住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

理趣経要旨

2021年06月01日 19時38分19秒 | やさしい理趣経の話
理趣経要旨


 
初段  大楽(大きな欲)の法門 金剛薩埵が教えの全体像を説く

◯如是我聞 あるとき 大毘盧遮那如来(大日如来)が欲界最上部の他化自在天にて 
 八十倶胝の菩薩衆  金剛手  観自在    虚空蔵  金剛拳 
           文殊師利 纔発心転法輪 虚空庫  摧一切魔の八菩薩に
◯(理趣経の眼目) 一切法の清浄の句の法門を説く(現象世界に存在するすべてのものが本質として清浄である)
◯十七清浄句 これら十七の清浄句は菩薩の境地である
                                    
①妙適は、男女の快楽を指すが、「妙適清淨」となると、自と他の分け隔て無い自他不二平等ということ
②欲箭は、その快楽を得んとする欲望の起こることを指すが、「欲箭清淨」となると、永劫不滅の清浄の境地を得んとする欲を起こすこと
③触は、この欲により抱擁することであるが、「触清浄」とは、欲箭を本として正しく大楽の実相に触れること
④愛縛は、触によって離れがたい心を生ずることであるが、「愛縛清浄」とは、大楽の実相を一切の者に与え、一切衆生を愛護する心のこと
⑤一切自在主とは、すべてを征服した気になることだが、「一切自在主清浄」とは、自他の分別なく衆生を利益せんが為に活動すること
⑥見とは、欲望を起こして一切を見ることであるが、「見清浄」とは、正しくその大安楽の実相を開見すること
⑦適悦とは、蝕の抱擁による喜びのことであるが、「適悦清浄」とは、大楽の実相に触れて安楽を得ること
⑧愛とは、愛縛によりいつまでも忘れ得ぬ情を生じることであるが、「愛清浄」とは、衆生を悉く悟らせんとの心を生ずること
⑨慢とは、一切自在なりとの心より生ずるものであるが、「慢清浄」とは、縁無き衆生強者をも救わんとの大自信のこと
⑩荘厳とは、見を本として自ら美しく飾ることであるが、「荘厳清浄」とは、大楽の実相を開見して自ずから荘厳を得ること
⑪意滋澤とは、抱擁の適悦により心に満足を得ることであるが、「意滋澤清浄」とは、実相を開見した大安楽から心に満足を得ること
⑫光明とは、渇愛から前途に光を認めることであるが、「光明清浄」とは、実相に触れて天眼等の五眼を得ること
⑬身楽とは、慢によって全ての畏怖を忘れることであるが、「身楽清浄」とは、五眼を本に仏の三十二相を得ること
⑭色とは、自身を荘厳する本となるものではあるが、「色清浄」とは、仏の姿を示現すること
⑮声とは、抱擁の適悦を語るものであるが、「声清浄」とは、一切衆生が仏の教えを聞くにいたること
⑯香とは、愛の光明により清涼を得ることであるが、「香清浄」とは、この説法をきくことによりそれを信ずること
⑰味とは、それを体験することであるが、「味清浄」とは、かくして本尊と合一して一味となれること

◯般若理趣を聞く功徳 四種の障り(悟りに至るのを邪魔する障り、貪瞋癡、正法を受持できない妨げ、自らの行為による妨げ)などを積み重ねても地獄に堕せず
◯受持して日々読誦作意思惟する功徳 自己と宇宙の真理、絶対者が一つとの悟りを得て、金剛界四仏の悟りを身につけ、大日如来となる
◯金剛手菩薩(金剛薩埵)が金剛のように壊れることなき悟りの真髄を説いた フーン


第二段 証悟の法門 大日如来が総論を具体的に説く

◯大日如来(修生始覚の大日如来)が、一切如来の現等覚、つまり本当に完全な悟りとはいかなるものかを説く

①金剛平等(大円鏡智・阿閦如来の智慧)の悟りは、絶対に壊れない永遠の歪みないものであり、衆生にも金剛の如く堅固な永遠の智慧をもたらす。完璧で永遠なる時間を生きる 
②義平等(平等性智・宝生如来の智慧)の悟りは、二つとない値打ち、利益あるものであり、衆生もかけがえのない価値、値打ちがある。すべてのものに、とうとい価値を見いだす
③法平等(妙観察智・阿弥陀如来の智慧)の悟りは、一切のものの有り様を観察すれば、本性清浄であり、衆生も汚れた世に生きてはいても本性は清浄である。よく観てその清らかな性質、 価値に気づく
④一切業平等(成所作智・不空成就如来の智慧)の悟りは、一切の働きにおいて区別対立のないものである。衆生の活動も含め相互に関連し影響していく働きにより、すべてのことは成立している

◯この四出生の法を聞き読誦し受持する功徳として、無量の重罪を犯しても一切の悪趣を超えて、速やかに無上の悟りを得られる
◯大日如来が本性として仏も衆生も絶対の世界も平等、本来一つという真言を説いた アーハ

<◎第三段から第六段は、金剛界四仏の悟りの境地を説く>

第三段 降伏の法門 釈尊が大日如来となり阿閦如来の悟りの境地(怒りとは何か)を説く(聞き手は金剛手菩薩)

◯完全な悟りを得るためには貪瞋癡をなくすのではなく、それらを起こす分別、対立、こだわりをなくすことが求められる。それが無戯論という見方であり、ものを差別して対立的に見るのではなく、自分という中心を離れ、自と他、自分と自然という対立を超えて全体として物事を捉えていくことによって、絶対に壊れない永遠なる智慧が得られる。
◯怒りとは、自分にこそ向けられるべきであり、本来あるべき怒りとは自他の分別を超越した、世の中の不幸や社会の不正に対し憤り怒ること

①「欲無戯論性」とは、欲は、自分の小欲を満たすものでなく、本来自と他の分別、対立を超えて、一切の衆生を苦しみから救い悟らせんとする大きな欲とすべき
②「瞋無戯論性」とは、欲がこのようなものであるので、その欲から導かれる怒りもまた自分の感情に逆らい起こるのでなく、世の中の不正に対するような大きな怒りとすべき
③「痴無戯論性」とは、欲、怒りがこのようなものであるので、それらから発生する痴も自己の執着を離れて、衆生の為に働く叡智となる
④「一切法無戯論性」とは、貪瞋痴がこのようなものであるので、それらから発生するすべてのものも、般若の智慧も本来自他の対立を超えたものである

◯この般若理趣を聞き受持読誦する功徳として三界の一切の衆生を害しても地獄に堕ちない
◯金剛手菩薩が降三世の印を結び、微笑み怒り、忿怒をなすという意味の心真言を説いた フーンカラ

 
第四段 観照の法門 阿弥陀如来・観自在菩薩の悟りの境地(汚れた世の中で清らかさを保つにはどうするか)を説く(聞き手は金剛手菩薩)

◯現象世界の一切のものが自他の対立を超えて平等であると自在に観察する智慧の印を表す般若の教えを説く。世の中は自分自分という思いから貪瞋癡の三毒によって歪み汚れているけれども、その中でいかに世の中を観察し生きていくべきか。

①世間における欲も自他の対立を超えた見方で観察すれば、それは清らかなものであるとわかる。即ち、それから生する怒りも本来清らかなものである
②世間における貪瞋癡の垢、心の汚れも、自分というとらわれから解放されれば、それは清らかなものとわかる。即ち、それから生じる罪とがも清らかなものである
③世間におけるすべてのものは、各々誰それのものという範疇を超えた清らかな存在である。即ち、その中にある一切の衆生もみな本来清らかなものである
④世間におけるすべての智慧は、ありのままに物事を知見するならば、分別対立を超えた清らかなものであるとわかる。即ち、自分という意識を離れた般若の智慧も清らかなものである

◯欲も怒りも、それらから身に付く垢も罪も様々な思いも、自他を区別して自分を中心とした思いの中から生まれてくるものであり、その対立を離れて観るならば、泥の中に凜として咲く蓮の花が泥に汚されることないように、そこに清らかな心が、つまり一切の衆生を我が身と見る智慧が湧きだしているということ。
◯観自在菩薩が生きとし生けるものの様々なあり方を示す心真言を説いた フリーヒ


第五段 富の法門 宝生如来(一切三界主如来)の悟りの境地(三界の主となるにはどうしたらよいか)を説く(聞き手は虚空蔵菩薩)

◯四種の布施によって、三界にある全てのものを宝にかえる智慧、この世、宇宙全体は仏の灌頂智という宝の蔵であるということを教える智慧を説く。一切のものの中に価値を再認識し、世の中の人の持っている特徴、持ち味、よいところの価値を見つけ出し導く。

①「灌頂施」とは、頭頂に法水を頂く儀礼によって、宇宙大の広い自由な世界を発見する目を開くこと、つまりすべてのものに価値を見いだしていく心の目を開く布施
②「義利施」とは、灌頂施によって身についた財や福徳を器量高徳の修行者などに施すこと。それによって心が満たされ願いが叶えられるようになる
③「法施」とは、読経や講説など精神的施しのこと、この世の真理の教えを広く施すこと。それによって全てのことが好ましい方向に収束されていく
④「資生施」とは、生を助けること。衣食住など生活に必要なものを施してあげること。それによって身口意の行いがもとより安楽となる

◯一切三界主如来が形を変えた虚空蔵菩薩(はてしない財産が次々に出てくる蔵との意)が、無限の財産である人々のもつ価値に目覚めよと、一切の灌頂を与えて悟りに至らせるような無限の宝の心真言を説いた トラーム


第六段 実働の法門 不空成就如来(一切如来智印如来)の悟りの境地(働くとはどうあるべきか)を説く(聞き手は金剛拳菩薩)

◯一切如来の三密(身語意)の活動を観察し、如来の加持をもって四印(大印・法印・三摩耶印・羯磨印)を観想して、社会に実際に働きかける姿について身と語と意の三密が一体となる働きを示す。

①「一切如来の身印」とは、自分という思いを離れて、世のため人のために働くこと。それがそのまま一切如来の体となる
②「一切如来の語印」とは、自分を忘れて仏の教えを説いて異端邪説を退けて正しい道に導くことで、一切如来の法を得る
③「一切如来の心印」とは、悪業をなす衆生をも大悲心により叱りつけてでも救済することによって、一切如来の悟りを得る
④「一切如来の金剛印」とは、身語意の働きが一体となり自在に活動する仏の働きによって、人々を救う活動が成就する

◯自分のためではなく世のため人のために一心に働くことが本来の活動のあり方意味であり、そうすることで自分の身語意による行為が仏がやらせてくれたものと気づき、この上ない悟りを身につけられる。
◯金剛拳が三摩耶の印を結び、悟りの自身の真実なる心真言を説いた アーハ

<◎第七段から第十段は金剛界四仏の悟りに至る方法について説く>

第七段 転字輪の法門 文殊師利菩薩(一切無戯論如来)の境地(執着を乗り越えるために現象世界をどう見るべきか)を説く

◯人間の計らい、分別はすべて本来的なものではなく、自と他の区別など対立のある世界はすべて仮のものであり、戯論といい、それをなくすためにア(否定の意)字を転じて現象世界のすべてのものを打ち消して真理に近づいていくことを説く。

①すべての現象は因縁により生じ滅するので、そのものの性なきものなので空と否定する
②すべての現象は空なので、当然その形(相)も仮のものに過ぎないので無相と否定する
③すべての現象は空であり無相なので、人の願い求めに応じたものではないので無願と否定する
④空無相無願と執着を払ったところに清浄なる智慧によりすべての現象に光明がある

◯転字輪とは、すべてのものにア字を当てはめ、この世のすべてのもののあらわれも、すべての如来の権威に象徴される一切如来の権威までも断ち切って、すべてのとらわれから解放される究極の姿を説く。
◯文殊師利菩薩が般若波羅蜜多の最勝の真髄である心真言を説いた アン


第八段 入大輪の法門 纔発心転法輪菩薩(一切如来入大輪如来)の境地(真理の世界に入っていくにはどうあるべきか)を説く

◯入大輪とは、金剛界の大曼荼羅に入ること。四つの平等が説かれるが、平等とは、等しいとの意ではなく、自分と仏が本質的には違わないということで、本来一つであるということ。

①金剛平等とは、ダイヤモンドのように壊れない永遠性という点で、自分も仏も本質的に違いないということ、そう観想することによって一切如来の曼荼羅に入る
②義平等とは、特質、特徴、持ち味という点で、自分も仏も本質的に違いないということ、そう観想することによって大菩薩の曼荼羅に入る
③一切法平等とは、一切の法・教えを有するという点で、本質的に自分と仏と一つであるということ、そう観想することによって妙なる曼荼羅に入る
④一切業平等とは、業つまり働き・活動が自分も仏も本質的に違いないということ、そう観想することによって一切の働きを表す曼荼羅に入る

◯纔発心転法輪菩薩が金剛の輪を転じて一切金剛の壊れることのない悟りの心真言を説いた フーン


第九段 供養の法門 虚空庫菩薩(一切如来種種供養藏広大儀式如来)の境地(本当の供養とはどういうことか)を説く

◯種々様々に供養する広大かぎりない数の儀式を執り行う如来が行為をもってなされる供養について教えを説く。
◯花や灯明香といった物の供養の先に、自ら教えを学び他を救い上に引き上げていくことこそが仏様方への最高の供養であることを説く。

①悟りを求めようとする心、何かしてあげようとする心、菩提心を起こすこと
②一切の衆生を救済すること、苦しむ人と一緒になって引き揚げていこうとする心を起こす
③この理趣経の精神を自分のものにし、受持すること
④般若波羅蜜の智慧を保持して読誦し書写し他に伝え思索し、他のために身体を動かして実践する

◯虚空庫菩薩が一切の活動が空しからず完成する一切の金剛のように壊れることのない悟りの真髄である心真言を説いた オーン


第十段 忿怒の法門 摧一切魔菩薩(能調持智拳如来)の境地(難化を調伏する智慧)を説く

◯どうしても言うことを聞かない者を仏道に引き入れるにはどうしたらよいかを説く。能く調し智拳を持したまえる如来とは、智拳印ではなく、知恵の拳印で牙の印をもち、牙をむき出す怒りの形相で相手を驚かし、よく調え伏せさせる如来との意。

①一切有情の平等とは、すべての衆生は本質的に仏と平等であり異ならないとのことで、それゆえに怒りもいかなる生き物にも差別なく平等である
②一切有情の調伏とは、すべての衆生は調伏(教化)されねばならないとのことで、それゆえに怒りもいかなる生き物にとり教化となる
③一切有情の法性とは、すべての衆生は本来真理そのものにより生じたるものであるとのことで、それゆえに怒りも真理真実に基づいたものとなる
④一切有情の金剛性とは、すべての衆生はダイヤモンドのように不壊の永遠性を持つものであるとのことで、それゆえに怒りも永遠性を持つものとなる

◯調伏の智蔵とは、力で仏道に引き入れることで、その際の忿怒はどうあるべきかということ。怒りは生きとし生けるものを制御して本来ある仏性に気づかせ悟りに向かわせるためにこそある。
◯摧一切魔菩薩が一切如来を恐怖せしめ、それから忿怒大笑の心真言を説いた ハッハ
           

第十一段 普集の法門 普賢菩薩(一切平等建立如来)の境地(真理の世界と世俗の世界を統合する智慧)を説く

◯この世に存在する自分も仏も自然界もありとあらゆるものが平等で同体であると、つまり一切のものが平等であるという境地に住している如来という名を持つ普賢菩薩が説法する。

①一切平等性、一切衆生は金剛のごとき不壊の菩提心があるゆえに同体なので、般若の智慧も同体であるとわかる
②一切義理性、一切衆生は功徳あり無限の価値を具えているので、般若の悟りも無限の価値を具えているとわかる
③一切法性、一切衆生は本来その本性は清浄であるので、般若の智慧も本性清浄であるとわかる
④一切事業性、一切衆生は身口意を用いて互いに働き仏に供養を捧げているので、般若の智慧も無限の供養をしているとわかる

◯①平等性は第三段第七段の境地、②義理性は第四段第八段の境地、③法性は第五弾第九段の境地、④事業性は第六段第十段の境地を総括した内容となっている。
◯金剛手菩薩はあらゆる如来と菩薩の集まった曼荼羅に如来の加持を得た悟りの境地にいり一切空しからざる完全に完成する悟りの心真言を説いた フーン


第十二段 有情加持の法門 大日如来が一切有情に加持をなす教え(私たちが仏であるというのはどういうことか)を説く

◯一切の生きとし生けるものに加持をなすとは、凡夫と思っていた自己が仏に他ならないと気づかせること。

①一切衆生には普賢菩薩(一切衆生を救おうという心)が遍く存在しすべてのものを救おうとして、そのまま仏の宇宙の中に住しているので如来蔵である
②一切衆生は無限の価値に目覚めるという切っ掛けを得ることにより、宝の蔵を皆自分自身の中に持っている
③一切衆生はもともと真実なる言葉を語っているので、妙法を語る宝の蔵を持っている
④一切衆生はもともと現実世界で仏の働きをしているので、無限の仏の働きの蔵を持っている

◯曼荼羅の一番外側のインドの神々がこの教えを明らかに聞いて歓喜して金剛自在の真実の心真言を説いた トリー


第十三段 諸母天の法門 七母女天の教えを説く

◯炎魔天母、毘紐天母、帝釈天母、倶吠羅天母、梵天母などの七人の有名なインド神の后が登場して、仏の足を頂礼して、仏教の道に入らない者を鈎で引っかけて中に連れてきて、仏教徒にして、煩悩を殺し、立派な人格に育て上げるという悟りの真実の真言を献じた ビョー


第十四段 三兄弟の法門 三兄弟の教え

◯梵天(ブラフマン)大自在天(シヴァ)那羅延天(ヴィシュヌ)というインドの最高神らが同じように仏教の信者になって、御足を頂礼して自己の心真言を献じた スワー


第十五段 四姉妹の法門 四姉妹の教え

◯大自在天の眷属で、ジャヤー、ヴィジャヤー、アジター、アパラージターという女神も自己の心真言を献じた ハン


第十六段 各具の法門 大日如来(無量無辺究竟如来)がこの世界のありよう(自と他の無限の重なり合い)を説く

〇世の中は帝釈天の帝網のように自分と現実世界のすべてのものとが相互に関係している広大な曼荼羅世界の教えを説く

①真実を見通すならば般若の智慧の世界は時空を超えて無量であるので、仏と衆生を含めた一切如来も無量である
②真実を見通すならば般若の智慧の世界は時空を超えて無辺であるので、仏と衆生を含めた一切如来は無辺である
③真実を見通すならば現実世界のすべてのものは本来清浄という同一の性質であるので、般若の智慧の世界も清浄な性質を持つ
④真実を見通すならば現実世界のすべてのものは自利利他を円満した究極の活動を達成しているので、般若の智慧の世界も永遠に活動をし続けている

〇この教えを聞き読誦思惟すれば仏菩薩の行において究竟を得るとあり、悟りを通り越して、世の中に還元する、つまり自分の利益を他のために振り分け、他の利益を受けつつ、仏と自分と他者が平等である、同体である、一つの絶対のものであるという境地を得るということ。


第十七段 深秘の法門 金剛薩埵の教えをまとめて説く

〇毘盧遮那如来のあらゆる現象界の中の秘密である真理を手に入れた、分別と対立の見方を捨てた如来(大日如来)が教主となり、最高の初中後のない、永遠の真理の絶対の安楽で、不壊の絶対の悟りの真理を表す般若の教えを説く。

①欲を捨てるのではなく大きな欲にすることで、絶対的な楽しみ、永遠に続く楽しみ、つまり自分を捨てて人のために尽くす大楽を得られる
②大楽を完成させることで、一切如来の絶対の悟りが得られる
③一切如来の絶対の悟りが得られると、水難火難といった災難、病気やもめ事として襲いかかる魔を砕くと同時に自らの心の魔、つまり貪瞋痴の煩悩も除かれ、現世利益と精神的な幸福 を得られる
④大力の魔を砕くと、欲の世界・欲を超えた世界・禅定の世界においても全くの自由を得られるということ。自分のおもむくまま、必要な物が手に入り、心も常に満たされた状態となる
⑤そうして悟りの世界にとどまることなく、生死の世界であるこの世にあって、生けるものたちを救い利益し安楽を与えるために精進することが究極の理想とする姿である

百字の偈

第一偈 すぐれた智慧ある菩薩は、死ぬまで多くの生き物たちの利益のために活動し、悟りの世界に行かない
第二偈 悟りの智慧と現実世界への働きかけによって、その一体となった知恵の働きによって加持を受けて、一切の生き物たちを清らかにする
第三偈 大欲などによって世間の人々を浄めていき、地獄から天の最上部までの全ての生きとし生けるものたちを正しい方向に連れて行く
第四偈 泥沼に咲く蓮が泥に染まることがないように欲も本来清らかなものであって、染まることなく大衆を利益する
第五偈 我のない大欲は本来清浄であって、絶対の安楽であり、豊かであり、あらゆる世界で自在になって大きな利益をなすことができる

〇この五偈が理趣経の曼荼羅五秘密尊のそれぞれの悟りを表し、理趣経の最高の理想像。
〇毎日朝夕にお唱えし聞くならば、一切の安楽、心の平安、そして最高の理趣経の悟りさえ得て、現実世界で一切法の自在の悦楽を得て、金剛界四如来の悟りを身につけ、金剛手の位を 獲得する フーン


流通分(るずうぶん)

〇一切の如来や菩薩たちが集まり、この理趣経の法を成し遂げるために説き手の中心にあった金剛薩埵を称賛する。
 
〇善哉善哉 サードゥーサードゥーと、大菩薩たち、大安楽、大乗の教え、偉大な智慧を善きかな善きかなと褒め称え、よくこの理趣経の教えを演説し、このお経に仏の力を加えになられた。
〇この最勝の教えを持する者はどんな悪魔も打ち砕き、仏菩薩の最高の位を得て、永遠に諸々の悟りを得ることができる。
〇そして、一切の如来菩薩は今まで説いてきた非常にすぐれた説を説き終わり、理趣経を持する者みんなに悟りのきっかけを与えようとすると、皆喜んでそれを受け入れ大いに喜んだ。


合殺(かっさつ)

ひろしゃだふ ヴァイローチャナーブッダ 
〇これは大日如来の念仏


回向(えこう)

我らが為した般若理趣の悟りの功徳を最上の悟りに回向します
仏よ、我らをあわれみ、仏の誓願の中に取り込み、行いのさわりを消し除いて、大楽の悟りを得せしめ給え
この功徳によって諸天神祇もその威光を増し、当所鎮守権現も法楽を増し、高祖大師も法楽を増し給わんことを
一切の諸聖霊も仏道を成ぜんことを 天皇の御代が安穏にしてその聖寿を増し、四海天下平和にして正法興隆し
教法を継承する弟子を護持して不詳を除き、罪障を滅し善功徳を生ぜしめ仏道を成し遂げんが大願を成ぜんことを
悟りへの修行とその願いを捨てることなく、三界の衆生を引導して仏の世界に進め、皆悉く一つであるが故に大日の阿字の世界に入らしめん
                                          以上理趣経大意

                         参考文献 中公文庫・理趣経・松長有慶著
                          大法輪閣・理趣経講讃・松長有慶著

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