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バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

大刀洗平和記念会館

2014-09-18 18:19:12 | 戦争遺産


甘木鉄道太刀洗駅の道を挟んで正面に大刀洗平和記念館はあった。

大型バスが数台止まっていたので何かあるのかなと思っていたが
どうやら小学生の社会科見学の様である。
ここは知覧や大津島程生々しい展示物が少なく
また終戦間じかにあった大刀洗空襲での小学生の惨事も映像として流しているが
かなりビジュアル的に見せているので大人が見ると実感的には乏しいので
多感な時期の小学生にはちょうどいいのかもしれない。
ほんとに戦争っていうものが解かっているのかなと
ちょっと穿った見方をしてしまったが
平和の折鶴を一生懸命折っている姿を見るとそんな事を思う事を恥ずかしく思えてきた。
自分だって本当の戦争なんて知らないのだから…。

大刀洗飛行場は福岡市から南東に位置し
西部方面の防衛と大陸への攻撃拠点として開設し陸軍の一大拠点となっていた。
あの特攻の最前線基地の知覧もここの分隊である。
もちろんここからも特攻隊が出撃しているが
特質すべきはあの空の要塞B29爆撃機に対して
屠龍という双発の戦闘機で体当たりするという方法が取られていた。
また幻の試作機震電のテスト飛行も行った基地であが
今は遺物はほとんど無く大きなビール工場とコスモス畑になっていて
ここにそんな物があった形跡さえない。



ここには現存する唯一の零式艦上戦闘機32型が展示されており
この32型の他に大濠公園の池から回収された97戦も展示されていが
館内は撮影禁止ではあるがゼロ戦だけは撮影が許されている。
32型の特徴である両翼先端がカットした形状がよくわかる。

天井には巨大なB29のサイズが表示してあり
床にはそれに体当たりした小型の屠龍のシルエットがある。
特攻撃墜に成功し撃墜したB29の機体の一部と日本機の機体の一部が比較して展示してあったが
B29の肉厚のアルミブロックに対して日本機は1mm程度の薄いアルミであった。
資源・工業力の差は明らかな相手に戦いを挑んだので
結果は明らかであったのである。

筑前町立大刀洗平和記念会館

宗像三女神

2014-09-13 20:01:17 | 古事記


三女イチキシマヒメを祀る総社辺津宮(宗像大社)の祈願殿
尚、本殿は現在平成ノ大造営中でH26.12の完成予定である。
神宝殿では海の正倉院と言われる沖ノ島で発掘された銅鏡や金の指輪などの展示が行われている。



改修前の本殿とおみくじ



総社本殿奥に第二宮(沖津宮)・第三宮(中津宮)の分社があり
特に沖津宮は現在でも一般人は訪れる事も出来ないのでここでお祈りをする事が出来る。
伊勢で見た内宮の別宮である月読宮の社殿の造り
(小さい鳥居とそれ程大きくない拝殿と本殿を白石で取り囲む
唯一違うのは隣に遷宮の際の敷地が無いことか)
と似ているなぁと思ったら三女神の祖父母にあたる伊勢の
イザナギノミコトとイザナミノミコトの旧社殿をそのまま利用しているらしい。



総社辺津宮(宗像大社)御朱印



次女タギツヒメを祀る宗像大島中津宮



長女沖ノ島沖津宮を大島から望む沖津宮遥拝所
ここも沖ノ島は今も女人禁制で参拝できない人達の為にある。
ここから50Km先に沖ノ島があり天気が良ければ肉眼でも確認できる。



中津宮の御朱印 中津宮で遥拝所の御朱印も頂ける。



宗像大島の北岸
そしてここからタゴリヒメが馬に乗って沖ノ島へ駆けていった。



その時にできた馬蹄の跡

私が追い続ける事が出来るのはここまで
沖ノ島のついては総社(宗像大社)の神宝殿で見学する事にした。



沖ノ島

宗像三女神を追って

2014-09-12 21:02:31 | 古事記
福岡県民なら
受験のお祈りなら太宰府天満宮
商売繁盛のお祈りなら宮地岳神社
交通安全のお祈りなら宗像大社
でもなんで交通安全祈願なら宗像大社なのか知らなかった。
なんとなく車を買ったら宗像大社にお祓いに行くそんな感じだったのだ。
でもこの答えは伊勢神宮の古事記繋がりで解決する事になる。

イザナギノミコトから生まれた次男スサノオは我が母が亡くなったのを悲しみ
支配を任された海原を治めずに母のいる黄泉の国(死後の世界)に行きたいと嘆くので
父親のイザナギノミコトからも愛想をつかれる。
それでも母に会いたいスサノオは姉のアマテラスにその思いを告げようと
高天の原(天界)へ伺うがその事を知ったアマテラスは攻めてくると思い待ち構えている。
スサノオについてはまた改めて述べたいと思うが
母を思って泣きじゃくる幼い事もあれば高天の原でひどいいたずらをしたり
食を与えてくれたオオゲツヒメを勘違いから無残にも殺害
かと言ってヤマタノオロチに苦しむクシナダヒメを助けたり
その血筋にあたるのがオオクニヌシノミコトだったりする。
古事記の中では一番人間らしくもありよく解からない天真爛漫な性格ではあるが
彼を中心に古事記は回っているのは事実である。
話は戻すがスサノオはそんな事は無いと証明してみせるという。
自分の大事な剣を差し出しアマテラスは噛み砕いて噴出すと三人の女神が生まれてきて
女の子が生まれたのは自分が正しいからであると告げるのであった。(姉弟の誓約)

その三女神をスサノオは
玄界灘の沖ノ島の沖津宮にタゴリヒメを
宗像大島の中津宮にタギツヒメを
そして今の宗像大社の辺津宮にイチキシマヒメに
大陸や朝鮮半島からの交通の要所として歴代天皇を助け祭りを受けよと神勅されたのである。
そしてそれが交通安全の神の所以である。

これが古事記の要約であるが
これは大和朝廷が大陸文化吸収と航路確保の為の大義名分である。
事実現在の宗像大社から北西に向かうと海辺に神湊と言う港があり
そこから10km沖合いに宗像大島が更に50km沖合いに沖ノ島があり
その先150kmが韓国釜山を一直線に結ぶ事ができる。

遣唐使の時代まで栄えた航路ではあったがその後衰退し歴史から忘れ去れていたのだが
その沖ノ島が再び注目される事になる。
当時の8万点にも及ぶ国宝級出土品が発見され海の正倉院と言われる様になり
現在世界遺産候補になったのである。

実は沖ノ島は現在も一般人の立入りが禁止され
宗像大社の宮司だけが10日ごとの交代で祭事を行っているのである。
しかも島でのことは一切他言してはならずまた一木一草一石たりとも持ち出してはならず
その結果時代から人々の記憶から忘れ去れ当時のまま現在に至っているのである。

今回この三女神を追って宗像大島を訪ねてみる事にした。


玄界灘から大陸へ

2014-09-11 18:35:50 | ツーリング


今回は玄界灘に浮かぶ小島でフェリーを利用するのでKSRで出撃。
(でも小島といっても周囲15km福岡県で一番大きな島らしいけど…)
神湊を出港して25分の短い船旅でしたが玄界灘は結構揺れ
平日とは言え訪れる方は釣りとウォーキングの人が多いようだ。





かぜの峠から北岸へ。
確かに晴天なれど風は強く風車が良く似合う場所でした。



ここから沖ノ島へ馬が跳ね上がったらしい。




宗像・沖ノ島と関連遺産群
そして世界遺産登録を目指して



今回の走行距離 87kmなり

私的古事記の旅 総集編

2014-09-04 08:38:17 | 古事記
この記事は随時更新していきます。2014.11.05現在

はじまりはいつもブーム

2013年伊勢神宮・出雲大社の遷宮から始まった古事記の旅
始めは単にブームに乗っただけだった。
学生時代にも日本史にはまったく興味なしで成績もおのずから…。
宗教的にも浄土真宗なるもっともポピュラー派に属しながら
ちゃんとクリスマスも楽しむ純平均的日本人といえる私である。
神様が日本国を創生し現在に至る天皇制など気にするはずもなかった。
それがあちこちのTVで特集を組み書店には遷宮を意識した書物が多く並んでいる。
もちろん多くの旅雑誌も伊勢と出雲ばかりで
縁を求める女性を意識した内容も多かったのを覚えている。

そう、私はただブームに乗ったのだ。

でもこれが面白かった。
今までバイクで旅して来た所が随所で出てきて繋がっていくのだ。
今まで何気なく訪れていた所が歴史の要だったのだ。
そしてこれはもう一度掘り下げて確認する必要があると思ったのだ。
ただ眺めていた景色が一変に歴史の大舞台へと変わり
私はもう一度その大舞台の一番特等席に腰を下ろして
当時繰り広げられた事実を目の前で鑑賞してみる事にしたのである。

そう、私の変な癖の確認の虫が疼いたのである。
ここからは私的にこの古事記という大舞台を観覧し
時には一人前の評論家として感じたことを記述しておこうと思う。

まずは“古事記”について
今更説明の必要は無いかもしれないがもう一度確認の為に読んで見られてはいかがだろうか。

日本の神話 古事記

まずはそのきっかけとなった伊勢神宮と出雲大社の遷宮の旅であった。
出雲大社はその距離からツーリングの目的地として
そしてただ単に縁結びの神として幸せになりたいという色恋で数度訪れた事があったが
伊勢神宮は距離的な事もあって初めての訪問であった。

遷宮してすぐに訳あって伊勢に行く事になりその帰りに伊勢神宮に行き
帰路で大幅な遠回りして出雲大社に行く事になる。

では、二礼・二拍手・一礼して始めます。

伊勢神宮はイザナギノミコトから生まれた太陽神アマテラスオオミカミを祭る内宮と
その太陽神の食事を受け持つトヨウケノオオカミを祭る外宮とある。
初めて行ってすぐに感じるが広大な敷地の静寂さと威厳
普通は宮司しかいない場合が多いが社務所を中心に神社本庁の職員の多い事
そして遷宮の為に必ず隣に用地がある事だ。
広大な敷地と森林は社の立替の木材を確保する為と
隣の用地は20年毎の遷宮の技術を伝える為という。
そうやってずっとつづいていた事である。

一方オオクニヌシノミコトを主とする出雲大社は
空高くそびえる大神殿だった事が解かってきた。
俗に言う国譲りの代償である。
大陸文化や技術を手に入れた出雲の地を恐れ
国は大和朝廷が祭事や縁は出雲がという権力抗争の所以である。

2013遷宮 伊勢神宮・出雲大社古事記の旅

最近では寺社で参拝するだけでなく
仏像鑑賞やパワースポット巡りなど別な楽しみも兼ねて訪れる方が多くなっています。
そんな寺社を訪ねる楽しみの一つとして注目されているのが’御朱印集め’です。

御朱印とは・・・「記念スタンプ」とは違い、寺社の職員や僧侶、神職、氏子などが押印する。
単に印を押すだけでなく、その下に墨書で寺社名や参拝日などが書かれ、
その墨書も含めて「朱印」と呼ばれる。
近年では寺社名や本尊の墨書せず寺社名や本尊の入った印章(スタンプ)を押す
あらかじめ書置きした別紙、墨書を複写した別紙を、渡されるもしくは貼り付けられる寺社もある。

起源には諸説あるが、元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったとする説が有力である。
そのため、朱印を「納経印」と呼ぶこともある。現在でも納経をしないと朱印がもらえない寺院が存在するが
、多くの寺社では少額の金銭(初穂料・御布施)を納めることで朱印がもらえるようになっている。

金額は多くの寺社で300円としているが、500円などそれ以上の額が提示されることもある。
また、「お気持ちをお納め下さい」として金額を明示しない場合もある。
この場合、「志納」という。
また、服装に輪袈裟や白衣姿などでないと応じない寺院、事前に電話等での連絡が必要な寺社もある。

朱印は印に寺社名が入っていることから、寺社で授与されるお札などと同等とされ、
粗末に扱うべきではないとされる。
実際、朱印帳を普段は神棚や仏壇に上げているという人も少なくない。


西国三十三所霊場詣や四国八十八箇所霊場詣、他にも寺社何ヶ所か合わせての七福神めぐりに代表される
霊場巡り等の場合には、専用の朱印帳や用紙、色紙、掛軸などが用意されていることもある。
四国八十八箇所詣などの霊場巡りでは、巡礼中に着ている白衣(びゃくえ)に御朱印をもらう場合もある。

朱印はひとつとは限らず複数扱う寺社もある、寺院によってはご詠歌や仏堂、仏像ごとに、
神社によっては摂末社や兼務神社の朱印をもらえることもある。

また、年中行事や秘仏の御開帳、特別公開期間などに合わせて特別な朱印にすることもあり、複
数の霊場を兼ねる寺社では霊場ごとに別の朱印が用意されていることもある。

日蓮宗の寺院では他宗派の朱印が書かれた朱印帳だとお題目を略されて、
「妙法」などとしか書かれない寺院もある。また、一般的には浄土真宗の寺院では参拝者に朱印を押印しない。

寺社以外には、天皇陵での御陵印や、史跡や城(松本城、鶴ヶ城)での集印をする人もいる。

スタンプ帳やメモ用紙などへの朱印を拒絶している寺社もある。
また、オリジナルの朱印帳を用意している寺社もありこれを収集する人もいる。

実ははじめて実際に頂いて参りました。
あなたも始めてみてはいかがですか?
旅の思い出にもなりますよ。

海の正倉院 世界遺産登録を目指して

次回ツー予告

天岩戸

高千穂の夜

高千穂の夜 あとがき

アマテラスとスサノオの誓約によって誕生した宗像三女神。
しかし誕生以外の事はほとんど記述は見受けられない。
沖ノ島での事は女性禁制だけでなく一切公言してはいけないし
草木や石ころひとつ持ち出してはいけないという厳格化した所だからなのか。

そこに見え隠れするのが地元の長ムナカタ氏と大和朝廷の存在である。
海洋民族として朝鮮半島から大陸への対馬海峡を行き来するムナカタ氏の存在は
国家統一を目指す大和朝廷にとっては最重要地点のひとつであった。

詳しくは海の道むなかた館

宗像三女神を追って

宗像三女神

天孫降臨の地 霧島神宮