない。此際今日の程度にて我国を温存し将来の復興を期すべきである*
 石黒農相 国力判断より見て受諾の外なし。御前会議に於て下されし聖断の深い思召の程を聞くことができたが、此事は日本国の君主として皇室の国民に対する御仁慈の現はれと拝察し感激に堪へない。猶御聖断につき一層精しく首相より拝聴いたしたい。私は今まで聞かざりしことを甚だ遺憾に存ずる。
 鈴木首相 外相の言の如くであつて誠に恐懼に堪へざる次第であります。
 安井国務相 此前に反対の外なしと申上げました。しか国務統帥軍官民一致せずんば何れにしても国民崩壊の危険多し。此点首相及軍部大臣は大局より見て、大御心を基として首相の一層の努力を願ふ。政治形態につき法相の意見は御尤もと存ずるも、観念を異にする国々であるから、私は大御心に帰一することが国民の意思である。結論は不満なれど国政統帥一体化となれば止むを得ぬことゝ存ず。
 鈴木首相 一体化と云はるゝがその形式はわからない。此度の重大問題をきめる時も先づ統帥府の指導会議を開き次で閣議にはかりしが意見の一致が見られませぬ。それ故諸君の御意見を披露し、御前会議には枢府議長の参加を求め更に二時間にわたる論議の末聖断を仰ぎし次第であるが、かゝる重大なる問題につきては和戦両面にわたり充分に論議したるも中々一致を見ることは困難である。
 安井国務相 一体化と申したるのは心持のことであります。重大なるだけに意見の対立も止むを得ませぬ。只一旦きまれば一つになるべしと云ふ事を申上げたのであります。
 首相 聖断により一体化したのであります。
 小日山運輸相 大御心に帰一するのみ、不満なれど我国力及び内外の状勢より見て受諾の外なし。
 安倍内相 第一項のサブゼクト・ツーと云ふ字義は制限より強く服従せよといふやうに思ふ。政治形態云々も國體にふれると考へる。況んや保障占領とありては國體の護持は出来るや否や疑を持つ。延安には共産主義中心の日本解放運動もある。大御心には涙こぼれるが、我等は一億一心國體の護持に邁進すべきである。勝利あらざる時は一億玉砕の外ない。一か八かやる外に道がない。更に交渉するか戦をつゞけるかは首相に一任したい。
 太田文相 私は一応先方へたしかめる案を外相と話し合つたが出来なかつた。此上は致し方なし。思召のほどは恐懼の外なし。議論は一なり此前の通りに。
 下村国務相 受諾と共に希望事項を参考として申添ふることは既に申上げた通りである。第三点につき意見もありまずが、日本国が根こそぎやられてさてどうなるのか、今は大御心を拝戴するのみである。
 左近司国務相 陸相の苦心は身を切らるゝよりも切ないことゝ御察しするが、此際忍苦百年の発足を考ふべきものと思ふ。
 岡田厚相 尺蠖〈セッカク〉の屈する気持で受諾すべし。〈138~142ページ〉

   第六一節 阿南陸相の条件論  【略】

   第六二節 閣議解散後の首相邸  【略】

 八月十三日の閣議では、十六人の閣僚が円卓に着席し、全閣僚が、バーンズ回答について、みずからの意見を述べた。鈴木首相は、左隣にいる松阪法相を最初に指名し、以下、時計回りに全閣僚に発言を促した。
 第六〇節で紹介されているのは、岡田厚相の発言まで。第六一節「阿南陸相の条件論」は割愛したが、同節では、順に阿南陸相、米内海相、鈴木首相の発言が紹介されている。すなわち、岡田忠彦厚相の発言のあと、その左隣の阿南惟幾陸相が発言し、続いて、その左隣の米内光政海相が発言した。鈴木首相以外の閣僚の発言が一巡したのを受けて、鈴木首相から発言があった。
 なお、この日、閣僚以外で閣議に参加していたのは、鈴木一(はじめ)内閣総理大臣秘書官、池田純久(すみひさ)綜合計画局長官、迫水久常内閣書記官長、村瀬直養(なおかい)法制局長官の四人で、四人は、いずれも鈴木首相の後方に着席していた。

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この条件を受諾しては国内は崩潰する(安倍内相)

2025-08-12 02:12:07 | コラムと名言
◎この条件を受諾しては国内は崩潰する(安倍内相)

 下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その二十一回で、第二四章「四国回答の閣僚懇談会(八月十二日)の全文を紹介する。
 なお、この章に関しては、ブログ子の裁量で、議事録の前後などを一行アキとし、発言者名を太字とするなど、原文に変更を加えているので、ご了解いただきたい。また、《  》の記号は、ブログ子が付したものである。

 第二四章 四国回答の閣僚懇談会(八月十二日)

 ソ連参戦に伴ひ九日から十日へかけて、遂に御聖断を仰ぎ受諾の通告を為すと共に、先方の確かな回答を求めたのであつたが、十二日朝アメリカよりその回答がバーンズ国務長官により放送されたので、十三時より懇談会といふ形にて東郷外相よりの報告にもとづき意見の交換が行はれた。

 東郷外相 公文はまだ着しませぬが、アメリカよりの放送は精しく形式も具はつてゐるから正当のものと推察される。それは次の如くである。
 《合衆国、連合王国〔大英帝国〕、「ゾヴイエト」社会主義共和国連邦、及中華民国ノ政府ノ名ニ於ケル合衆国政府ノ日本国政府ニ対スル回答
「ポツダム」宣言ノ条項ハ之ヲ受諾スルモ、右宣言ハ 天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解テ併セ述へタル日本国政府ノ通報ニ接シ吾等ノ立場ハ左ノ通ナリ
 降伏ノ時ヨリ、天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ、降伏条項ノ実施ノ為其ノ必要ト認ムル措置ヲ執ル連合軍最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス
 天皇ハ日本国政府及日本帝国大本営ニ対シ「ポツダム」ノ諸条項ヲ実施スル為必要ナル降伏条項署名ノ権限ヲ与ヘ、且之テ保障スルコトヲ要請セラル、又、天皇ハ一切ノ日本国陸、海、空軍管見及何レノ地域ニ在ルテ問ハズ、右官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍隊ニ対シ、戦闘行為ヲ終止シ、武器ヲ引渡シ、及降伏条項実施ノ為最高指揮官ノ要求スルコトアルヘキ命令ヲ発スルコトヲ命スへキモノトス
 日本国政府ハ降伏後直ニ、俘虜及被抑留者ヲ連合国船舶ニ速カニ乗船セシメ得ヘキ安全ナル地域ニ移送スヘキモノトス
 最終的ノ日本国政府ノ形態ハ「ポツダム」宣言ニ遵ヒ〈したがい〉日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルヘキモノトス
 連合国軍隊ハ「ポツダム」宣言ニ掲ケラレタル諸目的カ完遂セラルル迄日本国内ニ留マルへシ》
 以上が先方よりの回答であるが、権限競合の問題、降伏事項実施の関係のみに就てゞあり、天皇及日本政府の権限につきその一部を制眼せらるゝも天皇の身分の問題につきてはふれてゐるのでない。又政治形態と云ふことには國體も含まるゝことゝ思ふが、凡て今研究中であり、とりあへず右のみ報告するが、統治権の一部制限は治外法権国際地役〈チエキ〉にも先例がある。
 鈴木首相 此問題につきては各種の意見もあることゝ予見せられる。又先方は当方の意味を了解してゐるかどうかとの意見もある。政治形態云々の項につきましても、彼我の国情もちがひ法律の思想の相違より見解を異にすることもあるべく、更にたしかめる要もある。又天皇が連合軍最高司令官の下におかれると云ふ点につき反対あるべきも既に共同宣言を認むる以上は当然のことであり、今更論議を重ぬる理由なしとの見方もあり、それらの論議につき外務当局にて今研究中である。何れにしても先方の回答本文はまだ未着である。大本営では三点中、第三点の分につき削除の意見がある。
 阿南陸相 百万の軍の進退である。
 鈴木首相 國體の文字はないが、当方の意思表明の手段をとる要ありとし、その上先方が猶不了解の時は戦争終結は不可能となる虞〈オソレ〉あり、従つて更に了解を求めるには堅き決心を要する。此駄目を押すことは重大問題である。先方の意思はよく分らぬが、支那では我國體否認論強く、ソ連ははつきり分らず、米国には議論多く相当反対論があり、英国は大体認めてゐるとのことである。
 郷外相 只今首相の云はるゝ如く、欧米の言論界を見るに、アメリカは英国の支持の下に自国内及びソ連及支那の反対論を抑へこゝまでまとめたものと推定できる。日本の國體の内容は内政問題である、日本国民の決定すべきものであつて、大西洋憲章の一切の国民の権利尊重の声明と同じ精神である。独裁専制政治の不可なるを主張する意味に当つてゐる。再交渉して加除訂正をといふが、もともと交渉なるものはない。先方は交渉を回避してゐる。さらに交渉を求むる時は断絶の懸念が多分にある。此際一応片付きし後に又機会もあるべく、再提議は徒に〈イタズラニ〉疑惑を導くばかりである。
 松阪法相 政治形態云々とは天皇陛下の分も含まれると思ふ。
 阿南陸相 支那にある軍隊の立場を思ふと、死中活を求める外がない。状況の判断では此事態を発表するだけでも大変と思ふ。一旦占領されし後は自由勝手に迫害される事伊太利〔イタリア〕の実例がある。保障占領となつては為すがまゝである。どうしても武装解除と占領については内外に対し陸相として責任はもてない。此二点はなんとかしてほしい。仮令〈タトイ〉当方の申分通りなりと返事されても安心できない。あとの戦力の問題にあらず国家の浮沈である。
 安井国務相 聖断には文句なし、然し閣僚には補弼の責あり、我等心中悶々たるものがある。問題とする点は之を質疑しても満足は得られぬと思ふ。陸相の立場は御尤もであり閣僚亦然らん。一億玉砕の意気に光栄と責務ありと存す。勝算は? といへば死中に活あるべし、ソ連の攻勢も必しも悲観を要せず、今後に輔弼の責を完うする機会を与へられたし。
 安倍内相 この条件を受諾しては国内は崩潰する。
 安井国務相 まさに明治の維新新である。
 鈴木首相 回答文の検討をつくし更に質問すべきや否やを決める。國體の護持には異存なし。もともと一日も早く時局を終結し、国民を助けよとの思召に発してゐる。今や思召に添ひうるや否やの瀬戸際にある。
 保障占領の点を主とするならば先方は受諾しないであらう。外交方面では之等はあとへゆづり外交技術により避けるやうにつとめたい。最初の交渉に持ち出さない方がよいといふ声が多い。我に兵力があるだけに軍隊の衝突が起りうるから、徐徐緩和の道を講じたい。先方も大兵を我本上に止めがたいであらうから何とかまとまりうると云ふ見解もある。故にあとで片付ける見込みである。只大権の変動につき憂へられることは当然であつて、之ははつきりする事が肝要である。外務当局もいろいろ研究中と存ずるが、それには決意が大事である。いづれ改めて閣議を開き付議することにする。
 岡田厚相 いづれにしても早く発表の要あり。国民の決意をきめることが大事である。日が延びると宜しくない。原子爆弾につきても早く発表してほしい。
 首相 今や原子爆弾より大いなる問題に直面してゐる。一二日おくれてもかまひませぬ。

 此の如くにして此日遂に公文書を接手せず凡ては明日の閣議にまつ事とし散会した。〈134~138ページ〉

 この日の「閣僚懇談会」に出席したのは、発言順に、東郷茂徳外相、鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相、松坂広政法相、安井藤治(とうじ)国務相、安倍源基(げんき)内相、岡田忠彦厚相。このほか、出席したが発言はしなかった閣僚もあったと思われる。

※昨11日午後5時ごろ、ヒグラシの声を聞いた。わが家の周辺では、ここ数年、ヒグラシの声を聞いていなかったと思う。

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  • 陛下御自からラヂオに依り御放送に相成り……
  • 『氷の福音』を読んで懐かしい気持ちになった



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受諾案は平沼騏一郎の意見により書き改められた

2025-08-11 01:17:37 | コラムと名言
◎受諾案は平沼騏一郎の意見により書き改められた

 下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その二十回目で、第二二章「対ソ連参戦閣議(二回の最高指導会議と三回の閣議――八月九日)」の第五六節「第三回の閣議」の全文を紹介する。《  》の記号は、ブログ子が付したものである。

   第五六節 第三回の閣議
 九日の夜もふけてはや十日の午前三時といふに御前会議より引き下つてきた首相はじめ関係大臣を迎へて第三回の閣議が開かれた。――この間阿南陸相は待ちもうけてゐる軍事参議会の会合へ立ちよつた。――先づ東郷外相より御聖断により宣言を受諸することゝなりし旨を報告し、急を要するため枢密院に諮問せざる事をつけ加へた。その受諾案は
 《七月二十六日付三国共同宣言ニアゲラレタル条件中ニハ天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スル要求ヲ包含シ居ラザルコトノ諒解ノ下ニ日本政府ハ共同宣言ヲ受諾ス》
といふのであり、此諒解を確認せられたき旨を附記したのである。この原案には「天皇ノ国法上ノ地位ヲ変更スル要求ヲ含マザルモノト諒解ス」とあつたが、平沼枢府の強き意見により書き改められたとの事である。迫水翰長の手記中にも「天皇の国家統治の大権なる文言は、連合国側政府にとりては恐らく多大の疑問を与へたるものと思ふのであつて、後に回答を得た際の感じに於ては、むしろ原案の通りの文言の方が連合側も諒解し易かつたのではないかと思はれる。」とあるが、吾々閣僚も此場合結果に於てはいづれになつてもかはらないであらうが、迫水翰長と同じやうな感じを持つたのである。それで外相は
 《米国へはスヰス政府を経由し、又英国へはスエーデン政府を経由し、返事を求める旨をつけ加へる。
 停戦の話は統帥府の筋で決するが、先方よりの回答の後のことにする。》
旨をつけ加へ、首相は聖断により受諾に決したる旨を宣した。あとは此受諾した大きなニュースを少しでも早く内外に知らすべしといふ意見と、大詔煥発〔ママ〕の後にすべしといふ意見と対立し、この点を中心にして数数の質疑や意見が続出したが、とにかく先方の確答をまつてといふ事で、九日午後三時より三回にわたりし閣議は十日午前四時に閉会を告げ、七時にはスヰス、スエーデン両中立国を通じ、対手方〈アイテガタ〉へ宜言受諾の用意ある旨の通達方法がとられたのであつた。〈128~129ページ〉

 文中、「平沼枢府」とあるのは、「平沼枢府議長」(平沼騏一郎枢密院議長)のことであろう。

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それでは自分が意見をいふが……(昭和天皇)

2025-08-10 00:22:43 | コラムと名言
◎それでは自分が意見をいふが……(昭和天皇)

 下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その十九回目で、第二二章「対ソ連参戦閣議(二回の最高指導会議と三回の閣議――八月九日)」の第五五節「第二回戦争指導会議」の全文を紹介する。《  》は、ブログ子が付したものである。

   第五三節 第一回の閣議  【略】

   第五四節 第二回の閣議  【略】

   第五五節 第二回戦争指導会議
 第二回戦争指導会議は今までに無かつた御前会議であつた。此の会議には平沼〔騏一郎〕枢府議長も御召になつた。たしか太田〔耕造〕文相が第二回目の閣議が終ると平沼邸にかけつけそれから宮中へ案内したときいてゐる。会議は九日の二十三時五十分に開会され、ポツダム宣言の訳文と、当日午前の指導会議に於て対立せる二つの案文を前にして先づ翰長が宣言を読みあげ、こゝに会議がひらかれた。その状況につき迫水〔久常〕翰長の手記は次の如く記されてゐる。
 《外務大臣は一応の経過を述べし後、此際は戦争終結の最も好き機会であり、天皇の御地位乃至國體に変化なき事を前提としてポツダム宣言を無条件に受諾する外なき旨を論旨正しく述べ、続いて陸軍大臣は之に反対の旨を前提として、今日猶我戦力は絶滅したわけでなく、敵の本土来襲を機としこれに大打撃を与ふる事は可能であり、その際に又終戦の機会も与へらるべく、従つて死中活を求むるの意気を以て進む事適当なるべし。しかし若し条件付の提案によりて終戦する事可能なれば之に賛成すべき旨を熱心に述べ、次で海軍大臣は簡明に外務大臣の意見に同意の旨を述べられた。平沼枢府議長は各員に対し、色々な事項につき極めて詳細なる説明を求めし後、外務大臣の意見に同意の旨を述べ、次で両総長は我戦力を以てしては必勝を期し能はずとするも必敗と定むべからず、玉砕を期して一切の施策を果断に実行するに於ては死中に活を求め得べしと論ぜられた。
 由来御前会議は、首相議長格となるも決を与へるものでなく、議事進行を掌るにすぎず、その内容に至りても一の儀式といつてもよい。列席者は予め発言の内容を打合せ、甲論乙駁、筋書通りに運び、既定の結論に持つてゆき司会者より一同の意見一致を宣するので、陛下は心中御不満であつても御発言あらせられることは全く無しといつてもよく、御前会議の関係者はどうして会議らしくするかに苦心するのである。然し此度〈コノタビ〉の会議は全く意見の対立したまゝに、各人信ずる所を卒直に述べ、会議は終始緊張をつゞけたのであつた。
 陛下には熱心に耳を傾けられ、御心配の御様子は唯天顔を拝するだけで涙が流れた。会議は三対三を以て依然としてまとまらず、翌十日の午前二時を過ぎる事となつた。総理は立つて「議をつくす事数時間猶議決に至らず、しかも事態は遷延を許さない、甚だ畏れ多けれども思召を伺い聖慮をもつて本会議の決定をいたしたき」旨を述べ玉座の前に参進した。
 此時の総理の姿は今も私の眼前に浮ぶが、若き聖天子の前にある老宰相の姿は真に麗しき君臣一如の情景であつて、鞠躬如〈キッキュウジョ〉といふ言葉の意味がはつきり判つた様な気がした。
 陛下は総理に対し座にかへるべき旨を仰せられ、それでは自分が意見をいふが自分は外務大臣の意見に賛成すると仰せられた。こゝに未だ曾て有らざりし御聖断は下つた。一同恐懼〈キョウク〉してゐるうちに陛下は語をつがれてその理由を仰せられた。御言葉の要旨は、我国力の現状列国の情勢を顧みるときは、これ以上戦争を継続する事は、日本国を減亡せしむるのみならず、世界人類を一層不幸に陥るゝ〈オトシイルル〉ものなるが故に、この際堪へがたきを堪へ忍びがたきを忍び戦争を終結すべきであるといふのであつた。此時の御言葉を文語体としたのが終戦の大詔の前例をなすものである。更に陛下は陸海軍将兵の上に深き思召をたれさせられ、我死者戦傷者戦災者またその遺家族に対し御仁慈の御言葉があり、明治天皇の御事についても御言及遊ばされた。一同は唯感泣の中に御言葉を承つたのである。其御言葉の中に戦争開始以来陸海軍のした所を見るに、計画と実際との間に非常な懸隔のある事が多かつた。若し戦争を継続するに於ては、今後に於てもさういふ事が起るのでは無いか、といふ意味があり、私は竦然〈ショウゼン〉として襟を正したのであつた。
此御英断により会議は結論に達した。真に未曾有の事である。一同陛下の入御〈ニュウギョ〉を御見送り申上げ粛然として万感を胸に退出した。》
 以上は迫水翰長の手記をこゝに追記したものである。文中に賛否三対三とあり、その氏名はわざと省いてあるが、第二回の御前会議に梅津豊田両総長及び阿南陸相がそのまゝ受諾することに反対の意見を申上げし事を記してあるを見ても、外相の原案に反対せるは梅津、豊田、阿南三氏であり、賛成が東郷、米内、平沼三氏である事は想像にかたくない。そこで首相は之に参加して四対三といふ形式をとらず、事態まことに重大であり、恐懼の外なけれども、更に閣員列席の上にて御聖断を仰ぐといふ道をとつたのである。この手順と用意とが此時局を収拾するに至らしめたのであつて、もしかうした手段が第二次の近衛内閣に於てとられたならばといふことが、今更ながら我胸から去らないのである。〈126~128ページ〉

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前後三時間にわたる沈痛をきはめし会議

2025-08-09 00:16:38 | コラムと名言
◎前後三時間にわたる沈痛をきはめし会議

 下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その十八回目で、第二二章「対ソ連参戦閣議(二回の最高指導会議と三回の閣議――八月九日)」の第五二節「第一回戦争指導会議」の全文を紹介する。

 第二二章 対ソ連参戦閣議(二回の最高指導会議と三回の閣議――八月九日)

   第五二節 第一回戦争指導会議
 八月六日の広島に於ける原子爆弾は、各方面を通じて強い衝撃を与へた。此次は横須賀か金沢か新潟か、それとも京都か、いや今度は東京であらう。もはや絶対に勝ち味は無くなつた。いやみぢめな惨敗が眼の前に迫つてきた。科学に負けたのだ。これで軍自体もさすがに意地とか面子から解放されうるのである。有り様は連日連夜大小の都市は相次いで敵の一方的空襲下に手をこまぬいて曝らされてゐる。原子爆弾なくとも我が総力は日増しに低下しつゝある。精神力も負けつつある。
 しかし軍は猶頑張つてゐる。原子爆弾の威力もそのまゝ報道してゐては国民の士気をおとすといふので、その威力を低く小さく報道し、その惨害の実情を陰蔽するにつとめる。此の点は情報局と意見が全然相容れない。もし或る期限まで持ちこたへるならば、援軍が來るとか、我に亦之に対抗すべき新兵器が活動するとかいふならば格別、左もなくばこののち受くべき惨害は想像だも及ばない。
 紛れもない原子爆弾であるといふ報告を入手した八日の二十四時(モスクワ時間十七時)にモロトフ佐藤会見の予告あり、それが和平の仲介の代りに我への宣戦であつたのであつた。それが九日の午前四時短波で放送されて来たむねを迫水〔久常〕翰長より耳にして首相は関東軍の兵力は既に比島や本土へ移動されし現状を思ひ、ソ連の進攻に対し二ケ月は持ちこたへられない。いよいよ切つぱつまつた最後の段階に来た。ソ連を介しての和平交渉が見事裏切られた、失敗したからは輔弼〈ホヒツ〉の責を果し得なかつた総辞職するのが定石である。しかし今はそんな事態ではない。この際この時内閣を投げ出してあとがどうなるのか。戦局の収拾はまさに一日一刻を争ふことを認識した。
 本土決戦か降伏かポツダム宣言を検討した首相は宣言を受諾するあるのみ。さうした決意のもとに九日早朝東郷〔茂徳〕外相と会見後外相首相次いで参内し、折かへし十時三十分より最高戦争指導会議が六人の構成員だけ水入らすで開催された。まさしく長崎における第二回目原子爆弾投下の時であつた。前後三時間にわたる沈痛をきはめし会議には何れも天皇の国法上の地位変更を含まざることとする一点に於ては一致するも無条件受諾説に対し、
 一、占領軍は我が本上に上陸せざる事。
 二、我在外軍は所在に於て無条件降伏の形式をとらず自発的に撤兵し復員すること
 三、戦争犯罪人の処罰は本邦側に於て行ふこと
の条件付交渉説につき相対立し十三時に至るも議決せず一旦休憩となりこゝに第一回の閣議が開かれることになつた。〈115~116ページ〉

 最高戦争指導会議の「六人の構成員」とは、鈴木貫太郎内閣総理大臣、東郷茂徳(しげのり)外務大臣、阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大臣、米内光政(よない・みつまさ)海軍大臣、梅津美治郎(うめづ・よしじろう)参謀総長、豊田副武(とよだ・そえむ)軍令部総長のことである。

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