ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

生徒は教師の鏡?

2016-08-02 13:48:10 | 日記
子どもは親の背中を見て育つ。そういう言葉があるが、同様のこ
とは生徒と教師の関係についても言えるだろう。生徒は教師の
背中を見て育つ、と。

このほど文部科学省の中央教育審議会(中教審)が、小・中・高校
の学習指導要領を改定するに当たって、中間的な「審議のまとめ」
を公にした。中教審は「「何を教えるか」だけではなく、「どう教
えるか」も強調し、生徒が主体的に多様な意見を交わしながら課題
を見いだして、解決するような「アクティブ・ラーニング」の重要
性を指摘している。

そういう生徒を育てるには、つまり、「主体的に多様な意見を交
わしながら課題を見いだし、解決できるような」生徒を育成する
には、生徒の教育に当たる教師自身が「主体的に多様な意見を交
わしながら課題を見いだし、解決できるような」人物でなければ
ならない。文科省の差し出す指導要領を、ただ唯々諾々と受け入
れ、疑うことなくそれに付き従うだけの教師は、主体性に欠けた、
追従的な生徒しか生み出さない。

「さあ、自由にふるまいなさい」と命じられ、命令通りにふるまう人
物の物足りなさ・滑稽さは、生徒にも教師にも言えることだ。「さあ、
自由にふるまいなさい」と命じる側の教師も、自分の言葉のおかしさ
に気づいていない場合が多い。

そういうことを考えてしまったら、中教審の委員の先生方も、何も言
えなくなってしまうだろう。難しいところだ。

第三者なら、
「文科省と中教審は年度内の告示に向け、知恵を絞ってもらいた
い」
とか(朝日新聞、8月2日付《学習指導要領 現場の自由の確保
を》)、
「今回示された改革の方向は、新たな可能性は持っている。しかし
多忙な現場の実情などに照らし、一方的な導入にならぬ入念な工夫
がいる」
とか(毎日新聞、8月2日付《新学習指導要領 消化不良起こさぬ
よう》)、
当たり障りのない提言をかかげて、適当に注文を付けるだけで良
いから、気楽なものである。

もっとも、社説のそういう適当な意見を、ただコピペするだけの
私は、もっと気楽なのだけれど。
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