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バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

天孫降臨の地 霧島神宮

2014-11-05 10:36:58 | 古事記
熊本・鹿児島・宮崎に跨る様に広がる霧島は標高1700mもある韓国岳を中心に
活火山の新燃岳が噴火して大災害を出したのも記憶に新しい。
そんなに高い山では無い様な気がしたが、阿蘇の最高峰よりも更に100mも高いらしい。
九州自動車道で人吉から長いトンネルを抜けると黄金色の田畑を従えるように
正面に見える霧島連山は天候は良いにもかかわらず山頂は雲を従えていた。
天気予報ではここ数日は秋晴れに恵まれると言っていたがさすがに標高がある山で
その隙間から差し込む夕陽は自らここがあの場所だと言っている様であった。
明日の高千穂の峰までの登山を考え、その日は山頂近くの新燃荘に宿を予約し
ゆっくり白濁の温泉に漬かりながら秋の夜長の月の天体ショーを堪能する事ができた。

翌朝目を覚ますと雲はかなりのスピードで流れ、風は強く霧雨が降り続いていた。
天気予報を疑う事無くいたので雨具は用意して無かっただけでなく
折角高千穂の峰に登っても視界が開けなければ意味が無い。
早めに出発するつもりだったが
朝食後も必要以上に温泉に漬かり天候の回復を待つが思いは通じなく
ニニギノミコトはまだ来るのは早いとでも言っているのかなと思う程だった。
幸い雨具は持ってなかったが新しく購入したジャッケトは防水加工だったので
霧雨の中しかたなく出発するがGパンはビショビショで登山口に到着する事になった。
やはり雨は止む気配無く登山者の気配もないので今回はここで高千穂の峰への登山を諦めた。

オオクニヌシからの国譲りでサルタヒコやアメノウズメなどを従え
ニニギノミコトが高天原から葦立国へやって来る時
目指す場所を示したとか今後争いが無い世界を示す為に鉾を立てたと言われる天の逆鉾
その逆鉾を新婚旅行で抜いた坂本龍馬とおりょう
折れてしまった逆鉾の行方・・・
すべて確認できず。

すでにずぶ濡れではあったが少し下った霧島神宮だけは寄る事にする。
視界が悪いのとスリップしない様にゆっくり下ると次第に雨は小降りになり
霧島神宮に到着する頃は陽射しさえ差す様になっていた。
さすがは太陽神アマテラスオオミカミの孫である。



ニニギノミコトを主催とする霧島神宮は
朱色の社殿はカラフルは装飾で飾られており
木目を生かした純和風の伊勢や出雲とは一線を画している。
以前は登山口近くに社があったらしいが度重なる火山の噴火で現在の位置に再建したらしい。
平日にもかかわらずかなりの数の参拝者で
御朱印を頂く時に外国人が面白そうに覗き込んでいたので見せてあげる。
何を言っているのか解からないが通訳の方が説明するとうんうんと頷いていた。



今回は天孫降臨の地と天の逆鉾は確認できなかったのでまた次回という事で
古事記の旅はまだまだ続く…。


宗像三女神

2014-09-13 20:01:17 | 古事記


三女イチキシマヒメを祀る総社辺津宮(宗像大社)の祈願殿
尚、本殿は現在平成ノ大造営中でH26.12の完成予定である。
神宝殿では海の正倉院と言われる沖ノ島で発掘された銅鏡や金の指輪などの展示が行われている。



改修前の本殿とおみくじ



総社本殿奥に第二宮(沖津宮)・第三宮(中津宮)の分社があり
特に沖津宮は現在でも一般人は訪れる事も出来ないのでここでお祈りをする事が出来る。
伊勢で見た内宮の別宮である月読宮の社殿の造り
(小さい鳥居とそれ程大きくない拝殿と本殿を白石で取り囲む
唯一違うのは隣に遷宮の際の敷地が無いことか)
と似ているなぁと思ったら三女神の祖父母にあたる伊勢の
イザナギノミコトとイザナミノミコトの旧社殿をそのまま利用しているらしい。



総社辺津宮(宗像大社)御朱印



次女タギツヒメを祀る宗像大島中津宮



長女沖ノ島沖津宮を大島から望む沖津宮遥拝所
ここも沖ノ島は今も女人禁制で参拝できない人達の為にある。
ここから50Km先に沖ノ島があり天気が良ければ肉眼でも確認できる。



中津宮の御朱印 中津宮で遥拝所の御朱印も頂ける。



宗像大島の北岸
そしてここからタゴリヒメが馬に乗って沖ノ島へ駆けていった。



その時にできた馬蹄の跡

私が追い続ける事が出来るのはここまで
沖ノ島のついては総社(宗像大社)の神宝殿で見学する事にした。



沖ノ島

宗像三女神を追って

2014-09-12 21:02:31 | 古事記
福岡県民なら
受験のお祈りなら太宰府天満宮
商売繁盛のお祈りなら宮地岳神社
交通安全のお祈りなら宗像大社
でもなんで交通安全祈願なら宗像大社なのか知らなかった。
なんとなく車を買ったら宗像大社にお祓いに行くそんな感じだったのだ。
でもこの答えは伊勢神宮の古事記繋がりで解決する事になる。

イザナギノミコトから生まれた次男スサノオは我が母が亡くなったのを悲しみ
支配を任された海原を治めずに母のいる黄泉の国(死後の世界)に行きたいと嘆くので
父親のイザナギノミコトからも愛想をつかれる。
それでも母に会いたいスサノオは姉のアマテラスにその思いを告げようと
高天の原(天界)へ伺うがその事を知ったアマテラスは攻めてくると思い待ち構えている。
スサノオについてはまた改めて述べたいと思うが
母を思って泣きじゃくる幼い事もあれば高天の原でひどいいたずらをしたり
食を与えてくれたオオゲツヒメを勘違いから無残にも殺害
かと言ってヤマタノオロチに苦しむクシナダヒメを助けたり
その血筋にあたるのがオオクニヌシノミコトだったりする。
古事記の中では一番人間らしくもありよく解からない天真爛漫な性格ではあるが
彼を中心に古事記は回っているのは事実である。
話は戻すがスサノオはそんな事は無いと証明してみせるという。
自分の大事な剣を差し出しアマテラスは噛み砕いて噴出すと三人の女神が生まれてきて
女の子が生まれたのは自分が正しいからであると告げるのであった。(姉弟の誓約)

その三女神をスサノオは
玄界灘の沖ノ島の沖津宮にタゴリヒメを
宗像大島の中津宮にタギツヒメを
そして今の宗像大社の辺津宮にイチキシマヒメに
大陸や朝鮮半島からの交通の要所として歴代天皇を助け祭りを受けよと神勅されたのである。
そしてそれが交通安全の神の所以である。

これが古事記の要約であるが
これは大和朝廷が大陸文化吸収と航路確保の為の大義名分である。
事実現在の宗像大社から北西に向かうと海辺に神湊と言う港があり
そこから10km沖合いに宗像大島が更に50km沖合いに沖ノ島があり
その先150kmが韓国釜山を一直線に結ぶ事ができる。

遣唐使の時代まで栄えた航路ではあったがその後衰退し歴史から忘れ去れていたのだが
その沖ノ島が再び注目される事になる。
当時の8万点にも及ぶ国宝級出土品が発見され海の正倉院と言われる様になり
現在世界遺産候補になったのである。

実は沖ノ島は現在も一般人の立入りが禁止され
宗像大社の宮司だけが10日ごとの交代で祭事を行っているのである。
しかも島でのことは一切他言してはならずまた一木一草一石たりとも持ち出してはならず
その結果時代から人々の記憶から忘れ去れ当時のまま現在に至っているのである。

今回この三女神を追って宗像大島を訪ねてみる事にした。


私的古事記の旅 総集編

2014-09-04 08:38:17 | 古事記
この記事は随時更新していきます。2014.11.05現在

はじまりはいつもブーム

2013年伊勢神宮・出雲大社の遷宮から始まった古事記の旅
始めは単にブームに乗っただけだった。
学生時代にも日本史にはまったく興味なしで成績もおのずから…。
宗教的にも浄土真宗なるもっともポピュラー派に属しながら
ちゃんとクリスマスも楽しむ純平均的日本人といえる私である。
神様が日本国を創生し現在に至る天皇制など気にするはずもなかった。
それがあちこちのTVで特集を組み書店には遷宮を意識した書物が多く並んでいる。
もちろん多くの旅雑誌も伊勢と出雲ばかりで
縁を求める女性を意識した内容も多かったのを覚えている。

そう、私はただブームに乗ったのだ。

でもこれが面白かった。
今までバイクで旅して来た所が随所で出てきて繋がっていくのだ。
今まで何気なく訪れていた所が歴史の要だったのだ。
そしてこれはもう一度掘り下げて確認する必要があると思ったのだ。
ただ眺めていた景色が一変に歴史の大舞台へと変わり
私はもう一度その大舞台の一番特等席に腰を下ろして
当時繰り広げられた事実を目の前で鑑賞してみる事にしたのである。

そう、私の変な癖の確認の虫が疼いたのである。
ここからは私的にこの古事記という大舞台を観覧し
時には一人前の評論家として感じたことを記述しておこうと思う。

まずは“古事記”について
今更説明の必要は無いかもしれないがもう一度確認の為に読んで見られてはいかがだろうか。

日本の神話 古事記

まずはそのきっかけとなった伊勢神宮と出雲大社の遷宮の旅であった。
出雲大社はその距離からツーリングの目的地として
そしてただ単に縁結びの神として幸せになりたいという色恋で数度訪れた事があったが
伊勢神宮は距離的な事もあって初めての訪問であった。

遷宮してすぐに訳あって伊勢に行く事になりその帰りに伊勢神宮に行き
帰路で大幅な遠回りして出雲大社に行く事になる。

では、二礼・二拍手・一礼して始めます。

伊勢神宮はイザナギノミコトから生まれた太陽神アマテラスオオミカミを祭る内宮と
その太陽神の食事を受け持つトヨウケノオオカミを祭る外宮とある。
初めて行ってすぐに感じるが広大な敷地の静寂さと威厳
普通は宮司しかいない場合が多いが社務所を中心に神社本庁の職員の多い事
そして遷宮の為に必ず隣に用地がある事だ。
広大な敷地と森林は社の立替の木材を確保する為と
隣の用地は20年毎の遷宮の技術を伝える為という。
そうやってずっとつづいていた事である。

一方オオクニヌシノミコトを主とする出雲大社は
空高くそびえる大神殿だった事が解かってきた。
俗に言う国譲りの代償である。
大陸文化や技術を手に入れた出雲の地を恐れ
国は大和朝廷が祭事や縁は出雲がという権力抗争の所以である。

2013遷宮 伊勢神宮・出雲大社古事記の旅

最近では寺社で参拝するだけでなく
仏像鑑賞やパワースポット巡りなど別な楽しみも兼ねて訪れる方が多くなっています。
そんな寺社を訪ねる楽しみの一つとして注目されているのが’御朱印集め’です。

御朱印とは・・・「記念スタンプ」とは違い、寺社の職員や僧侶、神職、氏子などが押印する。
単に印を押すだけでなく、その下に墨書で寺社名や参拝日などが書かれ、
その墨書も含めて「朱印」と呼ばれる。
近年では寺社名や本尊の墨書せず寺社名や本尊の入った印章(スタンプ)を押す
あらかじめ書置きした別紙、墨書を複写した別紙を、渡されるもしくは貼り付けられる寺社もある。

起源には諸説あるが、元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったとする説が有力である。
そのため、朱印を「納経印」と呼ぶこともある。現在でも納経をしないと朱印がもらえない寺院が存在するが
、多くの寺社では少額の金銭(初穂料・御布施)を納めることで朱印がもらえるようになっている。

金額は多くの寺社で300円としているが、500円などそれ以上の額が提示されることもある。
また、「お気持ちをお納め下さい」として金額を明示しない場合もある。
この場合、「志納」という。
また、服装に輪袈裟や白衣姿などでないと応じない寺院、事前に電話等での連絡が必要な寺社もある。

朱印は印に寺社名が入っていることから、寺社で授与されるお札などと同等とされ、
粗末に扱うべきではないとされる。
実際、朱印帳を普段は神棚や仏壇に上げているという人も少なくない。


西国三十三所霊場詣や四国八十八箇所霊場詣、他にも寺社何ヶ所か合わせての七福神めぐりに代表される
霊場巡り等の場合には、専用の朱印帳や用紙、色紙、掛軸などが用意されていることもある。
四国八十八箇所詣などの霊場巡りでは、巡礼中に着ている白衣(びゃくえ)に御朱印をもらう場合もある。

朱印はひとつとは限らず複数扱う寺社もある、寺院によってはご詠歌や仏堂、仏像ごとに、
神社によっては摂末社や兼務神社の朱印をもらえることもある。

また、年中行事や秘仏の御開帳、特別公開期間などに合わせて特別な朱印にすることもあり、複
数の霊場を兼ねる寺社では霊場ごとに別の朱印が用意されていることもある。

日蓮宗の寺院では他宗派の朱印が書かれた朱印帳だとお題目を略されて、
「妙法」などとしか書かれない寺院もある。また、一般的には浄土真宗の寺院では参拝者に朱印を押印しない。

寺社以外には、天皇陵での御陵印や、史跡や城(松本城、鶴ヶ城)での集印をする人もいる。

スタンプ帳やメモ用紙などへの朱印を拒絶している寺社もある。
また、オリジナルの朱印帳を用意している寺社もありこれを収集する人もいる。

実ははじめて実際に頂いて参りました。
あなたも始めてみてはいかがですか?
旅の思い出にもなりますよ。

海の正倉院 世界遺産登録を目指して

次回ツー予告

天岩戸

高千穂の夜

高千穂の夜 あとがき

アマテラスとスサノオの誓約によって誕生した宗像三女神。
しかし誕生以外の事はほとんど記述は見受けられない。
沖ノ島での事は女性禁制だけでなく一切公言してはいけないし
草木や石ころひとつ持ち出してはいけないという厳格化した所だからなのか。

そこに見え隠れするのが地元の長ムナカタ氏と大和朝廷の存在である。
海洋民族として朝鮮半島から大陸への対馬海峡を行き来するムナカタ氏の存在は
国家統一を目指す大和朝廷にとっては最重要地点のひとつであった。

詳しくは海の道むなかた館

宗像三女神を追って

宗像三女神

天孫降臨の地 霧島神宮

次回ツー予告

2014-01-23 17:08:40 | 古事記


オマテラスオオミカミは一般的には女性の神様と言われている。
ところが男性と言われているイザナギノミコトが3兄弟の長女として生んだとなっていて
現実離れしたストーリー展開と無理やり正当化されたような話が古事記であるといえるが
天皇制の正当性と大和朝廷の政治的策略の上に成立しているので当然と言えば当然である。
そのストーリーの一部一部を子供たちにも解かる様にしたのが昔話に出てくる
因幡の白兎や浦島太郎・桃太郎などかもしれない。

しかし伝言ゲームと同じく伝え聞きくうちに自分たちの都合のいい様に話すのは当然の事。
話は時間が経つうちに誇張され美化され神格化して行く様になる。
恋仲だった相手を思う度に楽しかった事、嬉しかった事が思い出され
なぜだかそのイメージだけが頭に残ってしまう。
時が経てば経つほどその傾向は堅調になってゆき
だからアマテラスオオミカミは永遠に偉大なのだ。
彼女を超える神はもう現れる事はきっとない。
そして私の女神も神格化してしまうのだろうか。
記憶になる前に確認しなければ…。

アマテラスオオミカミの弟、スサノウも男だが3姉妹を誕生させる。
それぞれを朝鮮半島から九州に繋がる海のシルクロードに社を構えさ
それが福岡の宗像・大島・沖ノ島なのだ。
今、世界遺産に登録しようと自治体が推薦している。
3姉妹、きっと素敵な美女に違いない。
航路の安全を守る、っと言う事で交通安全の神として有名だ。
次回ここからライダーとして海を渡ってみようと思っている。

私的古事記の旅 総集編







2013遷宮 伊勢神宮・出雲大社古事記の旅

2013-12-29 11:10:13 | 古事記
古事記によると高天原に神が現れては消え、現れては消え
そしてイザナギノミコから日本の総氏神アマテラスオオミカミが生まれてから
始まったとされる日本という国。
古事記の内容がどうであれ神武天皇までの正当性が語られる。
その中心的20の倍数と60の倍数が重なった2013年
(伊勢)神宮と出雲大社に参拝する事ができた。

性格的には右でもなく左でもない至って安定中心主義だが
単純に敬う心は日本人なら誰で持つ自然な流れだと思っている。
なのであまり深い意味も持ち合わせていなかったが
子供の頃読んだ因幡の白兎はもちろんヤマタノオロチ
鶴の恩返しや浦島太郎、さらに進めば桃太郎などの匂いがプンプンする裏読みが楽しく
また大和朝廷の偉大な権力が見え隠れする点は興味津々で
もちろん素直に読んで理解できる程頭が良い訳ではないので
追加で参考物件にも目を通す事が多かった1年であった。
歴史にまったく興味がなかった私がオブラートに包まれた真実を見つける
ある意味推理小説を読むが如く楽しませてもらった1冊であった。
かごめかごめ程難解では無いにしろ、次の世代への伝承は昔から確実に行なわれてきている。

そしてその存在意義を理解し、そして確認する。
そう、昔からの困った私の癖である。


伊勢神宮 外宮


伊勢神宮 内宮


伊勢神宮 内宮


出雲大社


出雲大社


八百万の神々をお迎えする稲佐の浜

私的古事記の旅 総集編

高千穂の夜 あとがき

2013-11-27 11:06:54 | 古事記

高千穂は本当に山深い。
今は廃線となった高千穂鉄道の鉄橋の高さは日本一だったと聞く。
平地はほとんど無く、わずかな痩せた土地で蕎麦を育ててきた。
早朝国見岳から見る雲海に沈む町はそこに静かに静かにあり
日出と共に藍色からオレンジ色へと変えていく。
天孫降臨の地の高千穂の峰は鹿児島の霧島らしいが
ここに神々が舞い降りてもなんら不思議ではない
そう思えてくる場所だ。

弟のスサノオに手を焼いた姉アマテラスは天岩戸にお隠れになる。
闇の国と化した葦立つ国は不幸な事が続き悩まれた八百万の神々は一考を嵩じ
アメノウズメに舞を躍らせ外が騒がしい事を不思議に思って岩戸を少し開いた所を
タヂカラオが扉を開いて陽が戻ったという。

33の舞を踊ると半日かかる。
夕方、神をお連れして7時頃から舞が始まると
ちょうど天岩戸を開く舞が終わる頃
東の空はオレンジ色に輝いている。

高千穂神社の神楽殿では毎夜代表的な4つの舞が奉納されている。


しかし本来の神楽の伝承は初冬から始まる神楽宿と言われる
集落長の自宅や公民館で各地区の氏子が中心になって一晩中行なわれる舞に歴史を感じる。
神のお迎えから始まり憂い尊ぶ舞から男女の黍を面白おかしく表現したり
古事記由来の天岩戸の物語を舞い、最後に神様を送り雲といわれる白い切絵が降ろされ
33の舞がすべて終わる頃にはすでに8時をまわっていた。

私が訪れた押方地区は町の中心部から8kmくらい離れた所にあり
陽が暮れて国道さえ明かりが無くわかりづらい分岐点から更に山道を進んだ山間部にあった。
小さな立て看板は見落としやすく道を数回間違えやっと着いたが
車を止めるスペースさえも探すのが困難な場所であったが
ピーシャラ、ドンドンとお囃子の音が聞こえてきたので少し安心した。

気持ち程のお賽銭を入れ公民館の中に入ると
10畳程の踊り場の周りに7~80人程の人が集まっている。
よそ者の私は遠慮しながら一番後ろの壁際に腰を落ち着ける事にしたが
観客は30人程度が観光客で残りはここの住民と今はここを去った関係者と言った感じか。

そでに2,3の舞は終わっていたようだが
一舞15分程度の舞は淡々と続いていく。
12時を過ぎた頃、小休止が行なわれ、暖かい豚汁とおにぎりが振舞われた。
部外者の私にも頂け体と心も暖かくなる。

その後もいろいろな神が登場してくるが
眠気にはかなわずうつらうつらしてしまった。
記憶が戻ったのは3時を過ぎた頃。
私以外にも眠気を催す人が増えた頃、面白愉快な舞が続き終演へ向けて舞いは盛り上がっていく。
一番の見物はやはり天岩戸が開かれる瞬間だろう。
観客より大きな拍手を浴びる事になる。

東の空はちょうど朝日が昇り始めオレンジ色に神楽宿を染める。
そして長かった舞が終わるのである。





高千穂の夜神楽



私的古事記の旅 総集編