おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

「万引き家族」よりこっちのほうが・・・

2018-06-13 09:26:12 | 映画
犯罪一家を描いた作品としては「万引き家族」より、僕はこの「少年」の方が強く印象に残っている。

「少年」 1969年 日本


監督 大島渚
出演 渡辺文雄 小山明子
   阿部哲夫 木下剛志

ストーリー
秋風のたつ夕暮、無名地蔵のある広場で、ひとり“泣く”練習をしている少年がいた。
翌日、その少年の家族四人が街へ散歩に出た。
やがて交差点に来ると、母親が一台の車をめがけて飛びだし、続いてチビを抱いた父親が間髪を入れず、駈けつけ、叫んだ、「車のナンバーはな……」。
傷夷軍人の父、義理の母と弟のチビ、少年の家族の仕事は、病院の診断をタテに示談金を脅しとる当り屋だった。
二回目の仕事が成功した時、父の腹づもりが決まり、少年を当り屋にしての全国行脚が始まった。
一家が北九州に来た時、母が父に妊娠したことを告げたが、一家の生活は、彼女に子供を産ませるほどの余裕を与えなかった。
父は母に堕胎を命じ、一家はその費用を稼ぐために松江に降りたった。
その夜父は芸者を呼んで唄い騒いだ。
少年は土佐節を聞いているうちに、高知の祖母に会いたくなったが、高知に帰るには小遣が足りない。
仕事の旅は依然として続き、一家は北陸路を辿り、山形に着いた。
この頃、母はつわりに襲われ、少年は母と二人で父に内緒の仕事をした。
一家が小樽へ着いた時、父母が少年を奪い合って喧嘩をした。
その時、少年は、時計のくさりで、手の甲を血がでるほど掻きむしった。
その意味を悟った父は、時計を投げすてた。
チビが、その時計を拾いに道へ出た瞬間、一台のジープが電柱に衝突。
少年は、担架で運ばれる少女の顔に一筋の血を見た・・・・。

寸評
この映画のタイトルを見るたびに思い浮かぶのはチビが一面の雪景色の中で「アンドロメダ」とつぶやくシーンだった。そのシーンだけがやけに脳裏に残っていて、チビのそのつぶやきと真っ赤なブーツの印象が僕にとっての映画「少年」のイメージだった。再見すると、あんなシーンもあった、こんなシーンもあったなのだが、兎に角そのシーンだけが記憶の中で鮮明であり続けた。なぜそのシーンだけが記憶の底で生き続けたのかといえば、その場面に少年の思いが凝縮されていて、あまりにも痛々しい姿だったからではないかと思う。
 アンドロメダ星雲は全編を通じて度々登場するが、それは少年が持っている自分だけの世界だ。自分だけの世界ではあるが、この話をする時はチビがいたり継母がいたりする。継母に対しては、車にぶつかるのは嫌ではないが怖いともらし、「忍術が使えるといいな」「宇宙人ならいいな」とつぶやいたが、継母からは「あんなものウソ」「宇宙人などいない」とあっさり否定されてしまう。その後はもっぱらチビを相手にこのストーリーをふくらませ、少年の心に深くこの夢想があることがわかる。この夢想は少年がありふれた子供であることを象徴しているが、同時にどうすることも出来ない自分を救ってくれる神の出現を望んでいるようでもある。
 前述の雪原シーンで少年は三角の大きな雪だるまを作り、そして赤いブーツを乗せたその雪だるまを破壊する。その時に発する叫びが痛々しい。少年はチビに、その雪だるまは宇宙人でアンドロメダ星雲から来たんだと告げる。正義の味方だから悪いことする奴をやっつけるために来たので、怪獣も鬼も電車も、自動車も怖くはない奴だ。お父ちゃんも、お母ちゃんもいない一人きりの宇宙人だが、本当に怖くなった時は別の宇宙人が助けに来てくれるらしい。少年はそういう宇宙人になりたかったんだが、普通の子供なのでなれないし、死ぬことも上手に出来ないと言う。
そして叫ぶ・ チクショウ! 宇宙人のバカヤロー!
やはり救いを待っていたのだろう。痛々しいなあ。
 当り屋って現在では殆ど聞かなくなった犯罪だが、僕はよく耳にした。走っている自動車にわざと接触し、示談金の幾らかをせしめる文字通り身体を張っての死線ぎりぎりのゆすり稼業だ。少年はそれが犯罪であることは認識しているが、自分がこの家族にとって稼ぎ手として重要な位置にあることも自覚している。
この家族は、専制的な父親のもとに外界との繋がりをもたず、経済的にも精神的にもお互いに依存し合って閉じている。専制的な父親に従順に従うように見える少年は時折拒否の意志を表明しても基本的には従順である。しかし家出事件から戻った後は、少年の決断は毅然としたものとなり、自ら仕事をこなすようになっていく。
 そんな少年が精神的に父を越えたのが少女の死に直面した交通事故で、少女の死を直視する少年に対して父は逃げるだけであった。この時から少年にとって、父親は自分を支配するような大きな力ではなくなったのだ。それは同時に誰も助けてくれず、一人で立ち向かわなければならないことを悟ることでもあった。
 親をかばい、犯行を否定し続けていた少年は刑事に護送される電車内で、北海道の真っ白な雪景色の中で少女の死顔が思い浮かんだ。切れ長の目から一筋の熱い涙が流れ落ち、そしてポツリと「北海道には行ったことがある」と呟く。少年は罪を認め、そして同時に親から独立したのだ。それはあまりにも切なくて悲しい旅立ちだったと思う。
 傷痍軍人で働けなくなった父親が伏線になっていたいるのか、一家の行く先々でやたら日の丸が姿を見せる。山をなして並んだ真新しい位牌と骨壷の背後に壁一面の巨大な日の丸が垂れ下がっているシーンがその極めつけだ。タイトルバックでも使われた黒い日の丸は、果てしなく流されてきた血を吸ってきた国家の象徴かもしれない。しかし、それがこの映画とどんな関係にあるのかは僕は理解できないでいる。