おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

伊豆の踊子

2024-08-24 10:50:15 | 映画
「伊豆の踊子」 1963年 日本

 
監督 西河克己
出演 高橋英樹 吉永小百合 大坂志郎 堀恭子
   浪花千栄子 茂手木かすみ 十朱幸代
   南田洋子 深見泰三 郷えい治 小峰千代子
   井上昭文 安田千永子 桂小金治 土方弘
   宇野重吉 浜田光夫

ストーリー
舞台は昭和初期の東京、大学教授の川崎は教え子の男子学生から結婚の仲人を頼まれた。
相手の少女がダンサーだと知り、彼の脳裏に40年前の淡い恋が蘇った。
当時20歳だった川崎は、高等学校の制帽を被り、高下駄を履いて、1人伊豆を旅していた。
九十九折の山かどを曲がった拍子に旅芸人の一行に出くわし、川崎は湯ケ野まで一緒に行くことにした。
大島から来たという一行は、中年女性お芳が中心となって旅を続けていた。
お芳の娘千代子、その夫栄吉、栄吉の妹薫と、もう1人大島で雇った少女の5人組だった。
湯ケ野に到着した川崎は薫達とは別の宿を取り、風呂で出会った男性と碁を打っていると賑やかな音楽が聞こえてきたので外を見ると、向かい側の座敷で薫達が芸を披露していた。
翌日、薫は近所の子ども達と遊んでいる最中、みすぼらしい家で横になっている女性を見つけた。
彼女は酌婦のお清といい、仕事が原因で病に冒され、幾ばくもない命だった。
その夜、川崎は仕事を終えた薫達を、自分の部屋へ招いた。
碁盤を見つけた薫は目を輝かせ、さっさと風呂を済ませて五目並べをせがんだ。
風呂上りのお芳達から、明日下田へ発つつもりだと聞いた川崎は同行を願い出た。
しかし翌日になって薫達に急な仕事が入ったため、予定を1日ずらすことになった。
栄吉と散歩に出た川崎は、明後日が彼の子どもの四十九日だと聞いた。
栄吉は薫にだけはこんな生活をさせたくなかったと呟く。
その夜、薫から活動写真に連れて行って欲しいとせがまれた川崎は、快く承諾した。
その頃、お清は人知れず死亡していた。
薫達は下田に2、3日滞在した後、船で大島に渡る予定だったが、薫は川崎も一緒に大島へ行くものだと思い込んでいた。


寸評
「伊豆の踊子」は度々映画化されており、主人公の薫は時の人気スターが演じてきた。
松竹では田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子を起用して3作品が撮られ、続いて日活で撮られた4作目が本作で、その後に東宝から内藤洋子、山口百恵で2度映画化されている。
僕は本作しか見ていないのだが、原作者の川端康成は吉永小百合の薫を随分気に入っていたようだ。
冒頭とラストはモノクロで、40年後の川崎(宇野重吉)が過去の出来事を思い起こす形をとっているのだが、モノローグとしては気の利いたものとなっている。
教授の川崎に学生が仲人を頼みに来るのだが結婚相手はダンサーで、40年前の自分と踊り子に重ね合わせるというもので、演じているのがゴールデンコンビの浜田光夫と吉永小百合である。
吉永小百合は薫との二役だがアップにはならず、ゴールデンコンビの雰囲気だけをまき散らしている。
吉永小百合は1959年に松竹映画「朝を呼ぶ口笛」で映画デビューしたのだが、1962年に代表作である「キューポラのある街」を撮り、1963年には橋幸夫とデュエットした「いつでも夢」でレコード大賞を受賞するなどして人気絶頂で、多くのサユリストを生み出していた。
薫は14歳の子供だが見た目は17~18という設定で、吉永小百合の実年齢とドンピシャのため、踊子の恥じらい、天真爛漫な幼さ、花のような笑顔がリアリティをもって描かれている。
共同風呂から素っ裸で飛び出して手を振る場面がその象徴的シーンとなっている。
この作品における彼女のキャスティングには文句のつけようがない

旅芸人は差別の対象で、茶屋の婆さんが、「彼らはどこにでも泊まる」と売春をほのめかしたり、宿の女将さんも、「あんな者にご飯を出すのは勿体無い」と毒づき、また道中で通りかかった村の入り口には、「物乞い旅芸人村に入るべからず」という立札があったりで、旅芸人は芸を披露するのが主であるが、売春も行なっていたことでそのような差別を受けていたのだろう。
旅芸人たちは売春を行っていないが、代わりに南田洋子や十朱幸代など売春を行う酌婦が登場している。
反するように、主人公の川崎や旅芸人たちは「いい人」たちである。
率いている浪花千恵子もイジワル婆さんかと思いきや、案外と物わかりの良いオバサンだし、義理の息子である大坂志郎などは好人物の典型だ。
もっとも大坂志郎は薫と兄弟と言うには歳を取っており、僕は当初、浪花千恵子と夫婦かと思った(大坂志郎はミスキャストではないか)。
いい人たちの話なので安心して見ることが出来る。

川端康成が持っていた孤児根性を川崎に投影させていたと思われるが、映画の高橋英樹からはそのような暗い部分は感じ取れない。
また、薫と別れる港で老婆の送り届けを頼まれるシーンや、その後の船中のシーンも描かれていない。
川崎はどうして一人旅を続けているのか、川崎はどれほどのお金を持っているのかなどの疑問は残る描き方だ。
したがって、お金が底をついたから東京に帰ることにはなっていない。
あくまでも本作は青春の淡い恋物語として描かれている。
当時の吉永小百合にはそれだけでいいではないかと言う雰囲気があった。