ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

原発問題の しかししかししかし

2017-07-31 16:28:00 | 日記
しかし、という接続詞の使い方は難しい。「Aである。しかしBである」
という文章と、「Bである。しかしAである」という文章を比べると、両
者のニュアンスは明らかに異なる。例として、(1)「彼女は頭がいい。しか
し彼女はブスである」という文章と、(2)「彼女はブスである。しかし彼女
は頭がいい」という文章を考えてみよう。(1)では「彼女はブスである」が
強調され、否定的なニュアンスが強いが、(2)の場合は「彼女は頭がいい」
が強調され、肯定的なニュアンスが強くなってくる。

さて、このほど政府は、原発の使用済み燃料から出る高レベル放射性廃棄
物(核のごみ)の最終処分地について、「科学的特性マップ」を公表し
た。「核のごみの最終処分地はまだ決まっていない」という事実を我々は
突きつけられたわけだが、事実を述べたこの文章を、我々がどういう文脈
で受け取るかによって、原発問題が我々に与える印象はだいぶ違ってく
る。

「原発は大量の電力を安定的に供給できる。しかし、核のごみの最終処分
地はまだ決まっていない」という文脈で受け取れば、原発は「トイレのな
いマンション」と同じようなものと捉えられ、悪い印象を我々に与える。
「核のごみの最終処分地はまだ決まっていない。しかし原発は大量の電力
を安定的に供給できる。」という文脈で受け取れば、原発のメリット(利
点)が強調され、原発は良い印象を我々に与える。

これらの文章に、「核のごみの最終処分地が決定されるのは、100年も先
の話である」という(事実を述べる)文章を付け加えてみよう。すると、
原発のデメリットはさらに後退して、ほとんど我々の印象に残らなくな
る。「原発は大量の電力を安定的に供給できる。しかし、核のごみの最終
処分地はまだ決まっていない。核のごみの最終処分地が決定されるのは、
100年も先の話である」と受け取るとしても、「核のごみの最終処分地
はまだ決まっていない。しかし原発は大量の電力を安定的に供給できる。
しかも核のごみの最終処分地が決定されるのは、100年も先の話である」
と受け取るとしても、(自分が死んだ後のことなんて、我々にとっては
どうでもいいことだし、そんな先のことは想像すらできないから)原発
のイメージが傷つくことはない。

原発推進派の安倍政権であるが、そんな政権でも、核のごみの最終処分地
に関する「科学的特性マップ」なら、安心して国民に提示することができ
るのである。
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