重い話…(以下略)
そして私がそんな状態の昨日、カルテ開示の手続きが前進しました。
あとは2つの病院と日程を調整して
私が病院に行けばカルテを見ることができるという状態になりました。
父親の最期についても
カルテを見ることについても
「そんなことにこだわって何の意味があるの?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
(実際この数日の間に、あまり面識のない方に似たことを言われました。
特に悪気のない言葉だったのは分かりましたが、、、やはり傷つきました)
それでも、私はやっぱりそこに真正面から向き合って
たとえどんなにつらい事実であっても、知って、理解して、納得して、自分の中で消化して・・・
そんな作業をしないと先には進めないタイプの人間なんだとあきらめがつきました。
こんなつらい過程、別に歩む必要ないのかもしれない。
心の中の傷には目を瞑って、誰かに、何かに責任を転嫁して
亡くなった人のことは気にせずに、ただ自分の人生を生きればいいのかもしれない。
そうすれば自分が病気になることもなかったのかもしれないし、その方が「正解」なのかもしれない。
でも仕方ないんです。それはできないんです。向き合う方の生き方しかできないんです。
要領の悪い生き方だな、とは自分でも思います。
でも、たった一度の人生、悔いは残したくない。
自分のこの心の中のもやもやに目を瞑ったままでは、きっといつか後悔すると思うので
後悔しないために、やっぱり向き合いたいと思います。
そして向き合うべき時が来たのだな、とも思っています。
実際にカルテを見れば、また大きな衝撃を受けるでしょう。
それでも、しないままでは、ずっと前に進めないと思うから
前に進むために、まずは今までのいろんなことを整理しに行かなくてはと思っています。
と、こういう自分の考えはブレてはいないんですが
今も、そしておそらくこれからしばらくの間も、とてもとてもしんどいです。
あまりにつらくて、消えてなくなりたいと思う気持ちが頭をよぎってはそれを頑張ってかき消し
頭も心も体も動かない今の自分に自己嫌悪したり、自責の念に駆られたり。
ほんとうにつらいです。
そんな自分の感情の中でもがきながら、それでもやっぱり「生きなくては」とは思っています。
長文、乱文失礼しました。