ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

終活ブームに思う

2019-04-21 11:43:44 | 日記
妻のことではない。知り合いの女性のことである。仮にAさんと呼ぶことにしよう。このAさん、最近しきりに物を片付けるようになった。衣類を整理し、タンスなどの家具類をせっせとクルマに積んで、ゴミ処分場まで持っていく。そんな毎日が続いている。

聞けば、これは「終活」の一環なのだそうな。彼女の友人たち、高齢の女性たちの間では、この「終活」とやらが最近流行っているのだという。遺言書を作ったり、エンディングノートを記したりする、あれのことである。
「男の人はあまりやらないみたいだけど、あなたはどうなの?どうやって死を迎えたいの?」
「そんなこと、考えたこともないなあ」
「でも、胃ろうをしても生き続けたいとか、延命治療は望まないとか、いろいろあるでしょう?本人の意思がわからないと、周りの家族が困るのじゃないかしら」
「胃ろうとか、延命治療とか、そんなことは、その時になってみないとわからないな」

実際、チューブに繋がれたままでも、それでもなお自分が生きたいと望むかどうかなんて、そういうぎりぎりの、生死の境に立たされてみないと自分でもわからない。そう私は思っている。

「でも、そのとき意識がなかったり、認知症になっていたりして、その時の自分の意思を口に出せなくなっていることだってあるのじゃないかしら」
「そのときはそのときのことさ。意識がなければ、意思も望みもないということだから、周りの人が自分の都合の良いように、ご勝手にどうぞ、ということだな」
「そう言われてもねえ・・・」
「生きたい、死にたくない。そう思わない人はいないと俺は思うよ。もっとも、生き続けるのに苦痛や苦しみが伴うのなら、その苦痛や苦しみから逃れたい、楽になりたいと思うのも人情だけどね。意識がなくなっても、それは変わらないと俺は思うな」

私は、あと10年ぐらいは死のことを考える必要はないと思っている。必要がないことは、なるべくなら考えずに済ませたい。
それに比べて、Aさんときたらどうだろう。私から見てあと20年は何の心配もなく生きられそうに見える、元気一杯のAさんが、なぜそれほど「終活」に精を出すのか、私には解らない。たしかに最近は、2人に1人がガンに罹って死ぬ時代だというし、彼女にも最近は認知症気味の言動が見られなくはないが、それにしてもねえ・・・。

近年の終活ブームが、私にはまさしく一過性の「ブーム」のように思えて仕方がないのである。人生なんて所詮、一過性のものだし。
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