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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

朝日社説の核廃絶論

2017-01-06 20:53:34 | 日記
朝日新聞のきょうの社説が気になった。《核兵器なき世界へ 逆行させ
ず交渉前進を》というタイトルをかかげている。2017年の年頭にあた
り、朝日新聞はどういう核廃絶のビジョンを示してみせるのか。どうせ
理想論の大風呂敷を広げるだけだろうとは思ったものの、理想論や正論
をぶつだけで済むとは朝日の論説委員だって考えていないはず。そこの
ところの(現実認識との)ギャップをどう取り繕うのか、野次馬根性の
興味があったのである。

朝日はまず、核廃絶に向けたオバマ大統領の取り組みを「なし得たこと」
と「なし得なかったこと」に分けて、列挙することから始めている。

オバマ大統領がやったこと、なし得たこと、それは、(1)核物質による
テロを防ぐために、4回の核保安サミットを開いたこと、(2)イランを
相手に、核開発を大幅に制限することで合意に達したこと、(3)現職大
統領として初めて、被爆地・広島を訪れたことである。

え?それだけ? 8年前、プラハでの演説で「核兵器のない世界を追求
する」と宣言し、ノーベル平和賞をもらった人物にしては、実際にやっ
たことは拍子抜けするほど少なく、そして小さい。「口だけ番長」かと、
ついからかいたくなる所以である。

これに対して、オバマ大統領がなし得なかったこと、やろうとしてでき
なかったことは、(1)戦略核弾頭を1550発以下に減らす新戦略兵器削減
条約(新START)をロシアと結んだものの、ウクライナ問題で対ロ関係
が悪化したため、さらなる削減へと交渉を進められなかったこと、
(2)核開発を進める北朝鮮に対して「戦略的忍耐」でのぞみ、4回に及ぶ
北朝鮮の核実験強行を阻止できなかったこと、(3)核攻撃がない限り核兵
器を先に使わない、という「核先制不使用宣言」を行えなかったことで
ある。

ご覧のように、オバマ大統領が「なし得たこと」に比べれば、「なし得
なかったこと」が持つ意味ははるかに大きい。オバマ大統領はなぜこれ
らのことをなし得なかったのか。世界第一の超大国の、そのトップの企
図を阻んだのは、いったい何だったのか。

朝日新聞は、この問題はさりげなくスルーして、先月の国連総会で決定
された核兵器禁止条約制定交渉を次の話題に取り上げ、この条約は「核
廃絶に向けた大きな一歩となる」と述べている。ところが、「核廃絶に
向けた大きな一歩」となるべきこの条約の、その制定交渉にこそ、無視
できない大きな障害がひそんでいるのである。

この障害とは、ほかでもない,核の威力で安全を保とうとする、いわゆ
る核抑止論である。「核の威力で安全を保とうとする抑止論から抜け出
さない限り、核廃絶は近づかない」と朝日は述べるが、核抑止論から抜
け出せていないのが、国際政治の現状である。そうである限り、核兵器
禁止条約の制定交渉が始まった現時点においても、国際社会は依然とし
て核廃絶から遠いままだと言えるだろう。

核抑止論から抜け出すのは難しい。オバマ大統領が「核先制不使用宣
言」を断念せざるを得なかった理由が核抑止論にあることを考えれば、
それは明らかである。核抑止論をめぐる問題については、以前に本ブロ
グで書いたので、ここでは繰り返さない(興味がある方は、2016年10
月30日付の本ブログ記事《核廃絶の倫理と論理》をご覧いただきたい。)

どうすれば世界は核抑止論から抜け出せるのか。その答えを朝日の社説
に期待する気持ちがなかったと言えば、それは嘘になる。期待しながら
も、この期待が裏切られることが、私には分かっていた。あらかじめ分
かってはいたことだが、わずかとはいえ期待した私が、ああ、馬鹿だっ
た。
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ホモの歴史

2017-01-05 16:41:18 | 日記
『サピエンス全史』という本が世界中でベストセラーになっていること
を、昨夜、テレビを見ていて知った。フェイスブック創業者のマーク・
ザッカーバーグや、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが賛辞を送
り、オバマ大統領までもが絶賛しているという。まったく知らないこと
で、我が身の無知を思い知らされた。今後は時事問題だけでなく、知的
プロダクト全般にも射程を広げて、もっと見識を深めなければと思った
次第である。

さっそくアマゾンの通販サイトで調べてみた。日本語訳の正式タイトル
は、『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』である。kindleの電
子書籍では、「試し読み増量版」が無料で読めるというので、とりあえ
ずこれを手元のandroid端末にダウンロードしてみた。

私がこの本(と呼んで良いかどうか分からないが)に惹かれたのは、こ
の本(と呼ぶことにしよう)が、世界のまったく新しい相貌を見せてく
れるように思われたからである。人類の来歴を250万年という壮大な
パースペクティブで描いているというが、それだけでワクワクするよう
な話ではないか。

老子や荘子でなくても、アドラーやフランクルでなくても、ニーチェや
スピノザでなくても、世界の新しい見方を教えてくれる言説はある。た
だこの本の場合は、(老子や荘子が「2の言葉で10を語る」のとは違っ
て)「100の言葉で10を語る」類の浩瀚なものであるのだが。

私の勘は間違っていなかった。たとえばこんな件(くだり)がある。
kindleのアプリでダウンロードすると、コピペできないのがアレだが、
労を惜しまずに引用するとしよう。

「私達はつい最近までサバンナの負け組の一員だったため、自分の位置
についての恐れと不安でいっぱいで、そのためなおさら残忍で危険な存
在となっている。多数の死傷者を出す戦争から生態系の大惨事に至るま
で、歴史上の多くの災難は、このあまりに性急な飛躍の産物なのだ。」

これを読んで、最近の北朝鮮の動向を思い浮かべるのは、私だけではな
いだろう。そして、北の豚魔大王の姿を、サバンナでライオンやハイエ
ナやジャッカルと張り合っていた太古のホモ・サピエンスの姿と重ね合
わせるとき、彼がいじましい可哀想なホモであるように思えてくるので
ある。

試し読み版はあっという間に読み終えた。電子媒体なので、読んだ分量
の実感がない。ぶ厚い書籍版を手にとってみたくなるが、片麻痺の後遺
症で片側の手しか自由にならない今の私の身体の状態では、それもまま
ならない。トホホ。
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ブログを書く意味

2017-01-04 15:05:29 | 日記
この世はなんて生きにくいんだ。そう思いながら、苦しい思いをして、
やっとのことで生きている人たちがいる。そんな人たちを励まし、勇
気づける言葉がある。アドラーの言葉は、そういう言葉の一つである。
Wikipediaで調べてみた。彼は心理学者である以上に、精神科医だった
ようだ。学者である以上に、臨床医として患者に向き合ってきた人の言
葉は、たしかに重く意義深い。それは病に苦しむ患者たちに向けたもの
であり、患者たちにとっては、処方箋とも特効薬ともなり得るものだっ
たに違いない。

アドラーの言葉を切実に欲している人。生きていくうえで、アドラー
の言葉が欠かせない人。彼/彼女はその意味では、病を背負った不幸な
「患者」だと言っていい。
では、アドラーの言葉に、そこはかとなく魅力を感じている人はどうな
のだろう。そういう人は、病的な気質を持ちながらも、それに苦しむほ
どではないから、比較的軽症の患者なのだろう。
さらにはこういう人もいる。アドラーの言葉に魅力を感じるだけでな
く、伝道師のように、その魅力をブログで伝え広めたいと思う人であ
る。こういう人は、患者とは正反対であって、言ってみれば処方箋に
基づいて特効薬を調合する、調剤薬局の薬剤師のような人なのかも知
れない。
私はどうなのだろうか。私は上記のいずれでもない。アドラーの言葉
に魅力を感じるが、それなしでは生きていけないほど熱望するでもな
く、また、アドラーの魅力をブログで広めようとも思っていない。ア
ドラーの言葉を私がブログで取り上げるのは、ちょっと難しいかな
あ、と感じてしまうのだ。

アドラーにせよ、フランクルにせよ、だれにせよ、彼らの考え(思想)
をブログで取りあげ、それについて書き記すことは、レンズ磨きに似
た作業だと私は思っている。アドラーやフランクルの言葉は、私に
とっては、いわば世界を眺めるメガネのレンズのようなものであって、
それを通して見ると世界の思わぬ相貌が見えてくる、そういうミラキュ
ラス・ツールなのだ。このツールを磨き上げ、その性能を上げて、世
界の素晴らしい相貌を見る。これは患者のためではなく、もっぱら
(病から癒えつつある)私自身のためであり、私自身の自己満足のた
めなのだ。ブログを書くという作業は、私にとっては、そういうもの
だと思っている。

以上、年頭に当たって、ブログを書くことに対する自分の考えを整理
してみました。コメントをくれたオールド・パーさん、もといオール
ド・エーさん、貴兄を伝道師、薬剤師になぞらえるなど、多々失礼な
ことを書きましたが、いかがでしょうか。伝道師にせよ、薬剤師にせ
よ、レンズ磨きの職人よりはマシだと思います。
ヤング・ビー君は、完璧主義者なのか、ブログを始める前の準備作業
として、レンズ磨きの腕を上げるのに余念がないようです。
では。今年もよろしくお願いします。
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