住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

備後國分寺だより 第63号(令和5年1月1日発行)

2023年01月06日 07時21分48秒 | 備後國分寺だより
備後國分寺だより 第63号


今津薬師寺様・令和四年九月二十二日
秋季彼岸法要後の法話

心を浄めるとは これからの時代をいかに生きるか


秋の彼岸法会、沢山のお参りご苦労様でございます。今年も災害が続き、先頃も強い台風により全国多くの地域で被災したばかりであるのに、この備後地域は守られているのか、このように法会ができ、たくさんの参詣者をお迎えできるというのは誠に有り難いことだと思います。

私がこちらに上がらせていただくのも三回目となりました。今日は、「心を浄めるとは」と題して、これからの時代をいかに生きるかをテーマにお話させていただきます。

御開帳について

ところで、まず初めに、今年は皆さまにとって何より大切な檀那寺の再興四百八十年という記念すべき年であります。そして春には盛大な御開帳法会も行われたと伺っております。改めてお祝いを申し上げますとともに、そのために昨年から仏像の修理や堂宇の修繕をお寺様はじめ檀信徒役員の皆様ともどもに進めてこられ大行事に備えられた、そのご努力に敬意を表したいと存じます。

皆さん、三十三年ぶりに御開帳されたご本尊様に対面されて感激も一入(ひとしお)であったことと思いますが、皆様の思いと同様に、私ども國分寺でも、檀信徒から「なぜ扉を閉めているのですか」「お姿を拝見できるのはいつですか」などと問われることも度々ございます。

秘仏について

普段お厨子の扉を閉めている仏様のことを秘仏というわけですが、秘仏にしているのはどうしてなのでしょうか。扉を開かないのにはいくつかの理由が考えられますが、皆さんはなぜだと思いますか。保存のため、保管のため、御開帳した時のありがたさのためであるとかいろいろと言われるわけです。

が、私は、仏様というのは本来法を説くものであり、仏様は姿かたちではないよ、ということを教えるためではないかと思っています。ですから、それぞれの仏様ごとに、その仏様としての説法、声なきメッセージを発しておられるものと受け取ることが大切ではないかと思うのです。

お薬師様には、お薬師様のメッセージがあると思うのですが、どのようなメッセージでしょうか。皆さん、ご真言は「オン・コロコロ・センダリマトウギ・ソワカ」ととお唱えになられていますね。それでは、このご真言はどのような意味でしょうか。実はこれは私にとって長年解明できなかった難問でありまして、学者先生方もどなたも明瞭に訳せない、難解なご真言でもあります。

薬師真言について

ある本には「仏様よ、早く人々の願いを成就し給え」などと訳されたりしますが、なぜこのような訳し方になるのかがわからなかったのです。そこでまず、この真言を分解して、その意味を調べてみますと。

オンとは、インドの聖なる音であり、神仏への敬虔なる挨拶としての言葉でありまして、コロコロとは、欣快なるかな、非常に喜ばしいことよ、また速疾にとも訳すようです。このあとのセンダリマトウギの部分が問題ですが、センダリの部分がチャンダーラ、マトウギの部分がマータンガという、インド社会の最下層の被差別民チャンダーラの一種のマータンガの女性、もっとも虐げられ蔑まれた部族の女性を指す言葉であります。ソワカは、幸あれ、祝福あれという意味となります。

この中にお薬師様の名がなく、なぜインド社会で差別を受けている人たちの名前のみをお唱えするのかが疑問となります。お薬師様のご真言として、これをどのように解釈すべきかということにずっと解答が得られないまま何年もかかりました。ですが、二年前の一月のことですが、ある日の朝本堂でお薬師様を拝んでいた時、ふと、お薬師様の誓願とはと心を向けました時、このご真言の解釈が頭に降ってまいりました。

どのような解釈だったかと言いますと、この真言は、お薬師様の心の底から起こってくる願いであり、この世で最も気の毒な、かわいそうな虐げられた最下層の人たち、彼らこそすみやかに救われ、よくあるように、祝福されるように、彼らが救われるならば、必ずやすべてのものたちもよくあるはずである、すべてのものたちの悩み苦しみがなくなり、生きとし生けるものたち誰もが幸せであって欲しいというお薬師様の願いを最も短く表現したものに違いないと思われたのでした。

もちろん、これが正解ということではありません、ただ私がこのような解釈のもとでお唱えするのが一番お唱えしやすいというにすぎません。ですが、仏教は、何よりも自分が納得し信仰する実践するということが大切です。

そして、その後さらに調べを進めておりましたら、ある仏典に、この御真言にまつわるような話が残されていましたので、紹介してみたいと思います。

アーナンダに恋した娘の話

お釈迦様に長年随行されていたお弟子にアーナンダという、釈迦族の王族の生まれでハンサムな、やさし気なお坊さんがいました。祇園精舎(ぎおんしようじや)に滞在している時、托鉢に歩いて喉が渇き、水を汲む村の娘から一杯の水を恵んでもらいます。

その娘は旃陀羅種(せんだらしゆ)のマータンギの娘だったため、娘は身分の低い自分が高貴なお坊さんに水を差し上げてよいものかどうかと躊躇(ちゆうちよ)するのですが、「自分は出家であるから貴賤上下の品わけをしない」と、アーナンダはそう言って水をもらい飲みました。

その清らかな美しい姿を見て、娘はアーナンダに恋心をいだき、アーナンダが街を托鉢すれば後を追うように歩くようになって、祇園精舎の中にまで入ってきてしまいました。恥ずかしく思ったアーナンダはお釈迦様に相談すると、お釈迦様は、その娘に「アーナンダの妻となるには出家しなくてはいけない」と言われて、両親の了解を得させ髪を剃り出家させました。

そして、「色欲は身を焼き人を焼く、灯りに寄る蛾のように炎の中に身を投げんとする。智慧ある者はこれと違い、常に色欲を遠ざけて静かな清らかな楽しみを味わう、なんじも今より道に入るがよい」などと教え導くと、純粋な娘の心は白い布に染まるように心の垢が去り、ついに覚りを開いたという、こういう話が残されています。

ですが、この話が世間に知れ渡ると、お釈迦様が卑しい旃陀羅の娘を出家させたと、階級制度の厳しいインドのことなので非常な非難の声が起こったのですが、お釈迦様は少しも動じることなく四姓平等の教えを説かれ、生きとし生けるものがよくあることを願われたのでした。

当時のインド社会の階級差別、性差別は、現代の私たち日本人が想像できないほどにすさまじいものがあったことでしょう。宗教者でもその差別意識は同様であったと言われています。

そうした社会にあってなお、お釈迦様は何の貴賤の差別なく、旃陀羅種のマータンギの娘を出家させ、法を説き、そして覚らせたというこのエピソードにあらわれる慈悲の心は、正にお薬師様のご真言そのもののように思えるのです。

余談ですが、当初お釈迦様の出家の弟子たちはみな男性ばかりでした。ですが、ある時実母の妹にあたる継母が訪ねてきて、出家をしたいと願うのです。が、お釈迦様は拒み続けたと言われています。ですが、その時アーナンダが来て、「戒律をきちんと守り、教えを学び修行したとして、女性だからと覚れないということがあるのですか」と尋ねると、お釈迦様はそんなことはないと女性でも覚れると言われて、では出家を認めるべきではないかということになり、比丘尼という女性の出家者集団ができるわけです。

のちにこの人はマハーパジャパティゴーターミと呼ばれ、阿羅漢になるわけですが、四姓の階級にしても、六道のすべての命に対しても差別なく対されるのは、みなこのような因果応報の理法の中にあるものとして平等だからなのです。

浄らかな心・慈悲について

それで、今日は、こうしたお釈迦様やお薬師様のような浄らかな心とはどういうものなのか、そして、その心に何とか私たちも近づいていけるようにするには、つまり心を浄めるにはどうしたらよいのかということをテーマにお話ししていきたいと思っています。

まずこの浄らかな心とされる、慈悲の心ですが、普通、慈悲と言いますと、日本では、慈と悲に分けて、慈は好意を持って利益を与えること、悲は同情して苦しみを除いてあげることと解釈されることが多いのですが、本来、お釈迦様のように、誰をも差別せず、生きとし生けるものすべてのものたちが幸せであることを願う心であり、それは慈悲喜捨といわれる四つの心を内容とするものです。

慈(友情)は、友情という意味で、親友に対する友情の心でもってすべての生き物たち誰もが良くあって欲しいと願うこと。
悲(抜苦)は、親友が困っていたり苦しんでいたら助けてあげたいという気持ちを誰にも広げていくこと。
喜(共感)は、親友が成功したり良いことがあり喜んでいたら自分もうれしくなる気持ちを誰にも持つこと。
捨(平静)は、親しい人も親しくない人にも分け隔て無い平等な静かな心で居ること。

このような心を養うことが必要とされ、その為に、まずは自分の幸せを願い、悩み苦しみがなくなりますように、願い事が叶いますように、それから親しい人たちが幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように。そして、生きとし生けるものたちが幸せでありますように、と念じていき、誰をも分け隔て無く良くあるように幸せであるようにと、お薬師様の真言を解釈した内容のように念じていくのです。

なぜ慈悲の心をこのように念じなくてはいけないかというと、日常生活の中で、私たちはどうしても自分を中心にものを考えるという習慣があるからです。自分自分という思いで生きているところを、自分という思いを少しでも、そうして脇に置いて、広く周りの人たち、また生きとし生けるもののことを想像しながら生きてみるという練習です。

自分という実体があるとして、私たちは喧嘩してみたり、嫉妬してみたり、うじうじと殻にこもり他を怨んでみたりといろいろと問題を起こすわけですが、そうした自分という錯覚を壊していくためのものだということです。

心を浄める

法句経という古い経典に、「諸悪莫(しよあくまく)作(さ)・衆善奉行(しゆうぜんぶぎよう)・自浄是意(じじようごい)・是諸仏(ぜしよぶつ)教(きよう)」と言う偈文(げもん)があります。悪いことをせず、善いことをして、自らその心を浄める、これが諸の仏の教えであるということです。なんだそんな当たり前のことを言ってと思われることと思うのですが、昔中国の唐の時代にこんな話がありました。

白楽天(はくらくてん)という高名な詩人で地方長官を務める役人でもある人がおられました。杭州(こうしゆう)に赴任した時、地元の有名な高僧、道林禅師を訪ねたそうです。そして、仏教を一言でいうとどんな教えかと尋ねます。その時禅師が言われたのがこの偈文でした。ですが、「なんだ、そんな三才の子供でも知っているようなものではなくもっと奥深い教えの真髄を尋ねたのに」と言われたそうです。すると道林禅師は、「三歳の童子これを知ると言えども白髪の老人これを行い難し」と返答され、白楽天は何も言い返すことができずに帰られたという話です。

知っていても行動が伴わないならば何にもならない。その通りに行うということが大変難しいことです。仏教は実践の教えであるということです。

それで言いたいことは、ここにある「自らその心を浄める」というところです。こうあるということは、仏教では、もともと人の心は浄まっていないとされていることがわかります。人は考える葦であるなどと言われて、考えることは人の特権のように思われていますが、仏教では、考えるのは、自分という中心があって、煩悩を付随して考えているとされて、そのことを妄想(もうぞう)といって、よくないものだとするのです。

過去を悔やみ、未来を思い不安になり、自分勝手な価値判断をしてみたり、考えても仕方ないことをあれこれ考えたり、ということが私たちの常なることなのではないかということなのです。そこで、妄想しない、考えない、その瞬間には、自分という中心がなくなっている状態、それは無我とでも言えるような、その状態こそ浄らかな心と言えるのではないかと思うのです。

勿論完璧に無我を体験すれば覚っていることになりますから、そんなレベルの高い話ではなく、日常生活の中で体験される程度のことですが。そうした体験について、少しお話したいと思います。

高野山での読経の話

ところで皆さん、般若心経を唱えるとき、何も考えないで唱え終えることが出来ますか。難しいことですね。何かどうしても途中で考えてしまいます。それが人間です。

もう三十年以上前のことですが、高野山専修学院という僧侶の修行道場で修行に入りました。四月から翌年三月まで七十人ばかりの修行僧が僧院生活を行い、勉学と修行をするのですが、黒衣に白袈裟で、朝と夕と一同にお勤めします。朝は本堂、夕方は持仏堂(じぶつどう)でいたします。持仏堂では半々に向かい合ってお経を上げるのですが、二か月くらいたったある日の夕勤行で、不思議な音を聞きました。

純真な気持ちで、多くの僧侶が一心に唱えて音の波動がぴったり合ったとき、それが倍音を発生させ、甲高い音がしたかと思うと、まるで、天界の音楽というような、笛や太鼓の音色を聞くことが出来ました。

その時おそらくその何人もの人たちが、自分というような思いもなく、一心にただ唱え、音を聞いていたということではないかと思えます。大変に心地よく、身も心もリフレッシュできたような高揚感がありました。読経していて体験した不思議の一つです。

四国遍路の話

また、その三年後に四国八十八ヶ所を歩いて遍路したときの話ですが、作務衣に衣をはおり、脚絆(きやはん)を巻いて網(あ)代笠(じろがさ)と錫杖(しやくじよう)を持ち、荷物は頭陀袋一つと寝袋だけで、山手線に乗り、すぐに、お接待をもらい驚きました。その後、フェリーで四国に入り、電車で、一番札所に向かい歩き出しました。

歩き始めは、どう見られているか、道は間違っていないか、昼ご飯はどうするか、晩はどこにどうやって寝るのか、またそうしたことが片づくと、今度は、帰ってからのことや、将来のことやら考えて考えて歩く。そうして考え考え歩くと、なかなか札所がやってこないのです。初めての歩き遍路だったこともあり、まさに自分のことばかり考えていたわけです。

ですが、考えることが出来なくなり、考えるのをやめて、ただ足の先だけを見て歩くことが出来るようになると、五キロ十キロ先の札所でも、気がつくと、札所の門前に居たということが何度もありました。そうやって足だけを見て歩けるようになったとき、四国遍路は歩く瞑想そのものなのだと思えました。

皆さんも、是非、いまコロナで空いているらしいですから、歩いてみられることをお勧めします。

インドでの話

それから、そのまた三年後には、今度はインドに行って、インドの僧侶としてお寺に一年少々おりましたときの話ですが、その前年にインドのサールナートという初転法輪(しよてんぽうりん)の地にインド僧として日本人のお坊さんが居るからと言われお訪ねしたのです。

この方は後藤さんといい、そのだいぶ後のことですが、テレビの「こんなところに日本人」という番組などに二度三度登場した方です。

この後藤さんに、いろいろ話を伺っている間に、現代インドにも伝統派の仏教教団があるのだと知りまして、自分もそこでインド僧として学びたいと思ったのでした。それで、一度日本に帰り、ヒンディー語やパーリ語という仏教語を勉強し、学生ビザを取り、予防接種までして一年間準備して、その翌年に長期滞在することを前提に再度お訪ねしました。

ですが、住み込んで初めの二ヶ月ほど、まったくヒンディー語も口から付いて出ず、生活習慣にもついて行けず、物珍しいのか次々に近隣のインド人が見物にやってくるのです。さらに、体中湿疹が出て、薬を塗ってもだめで、歩くことさえ、おっくうになり部屋に居ると、後藤さんからは、あんたみたいな消極的な人間は何年居ても話も出来ないなどと言われ、気分が落ち込んで、何でこんな所に来たのかと毎日悔やんでいた時期がありました。まあ、妄想の真っただ中で自分のことで頭はいっぱいだったということでしょう。

そこに四月頃だったと思うのですが、暑い時期に、インドのお寺ですからゲストハウスがあり、日本人の学生のグループが泊まりに来ました。食事を用意して、洗い物をしてというのが私の仕事でした。昼の食事が済み、一人でカゴいっぱいの食器をもって、敷地の隅の洗い場に行き、金属の食器の洗い物をしていたときのことです、粉の洗剤に砂を付けこすり洗いをしていると、一生懸命擦(こす)らないと油がとれないので、それだけに没頭していたのでしょう。それ迄、常に考えて考えて頭が腫れ上がるほどだったのに、そこに何も考えていない自分が居ることに気づきました。静かに砂を付け皿をこすっている姿だけがありました。

そのとき、考えても考えなくても何も変わらない、考えていたことがばからしい、つまらないことに思え、考えなくてもいいんだと解りました。取り越し苦労というか、一人モヤモヤ考えていることが不要なこと、その時間が勿体ないと思えたのでした。

おそらく皿を何も考えずに洗っているとき、そこに自分という思いもなかったのだと思えます。とてもその後気持ちよく、頭も身体もすっきりしていることにも気づきました。

そして、その後は、すべてのことがスムーズに、すべきこともして一年三か月ほどを過ごすことができました。

チューラパンタカの話

この話をすると思いだすことですが、お釈迦様の弟子に、チューラパンタカという大阿羅漢がいました。当時のインドでは経文を暗記することが何よりも大切で、聞いた端からインド人は暗記してしまう人たちで、それで経典も書き残さず全部師匠から聞いて覚えていたのでした。つまり、暗唱力は、その人の能力を左右するものでした。

それなのに、この人は偈文一つ暗記できなかったので、僧院を追放される羽目となり、出て行こうとすると、神通力でそのことを知られたお釈迦様は、チューラパンタカを呼んで、一枚の綺麗な布を渡されて、「塵(ちり)を除く垢(あか)を除く」と言いながら僧院を掃除するように言われたのでした。そして、その言われる通りにしたところ、たちどころに覚られてしまったというのです。それで周りのお坊さんたちはみんな、あの頭の悪いチューラパンタカが覚ったというので、びっくりするわけです。

この話は日本では、呪文を唱えて覚ったとか、落とすべき塵や垢とは、自分の心の貪瞋痴(とんじんち)の煩悩だと理解すると覚られたと解説されるようです。ですが、そうではなく、拭き掃除する行為のみに集中して、一切の雑念なく塵や垢を観察していると、塵や垢は、床や壁から布に、布からバケツの水にと移り変わるだけだと、世の中のすべてのことがそうして存在すると真理を発見して覚られたということのようです。

不思議な体験とは

ここまで、高野山、四国遍路のことやインドでのことなど、いろいろ、不思議なと言いますか、面白い体験などお話しましたが、その程度のことなら自分も体験されているという方もあるのではないかと思います。それらは、そのとき自分という思いがなくなった状態、または薄くなった時に生じていたことであると思えます。自分という核のような思いがない状態になると、神通力ではありませんが、当然このようなことが起きても不思議ではないということでしょう。

我の無い状態は、通常ではないような力が働くものなのかと思えます。もちろんこんなことを求めてしても何も起こらないわけですが、そういう思いのない時、つまり心が清らかな状態になると、そういうことが起こりうるということだと思えます。

皆さんも、時に自分という思いが働いていないで、黙々と何かしている、または無心に没頭して何かしていた、気が付くと一時間も経っていたというような、特異な体験をされたこともあるのではないかと思います。そうした時、心身ともに軽くなるような感覚にも気づくと思います。何度もそういう感覚を体験し、思い出して、少しずつでもお釈迦様やお薬師様のような清らかな心に近づいて行って欲しいと思います。またこういう体験を重ねることにより、より信仰が深まり、自然と慈悲の心にあることに気づかれることと思います。

自分という中心、核のようなものがない状態は、余計な自分自分という思いがない分、とてもきれいな、浄らかな、クリアな心であるので、余計な考えをいだくことなく、心が研(と)ぎ澄(す)まされ鋭くなり、直観として物事の本質、移り変わり、因果、つまり原因結果をありのままに見ることができるようにもなるのではないかと思います。

そうして、この世の中のことも、その動きにも、動揺することなく、恐怖心もなく、淡々と安らいで生きられるようにもなるのだと思います。コロナも、ウクライナの問題でも、ともにその原因を的確に理解してしまうと、まったく恐怖心もなくなるということだと思います。

これからの時代いかに生きるか

ですが、この後も、温暖化の問題や、世界的な食料問題も深刻化すると言われています。不安定な時代はこのまま続くのかもしれません。こうした時代にどう生きていけばよいのかということですが、日々心の平安を保つために、やはり慈悲の瞑想を実践するのが一番の早道であろうかと思います。

私も一度大病になったのではと思って毎晩寝れなかった時期がありました。その時、この慈悲の瞑想を思い出し、寝る前に布団の中で必死にやりましたところ、知らず知らずのうちに寝ていたということがあります。是非、平時から毎朝でも、毎晩でもなさることをお勧めします。

それから、日常生活の指針としては、先ほど諸悪莫作衆善奉行・・という偈文の話をしましたが、そこにある善きこととは十善戒と考えていただければよいかと思います。

これからの不安定な時代、どんな時代となりましても、慈悲の瞑想と十善を生きるお守りとして大切にしていただけたらありがたいと思います。心を浄め、自分という思いの無い状態に気づきつつ、日々、今を大切に、明るく生きてまいりましょう。

(当日は、時間の都合上、四国遍路の話、チューラパンタカの話は割愛しました)



保坂俊司先生著
『インド宗教興亡史』に学ぶ


中央大学国際情報学部教授で、比較宗教学、比較文明論、インド思想を専門分野とされる保坂俊司先生の新刊、ちくま新書『インド宗教興亡史』を拝読しました。

保坂先生の著作については、これまでにも何度か紹介させていただきました。前回は令和二年四月、本誌第五十五号にて『梵天勧請(ぼんてんかんじよう)思想と神仏習合に学ぶ』と題して掲載しています。

梵天勧請として語り継がれるエピソードについて、それは、ブッダの覚りが仏教となるためには他者からの働きかけが不可欠であったことを示すのと同時に、他宗教と対立するのではなく融和融合共生を計ろうとする仏教の根本的な姿勢を表しているということでした。

そして、この異なる他者を受け入れ自己犠牲を厭わずに平和裏に共生関係を持とうとする仏教の特質は、現代の様々な宗教間の確執によって抗争する国際間の諸問題を解決し、世界を平和に導く原動力になるのではないかと提唱されたのでした。

今回は、今まさに既存の世界構造が崩れようとしている国際情勢にあって、つまり近代以降日本が模倣するモデルとしてきた欧米の優位が大きく揺らぐ現実に、日本人は何をなすべきか。そのヒントとして、インドがあるといわれるのです。近い将来その存在が一層重要となるはずであるインドの、その文明について理解を深めることは、混迷する世界情勢を乗り切るために重要であるということなのです。

ところで、インドについて考えるとき、まず一貫して最重要な要素として宗教の存在があり、様々な民族の交錯する坩堝(るつぼ)の中で、それらが相互に影響し合い、総括的にインド文明と呼べる共通性を形成したのだといいます。

インド宗教を概観すると、まずインダス文明を形成した先住民ダーサの宗教があり、そこに中央アジアから来てインドを支配した異民族アーリア人のヴェーダの宗教が入り、それらが融合してバラモン教となる。そして、その時代にダーサの宗教的伝統に強く影響された仏教やジャイナ教が新たに起こり、それらとバラモン教が並立する時代にイスラム勢力の侵攻がありました。その後、インド仏教がバラモン教に呑み込まれてイスラム教と対抗すべく今日のヒンドゥー教になったと説明されています。

第一章「ヒンドゥー・ナショナリズム」では、現在のインド亜大陸における各宗教の人口比からヒンドゥー教徒とイスラム教徒がともに、広大な国土を奪われたという思いをいだいていると分析されています。そして現代にもその両者の抗争は継続しているとするということです。

第二章「ヴェーダの宗教、バラモン教、ヒンドゥー教」では、ヴェーダの宗教からヒンドゥー教に至るインド土着の宗教の変遷が語られます。

その底流にある、被征服民が長い間培ってきたダーサの宗教を起源とする「出家と修行」という宗教形態こそが、インド亜大陸に普遍的な宗教の伝統ではないかと指摘されています。仏教やジャイナ教ばかりか、シク教、外来宗教であるキリスト教、イスラム教、ゾロアスター教にもその伝統の影響がみられるということです。

第三章「バラモン教とインド仏教」では、インドにおける仏教は、ヴェーダの権威を認めず、ブッダ自らの体験に基づく宗教的確信を自らの言葉で説き続けた、理性重視の開放型の宗教であったと分析されています。

その後仏教を支える民衆がバラモン文化の構成者なるが故にアートマンに準ずる存在原理を認める部派が生まれます。それに対抗してブッダの精神への原点回帰運動として大乗仏教が興るわけですが、それはインドに定着した異民族の受け皿として機能し、諸文明の要素を融合したハイブリッド仏教であったと定義されています。

その後、グプタ朝の復古主義に抗えずバラモン教との共生へ転じた仏教は、さらにイスラム勢力のインド侵攻にも強く影響され密教化するにいたります。そして、バラモン教と融和共存関係を構築した仏教教団はバラモン教に併呑され、反バラモン教的集団はイスラム教に改宗し溶解していったことから、いずれにせよ敗北の歴史であったとみなされています。

こうして仏教教団はヒンドゥー教の中に融解してしまったわけですが、その後もブッダの教えは確実に伝わり、二十世紀の中葉、インド共和国憲法の草案作成者で、被差別階級出身の偉人アンベードカル博士(1891-1956)が、その独自性に共感し仏教に改宗、新たな仏教の再興運動を起こし、再び仏教はインド社会に開花しています。それのみならず、ブッダの平等と平和の教えは、インド民衆の共感を得て大きなうねりとなっているということです。

第四章「シク教の理想と挫折」では、大乗仏教が栄えた西北インドに、十五世紀末、ヒンドゥー教とイスラム教の融和を目指して生まれた小さな世界宗教であるシク教について解説されています。

開祖ナーナク(1469-1539)は、この世にヒンドゥー教もイスラム教も区別なく、「唯一の神の教えのみであり、それは真理を御名とし、真理こそ神である、真理以外に神はない」と語り、神の意志の実現として、日常生活において、利己的自我を制御して他者への奉仕を推奨したということです。

そして、神はすべてに遍在するとして、常に神を意識して教団内にて倫理的な日常生活を実践することこそ救いであるとしました。さらに神の意志によって生まれた人間の平等を説き、宗教や出生における差別、性別やカーストなど一切の差別を否定するなど、大乗仏教にも通底する教えを説いたのでした。しかしその後、ムガル帝国の皇位継承争いに巻き込まれ、軍事教団化して多くの悲劇を生むことになるのではありますが。

第五章「ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教」では、独自の宗教の形態を維持して伝統を遵守してきた三つの小さな宗教について解説されています。筆者には、それらの小さな宗教なるが故の生き残り方に、これからの日本の国際社会での生き方が目に浮かぶ思いがして誠に興味深く読ませてもらいました。

禁欲と死をも厭わない苦行を基本とする出家者とそれを支える在家信徒の伝統を守り通したジャイナ教。

ゾロアスター教(インドではパールシーと呼ばれる)も独自性を維持しましたが、出家修行は重視せず、世俗の社会的役割を誠実に果たすことに救いを求める宗教理念により近代化を率先して受け入れ、インドの西洋文明化に貢献したということです。

一方キリスト教は、南インド・ケララ州に多く居住し、コショウ貿易で莫大な利益をもたらすことでイスラム王朝時代にあっても弾圧されずに済んだのでした。

第六章「イスラム時代のインド」では、世界一律の普遍宗教を建前とするイスラム教の、インドならではの多様性を明らかにしています。

イスラム教は政教一元であり、多くのイスラム化した地域は短期間にイスラム絶対優位の環境を形成できたのですが、インド亜大陸にあっては、いまだに少数派であり、その状況に合わせたイスラム思想が発展したのだといいます。

八世紀初頭から始まるムスリムのインド侵攻には当初から二つの流れがあり、一つはインドの巨万の富を略奪することを目的に攻撃して領域拡大に成功した侵略者としてのムスリムであり、それと別にイスラム神秘主義を実践するスーフィーによる地道な布教者としてのイスラムの、この両者によりイスラム拡大がなされたのでした。

スーフィーはイスラムの基本を維持しつつ、多神教徒と共生する可能性を見出したのでした。インドのスーフィーの多くが、かつて仏教が盛んだった中央アジア出身者とその子息であったことも誠に興味深いことといえます。

また、アショーカ王と並び称されるムガル帝国第三代アクバル帝(在位1556-1605)は、自らもスーフィーの行者としての宗教体験をもち、宥和政策を積極的に実行。それから百年もの間、スーフィー的寛容精神によるイスラム・ヒンドゥー融合文化が大いに隆盛したということです。

第七章「仏教盛衰の比較文明学的考察」では、比較宗教学、比較文明学の視点からインド仏教の衰亡について語られています。

一切衆生の平等を説く仏教は、教えの上では、一般民衆さえも覚りを求めれば得られるとし、社会的には、バラモン教の階級差別により疎外された下層の人々や女性、外地から侵入し定着した異民族などを受け入れ成長したわけですが、それによりバラモン教と社会的競合関係が生じて仏教盛衰の要因にもなったとされます。

そして、インド・イスラムの最古の史料『チャチュ・ナーマ』(インド亜大陸へのイスラム教初伝の地でインダス川下流部のシンドの七~八世紀の事績を記述する歴史書・原典ペルシア語)からの内容を要約し、様々な事例が紹介されています。

六世紀にグプタ朝を衰退させ激しく仏教徒からの略奪を繰り返したフン族の支族エフタルが七世紀にはパキスタン中部一帯を支配する間に仏教に帰依して穏やかな民族に変わっていったこと。また七世紀頃西インドでは密教的な呪術によって藩王の護持僧となった仏教僧がいたこと。現在のパキスタン・ハイデラバード近郊の仏教寺院でイスラムに集団改宗したことなどが詳述されています。

また、蛇足と断られたうえで、近代以降の日本での仏教理解において、国家護持という観点から仏教と国家の関係を論じることをはばかる風潮があるわけですが、それは、明治政府の神道重視と廃仏毀釈の偏った宗教観、敗戦後の政教分離の弊害であると指摘されています。宗教が、国家社会の中心に位置付けられていれば政治にかかわらないはずはなく、それはジャイナ教などの現実生活から距離を置くことを目指した宗教においてもそうなのであるからということです。

以上、読み進めるほどに知的興奮を掻き立てられました。比較宗教学、比較文明学からの視点によって論述される内容に、多くの新たな知識を得ることができました。

冒頭に述べたように、他宗教と対立するのではなく融和共生を計ろうとする仏教の思想は、大乗仏教が世界宗教として成長を遂げた西北インドや中央アジアに縁をもつシク教、イスラム教神秘主義者たちの中に、今も生きているように思えました。

さて、本書の序章冒頭に説かれるように、眼を現今の国際情勢に転じてみますと、この分断された国際社会を、私たち日本人はどう乗り切っていけばよいのか。インドはヨーロッパほどの国土の中に、はるかに多くの民族と宗教とを抱える、いわば国際社会の先駆者ともいえます。

三千年にも及ぶインド宗教の興亡の歴史は、これからの人類がいかにあるべきかを教えてくれています。そこから将来の日本の生き残り方も見えてまいります。なぜ衰亡していくのか、繁栄するにはいかにあるべきか、是非本書に学んでいただければと思います。(全)

(なお、本稿縮小版が六大新報・令和四年八月十五日号に掲載されました)


 
四苦八苦を
やわらげるために②


病苦をさける生き方 

「まずはじめに、世間で健康のためと思いしがちな所謂(いわゆる)食の常識を斬(き)り捨てることが大切だとあります。

たとえば、緑茶やコーヒーを含むお茶を常飲している人の胃は胃の粘膜が薄くなり萎縮性胃炎となり、胃ガンになりやすいということです。

肉食は成長を早めますが、それはつまり老化を早めることです。

牛乳は脂肪分を均等化するために攪拌(かくはん)する過程で乳脂肪分が過酸化脂質、つまり錆びた油になり、さらに殺菌のために百度以上の高温にするためタンパク質を変質させ、エンザイム(体内酵素のことで、動物でも植物でも生命があるところに必ず存在して物質の合成や分解、輸送排出解毒など生命を維持するために必要な活動をしてくれるタンパク質の触媒のこと)も死滅した最悪の飲物だといいます。

そして、植物油だからと多用されるマーガリンやショートニングも。市販されている食用油の多くは溶剤抽出法という原材料に化学溶剤を入れて抽出されます。この油は悪玉コレステロールを増やしガン、高血圧、心臓疾患の原因になります。

またガン患者の食歴から、肉、魚、卵、牛乳など動物食を沢山摂っていた人はガンになりやすいということです。

どんな薬も基本的に薬は毒であり、症状を抑えることは出来ても、薬で病気を根本的に治すことは出来ません。食事の量や質、時間やストレスなどその病気の原因そのものが除かれない限り根本的に健康を回復することは出来ないと断言されています。

では私たちは何を食べるべきなのでしょうか。先生は動物の食性を表す歯に注目され、人間の場合、肉を食べる歯が一なのに比べ植物を食べる歯が七あるということです。そこから、植物食を八五パーセント、動物食を十五パーセントにすべきであるといいます。

つまり、穀物を五〇パーセント、野菜や果物が三五から四〇パーセント、動物食は一〇から一五パーセントとし、穀物は玄米など精製していないもの、他のものもなるべくエンザイムを沢山含む新鮮な物がよいとか。動物食は人間より体温の低い魚で摂るのがよく、牛乳、乳製品、マーガリンは避け、揚げ物もなるべく摂らないこととあります。

そして、一口に五〇回程度よく噛み、消化されやすくする必要があるといいます。なぜならば腸壁で吸収されなかった場合、過剰に食べた場合同様に腸内で腐敗、異常発酵が起きるため、その解毒にエンザイムが浪費されるからだとか。よく噛むことで腹八分目でも満腹感が得られるといいます。

そして、糖分、カフェイン、アルコール、添加物は、細胞や血液から水分を奪い血をドロドロにしてしまうと警告しています。ジュース、ビール、コーヒーやお茶を水代わりに飲むことなく、血液の流れを良くし新陳代謝をスムーズにするためには、よい水を毎日一五〇〇から二〇〇〇㏄飲むのが良いのだそうです。

そして、食事以外のことで必要なのが、三、四キロを歩くなどの軽い運動と、十分な睡眠、また昼食後の昼寝なども大切なこと。それから、副交感神経を刺激して精神の安定を促し免疫機能を高める深呼吸を暇さえあればすること。

そして、ストレスのない愛情に充ちた幸福感を感じる生活をするならば天寿を全うできるであろうと結論されています。」

いかがでしょうか。これはあくまでも一人の先生の著作からの教えではありますが、病苦をやさしいものにすべく、ここにあるように自然に逆らわない食習慣を心掛けて健康を保ち長生きをしたいものです。そして、たとえ病気になっても軽いものとなり、できれば無病息災に天寿を全うしたいと思います。

死苦の迎え方

そして、さらに四苦の最後には死苦が来るわけですが、もちろんこれら生老病死は私たちの思い通りになるものではありません。老いて、病になるとき、改めてこうして生きるそのことの重荷としてあることに思いいたるということだと思います。

誰もがお釈迦様のように、若い時にそのことを深く自覚して四苦を乗り越えようと思うこともなく、たとえそう思ったとしても同じようにできるものではありません。

それらに直面したり、ようやく近くに迫ってきて嘆息するところを、それでも少しでもそれらを楽にソフトに受け入れられるようにはできないものかというに過ぎないのかもしれませんが。

そこで四苦の最後としてある、死苦について少し考えてみたいのですが、私たちはどのようにそのときを迎えられるようにしたらよいのかということです。その時に至って後悔ばかりがつのるというのは避けたいはずです。できれば、周りの人たちに感謝を述べ、言い残したいことが言えて、温かい良好な人間関係により最期を迎えるにはいかにしたらよいのでしょうか。…次号に続く  (全)


【國分寺通信】 謹んで新春のお慶びを申し上げます。

萬寳(まんぽう)の 主(あるじ)をたそと 人問わば たる事を
しる 身にこそ有りけれ 
(慈雲尊者和歌集より)

法句経という古い経典にも、「健康は最上の利益、満足は最上の宝、信頼は最上の知己、涅槃は最上の楽しみである」とあります。私たちにとって宝とは何でしょうか。たとえそれが得られたとしてもすぐに他のものを欲するのであれば、その宝はすぐに価値を失うものに過ぎないということでしょう。足ることを知り満足することこそ無尽蔵の宝を得たことになるのだと教えています。

○大師堂休み堂の建て替え工事が昨年十一月に始まりました。これ迄月例護摩供では、参詣者が堂内に入りきれず、外のベンチに座ってお経を唱えていました。大師堂と休み堂を連結し、堂内から護摩供をお詣りできるようになります。

○文集の原稿を募集します。昨年九月元総代さんが夢に登場され、「○○文集」と書かれた冊子を手に、ニコニコ笑って「こんなものができました」とお越しになりました。

そこで、実際に『みんなのひとりがたり(仮名)』という名で文集を作ってみたいと思い立ちました。何か言い残したいこと、ちょっといい話、ひそやかな思い出、家訓や教訓、こうしておけばよかったと思うこと、若い世代に、家族に、世の中に、またお寺に、どんなことでも結構ですから、一言でも、何千字でも、匿名または仮名で原稿を募集いたします。

夢の中では表紙は黄緑色の文集でした。本誌に原稿用紙を添付しますので、ぜひ書いてみてください。どうかご協力のほどよろしくお願いいたします。締め切りは三月末日まで。

 除夜の鐘 十二月三一日
  ◎ 薬師護摩供   毎月二十一日午前八時~九時
  ◎ 坐禅会    毎月第一土曜日午後三時~五時
  ◎ 理趣経読誦会 毎月第二金曜日午後二時~三時
  ◎ 仏教懇話会  毎月第二金曜日午後三時~四時
  ◎ 御詠歌講習会 毎月第四土曜日午後三時~四時

●毎月二十一日は作務の日です。(午前中のお越しにな  れる時間自主的に境内などの清掃作業をしています。)
 ●ブログ「住職のひとりごと」https://blog.goo.ne.jp/zen9you
 
(↓よろしければ、一日一回クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)

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2 コメント

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Unknown (よっちん)
2023-01-11 07:45:53
ブログへのコメント、ありがとうございます。
おっしゃる通り、キリスト教布教の背景には
スペイン、ポルトガルという国家の領土的野心や
商人たちの私利私欲が渦巻き、純粋に崇高な精神で
東洋にまで布教に努めた聖職者はごく一握りでしょう。
そして、歴史というのは今の価値観で判断すべきではないことも
私たちは意識しておかねばならないと感じています。
ありがとうございました。
よっちんさまへ (全雄)
2023-01-11 08:29:00
早速のご返信恐れ入ります。朝から深刻なコメント失礼しました。大事なことは今現在も私たちは現代史を生きている生き証人であるということですね。高校の世界史の先生が盛んにそう言っていたのを今も重く受け留めて生きています。今も静かにわからないように巧妙に侵攻され続けているようにも感じています。

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