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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

介護認定の不条理

2017-01-13 18:02:39 | 日記
きょうは介護保険の認定調査があり、午前中、調査員のおばさんがやっ
てきた。その前に、「対応を協議したい」ということで、ケアマネさん
が姿を見せた。

「トイレも一人で出来ます。風呂も一人で入れます」と現状を正直に言
うと、介護度を低く認定されてしまう恐れがあるので、工夫が必要だと
いう。事実、前回の認定調査では、「あれも出来ます。これも出来ます
」と正直に答えたために、介護度を一段低く見積もられ、車椅子のレン
タルが認められなくなって、自腹で購入せざるを得ない仕儀となったの
である。

苦しいリハビリに耐えて、現状を維持し、できれば向上を、と私自身は
願っているのに、この時ばかりは、その願いのベクトルを無理やり逆方
向に捻じ曲げなければならないのが、バカバカしさを通り越して、なん
とも理不尽に思える。「できる」ことを「できない」と偽ることは「で
きない」から、「できることはできるが、寄る年波には勝てず、一人で
するのが辛くなってきた」と答えることにした。これなら生活の実感を
正直に言ったことになる。

リハビリを頑張って、自立度を上げられたら、「よくできましたね、よ
く頑張りましたね」ということで、「では、ご褒美をあげましょう。介
護保険の援助額に相当する分をあなたに差し上げます」とでもいうの
だったら、申し分はない。まあ、そこまでは望まないとしても、「頑
張った分だけ、援助額を差っ引きます」というのは、やめにして欲しい
なあ・・・。リハビリへのモチベーションが下がってしまうから。
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韓国 あの少女をどうする

2017-01-12 14:56:14 | 日記
ネット上のサイト「リテラ」に掲載された記事《安倍政権の駐韓大使引
き揚げは「表現の自由」への弾圧だ! 慰安婦少女像は“反日の象徴”では
なかった》を読んだ。「なんだこれは!」と、言いがたい不快感にとら
われた。なんとしても反論をしなければ、と思ったものの、即座には有
効な反論が思いつかない。だから余計に腹立たしい。

腹立ちまぎれに、(先日、朝日新聞に掲載された)鷲田清一氏の「折々
のことば」を思い出した。「お前は常に自分が正しいと思っているだろ
う。しかし正しいことを言うときは人を傷つけるということを知ってお
け」という竹下登元首相の言葉が紹介されていた(1月10日)。実感とし
て、「そうだ!」と首肯できる言葉である。まだ現役だった頃のことだ
が、会議の席で延々と正論を吐き続ける一部の「困った人」に、どれだ
け不快な思いをさせられたことか。

「リテラ」の記事も、言ってみれば正論である。だがこれは、人を不快
にさせる質の、アグレッシブな毒を込めた正論である。
その論理は単純で、要約すると以下のような構成になっている。
(1)釜山の日本総領事館前に設置されたいわゆる「少女像」は、国民の
権利としての「表現の自由」に基づいた、韓国国民の意思の表現であ
る。
(2)したがって、まっとうな国家なら,この「少女像」を強制的に撤去
するようなことはしないし、そんなことは許されない。
(3)日本政府は、韓国政府に「少女像」の撤去を迫ることで、韓国を「な
らず者国家」としてふるまうよう、不当な要求をしている。
(4)そもそも「少女像」は「反日の象徴」ではないし、この像の撤去は日
韓合意の条件を記した文言には書かれていない。

いかがだろうか。(本ブログで数日前にアップした)「少女像」問題に
関する私の見解は、以下のとおりである。
(1)「少女像」の撤去は、日韓合意の条件である。
(2)「少女像」を撤去しない韓国政府は、合意の条件を履行していな
い。
(3)他国との約束を履行できない国家は、まともな国家ではない。
(4)まともな国家とは言えない国家を相手に、協議や交渉を継続するこ
とはできない。

以上である。「リテラ」の記事に対する私の反論も、こうした見解に
のっとってなすべきだが、反撃の接点が見つからないのが、なんとも
もどかしい。

とりあえず反論を始めよう。私は(1)「少女像」の撤去は日韓合意の条
件である、と考えるが、これに対して「リテラ」の記事は、(3)「少女
像」の撤去は、日韓合意の条件を記した文言には書かれていない、と主
張する。事実はどうなのか。

「リテラ」の記事によれば、韓国外務省のホームページには、「可能な
対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決され
るよう努力する」と書かれているという。なるほどここには「少女像」
という言葉はひとことも明示されていない。けれども、だからといっ
て、この文言が「少女像」の撤去についてまったく言及していないと主
張するとしたら、それは牽強付会というものだろう。

これまでに行われてきた日韓の交渉は、「和解」の条件をめぐる交渉で
あり、メインテーマは「どういう条件なら、韓国は慰安婦問題で日本を
非難する従来の態度を改めるのか」であった。しかし問題の「少女像」
こそ、「慰安婦問題で日本を非難する」従来の態度の表明にほかならな
いのである。

「リテラ」の記事は、こうした反論を予想していたかのように、問題
の「少女像」は反日の象徴ではなく、「反戦の意思一般の芸術的表現」
なのだと強弁する。だとしたら、なぜ韓国の市民団体は、このモニュ
メントをことさらこれ見よがしに日本の総領事館前に設置するのか。
日本総領事館前からの像の撤去を頑なに拒む態度そのものが、「日本を
非難する従来の態度」の表明にほかならないのではないか。

このように考えてくると、問題は、「国民の意思の表現を、国家は封じ
ることができるのかどうか」という根本的な問いに行きつく。どういう
言動も「表現の自由」に基づく権利の行使であれば、それを阻止するこ
とは許されないのだろうか。国家がそれをすることは許されないという
のなら、市民を無差別的に殺戮するようなテロ行為をあおる、過激で扇
動的な言動が再三なされても、国家はこれに対していっさい対抗措置を
とれないことになる。それで問題はないのだろうか。

(まっとうな市民感覚を持った)読者諸賢のコメントを待ちたい。


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道具の話

2017-01-11 11:45:00 | 日記
きょうは我が家に、歯科衛生士の女の子が訪問診療に来た。診療と言っ
ても、昨年10月に始まった入れ歯(部分入れ歯)の製作は12月いっぱ
いで終わり、現在は「口腔ケア」ということで、装着やメンテナンスの
仕方を教えてもらっているといったところである。入れ歯が出来上がっ
た当初は、なかなか義歯が馴染まず、調整に手間取ったが、今は違和感
や不具合もなくなり、とても好い塩梅だ。
数日前のことだった。朝、入れ歯をつけようと思ったら、小さな部分入
れ歯がどこを探しても見当たらない。お〜い、どこにいってしまったの
だ~、と探した挙句にやっと気がついた。探し物は、ひっそりと自分の
口の中に納まっていた。装着していることを感じさせないほど、それほ
どしっくりと馴染んできているということである。
自分もとうとう入れ歯が必要な歳になったのだなあ、老いぼれちまった
ものだなあ、と妙な感慨にとらわれないでもないが、ものは考え様であ
る。良い道具を手に入れることができて、良かったと思う。これで、固
いものでも何でも、存分に食べることができる。厚切りのステーキだっ
て平ちゃらだ(そんなご馳走はごくたまにしか出してもらえないけ
ど・・・)。
入れ歯も、眼鏡と同じようなものなのかも知れない。近視の眼鏡が必要
になって、初めて渋谷の眼鏡屋に行ったのは、大学に入学して間もない
頃のことだった。作ったばかりの眼鏡をかけると、眼の前のものたちの
輪郭が妙にくっきり見えた。新しい世界に出会った気がして、感激した
おぼえがある。
40歳になった頃には、降圧剤が必要になった。職場の健康診断で、医者
からそう言われたとき、「でも・・・。ちょっと考えさせてくれませんか」
と渋っていると、その若い女医さんはこう言ったのだった。「あなたねえ、
目が悪くなれば、だれだって眼鏡をかけるでしょう。血圧のお薬だって、
それと同じなのよ。」
人は快適な生活の障害になるものを、道具を用いることで取り除く。快
適さや健康や便利さを手に入れるために、種々の道具を利用する。眼鏡
も入れ歯もそうだし、種々の薬剤だって同じということだろう。言って
みれば、(あのヤバい)ヤクと変わらない。
日々のストレスを取り除く道具、精神の健康を手に入れる道具は、私の
場合、その種のヤクではなく、アルコールだったり、ニコチンだったり
したが、今はパソコンがその代役を果たしている。入れ歯の効用につい
て、パソコンのキーボードをたたいて綴るこのブログが、本物の義歯?
と同じく、ストレスを除去する道具の役割を果たしていると言ったら、
でき過ぎた話だろうか。
生活の支障を取り除くための道具、生活の快適さを得るためのツール、
次に私が使うことになるのは、どういうツールだろう。近場の歩行を補
助するロボット・スーツだろうか。Whillのような、ハイテク電動車椅
子だろうか。遠出を補助するための、AI制御による自動運転自動車だろ
うか。
あと数年もすれば、それを手にするのも夢ではない。一日ごとに馴染ん
でくる私の部分入れ歯は、将来への夢をふくらませてくれる。
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核廃絶論ふたたび

2017-01-08 18:33:33 | 日記
有り難いことである。読者諸兄のコメントのおかげで、本ブログは久々に盛り上りを見せた。久々というより、初めてのことだったのではないだろうか。コメントを寄せてくれたkさん、そしてomg05さんに、まずはお礼を申し上げたい。
せっかく盛り上がったので、コメントで話題になった核武装問題について、このまま議論を続けたい。論点を整理するために、まずは議論の出発点になった朝日新聞の社説を確認することから始めよう。朝日新聞は1月6日付の社説《核兵器なき世界へ 逆行させず交渉前進を》で、核兵器禁止条約制定交渉をテーマに取り上げ、この条約は「核廃絶に向けた大きな一歩となる」と述べている。これについて、私は次のように述べた。「核廃絶に向けた大きな一歩」となるべきこの条約の、その制定交渉にこそ、無視できない大きな障害がひそんでいるのだ、と。ここで言う障害とは、ほかでもない,核の威力で安全を保とうとする、いわゆる核抑止論である。「核の威力で安全を保とうとする抑止論から抜け出さない限り、核廃絶は近づかない」と朝日は述べるが、悲しいかな、いまだに核抑止論から抜け出せていないのが、国際政治の現状である。そうである限り、核兵器禁止条約の制定交渉が始まった現時点においても、国際社会は依然として核廃絶から遠いままだと言えるのではないか。

では、核兵器禁止条約の制定交渉は、なぜ楽観視を許さないのだろうか。これまでの経緯をふりかえってみよう。「2017年に核兵器禁止条約交渉のための会議を開催する」とする決議案に、日本は反対票を投じた。反対票を投じたのは、核を保有する米、英、仏、ロの4カ国と、日本のように、この4カ国の「核の傘」の下にある国々である。
それでは日本はなぜ、この決議案に反対票を投じたのか。それは、この核兵器禁止条約が各国に「核兵器の平等な禁止」を義務づけることで、核不拡散条約(NPT)に基づく5大国の支配体制を揺るがすものになるからである。核不拡散条約(NPT)は、戦勝5大国だけに核兵器の保有を認め、それ以外の国にはこれを認めないなど、第二次世界大戦が作り出した不平等な世界状況を固定化しようとするものであり、これに対して、核兵器を保有しない国々の反発は強い。インドやパキスタンは反発から、この条約への批准をいまだに拒否しているほどである。
さて、懸案の核兵器禁止条約である。日本はこの条約の制定交渉に反対の姿勢を示したが、日本と同様これに反対票を投じた国々に共通しているのは、核の威力で安全を保とうとする、いわゆる核抑止論を固持する姿勢である。核兵器禁止条約の制定交渉には核抑止論の障害が潜んでいる、と私が述べたのは、そういう意味である。
さてさて、核兵器禁止条約は(1)「すべての国の核保有を禁止する」ことで不平等な状況を打破しようとするものだが、不平等な状況を打破しようとするのであれば、そのほかに、(2)「すべての国の核保有を認める」というやり方もある。読者コメント欄で、kさんが提起したのは、この(2)のやり方によって、本当に不平等は解消されるのか、という問題であった。kさんが言うように、すべての国が核兵器を保有するようになれば、大国が武力にものを言わせて弱小国の主権を脅かすといったことはなくなるだろう。「窮鼠猫を噛む」の諺を使えば、「窮鼠」(窮状に陥った弱小国)は窮状を打開しようとして、「猫を噛む」(核兵器を使用する)かも知れないから、弱小国を窮状に追い込んだり、弱小国の窮状を放置したりすることもできなくなるだろう。
しかし、弱小国の窮状にどう向き合うか、ということであれば、それに目をつぶってこれを座視するようなことは、現状でも行われていないのではないか。「基本的人権の尊重」を旨とする国連憲章が、それを許さないのではないか。国連憲章が歌う人権尊重など、ただのお題目に過ぎない、と高を括ることはできない。

昨年の8月末にあった北朝鮮の洪水被害のことを思い返せばよい。大洪水による甚大な被害で、北朝鮮の人々は窮状に陥ったが、国連世界食糧計画 (WFP) はこの窮状を救うため、14万人分の食料を提供するなど、大規模な援助の手を差し伸べている。支援の手は、国連機関によるものとは限らない。日本や韓国は北朝鮮の非核化を優先する姿勢から、援助を拒否したが、中国は北朝鮮に対し、2000万元(約3億円)相当の緊急支援物資を無償提供すると発表している。
このように、現状でも、弱小国の窮状はじゅうぶん国際社会の目配りの対象になる。たとえこの弱小国が、核兵器の開発に邁進して、多額の国費をそれにつぎ込んでいても、である。
だったら、という意見があるかも知れない。すべての国が核兵器を保有するようになっても、状況に大きな変化はなく、現状とさほど変わらないのだったら、核兵器を保有するのに国費を費やすだけ、無駄なのではないか、と。

こうして、核の非保有国は非保有の現状に甘んじ、核不拡散条約(NPT)の不平等体制は維持されることになる。(2)「すべての国の核保有を認める」というやり方をとっても、ゴールへの道は遠い。不平等は固定されたままである。

これに対しては、「低コストで核兵器と同等以上の破壊力をもつ兵器が開発されれば、弱小国でも核兵器と同等の破壊力を持つ兵器を保有することができるようになるのではないか」という意見もあるだろうが、どうだろう。そうなったときには、「軍備の不平等」は解消するとしても、「人類が大量破壊兵器の脅威にさらされる」という現状に変わりはなく、人類の生存状況はなんら楽観視を許さない状況にあると言わなければならない。
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日韓合意のこれから

2017-01-07 15:16:04 | 日記
いやはや、困ったものである。長い交渉の末にやっとのことで合意にこ
ぎつけ、和解の取り決めを交わしたというのに、取り決めの相手方が死
亡してしまったのである。
こちとらは取り決めに従って、多額の賠償金をすでに相手方に支払って
しまった。ところが相手方は、死亡して、取り決めで定めた和解の条件
を履行することができない。合意の条件を履行する能力を失ってしまっ
ているのである。

困ったこととは、言うまでもなく、日韓の間での、慰安婦問題をめぐる
一連の動向である。慰安婦問題の最終的決着をめざして始まった交渉
は、一定の条件でやっと合意に達した。日本政府は合意の取り決めに従
い、韓国政府に対してすでに10億円の和解金を(慰安婦を支援するた
めの財団「和解・癒やし財団」への支援という名目で)支払っている。
ところが相手方の韓国政府は、合意の条件である日本大使館前の「少女
像」撤去を、いまだに実行していない。実行するだけの能力がない。と
いうより、「少女像」の撤去という合意の条件を、履行する主体となる
べき韓国政府が、すでに死亡して、機能不全の状態に陥ってしまってい
るのである。

契約不履行の事態が生じた場合、それぞれの契約当事者がどうすべきか
を定めた取り決めが両国の間にあるのかどうかは分からない。また、こ
ういう事態が国家間で生じた場合、どうするのが国際法の慣行にかなう
のかも、私には分からない。
ただ確かなこととして言えるのは、韓国を相手に、今後はいかなる交渉
も契約も協議も行うことはできないということである。
このほど日本政府は韓国に対して、日韓通貨スワップ協議の中断や、日
韓ハイレベル経済協議の延期を通告した。これは当然の対処である。交
渉すべき相手方、協議すべき相手方がすでに死亡して、機能不全に陥っ
ているのに、協議を継続することはできないからである。

今後については、次のように考えるべきではないだろうか。国家の体を
なさなくなった韓国が、のちに新たな政府を樹立して、再び国家として
甦ったら、日本政府はこの国の新政府に対して、先の合意の条件を突き
つけ、「少女像」を撤去するように迫ればよい。これを新政府が拒否す
るなら、10億円の返還を要求すべきである。新政府がこれをも拒否する
なら、その根拠を問わなければならない。
「あの合意は朴政権の旧政府が行ったこと。我々の政府には関係ない」と
新政府が答えたら、こう切り返すまでである。「それなら、慰安婦狩りは
昔の軍人がやったこと。旧日本帝国政府の統治下で行われたことですから、
我々の政府には一切関係がありません。はい」
こう答えれば、韓国の新政府は、二度と慰安婦問題を口にすることができ
なくなるだろう。これで一連の問題に終止符が打たれるのなら、10億円
も無駄ではなかったことになる。
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