礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

貴様、臆病下痢か、たるんどる証拠や

2016-05-31 05:20:12 | コラムと名言

◎貴様、臆病下痢か、たるんどる証拠や

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、五月三一日から六月一日までの日誌を紹介する(一五三~一五七ページ)。なお、『永田町一番地』は、五月一四日のあと、六月四日まで、日誌が飛んでいる。

 五月三十一日 (木) 晴
 午前零時、昨夜の三勤に引きつづいて勤務する。勤務簿に自分の名を書き、三勤中の勤務異常なしと書いて、また上番者として自分の名を書くのはおかしいと思ったが、区切りがついてよいとも思う。【中略】
 午前六時、田中候補生が部屋にやって来た。
「自分は昨夜午後七時のタ食後、八時には寝ましたので、睡眠十時間も取りました。班長殿、休んで下さい」という。自分もようやく疲れたと思ったときなので厚意を受け、正式に上下番の挨拶をして内務班に帰る。
 田原のことが気になっていたが、七時の朝食は一人分が粥と梅干だけで、二人分は普通食、そのうち一人ぶんを情報室に運んでいる。
「いつから粥にしたんか」と聞くと、
「昨日午後四時、田中が勤務が終わってから、班長殿から田原の面倒を見てやれといわれたので、炊事に行って交渉し、昨夜の夕食から粥食にしてくれのであります」という。自分は漠然といったのに過ぎないのに、よく気がついてくれたのに驚いた。
「現状はどうか」と聞くと、「まだ下痢はつづいております。今朝も水のようでした」という。一瞬、赤痢ではと脳裡をかすめるものあって、「とにかく今朝八時になったら、医務室に行って診てもらえ」という。
 午前八時、田原は医務室に行ったところ、
「貴様! 臆病風か臆病下痢か、たるんどる証拠や。ビンタ食らわしたろか」と衛生兵に怒鳴られたそうだ。
 相手が子供で候補生とはいえ二等兵の襟章をつけているので、馬鹿にしたなと思った。よし行ってやったろうかと思ったが、大人げない。もし大事になったら、その衛生兵、問題にしてやろうと思って姿形だけは聞いておいた。そして田原に言った。
「貴様、絶対に治る。神から休養をあたえられたと思って休め。明日には絶対に治る。薬〔征露丸〕の三錠は毎日毎食後、飲めよ」といって自分も横になる。午後三時半、服装を正した。
 午後四時勤務につく。隊長がおられて、「勤務変わったんか」と聞かれるので、「はッそうであります」と答えた。それ以上は質問されなかった。だれが病気だとか何とかいちいち報告する必要はないと思った。
 午後十時、ニューディリー放送を久しぶりで聞く。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、本日、米軍は沖縄の首里地区を完全に占領しました。また別の信ずべき情報によりますと、マッカーサー米太平洋陸軍総司令官は日本本土上陸作戦を準備するように命令を下しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 聞き耳をたてておられた隊長はしばらく沈黙。上山少尉は、
「もし日本本土上陸ありとせば、鹿児島の志布志湾だと思います。なぜならば、すぐ山沿いに陸海軍の飛行場が三つ四つと並んであります。米軍は今年の二月の硫黄島のときも南海岸から上陸し、上陸の翌日は千鳥飛行場を占領、三日間で島の南部を制圧した。比島〔フィリピン〕のときは一月、ルソン島のリンガエン湾上陸に先立ち、昨年十二月、ミンドロ島のサンホセ空港を占領して比島を完全に制空権を得た後、はじめて行動を起こす。飛行場をまず占領することが、彼らの常套手段です」
 隊長は腕を組んだままじっとしておられるようだ。もちろん恐くなって後ろをふりむくこともできない。【後略】

 六月一日 (金) 晴
 昨夜の三勤につづいて勤務。日付変更線も何もないから、いつ新しい日に突入したのかわからない。ただ隣りの部屋が静かになったと思って自分の腕時計を見たら、午前零時五分で、初めて日が変わったことを知る。【中略】
 午前六時、「班長殿、勤務交替します」といって、田中候補生が部屋に入って来た。自分も午後四時からの勤務で疲れも出て来たところなので、正式に勤務交替の挨拶をして下番する。
 午前七時、田原と朝食を共にする。田原は下痢は治ったというが、まだ軟便だという。固い普通の便になるまで勤務は中止だ。完全に治ってから御奉公はできる。今日もう一日休んで、腹を良く温【ぬく】うにして冷やさないようにしてくれといっておいた。【中略】
 午後四時、勤務に上番する。前勤務者田中候補生が異常なしと報告してくれたが、今日はその後も静かで、異常など起こりそうもない。
 午後七時ごろ、上山少尉が部屋に入って来られた。午後九時、NHKのニュースが流れる。
 ――東京都内三十五区の私立病院並びに診療所の経営は、医療営団の管轄下に入ることが六月一日付で発令された。したがって医師・看護婦は現在勤務のまま、六月一日付で現員徴用になった――と放送した。
 午後十時、ニューディリー放送を期待しておられた上山少尉は、ニューディリー放送のないことを確認して十時半、退出された。
 午後十一時半、突然、田原候補生が部屋に入って来た。
「班長殿、固い便が本日午後五時に出ました。完全に治りましたから勤務させて下さい。夕食はしたがって普通食にしました。班長殿、御願いします。ぜひ勤務につかさせて下さい」
 真剣に頼み込むので、午前零時から勤務に着くように指示する。午後十二時、上下番の挨拶を正規にやって下番する。

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