住職のひとりごと

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癒やされない悲しみに

2023年03月12日 18時07分00秒 | 仏教に関する様々なお話


癒やされない悲しみに

               

知り合いの息子さんが若くして亡くなられました。

ガンで二年ほど入退院を繰り返された後に手厚い看護にもかかわらず亡くなってしまったのです。親御さんの気持ちを思えばいたたまれない悲しみに包まれていることが推察されます。自分の産んだ息子、たよりにしていた息子が亡くなった、言いようのない喪失感は癒やしようのないものであろうかと思います。

若くして結婚して、お蔭でお子さんたちがみな立派に成人された後だったことは幸いではありましたが、やはり、闘病生活にもいろいろと気遣いが必要だったようですし、亡くなって葬儀を行い、さらにその後の中陰開けまでも、いろいろと気苦労を重ねられ、老親二人は疲れ果ててしまったようでした。

たびたび老夫婦は訪ねてこられてはいろいろな話をして帰られます。既にひと月、ふた月たつのですが、未だになぜ死んだのか、どうして私たちより先に亡くなってしまったのか、心の整理がつかないのも無理は無いことであると思います。

誰しもがそのような立場に遭遇すれば、何か自分を責めてみたり、小さな頃からの記憶をたよりに様々な場面での一コマ一コマのやりとりに間違いはなかったのかと思いが募り、悪い方向にと心が迷い出すこともありがちでしょう。みんな自分たちが悪かったのかと、いたたまれない思いに心沈むこともあるかもしれません。

身近な人が亡くなると、私たちは、どうしても、私の息子が、私の母が亡くなったと考えてしまいます。自分との関係の中にあるその人が亡くなったとしか捉えられなくなってしまうのです。ですから、自分が悲しく、失われたことにしか目が行かなくなる。しかし、一人の人、一人の人生が終わった、完結したのだと、一度見方を変えて、無理にでもそう思ってみてはいかがであろうかと思います。

この世に自分たちを縁として生まれてきた一人の人が、いろいろな経験、人生を歩み、様々な楽しみ、喜び、しあわせ、ときに悲しみや寂しさを経験して、立派にこの度の人生を閉じた。たとえ短い人生であったとしても、その人にとっての定めとして、寿命は皆違うのだと考えて、その人なりの、その人にとっての精一杯の人生を生きられたのだと思ってあげて欲しいと思うのです。

なぜなら、一番悲しく切ないのは亡くなられて、沢山の人たちと一度に別れていかざるを得ない本人、その人なのですから。

「独来独去(どくらいどつこ)」という言葉があります。以前國分寺の客間にその書額が掛けられていたことがあります。「浄土三部経」の一つ『大無量寿経』にある言葉です。

そこには、「富有なれど慳惜(けんじやく)し、肯(あ)えて施与せず。宝を愛して貪ること重く、心労し身苦しむ。是の如くして竟(おわ)りに至れば、恃怙(じこ)とする所無し。独り来たり独り去りて、一も随う者無し。」とあります。慳惜とは、ものおしみする心。恃怙とは、頼むことです。

お金持ちだけれど、もの惜しみが強く、あえて他の人に施与せず、財宝を愛して貪る心が強いと、かえって自分自身で心労が重なり苦しむ。このようにして一生を過ごせば、死に臨んでも頼りにするもの何一つなく、独り来たり独り去りて、一つも随う者はない。

しかし、所詮、どのような境遇にあったとしても、独りで生まれ来て、独り老い病み、独りで死に去っていかねばなりません。名誉も、財宝も、親も子も伴侶も一緒に連れて行くことは出来ません。

みんなそれぞれに自分自身の人生を生きています。亡くなられた息子さんも、様々な業を背負い、様々な才能、性質、好き嫌いのもとに自分だけの尊い命を懸命に生きてきたのです。

残された人たちには、よく頑張ったね、立派に生きたね、いい人生だったね、ありがとうという気持ちで、そして、次に縁あって生まれ変わっていく世界では、どうか思う存分に生きて下さい。そして、もう少しゆっくりお過ごし下さいと、そう思い願ってあげて欲しいと思います。

悲しみ、悔いて、何で死んでしまったのかといつまでも嘆いていては、亡くなった人には酷なことに思えます。送る側が暗い心で見送っては送られる側でも後ろめたい、何か悪いことをしてしまったような気持ちにとらわれてしまうかもしれません。

難しいこととは思うのですが、無理にでも自分から切り離して、一人の人生の新たな旅立ちとしてとらえて、明るい心で送りだしてあげて欲しいと思うのです。



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