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バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

紀伊半島ツーレポ

2008-08-27 09:40:34 | 思い出
今回はちょっと懐かしい南紀を訪ねた時のツーレポをアップします。
当時、熊野古道が世界遺産に認定された頃で
これを機会に日本の世界遺産を巡るようになりました。
もう4年くらい前の話になります。
今読み返すととても恥ずかしいツーレポですね。(^^ゞ

秋に仲間がここを訪れます。楽しんできてくださいね。

紀伊半島ツーレポ

記憶に残る

2007-09-04 09:41:30 | 思い出
ここはご存知、南紀和歌山の橋杭岩です。
3年前、熊野古道が世界遺産に登録された時に訪れました。
鬼が一夜にして造ったと言われる橋桁は
一直線に海へ向かい見事な景観をしています。

実はこの時は3人で訪れたのですが
いつものヤツを置いて先にフェリーで出発したのですが
何を血迷ったのか125ccで夜通し下道を700km程走り
先行するBM2台を追っかけてきたのでした。
本当に呆れる程のバイク馬鹿です。

でも記憶に残るって事は
どんなに美しい景色やどんなに美味しい食事よりも
そんな馬鹿げた自慢ばかりが多いはず。
そんなちょっと鼻がとんがったバイク乗りが私は好きです。

そしてヤツの武勇伝に1ページを刻んだツーリングでした。

時は流れて… 2

2007-04-12 09:51:16 | 思い出
朝、出航する船のエンジン音で目が覚めた。
さすが漁師の町、まだ真っ暗なのに朝が早い。
やはり漁師町の朝食を頂き宿を後にする。

以前有料道路だった丹後路で右手に海を見ながら走る。
冬の日本海は荒れたイメージがあるがその日は穏やかだった。
城崎温泉で外湯めぐりをして先に進む。

そして目の前に赤い鉄橋が目に入ってくる。
それは空を見上げるように高いが
細い鉄骨で組まれた頼りなさげな大きな鉄橋であった。
それがあの“余部鉄橋”のイメージでした。

鉄チャンだった私はここがかって米子機関区所属のD51の
有名な撮影地であった事は知っていましたが
私がここまでこれるようになる前にD51は去ってしまっていました。
もうD51は走ってきませんがオレンジ色のディーゼルカーが走り去ります。

そしてその8年前の強風の日
鉄橋の下にあったカニの加工場で悲劇はおきたのでした。

その赤い鉄橋もこの春コンクリート製の橋に掛け換わるらしい。
名残惜しむ人たちが大勢押し寄せる光景がTVで流れていた。

このツーリングからもう12年。
いろいろあったが何とかここまでやってきた。
時が流れれば生き方や考え方も変わる。
変わらないものはただ去り行くだけだ。

あの赤い鉄橋、もう見ることはできない。

時は流れて… 1

2007-04-11 12:58:08 | 思い出
'95.1.10 その日、私は神戸六甲山にいた。
フェリーから降りてすぐに上がってきたので
街はまだ朝靄の中に包まれていて
しばらく展望台で街を眺めた後
裏六甲から日本海を目指す。
その後同じ街の姿は見る事が出来なくなった。
そう、それはあの阪神淡路大震災の1週間前の事でした。

ちょうどその頃、私はいろいろ迷っていた。
やる事、やる事、うまくいかない…。
半ばヤケクソになって、現実逃避といった方が正解のツーリングだった。
そんな旅の目的地は丹後半島の伊根の船宿。
京都というと琵琶湖近くと思いがちだが
京都府は意外と細長く北は丹後半島で日本海に面している。
むしろ歴史的建造物が集まっている場所の方が端っこなのだ。

そんな京都府伊根の船宿
陸地から海に突き出した家の1階部分は船が入れられる倉庫の様になっており
2階部分が自宅になっている漁師の家だ。
そんな船宿が穏やかな湾に面してずっと並んでいる事を
湾の反対側の岸から防波堤に腰をおろして確認する。
老人の町だ…。
他には数匹の猫。

泊まる場所を決めてなかったが
その中の1件に泊まる事ができた。
主人が宿帳を持ってきたので
職業の所に自営業と書いた。
「ほぉ、じゃあ今日はお休みですか?自由な時間があっていいですね」
っと話しかけてくる。
もちろん悪気があって言っている事では無い事くらいは解ってる。
でもホントは自営業じゃなくて無職って書きたいくらいの気持ちなんだ。

今日の泊まりは私以外に1組。
仕切りが障子なので隣の様子がすぐわかる。
地魚の夕食にお酒をつけたが
ひとりの食事はあっという間に終わってしまった。

部屋にはTVがない。
する事も無いので早めに布団に入るが
もちろん寝れるはずも無い。
若者もいる訳でもないし車もほとんど通らない。
静かな夜…。
オレって何やってんだか…。

耳元に下から船にあたる波の音だけが聞こえていた。






あと20km… 4

2007-03-19 08:26:50 | 思い出
もう昼を過ぎているのにまだ350km
ここで戻ると700kmにしかならない。
ならばこの瀬戸内側から日本海側へ向かおう。
福山から中国山地を超え、水木茂の故郷境港に向かう。

その道は良く整備された国道で平均速度を大きく上げてくれたが
妖怪たちに会えたのは3時半を過ぎていました。
後400km以上…。

出発時に現在地を知らせる為自宅にTELを入れると
嫁さんが「もう帰ってこんでいい!」とあきれた様に一言。
帰着は深夜になるだろう。
PM4:00 境港を出発。

ちょうど帰宅ラッシュとかさなり狭い国道は大渋滞
横をすり抜けゴキブリ走行をするがまったく距離を稼げない。
陽はとっぷり暮れ
半クラの使いすぎで握力がない。
いくら楽チンなシートとはいえお尻も痛い。
真っ暗な国道は最後の難関だった。

真っ暗な国道にぼんやりと灯りがひとつ
引き寄せられる様にその前に止まった。
それはわずかな光に集まってくる虫たちに覆われた自動販売機だった。
一息つこうと思って小銭に手をやったが
その様相に嫌気がさした。
ならばその雑貨屋の中で買おうと思ったら
ちょうど中から老人が出てきてシャッターを閉めてしまった。
取り残された気持ちで傷心…。
この時点でつっぱてた気持ちが折れた。
地図を広げて近くのICを探した。

関門橋を渡ると帰ってきたなといつも思う。
オドメーターは980km、目標まであと20kmとなった。
ちょっと遠回りをして帰ればルール違反ではあるが達成する事はできるだろう。
でももうそんなことはどうでもよかった。
1000km走る意義なんて自己満足以外のなんでもないことがわかったから。
やっぱり行きたい所に行くことがツーリング
それが私のスタイルなんだと思った。

PM11:00 あと1時間と20km残して自宅に無事到着。