おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

少年は残酷な弓を射る

2018-06-08 07:23:53 | 映画
「ビューティフル・デイ」のリン・ラムジ監督の前作はこれだった。

「少年は残酷な弓を射る」 2011年 イギリス

 
監督 リン・ラムジー
出演 ティルダ・スウィントン ジョン・C・ライリー
   エズラ・ミラー     ジャスパー・ニューウェル
   ロック・ドゥアー    アシュリー・ガーラシモヴィッチ
   シオバン・ファロン・ホーガン

ストーリー
エヴァは郊外の朽ち果てた一軒家に住んでいた。
いやがらせのため赤いペンキが玄関にぶちまけられ、道行く女性から突然罵倒され、ほほを殴られたりする。
睡眠薬とお酒が手放せない日々の中、エヴァは少しづつ過去の記憶と対峙していく・・・。
エヴァは世界中を飛び回り、その手記を書いている作家で、これまで自由奔放に生きてきた。
夫のフランクリンはエヴァと落ち着いた家庭を作ることを望んでいた。
そしてエヴァは妊娠するが、他の妊婦のように自分のおなかの中で成長していく我が子を愛おしいと思う以上に何か違和感があった。
誕生した子供はケヴィンと名付けられたが、子育ては苦難の連続だった。
一日中泣き通しの赤ん坊の頃、話せる年齢になっても一言も言葉を発しない3歳の頃、そして一向におむつが取れず反抗ばかりする6歳の頃。
どの時代も、夫フランクリンが抱きあげれば泣きやみ、彼が帰宅すれば笑顔で出迎えた。
エヴァは二人目の子供を授かった。
娘セリアは天真爛漫な少女に育ち、ケヴィンも美しい少年に成長する。
セリアは、ケヴィンとの関係が悪化していく中で、心をいやしてくれる天使の様な存在だった。
ある日、セリアが可愛がっていたハムスターがいなくなり、台所のディスポーザーの中で死んでいた。
エヴァはケヴィンの仕業ではないかと疑い、エヴァとフランクリンが留守中にセリアが強力な溶剤を誤って顔にかぶり片目を失った時、エヴァの疑いは確信に変わった。
それを口にしたエヴァと夫の関係は冷えて行き、ついに離婚話へと発展するが二人はもう少しこの生活を続けて行くことにする。
セリアがはしゃぎ、夫が一緒に遊んでやっている朝、それはこの上ない幸せな風景に見えた。
仕事に慌ただしく出かけて行くエヴァ。
それが最後の家族の記憶となり、そして忌まわしい事件が起こった運命の日となった。
記憶の旅も終りに近づき、彼女は決意を胸に悪魔の様な息子・ケヴィンがいる刑務所へと向かう。

寸評
サスペンス映画ともホラー映画とも言ってもいいような作品で、決して後味の言い映画ではない。
それなのにそこからもたらされる嫌味がないのは最初から最後まで貫かれるエピソードの切り替えに対するスピード感だったように思う。
作品は事件後の母親の姿と、事件に至るまでの出来事を切り替えながら進んでいくが、その間に繰り広げられる出来事は深く描かれることはなく、観客の想像を掻き立てながら次々と展開していく。
その構成がサスペンスを盛り上げ、ホラー化していく。
オープニングの白いカーテン、それに続くトマト祭りに参加する人々の鮮血のような赤に染まった映像が強烈。
この鮮烈な赤はエヴァの家と車に投げかけられた赤いペンキに引き継がれる。
いったい何がなにやら、さっぱりわからないままドラマがスタートして、その後、どうやら彼女には暗い過去があるらしいことが判明してサスペンス劇がスタートしていく。
この組み立てとスピード感は最後まで変わることがなく、この作品を支えている。
とは言うものの、最後になっても、とても希望が持てるエンディングとは言えず、陰惨な映画のままで終わっているので、僕はある種の感動を持って映画館を出ることは出来なかった。
少年の口からはわずかながらも希望的な言葉が発せられるが、少年が問題を内在しながらも上手く立ち回ってきたというごまかしを、母親も肯定するような言動も有って、ここにきて子供の持つ恐ろしさを母親も共有してしまったのではないかと感じてしまったのだ。
途中からは、そもそも子供であるケヴィンの行動は、母親エヴァの敵意と憎悪の反映ではないのかと、うがった視点で見てしまっていたのだ。
観覧中に僕は、自由奔放に生きてきたエヴァが妊娠を心底喜ばなかった気持ちが、すでに胎内にいるケヴィンに伝わっていて、望まれなかった自分の復讐を誕生後に行っているのではないかと、大いにひにくれた見方もしていたのだ。
家の中で起きる数々の出来事は、子育てをしている人なら多かれ少なかれ思い当たる節があるものだ。
赤ん坊がいつまでたっても泣きやまず、あやしても笑わない。
言葉の発達が遅い。
おむつがなかなか取れない。
言うことを聞かず、反抗的である。
どれを取っても、「そんなことはどんな子供にもある」と言いたくなるような些細なことなのだ。
しかし初めて子供が生まれたヒロインには、それがいちいちひどく深刻なことに思えてしまうのだ。
子育てノイローゼとはそうしたものなのだろうか?
子供は天使であると同時に悪魔でもある。
クローズアップされる母親と息子の関係。
幼い頃から父親には従順なのに、母親に対しては反抗的な長男のケヴィン。
その態度は、ある意味、悪魔的ともいえるほど。
成長するにつれて、その態度はエスカレートし陰湿化していく。
それをまともに描いていたら、きっとグロテスクな映画になってしまっていただろうと思う。
エバは職場でも友人を作ろうとしない根暗人間だ。
彼女が生きている現在は破局後の人生なのである。
彼女の回想の中で、映画は少しずつ、すべてが終わった破局に向かって進んでいく。
見終わると原題の「We Need to Talk about Kevin」が重くのしかかる。
子育ては母親一人だけでやるものではないのだ。
もっとケヴィンのことを夫と話し合わなければならなかったのだ。
ケヴィンの様なことはやらかさなかったけど、自分もケヴィンに似た感情を母親に対して持った経験を有している。
なぜそうなったのか、分かっているようで分からないのだ。
いやはや、子育ては難しいものだ・・・。