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バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

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素敵な秋は発見できず

2016-11-22 08:12:58 | ツーリング
久しぶりにバイクに乗り、遅めの秋を見つけに行きましたが
今年は夏が長く、一気に冬がきたせいか
紅葉もイマイチのような感じ…
少し残念な色合いでした。



雨の予想が出ていたので早目の帰還となりましたが
途中で今までなぞとしていた場所の確認してきました。
なるほど、そうなっていたのか…



さて、ここはどこでしょうか?
ここからの撮影画像はなかなか見ませんね。

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別府秘湯 鶴の湯・へびん湯・鍋山の湯

2016-06-14 20:47:41 | 温泉

最新情報

2016-06-14 記



源泉口

あの熊本地震の後、気になって訪れてみる。
熊本地震とは言うものの、ここ大分も被害がでており
ここに来る途中の鉄輪温泉の建物の屋根にブルーシートが掛けられているのもあった。

少々心配したが到着してみると依然と変わりなく常連さんたちがいつもの様に世間話に花を咲かせていた。
元々熱めのお湯は少し温度が下がって水量が多かった様な気がする。
これは地震うんぬんというよりは梅雨という雨量との関係があるかもしれない。

この鶴の湯は地元の有志の方が維持管理をしているので感謝の気持ちは忘れずに。

今回は入浴中の方が多かったので源泉の画像のみでご勘弁を。

2015-10-20 記



久しぶりにあのお湯に浸かりたくて鶴の湯へ向かう。
秋晴れが数日続き、浅いながらも阿蘇の雲海も毎日の様に顔を出しているらしい。
朝晩はだいぶ冷え込む様になったが
日中はバイクで走ってもとても気持ちがいいさわやかさだ。

残念ながら紅葉には若干早い山間を進み
霊園のコンクリート道を奥の回転用ローターリーに着くと車が数台止まっている。
どうやら先客がいる様だ。
すでに里帰りの様な年配家族、元ハーレー乗りの常連おじいちゃん
しばらくすると静岡からの旅の若者、その後、また常連おじさん。
今日は天気に誘われてか、とても賑やかだ。



お湯は湯花舞う硫黄泉であるが透明度が高めであまり白濁してはいない。
しかしプーンと臭う香りはやはり硫黄である。
温度は高めでおそらく45℃から47℃くらいあるだろう。
上の湯が源泉に近いので若干高めの様な気がするが
どちらも熱いので必ずかかり湯で体を慣らしてから浸かる様にしたい。
私は3分位が限度で後は秋風に火照った体をあててみる。
使い古された言葉ではあるが
本当に温泉大国ニッポンに生まれて良かったと思う瞬間である。

ここは無料の温泉ではあるが、常連さんの自主管理がなされており
小奇麗で湯船も綺麗にタイル張りされている。
入れ替わり立ち代わり常連さん達が入浴に来られるので
感謝の意を忘れないでおこう。

元ハーレー乗り今スクーター乗りの常連さんから聞いた話だが
やはり鍋山の湯は柵で覆われ進入禁止
へびん湯は台風の影響で一時水没したようだが現在は入浴可との事。
こちらは無色透明無臭の単純泉でややぬるめの湯
渓流沿いで風景はあるが湯の泉質ではやはり鶴の湯に軍配があがる。
なので今回は時間の都合上、鶴の湯のみの入浴になりました。
またお邪魔したい場所のひとつですね。


2014-05-27 記

あの悲しい事件から暫く経って少し落ち着いた感のある別府の三大秘湯に行ってみる事にした。

実は各地の温泉を巡ってきたがここは初めての訪問であった。
理由は日帰りで行くにはちょうどいいコースにはあったものの
まだ無名の頃に行きたいと考えていたがそのうち、そのうちと行きそびれて
その間に温泉ブームになり誰もが知るようになったので、今更ねぇって感じで行く機会を失っていたのだ。
そう私はもうご存知とは思いますがちょっと偏屈者なんです。
ちょうど今のラピュタの城“竹田城”みたいな感じかな。
(なので当然まだ行けてない…) (^^ゞ

R10の裏道の広域農道からR500と乗り継ぎ大分県は別府市の鉄輪地区を目指す。
このルートを選ぶとほとんど渋滞無しに走る事ができるので
今やツーリングにはぴったりのお気に入りのコースとなっている。
しかしR500に入る頃からやや渋滞気味にむむっと思っていると白いバイクが走行中
仕方が無いのでしばらくゆっくりと景色を堪能しながらその後を追走する事になった。
宇佐から別府までの安心院(あじむ)は地方の自然豊かな田舎町ではあるが
果物の生産が盛んで特にブドウはワイン工場が在ったり
また谷間に川が流れる事から江戸時代から石橋の技術も優れていて現在も使用されていたり
蛍や天然記念物のオオサンショウウオなども生息しているちょっと寄り道には楽しい所だ。
アフリカンサファリのシンボル、アフリカ像が見えて
自衛隊の広大な草原を左手に見ながらそれが別府湾に変わると鉄輪はもうすぐだ。

日本一の湧出量と源泉数を誇る別府温泉の中でも鉄輪は特別で
白く立ち上る蒸気は町中を白く染める様でまた観光の中心である地獄めぐりもこの地区だ。
もちろんいろいろな温泉もありそこで湯ノ花の結晶をつくったり温泉プリンはお勧めでもある。
そんな何度と無く足を運んだ所なので土地勘はあり事前の情報で大体の位置は確認していたが
近くに行けば案内標識があるだろうと思っていたがそれを発見できず軽く迷子になってた。
実は情報検索の頃から少し違和感を感じていたのだ。
なぜならYahooやGoogleの地図に温泉の表記が記載されてないのだ。
秘湯だから当たり前かもしれないが以前は記載さていた記憶があった。
周辺を探すもやはり案内板や標識はなし。
霊園の横の路地を進むという記憶があったので感を頼りに進むと一番奥のロータリーの所に初めて鶴の湯の表記を発見した。
そして異様な警察の英語表記つき注意勧告。
後で解かった事だがあの事件以降観光協会はこの地を積極的に宣伝する事もなく
むしろ消し去りたい様な扱いになっていた。
なので地図からの消去や案内板が無くなっていたのかもしれい。
温泉には罪はないが心無い人間のおかげで寂しい現実になってしまっていたのだ。

少し歩く覚悟をしていたがそのロータリーから目指す鶴の湯はいとも簡単に見つける事ができた。
秘湯と謳うには正直拍子抜けだった。
しかしその流れ出る温泉は硫黄泉の湯ノ花が入った白い流れだ。
一番温泉らしい温泉の泉質!すぐにお気に入りになってしまた私がいた。
ここは有志による自主管理されておりそんなに広くはないが行き届いた感はあって
大自然満喫の秘湯とまではいかないが手作り感が心和む。
源泉はその一番奥から湧き出ているが湧出量はそれ程多くなく夏場には枯れる事もあるらしい。
もちろん源泉掛け流しでその日によって温度や湯ノ花の量は変化するまさに自然の温泉だ。

先客はこの自主管理人さんのちょんまげさん。
元は関西在住の方で4年前にこの地が気に入って転居したとの事。
定連さんはいつも来る時間が決まっていているので毎日の様に同じ時間同じ顔を合わすらしい。
そしてその他にふんどしさんやへびん湯の主さんなどあだ名で呼び合っているのがいい。
どうやら本名や仕事先も知らない関係ない、まさに裸一貫の付き合いなのが尚更いい。
こんな人達が気持ちの良い温泉を管理しているのだ。まさに感謝である。
この温泉の話をしながらもう少し湯浴みを堪能する事にした。



遠くに別府湾と鶴見岳を望む





鶴の湯


ちょんまげさんに教えてもらった道をへびん湯へ向かう。
ここはダートを進む事になるの'77式の相棒とゆっくり無理なく進むと
遠くに別府湾と鶴見岳、そして眼下に先程お邪魔した鶴の湯が見える。
そして梅雨前初夏の緑に囲まれる。

またも異様な警察の注意勧告を目にするとここがへびん湯。
こちらの泉質は無色透明の単純泉。
石を組み上げた浴槽が45つあり上流の方が若干暑いのでお気に入りの温度が選べる。
ただしこちらの方が野趣溢れるせいか、はたまた行くのに道が悪く訪問者が少ないせいか
浴槽の石が苔むしているので足元がすべるすべる!ので注意が必要だ。
だが回りを木々が覆い横を清流が流れてこちらの方が野趣満点な所はいい。
へびん湯の由来は知らないが途中ヘビが轢かれて干からびていた所から想像すべし。
っと言う事は苔だけでなく足元には注意が必要かも…。



へびん湯



鍋山の湯


へびん湯から少し来た道を戻り更に上流に向かう。

そしてこれが現在の鍋山の湯
フェンスには有刺鉄線が張り巡らされてこれより先は進む事が出来なくなっていた。
もちろんここも違わず警察の注意勧告があるので自然の中で逆に解かりやすい。
鍋山の湯は元々私有地内らしく
今でご好意で楽しめていたのでこんな事があったのでは致し方無いのかもしれない。
今回、湯を堪能する事は出来なかったがこれで本当の秘湯になったのかもしれない。
出来れば少しだけ人間は自然の恩恵を味わった方がいいのかもしれない。
そんな思いの鍋山の湯であった。

ちょっと残念であったが残りの2つの湯船は管理人さん達の努力にも助けられて
今後もひっそり鉄輪の地で沸いていて欲しいものである。


本日の走行距離 312km
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院内 鳥居橋と北山水路橋

2016-06-14 20:18:43 | ツーリング
福岡県との県境、中津から別府・湯布院方面に向かう途中にある院内。
山間に清流がながれる心落ち着く場所だ。特別天然記念物のオオサンショウウオが住んでいるのもうなずける。

そんな心安らぐ清流も一度大雨が降ると豹変し下流の集落を何度となく飲み込んできたが
大正5年に建設されたこの石橋は優美な姿を変える事はなかった。

特にこの院内地区に石橋が多く作られたのは
山間で隣側に行く必要があったのは当然だが
材料の石材が容易に手に入れられた事と陸軍の演習場が近くにあった為でもあった。

すでにおもな役目を終えて隣に新しい橋が架かっていいるのだが
石積みされた5連アーチ橋は蔦が絡み、橋の袂には大きな楠木があり歴史の古さを連想させ
威風堂々としたいで立ちはいまだに主役に間違いない。



その鳥居橋の下流に沈下橋を発見した。
沈下橋とは四国四万十川に代表される
欄干のないコンクリートで作られた洪水の時に水没しても流される事のない橋の事だが
石橋アーチと沈下橋が同時に見られる所は珍しいと思う。

どちらも自然に無力であった人間が知恵を絞った水との闘いの答えである。
そんな石橋は院内にはまだまだ多く残されている。

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杖立温泉こいのぼり 今年もいつもの様に泳いでいます 震災復興へ

2016-05-02 17:09:57 | ツーリング


それは奇しくも私の誕生日であった。
2016年4月14日、ちょっと早いがアルコールが入っていたので早めに横になっていた21時26分。
突然異様な警報音と共に携帯の地震速報が流れる。
数秒後にかなりの横揺れが襲ってきた。
私が住んでいる北九州はあまり地震には無縁の所なので嫁さん子供も少し怖がっていた。

テレビはすぐに特番になり熊本益城を震源とした震度7の大型地震であった事を伝えている。
ここからは200㎞以上離れた場所が震源だったにも関わらずかなりの揺れだったので
現地は大変な事になっている事は容易に想像がついた。
益城といえば南阿蘇ツーリングの際にはよく使うルートの一つで
その土地の状況はすぐに浮かぶ事ができる。
阿蘇の外輪山の麓、近くに熊本空港があり、周りは阿蘇の肥沃な土地を利用した野菜造りがメインの広々とした所だ。
空港の横を抜け風車が見える俵山トンネルを抜けると阿蘇カルデラの中に入る。
正直あの場所で地震が起こるなんて考えた事も無かったので、阿蘇のマグマの影響かとはじめは思っていた。
翌日の報道はどこもごった返していたが、阿蘇のとは関係はなく活断層のずれが主な原因らしい。
大型の地震の後はかなりの余震が続くので警戒が必要だが
本当の悲劇はその2日後の深夜に南阿蘇村を中心に起こったのである。


報道ヘリからの映像は今まで何度も走った道や橋が跡形もなかった…。


5月になってからもまだまだ手つかずの問題ばかりをかかえて復興の兆しすら見えてないのが現状か。
そんな中、ふと思い出した事があった。
杖立温泉のこいのぼりの事である。

杖立はここから阿蘇を結ぶメインルート上のR212にあって、もう何度通ったかわからない。
そこには毎年川渡しのこいのぼりが数千匹泳いでいて杖立のシンボルになっている。
このこいのぼりを見てGWが今年も来たのだと実感するのだ。
しかし、今回の地震でそのR212は日田から杖立まではがけ崩れで通行止めになっているらしい。
逆方向の阿蘇・小国方面からは行けるのだが
その阿蘇が至る所で通行止めになっているので事実上陸の孤島になっている。

幸い広域農道からは行く事はできるのだが、そこまでして行く人が多い訳がない。
バイク乗りなら知っている裏道を使って杖立まで来てみたが
見る限り建物には被害は無い様だが、どのホテル・旅館も車が止まっていない。
おそらくGWにも関わらず今回の件でキャンセルされたのであろう。
観光案内所で数人の地元の方が立ち話をしていた。

しかし川面にはいつも見慣れた光景があった。
あのこいのぼり達である。
山間の清々しい風に何もなかった様にゆったり泳いでいる。
あの震災の前から今年も泳いでいたのか、その後に泳ぎ出したのかわからないけれど
やっぱり今年も泳いでいた。

今年はきっとそれどころじゃないだろう。
でも来てくれる人の為に泳がせたのだと思う。
温泉街の小さなガソリンスタンドで給油をしながら話を聞くと
落石事態はあまり大した事はなかったらしいのだが
その上の大きいな石の落石の危険性があるらしい。
なので手が付けられず通行止めの解除はかなり時間がかかるとの事。
「地震が心配な上に通行止めなんでね」スタンドマンは落胆の表情で話してくれた。
そんな中でもあのこいのぼりが期待・希望なのだと
だから今年もこいのぼりは泳いでいるのです。
誰かがきっと見に来てくれるから。



その他、今回の地震で被災された方々にお悔やみ申し上げます。
復興がんばてください。
また阿蘇に走りに行きます。
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元鉄ちゃんライダー的旧豊後森機関庫の29612

2016-03-25 10:23:51 | ツーリング
記事は編集中です…



汽車倶楽部さんの協力のもと、志免でスクラップ処分の予定であった29612がここに展示してあります。
この29612は主に長崎で使用されたとなっていますが
最後は行橋機関区所属で田川線で石炭や石灰石を運んでいて当時小学生だった私も現役現車を見ていました。
志免に展示された時は見に行けませんでしたが40年以上経って再開するとは思いませんでした。
29612の車歴

さすがは汽車倶楽部さんの手にかかって整備されているので、どこの展示車両より現役当時の面影が随所にでています。
とは言いますが、当時のSLは煤だらけでちょっと触ると指は真っ黒になり、こんなに黒光りはしてませんでしたが…。
ただ一度だけこの様なピカピカのキュウロクを見た事があります。
それは新幹線が博多まで開通したと同時に北九州地区の無鉛化
つまりSL全廃のさよならSLの時の重連のキュウロクです。
そのうちの一両があの九州汽車倶楽部に展示してます。
実はオーナーのお父様がその時の機関士との事、ここまでのご尽力には頭がさがります。

機関車の命とも言われるナンバープレートはオリジナルではありませんが、おそらく現実に忠実に再現されているのは鉄ちゃんには嬉しい限りです。



そのナンバープレートも正面、キャブ左右は標準ですが、テンダ車の後ろ側は形式入りの花文字仕様
当時後藤寺や伊田にキュウロクを追っていた者には涙もので当時を思い出します。
花文字仕様にするとコストがかかるので、どの車両もしていた仕様ではなかったので
花文字仕様を見つけるとアイスの当たりの様に喜び、ナンバープレートの拓本をとったものでした。
ナンバープレートの拓本とはそのナンバープレートの上に障子紙をあて、手にはめた軍手で機関車を煤を付けて
上からなぞるとその形が浮きでるというものです。
当時の鉄ちゃんのアイテムの一つでこの29612の拓本も確か私の実家の倉庫に眠っているはずです。
ちなみにキャブプレート横の“森”は豊後森機関区所属である証です。(実際には配属されてはいませんでしたが…)


今後、玖珠郡玖珠町森町にある三島公園に展示してあるC11270もこちらに展示する計画もあるようなので
JR九州のハチロクも久大線を走る事に期待したいですね。
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お知らせ

2016-01-25 17:27:31 | Web96design
Webサイト制作支援プロジェクト開始!



あなたのショップを応援します。詳しくは Web96design.com まで。
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おー、佐賀県お祭りフェスタ

2015-11-03 19:22:30 | ツーリング
佐賀県…、田んぼ以外何にもない…
って、誰が言ったんですか???

あるじゃないですか!!!
バルーンフェスタ!脊振山のワインディング!唐津くんち!
そういう訳で3つまとめて楽しんできました。ヽ(^o^)丿

まずは佐賀インターナショナルバルーンフェスタ

競技は気流の安定する早朝6:45からスタートして9:00までと14:45からスタートして17:00までの二部構成。
福岡市内を早朝に出発したが会場が遠くから見える頃にはもう競技が終了直前でした。
なので残念ながら青空に数多く舞う気球は見る事ができませんでした。
やはり7時頃までには到着したいところですね。
その競技と競技の間もいろいろなイベントがあり楽しむ事ができます。





でも、どうしても愛車とバルーンを写しかったので
やっとの思いでベストポジションをゲットして大満足。



ちょうどお腹の空く時間になったので、小腹を満たすべくあのドライブイン一平へ。
しかし、ネタの為に大盛を頼むのはやめましょう。
小で普通のカツカレー位の量で、ここでの並が大盛の量です。
大盛のごはんの量は600g!
撃沈したのは言うまでもありませんでした。

ドライブイン一平

背振のK278はバイクとって快適なワインディングロードです。
もう少し早い時期ならば段々畑の稲穂が見頃だったのでしょうが
残念な事にこのコースでは紅葉も確認できませんでした。

そして唐津くんち







秋の佐賀県を満喫できた一日でした。

本日の相克距離 304km
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秋色

2015-10-20 22:14:56 | ツーリング


昔、こんな話を聞いた事がある。
「私って、コスモス好きなの。見た目は派手なのにね」
でも私は知っていましたよ。
本当は少し見栄っ張りで寂しがり屋で、そしていつも自分の本心をずっと心に仕舞い込んでいた事を。
でもね、これだけは覚えていて欲しい。
コスモスを嫌いな人は多分いない。いや、きっと誰からも愛されている事を。

そして今年も秋風に揺れるコスモスの季節がやってきた。





本日の走行距離 334kmなり
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生きるという事 死ぬという事

2015-10-09 08:18:21 | 戦争遺産
まずはスマホお持ちの方は以下をアプリでダウンロードしてみて欲しい。

 iTunes版については こちら から
 Android版については こちら から

ブラックジャックによろしく・海猿でおなじみ佐藤秀峰先生の作品‟特攻の島”の1巻が無料で読めます。
(気になる方は購入してくださいね)
この1巻を読んだだけで当時の日本の悲哀さや人間魚雷回天すべてを感じる事が出来ます。
現在(2015.10)でも出筆中で、まさに最後の出撃のシーンであります。
なので、ラストシーンはまだどうなるのかわかりませんが阿多田交流館の館長さんは
「母艦の潜水艦を離れたら、突撃が成功しようが失敗しようがもう生きている事はない」と言います。
主人公の渡辺はどう最後の時を迎えるのか…。

思い出せば始めは戦記好きで手に取った一冊だった。
ページを捲るとすぐに重苦しいタッチの画像に昭和20年にタイムスリップする。
当時精神論ばかり論ずる陸軍とは違い、海軍は合理的であった。
なので陸軍が行った無意味な銃一つで一斉突撃みたい策をとる事はなく
戦況的に追い込まれた時であっても生還の見込みが無い作戦は海軍では認められなかったという。
なので特攻兵器などという考えはむしろ否定的であったが
しかし、状況はそれを許さい所まで日本は追い込まれてしまっていた。

主人公渡辺は私の自宅の近く筑豊の出身である。
父は病状で貧しく母親と兄弟を養う為に働くのであるが、世間も同情出来る余裕もなくむしろ差別の対象にさえなっていた。唯一家族を救う方法が予科練だった訳である。
渡辺には画家になる夢があったが無論無理な話であった。
母は出兵の際にスケッチブックとペンを与える。
苦労かけた息子へのささやかな償いだったかもしれない。
予科練内で大空を羽ばたく飛行機の絵を描く。
確かにここまでは微かな希望があったはずだ。
そしてこのスケッチブックが彼の心の変化を表す事になる。

現在7巻まで発行されているが表紙はその時の主人公そのものである。
だんだん他に選択肢のない死へ向かう表情
それを自分で割れた鏡でそのスケッチブックへ描いていく
名前や文字がが裏返しなのはその為だ。
そのスケッチブックを母親はどんな気持ちで見るのだろう。

回天の島 大津島に行きたくなったのはそんな気持ちになったからだった。



2014.08.21 出口のない海 特攻の島 そして回天の島

       出口の向うに見えたもの (大津島回天のトンネル)





つづく
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途切れた糸と記憶の確認

2015-09-16 18:17:16 | ツーリング


ご存じ錦帯橋と岩国城



力寿司



白壁の街 柳井



阿多田交流館



上関海峡温泉 鳩子の湯



上関大橋から眺める上関の港町



鳩子てんぷら 上関水産



周防大島 大島大橋



陸奥記念館

今回の走行距離 587㎞
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