◎首相は円卓を囲める閣僚を左より順次指名
下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その二十二回目で、第二五章「対四国回答閣議(八月十三日)」の第六〇節「全閣僚の意見陳述」の全文を紹介する。
この章に関しても、ブログ子の裁量によって、議事録の前後などを一行アキとし、発言者名を太字とするなど、原文に変更を加えている。また、《 》の記号は、ブログ子が付したものである。
第二五章 対四国回答閣議(八月十三日)
第六〇節 全閣僚の意見陳述
あくる十三日には公文書も接手された。九時前に首相官邸に首相、外相、陸相、海相及び両総長六人だけの会議が開かれ意見の交換があり、両総長は参内の為め九時より十時半まで中断されたが、さらに十五時まで前後約五時間にわたり、くりかへし巻きかへし議論が蒸しかへされ、閣議の開会もためにのびのびとなり十六時に至り漸く開会された。昨日の懇談に引つゞき四国回答に対し首相は円卓を囲める席次を左より順次指名して閣僚の腹蔵なき開陳を求めた。
松阪法相 第三点政治形態の字句解釈に疑あるから之が了解を得たい。しかし折衝の余地なしとすれば、皇室の問題を国民の意思によりきめると云ふことは臣民の感情として相容れないから承服しがたい。國體の本義の上より受諾することができない。戦争継続を覚悟する外なしと考ふ。
東郷外相 不戦条約の問題と同じくこれ以上の了解を求めることは事実上不可能と考ふ。すべて日本の内部の現状をよく見極めての上である。
松阪法相 国民に主権ありて決すると云ふ思想は理念に於て根本より違ふ。
東郷外相 八月九日最高戦争指導会議に於て御聖断の際
《戦争継続ノ見込ハナイ堪ヘ難キヲ堪ヘ宣言ヲ受諾スル》
旨の御詞であります。不本意なことでも戦争は見込なしと云ふ御思召を基本とし後退の観念を強くするのであります。
松阪法相 御思召とあれば是非ありませぬ。御聖断には背きませぬ。
豊田軍需相 第三点につきては松阪法相の言の如くである。表現方法は受入れがたきも、外相の言の如き御聖断とあればその御示しの下に考へるならば此事柄もその中へ含まれる誠に感激に堪へぬことと思ふ。(といふので聖断をまつと云ふことに落ちつく。)
安倍内相より中言あり、指導会議云々と屡々援用されるが、憲法上の会議にあらず、要は政府の責任であり政府が補弼の責を果さねば困る。
東郷外相 聖断となりし事実を申したので、閣員は各自信ずる処により、補弼の責任上意見を述ぶべきである。その為に閣議を願ふことゝなつた。
安倍内相 國體護持ができぬ限り戦ふ外なしといふ閣議決定であつたと思ふが……
之に対し迫水翰長より國體護持及天皇統治権の文句につき問答あり、次で首相より軽くそれでは桜井君はと外らす〈ソラス〉。
桜井国務相 理屈を超越してゐる。総理に一任します。私は国政と統帥が合一の要ありと信ずる。戦争の継続には希望が持てす、それへ原子爆弾となりソ連は参戦した。独逸の実状を見ても日本は異民族として一層の窮境に陥らねばならぬ。さりとて国政と統帥の合致なくんばこれ亦国家の滅亡となる。戦争を継続するに於ても亦然り。死はやすく生は難い。今日国政と統帥と一致出来ぬはずがない。此点大に努力していたゞきたい。此まゝでは平家の最期となる外ないと云ふ見通しの下に総理の御意見に御一任します。
鈴木首相 私の意見は最後に申します。先づ各位の意見を……広瀬君。
広瀬蔵相 國體の護持が大体に於て保たれる限り外相の話の如く承諾する外に道がない。戦争の継続につき考ふるに重要生産力は本年四五月頃より、本年末を予想しても、昭和元年〔1926〕程度に下り、その後全国中小都市の破壊となり、さらにソ連の参戦となりては今後の事態の悪化は何層倍となるや計られない。此際今日の程度にて我国を温存し将来の復興を期すべきである*
石黒農相 国力判断より見て受諾の外なし。御前会議に於て下されし聖断の深い思召の程を聞くことができたが、此事は日本国の君主として皇室の国民に対する御仁慈の現はれと拝察し感激に堪へない。猶御聖断につき一層精しく首相より拝聴いたしたい。私は今まで聞かざりしことを甚だ遺憾に存ずる。
鈴木首相 外相の言の如くであつて誠に恐懼に堪へざる次第であります。
安井国務相 此前に反対の外なしと申上げました。しか国務統帥軍官民一致せずんば何れにしても国民崩壊の危険多し。此点首相及軍部大臣は大局より見て、大御心を基として首相の一層の努力を願ふ。政治形態につき法相の意見は御尤もと存ずるも、観念を異にする国々であるから、私は大御心に帰一することが国民の意思である。結論は不満なれど国政統帥一体化となれば止むを得ぬことゝ存ず。
鈴木首相 一体化と云はるゝがその形式はわからない。此度の重大問題をきめる時も先づ統帥府の指導会議を開き次で閣議にはかりしが意見の一致が見られませぬ。それ故諸君の御意見を披露し、御前会議には枢府議長の参加を求め更に二時間にわたる論議の末聖断を仰ぎし次第であるが、かゝる重大なる問題につきては和戦両面にわたり充分に論議したるも中々一致を見ることは困難である。
安井国務相 一体化と申したるのは心持のことであります。重大なるだけに意見の対立も止むを得ませぬ。只一旦きまれば一つになるべしと云ふ事を申上げたのであります。
首相 聖断により一体化したのであります。
小日山運輸相 大御心に帰一するのみ、不満なれど我国力及び内外の状勢より見て受諾の外なし。
安倍内相 第一項のサブゼクト・ツーと云ふ字義は制限より強く服従せよといふやうに思ふ。政治形態云々も國體にふれると考へる。況んや保障占領とありては國體の護持は出来るや否や疑を持つ。延安には共産主義中心の日本解放運動もある。大御心には涙こぼれるが、我等は一億一心國體の護持に邁進すべきである。勝利あらざる時は一億玉砕の外ない。一か八かやる外に道がない。更に交渉するか戦をつゞけるかは首相に一任したい。
太田文相 私は一応先方へたしかめる案を外相と話し合つたが出来なかつた。此上は致し方なし。思召のほどは恐懼の外なし。議論は一なり此前の通りに。
下村国務相 受諾と共に希望事項を参考として申添ふることは既に申上げた通りである。第三点につき意見もありまずが、日本国が根こそぎやられてさてどうなるのか、今は大御心を拝戴するのみである。
左近司国務相 陸相の苦心は身を切らるゝよりも切ないことゝ御察しするが、此際忍苦百年の発足を考ふべきものと思ふ。
岡田厚相 尺蠖〈セッカク〉の屈する気持で受諾すべし。〈138~142ページ〉
第六一節 阿南陸相の条件論 【略】
第六二節 閣議解散後の首相邸 【略】
八月十三日の閣議では、十六人の閣僚が円卓に着席し、全閣僚が、バーンズ回答について、みずからの意見を述べた。鈴木首相は、左隣にいる松阪法相を最初に指名し、以下、時計回りに全閣僚に発言を促した。
第六〇節で紹介されているのは、岡田厚相の発言まで。第六一節「阿南陸相の条件論」は割愛したが、同節では、順に阿南陸相、米内海相、鈴木首相の発言が紹介されている。すなわち、岡田忠彦厚相の発言のあと、その左隣の阿南惟幾陸相が発言し、続いて、その左隣の米内光政海相が発言した。鈴木首相以外の閣僚の発言が一巡したのを受けて、鈴木首相から発言があった。
なお、この日、閣僚以外で閣議に参加していたのは、鈴木一(はじめ)内閣総理大臣秘書官、池田純久(すみひさ)綜合計画局長官、迫水久常内閣書記官長、村瀬直養(なおかい)法制局長官の四人で、四人は、いずれも鈴木首相の後方に着席していた。
下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その二十二回目で、第二五章「対四国回答閣議(八月十三日)」の第六〇節「全閣僚の意見陳述」の全文を紹介する。
この章に関しても、ブログ子の裁量によって、議事録の前後などを一行アキとし、発言者名を太字とするなど、原文に変更を加えている。また、《 》の記号は、ブログ子が付したものである。
第二五章 対四国回答閣議(八月十三日)
第六〇節 全閣僚の意見陳述
あくる十三日には公文書も接手された。九時前に首相官邸に首相、外相、陸相、海相及び両総長六人だけの会議が開かれ意見の交換があり、両総長は参内の為め九時より十時半まで中断されたが、さらに十五時まで前後約五時間にわたり、くりかへし巻きかへし議論が蒸しかへされ、閣議の開会もためにのびのびとなり十六時に至り漸く開会された。昨日の懇談に引つゞき四国回答に対し首相は円卓を囲める席次を左より順次指名して閣僚の腹蔵なき開陳を求めた。
松阪法相 第三点政治形態の字句解釈に疑あるから之が了解を得たい。しかし折衝の余地なしとすれば、皇室の問題を国民の意思によりきめると云ふことは臣民の感情として相容れないから承服しがたい。國體の本義の上より受諾することができない。戦争継続を覚悟する外なしと考ふ。
東郷外相 不戦条約の問題と同じくこれ以上の了解を求めることは事実上不可能と考ふ。すべて日本の内部の現状をよく見極めての上である。
松阪法相 国民に主権ありて決すると云ふ思想は理念に於て根本より違ふ。
東郷外相 八月九日最高戦争指導会議に於て御聖断の際
《戦争継続ノ見込ハナイ堪ヘ難キヲ堪ヘ宣言ヲ受諾スル》
旨の御詞であります。不本意なことでも戦争は見込なしと云ふ御思召を基本とし後退の観念を強くするのであります。
松阪法相 御思召とあれば是非ありませぬ。御聖断には背きませぬ。
豊田軍需相 第三点につきては松阪法相の言の如くである。表現方法は受入れがたきも、外相の言の如き御聖断とあればその御示しの下に考へるならば此事柄もその中へ含まれる誠に感激に堪へぬことと思ふ。(といふので聖断をまつと云ふことに落ちつく。)
安倍内相より中言あり、指導会議云々と屡々援用されるが、憲法上の会議にあらず、要は政府の責任であり政府が補弼の責を果さねば困る。
東郷外相 聖断となりし事実を申したので、閣員は各自信ずる処により、補弼の責任上意見を述ぶべきである。その為に閣議を願ふことゝなつた。
安倍内相 國體護持ができぬ限り戦ふ外なしといふ閣議決定であつたと思ふが……
之に対し迫水翰長より國體護持及天皇統治権の文句につき問答あり、次で首相より軽くそれでは桜井君はと外らす〈ソラス〉。
桜井国務相 理屈を超越してゐる。総理に一任します。私は国政と統帥が合一の要ありと信ずる。戦争の継続には希望が持てす、それへ原子爆弾となりソ連は参戦した。独逸の実状を見ても日本は異民族として一層の窮境に陥らねばならぬ。さりとて国政と統帥の合致なくんばこれ亦国家の滅亡となる。戦争を継続するに於ても亦然り。死はやすく生は難い。今日国政と統帥と一致出来ぬはずがない。此点大に努力していたゞきたい。此まゝでは平家の最期となる外ないと云ふ見通しの下に総理の御意見に御一任します。
鈴木首相 私の意見は最後に申します。先づ各位の意見を……広瀬君。
広瀬蔵相 國體の護持が大体に於て保たれる限り外相の話の如く承諾する外に道がない。戦争の継続につき考ふるに重要生産力は本年四五月頃より、本年末を予想しても、昭和元年〔1926〕程度に下り、その後全国中小都市の破壊となり、さらにソ連の参戦となりては今後の事態の悪化は何層倍となるや計られない。此際今日の程度にて我国を温存し将来の復興を期すべきである*
石黒農相 国力判断より見て受諾の外なし。御前会議に於て下されし聖断の深い思召の程を聞くことができたが、此事は日本国の君主として皇室の国民に対する御仁慈の現はれと拝察し感激に堪へない。猶御聖断につき一層精しく首相より拝聴いたしたい。私は今まで聞かざりしことを甚だ遺憾に存ずる。
鈴木首相 外相の言の如くであつて誠に恐懼に堪へざる次第であります。
安井国務相 此前に反対の外なしと申上げました。しか国務統帥軍官民一致せずんば何れにしても国民崩壊の危険多し。此点首相及軍部大臣は大局より見て、大御心を基として首相の一層の努力を願ふ。政治形態につき法相の意見は御尤もと存ずるも、観念を異にする国々であるから、私は大御心に帰一することが国民の意思である。結論は不満なれど国政統帥一体化となれば止むを得ぬことゝ存ず。
鈴木首相 一体化と云はるゝがその形式はわからない。此度の重大問題をきめる時も先づ統帥府の指導会議を開き次で閣議にはかりしが意見の一致が見られませぬ。それ故諸君の御意見を披露し、御前会議には枢府議長の参加を求め更に二時間にわたる論議の末聖断を仰ぎし次第であるが、かゝる重大なる問題につきては和戦両面にわたり充分に論議したるも中々一致を見ることは困難である。
安井国務相 一体化と申したるのは心持のことであります。重大なるだけに意見の対立も止むを得ませぬ。只一旦きまれば一つになるべしと云ふ事を申上げたのであります。
首相 聖断により一体化したのであります。
小日山運輸相 大御心に帰一するのみ、不満なれど我国力及び内外の状勢より見て受諾の外なし。
安倍内相 第一項のサブゼクト・ツーと云ふ字義は制限より強く服従せよといふやうに思ふ。政治形態云々も國體にふれると考へる。況んや保障占領とありては國體の護持は出来るや否や疑を持つ。延安には共産主義中心の日本解放運動もある。大御心には涙こぼれるが、我等は一億一心國體の護持に邁進すべきである。勝利あらざる時は一億玉砕の外ない。一か八かやる外に道がない。更に交渉するか戦をつゞけるかは首相に一任したい。
太田文相 私は一応先方へたしかめる案を外相と話し合つたが出来なかつた。此上は致し方なし。思召のほどは恐懼の外なし。議論は一なり此前の通りに。
下村国務相 受諾と共に希望事項を参考として申添ふることは既に申上げた通りである。第三点につき意見もありまずが、日本国が根こそぎやられてさてどうなるのか、今は大御心を拝戴するのみである。
左近司国務相 陸相の苦心は身を切らるゝよりも切ないことゝ御察しするが、此際忍苦百年の発足を考ふべきものと思ふ。
岡田厚相 尺蠖〈セッカク〉の屈する気持で受諾すべし。〈138~142ページ〉
第六一節 阿南陸相の条件論 【略】
第六二節 閣議解散後の首相邸 【略】
八月十三日の閣議では、十六人の閣僚が円卓に着席し、全閣僚が、バーンズ回答について、みずからの意見を述べた。鈴木首相は、左隣にいる松阪法相を最初に指名し、以下、時計回りに全閣僚に発言を促した。
第六〇節で紹介されているのは、岡田厚相の発言まで。第六一節「阿南陸相の条件論」は割愛したが、同節では、順に阿南陸相、米内海相、鈴木首相の発言が紹介されている。すなわち、岡田忠彦厚相の発言のあと、その左隣の阿南惟幾陸相が発言し、続いて、その左隣の米内光政海相が発言した。鈴木首相以外の閣僚の発言が一巡したのを受けて、鈴木首相から発言があった。
なお、この日、閣僚以外で閣議に参加していたのは、鈴木一(はじめ)内閣総理大臣秘書官、池田純久(すみひさ)綜合計画局長官、迫水久常内閣書記官長、村瀬直養(なおかい)法制局長官の四人で、四人は、いずれも鈴木首相の後方に着席していた。
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