昨夜のテレビ番組「嫌われる勇気」は、いろんな意味でビミョーだっ
た。殺人事件の真犯人が意外すぎて不自然であり、「作りすぎ」の感じ
がする。プロットに凝り、トリックに凝った玄人向けの推理小説を読ん
だ読後感に近い。
さてアドラーの心理学に事寄せた今回のメッセージは、「ライバルは自
分自身なのだ」というものである。このメッセージを聞いて、「なるほ
どなあ」と納得し、心が癒される思いを持った人は多いだろう。
この世は苛烈な競争社会である。その中で競争相手の同僚に、コンプ
レックスをいだいたり、ジェラシーをいだいたり、人は日々、おおきな
ストレスと闘いながら生きている。憎んで余りあるそのライバルが、イ
ケメンで、背が高く、足が長くて、若い、高学歴の「あいつ」ではなく、
平凡で短足の、低学歴オジサンの自分自身だとしたら、まだしも救いが
あるというものだ。それがイケメンで、足が長く、若い自分、――理想化
された自分だとしても、しょせん自分の別の姿であるからには、それは
自分にとっては決して乗り越えがたい高い壁ではなく、着実に一歩一歩
近づいていける到達目標だと思われるだろう。
「理想化された自分に対していだくコンプレックスは、健全なコンプ
レックスなのです」と解説役の心理学教授は述べるが、そう思えるな
ら、コンプレックスに思い悩む自分の姿を、人は醜いものではなく、
「健全な」ものとして受け入れることができ、多少は気が楽になるだ
ろう。
アドラー心理学という飲みにくい薬を、甘味の飲みやすい薬に調合し
て、一般患者に提供する優秀な薬剤師が、ここにはいる。ドラマのプ
ロットやトリックは、この調合薬を包むオブラートのようなものだが、
今回の「嫌われる勇気」の場合、このオブラートがぶ厚すぎて、残念
なことにこの調合薬の甘味を包み隠してしまっているように思える。
た。殺人事件の真犯人が意外すぎて不自然であり、「作りすぎ」の感じ
がする。プロットに凝り、トリックに凝った玄人向けの推理小説を読ん
だ読後感に近い。
さてアドラーの心理学に事寄せた今回のメッセージは、「ライバルは自
分自身なのだ」というものである。このメッセージを聞いて、「なるほ
どなあ」と納得し、心が癒される思いを持った人は多いだろう。
この世は苛烈な競争社会である。その中で競争相手の同僚に、コンプ
レックスをいだいたり、ジェラシーをいだいたり、人は日々、おおきな
ストレスと闘いながら生きている。憎んで余りあるそのライバルが、イ
ケメンで、背が高く、足が長くて、若い、高学歴の「あいつ」ではなく、
平凡で短足の、低学歴オジサンの自分自身だとしたら、まだしも救いが
あるというものだ。それがイケメンで、足が長く、若い自分、――理想化
された自分だとしても、しょせん自分の別の姿であるからには、それは
自分にとっては決して乗り越えがたい高い壁ではなく、着実に一歩一歩
近づいていける到達目標だと思われるだろう。
「理想化された自分に対していだくコンプレックスは、健全なコンプ
レックスなのです」と解説役の心理学教授は述べるが、そう思えるな
ら、コンプレックスに思い悩む自分の姿を、人は醜いものではなく、
「健全な」ものとして受け入れることができ、多少は気が楽になるだ
ろう。
アドラー心理学という飲みにくい薬を、甘味の飲みやすい薬に調合し
て、一般患者に提供する優秀な薬剤師が、ここにはいる。ドラマのプ
ロットやトリックは、この調合薬を包むオブラートのようなものだが、
今回の「嫌われる勇気」の場合、このオブラートがぶ厚すぎて、残念
なことにこの調合薬の甘味を包み隠してしまっているように思える。