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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

わかりやすい仏教史①ーお釈迦様の時代 1

2007年03月31日 19時55分11秒 | 日本仏教史、インド中国仏教史、真言宗の歴史など
(大法輪誌平成十三年七月号掲載)

私たち日本人の多くは、海外などに行って「あなたの宗教は?」と聞かれたとき、自分でも多少の疑問を感じつつも、「仏教徒です」と答えてしまうそうです。そして、それがアジアの仏教国であれば、その問いかけがきっかけとなり、そこで目にした仏教と自国の仏教の違いを少なからず感じられることでしょう。同じ仏教でありながら、どうしてこんなにも違うのかと疑問に思うかも知れません。

ところで、今日世界で行われている仏教は大きく三つに色分けすることが出来ます。日本の仏教は様々な宗派がありますが、どれもが中国や朝鮮から海を越え、もたらされた大乗仏教です。インドから北西部のヒンドゥークシ山脈を越えてシルクロードを通り、さみだれ的に伝えられてきた経文や仏像によって形成されていく北伝仏教と言われているものです。これらの仲間には中国、韓国、台湾、それにベトナムが入ります。

そして、チベットやモンゴル、ネパールの一部、また日本の真言宗と天台宗の一部は大乗仏教の中でも、特に密教と呼ばれる仏教です。

これに対しスリランカやタイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシア、ネパール、バングラデシュ、インドなどで行われている仏教は、教科書などで小乗仏教という名で教えられている南方経由の仏教。ですが、小乗仏教というのは正しい表現ではなく、正確には上座仏教と言われています。

こちらのお坊さんたちは国の違いにもかかわらず、みな同系の茶褐色の袈裟を身に纏っています。また今日ではアジア諸国ばかりか、上座仏教はイギリスやアメリカ、オーストラリアなどでも、自国のお坊さんも誕生し、まじめに実践されているということです。

今ではこのように、世界中で実践されているこれらの仏教が、どのような変遷のもとに違いを生じてきたのかを探るために、お釈迦様から私たちの仏教にいたる『仏教のルーツ』を、ここで皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。時代背景やお坊さんたちの暮らしぶりなどを中心に、まずは仏教を教え説かれたお釈迦様の時代から歴史をスタートさせていこうと思います。

「お釈迦様の時代」

お釈迦様の時代は、すでに農耕牧畜が営まれ、かつ貨幣が早くも流通して商工業が盛んになり、城壁に囲まれた都市を中心に、マガダ、カーシー、ヴァッジー、マッラ、コーサラなど十六の王国、共和国が生まれていました。

当時絶対の権威をもって振る舞っていた聖職者バラモンは、自分たちの階級の神聖さを誇り、ヴェーダ聖典の権威を主張し、祭祀儀礼を司っていました。彼らは、人の運命とは生け贄を供える厳格な祭儀を盛大に行うか否かにあると主張しておりました。

また一方では、そうした姿勢を批判し、己の行いにより幸不幸が決まるとする業報説や、それが次の世にも及ぶとする輪廻説を主張するバラモンも現れるようになっていました。

そして、さらに自ら家を出て輪廻からの解脱を求め、自由に修行し思索に励む、沙門と呼ばれる人々も数多く現れていました。お釈迦様も、その中の一人として出家され、家族、財産、地位、身分を放棄しつつも、その後の人生において、二千五百年経た今もなお、インドにおいて誰もが認める最大の聖者として崇められる生涯を送られました。

誕生と出家

お釈迦様は、紀元前六世紀頃、今のネパール中央南部からインド国境地方にかけてあった、コーサラ国に隷属する小国釈迦国の王子として、ルンビニでお生まれになりました。長ずるに従い俗世の生活に疑問を感じられ、妻と生まれたばかりの子息を残して二九歳のとき出家。

きらびやかな王宮の服を脱ぎ剃髪して、人里離れた森に入られました。そして、そこから六〇〇キロ離れたマガダ国の都ラージャガハ近郊にやって来られ、止息や断食など誰よりも徹底した苦行を行ったと言われています。

菩提樹下のさとりー成道

そうした苦行を経て、ネーランジャラー河で沐浴し、スジャータ村の娘から受けた乳粥で体力を回復され、ピッパラ樹(菩提樹)下で禅定に入り、苦しむ生の連続、輪廻からの解脱を成し遂げられたのでありました。この時、御年、三五歳。ウルヴェーラー村セーナー(今のブッダガヤ)での成道でした。

このときお釈迦様は、この世のすべてのものは原因(因)と多くの条件(縁)によって起こると、のちに∧縁起の法∨と呼ばれるこの世の存在のあり方、法則を観察されたと言われています。また、生まれ、老い、病み、死すものである私たちの苦しみがいかに生じ、いかにそれを滅するべきかを思索されたとも伝えられています。

最初の説法ー初転法輪

そして、そこから二五〇キロ離れたカーシーの都バーラーナシーの北八キロに位置するイシパタナ・ミガダーヤ(今のサールナート)で、初めての説法を成功させ、五人のお坊さんによる僧団が誕生いたしました。

これによって、仏教徒にとって帰依の対象となる〈仏・法・僧〉の三宝が成立したのです。そして、この記念すべき最初の説法を初転法輪といい、このとき、お釈迦様は〈四聖諦〉の教えを説かれたとされています。

四聖諦は苦諦、集諦、滅諦、道諦を内容とする四つの聖なる真実をいい、私たちが今をどう受けとめいかに生きるべきかを説く実践の体系であります。

〈苦諦〉とは、生老病死に代表されるように総じて人生のありようは苦であり、その現実をありのままに知るべきであるということです。私たちのまわりのものすべては、移ろい変わりゆく無常なるものであり、完全なもの満足の出来るものなど何一つありません。自分も自分のものも、すべてのものは様々な原因、ある条件の下に成り立っている不確かなものばかりです。それが故に思い通りになるものなどなく、私たちは常に苦しみを感じつつあるのです。

そして、〈集諦〉とは、その苦しみをもたらす原因をいい、それは私たちがものごとの因果法則をたとえ知りつつも認めようとしない心、今ないものを求め今あるものに満足できない欲、渇愛にあり、それを厭い離れるべきこと。

〈滅諦〉とは、そうした苦しみをもたらす渇愛に代表される、貪り、怒り、妬み、おごり、恨み、物惜しみ、嫉妬などすべての心の汚れ、煩悩の火を消し去った状態を証ずべきであること。

そして、〈道諦〉とは、そうした清らかな心にいたる八正道という実践法を修習すべきことであります。八正道は中庸の道とも言われ、苦行や贅沢な欲ばかりの生活など極端な生き方を超越し、私たちがいかに生きるべきかを説いたものです。またお釈迦様の教えの中核となる教えであり、仏教のシンボル・法輪は、この八正道を表したものだと言われています。

八正道は、
〈正見〉偏見や断定をやめ、四聖諦をよく知り理解すること、
〈正思惟〉欲や怒りの心を離れて考えること、
〈正語〉嘘、悪口、汚い言葉を用いずに話すこと、
〈正業〉殺生、盗み、邪淫、博打など悪行を止め、なすべきことをすること、
〈正命〉自然や社会、生き物を育むような仕事により生計を立てること、
〈正精進〉悪い習慣をやめ善い習慣を行うように努めること、
〈正念〉そのときそのときの行い思いに気づいていること、
〈正定〉こころの落ち着き、安定、安らぎ、をその内容とします。

お釈迦様は、これらの教えをお坊さんたちをはじめ、在家の弟子にも、その人の修行の段階に応じ、様々なレベルでお説きになりました。つづく

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