礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

下痢がひどいときは征露丸を七錠

2016-05-28 04:31:34 | コラムと名言

◎下痢がひどいときは征露丸を七錠

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、五月二八日から三〇日までの日誌を紹介する(一四九~一五三ページ)。なお、『永田町一番地』は、五月一四日のあと、六月四日まで、日誌が飛んでいる。
 
 五月二十八日 (月) 晴
 午前零時、勤務に上番する。下番者田原候補生は、「勤務中以上〔ママ〕ありません。情報としては昨夜午後十時のニューディリー放送でありますが、放送によりますと昨二十七日、米軍B29約二十機、関門海峡並びに下関西部海岸一帯に機雷を投下したと放送致しました。以上であります」
「よしわかった。ご苦労」
 昨日は結局、敵さん、一昨日に偵察した後の爆撃はやらなかったようだ。今日はやって来るだろう。今日はこの間のコースと違って深圳から黄埔の方に来るように思えて仕方がない。ついでに広東だろう。それにしても内地は大変だなあ。山の中に畑を開墾して自給自足とすることだと、内地の人のことを思う。【中略】
 午前七時、当番兵が朝食を持って来てくれる。とうとう午前八時まで何事もない。午前八時、田中候補生に勤務を申し送り下番する。
 内務班に帰ったら、すぐ横になって眠り込んでいた。何時間ぐらいたったのか、「班長殿、空襲です」と田原に起こされた。ドォーン、ドォーンと飛行場がやられている。高射砲弾の炸裂している音も聞こえる。
 壕の中でかすかに聞こえるのとは全然違う。武器を何も持たないで鉄甲をかぶってじっとだけしているのは、落ち着かない。せめて銃でも持って身がまえていると心が落ち着くが、銃はここ全体で十丁しかない。しかも保線班五十名に対し十丁だけで、何組かに分かれて作業中の警戒のために持っているので、対空襲用は何もない。
 この間は珠江沿いの艦船がやられたが、今日の飛行場にはだいぶ落としたように思う。自分の推定では十機は来ているように思う。棕櫚〈シュロ〉の葉で葺いた〈フイタ〉屋根に、この間、保線班がかなり草をおいてくれたので、完全に擬装されたらしい。空襲はほんとに長かった。十分ぐらいはたったろうか。音がなくなったのは、三時すぎだった。【後略】

 五月二十九日 (火) 曇後雨
 午前零時、上番する。下番者田原候補生よりはとくに問題は何もなく報告なし。【中略】
 午前八時、下番する。下番後、横になってすぐ眠り込んだ。眠り込んだ直後から、雨と風は非常に強くなって来た。まず棕櫚の葉の上にこの間、保線班が持って帰ってくれた草の数々が風で全部吹き飛んで、棕櫚の葉で葺いた屋根からぽたぽたと雨濡りがはじまった。横なぐりの風のために、板壁の隙間から水しぶきが寝床を洗うので、とても寝られたものではない。蚊帳もずぶ濡れのままである。
 田原はうまく水を除け、うずくまるようにして建物の角のところでよく眠っている。うすら寒い。こんなときにマラリアにでもなったら、それこそメイファーズ〔没法子=お手上げ〕だ。そのうちに床の濡れていないところにくるまって横になっているうちに、やっと眠った。
 午後四時半ごろ起きる。田中が下番したところで、
「田原、ちょっと顔色が青いです」と報告してくれる。
「今朝、睡眠中、雨水にやられたからだろう」と答える。
 気になるので、自分が行って聞いて見ようかと思ったが、遠慮することだろうと、田中に聞きにやらせる。異常なしとの返事が帰って来る。各人の毛布から衣袴はもちろん略帽、肌着靴下、靴とよくもよくも濡れに濡れた。午後五時ごろから三人分の濡れたものを紐に吊るして乾かす。夜中までにはほとんど乾くだろう。

 五月三十日 (水) 曇
 午前零時、勤務に上番する。下番者田原候補生は、
「昨晩午後十時のニューディリー放送によりますと、昨五月二十九日昼、米軍B29五百機とP51百機、合計六百機の戦爆連合機は横浜を空襲し、銃爆撃を行なっております。さらに沖縄の米軍は、首里城の一角を占領したということであります」
 ところで彼の顔は青い。唇も青く精気少なし。
「おい貴様、体調の悪いのを無理して勤務してたんではないか」と聞く。田原はもそもそしていたが、
「はッ、下痢をしております。昨日の雨で濡れた褌をつけたまま寝ておりまして、腹を冷やしたようで、勤務中、何度も下痢しました」
「薬を飲んだか」「まだ飲んでません」「持ってるか」「持ってません」
「よし、しばらくここに待っておってくれ」といって内務班に帰り、雑嚢【ざつのう】から征露丸と手拭四枚乾いたのを持って来た。
「この薬は征露丸ともクレオソートともいう。通常三錠から五錠だが、下痢がひどいときは七錠くらいに多めに飲んでかまわない。これは昨年一月、内地を出るとき、おれの祖母が頭痛薬のノーシンと、この征露丸を持たしてくれた。入営時点で頭痛薬は取りあげられたが、征露丸は持ってもよいということで、そのまま持って満州から北支、中支、台湾、そして南支は梧州まで旅した薬だから、よく効くからすぐ飲んでくれ。取りあえずすぐ七錠飲んで、毎食後、当分よくなるまで三錠ずつ飲んでくれ。この手拭四枚は腹巻き代わりに腹に巻き、バンドで止めて腹を温めてくれ」といって渡す。
 田原は下番したが、先ほどの報告が気になってならない。【中略】
 静かな夜の勤務の中、一人もの思いに沈む。昼間雨に濡れた衣袴は、午後六時ごろから干したので、充分乾いたと思って着て来た。衣袴はよしとしても、靴下が充分に乾いていなかったのか、編上靴〈ヘンジョウカ〉の中に水分が残っていたのか、足の方から冷たさを感じる。
 午前四時、厠に行って空を見るも、まだ風雲あわただし、今日はもう雨はやんでくれ。午前八時下番、場合によっては三勤の勤務をする必要もあって、すぐ横になって眠る。
 午後三時半、田原に下痢のことを聞くと、「まだ水溶液ばかりです」という。暖こうにしてゆっくり休めと休ませる。
 午後四時上番、下番者田中候補生は、
「班長殿、十六時間勤務は無茶です。自分に少しでも受け持たして下さい」と申し出た。
「貴様たちにはマラリアのときに迷惑をかけている。おれのことより下番したら、田中の面倒を充分見てやってくれ」と頼む。勤務についても、各所からのベルはなし。
 午後七時、NHKのニュースが流れる。
 ――海軍ではあらたに軍令部総長に豊田副武大将が、また海軍総隊司令長官に小沢治三郎中将がそれぞれ昨日付で任ぜられましたと。沖縄の戦況についてはまったく何もいわない。そのほかとして東京都内から長距離乗車に当たって発売駅を制限するとか、細々〈コマゴマ〉言っておいて結局、最寄りの駅で聞けといっている。
 午後十時、ニューディリー放送を心待ちにされていた上山少尉は、放送がないということで情報室を出て行かれた。情報室は今朝の勤務と同様一人になった。

*このブログの人気記事 2016・5・28(8・10位にやや珍しいものが入っています)

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