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バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

大和 完結2

2008-08-06 08:16:18 | ツーリング
「日本の歴史は室町時代や江戸時代とかはよく勉強するのに
明治以降の近代史ってあまり勉強しませんよねぇ」
そんな事から話を始めた解説員の女性の方は
(実は自分もそう思っていたので話しにひきつけられ)
「日本の近代史はまさに呉の歴史そのものなんです」と話を続けた。

植民地化で勢力を拡大していた欧米諸国は最後の未開の地日本を手に入れようと
黒舟ペリー来航など圧力をかけてくる。
日本政府も海外に対抗するには海軍力が必要と横須賀・舞鶴・佐世保に鎮守府を置き
その統括として呉が選ばれたのである。
何もなかった半農半漁の村は一夜にして日本の重化学工業の中心の街となり
40万人もの人間が住む町と変貌していったのである。
その最大の産物が“戦艦大和”なのである。
大和は当時の日本の時代背景から産まれるにして産まれた産物だったのです。
ここで解説員はおもしろい説明をする。
「大和って世界の三大無用の長物なんですよ」
三大無用の長物とは万里の長城・クフ王のピラミッド・そしてこの大和らしい。
確かにあれだけのお金と労力をかけて昭和16年12月に竣工して
それ程の戦果も残せず20年4月には撃沈しているのだから。

そして日本は敗戦を迎える。
壁に呉から見た原爆のキノコ雲の写真が印象的だった。

焼け野原になった日本には何もなかったが
大和製造の為に集められた技術は残っていた。
戦後、軍需工場は民間に払い下げ再び活気が戻ってきたのである。
今となっては当たり前となっている
大型船のブロック製造、推進力を確保する球状艦首(バルバス・バウ)
照明技術はカメラ製造に大砲の回転構造はビルの上の回転展望台に応用されている。
確かに大和自体は無用だったかもしれない。
でもその技術は戦後の日本の高度成長を支える技術となって生きていたのでした。

展示物を見るだけでは気がつかない事でした。
カッコいい物だけに目が行ってしまうので。
でも時代背景と共に解説してもらうと
大和はかっこいいとしか見えてなかった物が違う物に見えてきました。
きっとこの女性の解説員さんは普通の女性から見た解説をしてくれたのでしょう。
実はここには書ききれない庶民じみた話がたくさんあったのです。

大和の表面しか見てなかった、そう気づかしてもらいました。
予定の1時間をかなりオーバーしてツアーは終了しました。
「おばちゃんなんで要らん話ばかりしてごめんね」
最後にそう挨拶されましたが、いえいえ、とても楽しかったですよ。
ホントの歴史は庶民の生活の中にある、そう思った。

奇しくも今日8月6日8時16分は広島に原子爆弾が投下された日である。