一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。
彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。
「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「先人考察(女性編)」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」
と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。
「うん。そうだな・・・今日は実質的に政務を見た最初の女性天皇と言われる「持統天皇」さんを見ていこう」
と、タケルは話し始めます・・・。
さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。
「持統天皇さんと言えば、何と言っても「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」の歌だよね・・・」
「この女性はそういう風景からビビットに季節を感じられる・・・そういう美意識的感覚を持っていたんだろうね・・・」
と、タケルは言葉にする。
「季節感を大事にしていた・・・と言えば、持統天皇さんと言えば、タケルさんも好きな柿本人麻呂を重用したのも、持統天皇さんでしたね」
と、レイカ。
「柿本人麻呂の非凡な能力を見ぬいただけでも、彼女の美意識の高さはわかるよ・・・さらに言えば天皇神格化作業を彼にやらせているわけだから」
「政治と言うモノをよくわかっていた女性と言ってもいいだろうね」
と、タケル。
「持統天皇の父親は天智天皇・・・その父の大事な跡取り息子の大友皇子と夫である天武天皇とを天秤にかけ、天武天皇を積極的に支持し」
「壬申の乱の時も天武天皇と行動を共にし、共同謀議すら、した・・・言わば、日本の歴史に時々現れる女傑系の女性なんだよね、この女性は」
と、タケル。
「持統天皇から見れば、大友皇子は、実の弟に当たるんですものね・・・それだけ、天武天皇が人間として、男性として傑出した能力を有していたと考えた方が」
「いいでしょうね・・・天武天皇も、自分の娘を4人も与えていることから・・・天武天皇の年齢がどこにも記録されていないのと合わせて」
「わたしは血のつながりが無いからこそ、天智天皇は傑出した能力を有していた天武天皇を自分に有利な位置に置いておきたくて・・・そういう行為に出たと」
「考える方が自然ですね」
と、レイカ。
「僕も天智天皇と天武天皇に兄弟としての血のつながりは無いと思う。血のつながりがあれば、何も自分の娘を4人も天武天皇に与えたりはしないさ。一人で十分だろう」
と、タケル。
「ただし、天武天皇が天皇家の血を引く人間であった事は確かだろうね・・・でないと天皇にはなれないからね・・・天皇家の血筋を引く傑出した能力を持つ男性だった」
「確か長槍使いだったのも、天武天皇だよね?」
と、タケル。
「ええ、「藤氏家伝」に見えるエピです。宴会で怒った大海人皇子が長槍を床に刺した。その行為に怒った天智天皇が大海人皇子を殺そうとした・・・そんな話です」
と、レイカ。
「なるほど・・・武人としても身体を鍛え抜いていた男らしいオトコだったんだろうね、天武天皇は」
と、タケル。
「天智天皇も天武天皇の人間性の大きさや頭の良さや豪胆さ、オトコマエさ加減など・・・帝王としての力量は認めていたからこそ、四人もの娘を与えたんでしょうね」
と、レイカ。
「その天武天皇に愛された持統天皇は、これまたオトコマエな女性だったろうね・・・でなければ、女帝として自ら天皇にはならないだろう」
と、タケル。
「そうですね・・・お互いの力量を認め合ったいたからこそ、お互い愛しあったし、壬申の乱の共同謀議すら、出来た・・・そういうことでしょうね」
と、レイカ。
「だって、壬申の乱の相手は持統天皇にすれば父、天智天皇の愛息なんだからね・・・下手すりゃ、持統天皇の元から天武天皇の意図が漏れたりする」
「・・・そういう可能性だって、無いとは言えないからね」
と、タケル。
「それだけ天武天皇と持統天皇は、お互い信じていたし、その絆は完璧だったと見ていいでしょうね」
と、レイカ。
「うん、そういうことだ」
と、タケル。
「とにかく、天武天皇を調べてみると、天皇家中興の祖と言ってもいいくらい天武天皇から始まった事って多いんだよね・・・もう、完全なる「絶対の知恵者」だ」
「だから、その天武天皇の素晴らしさを見抜いていた持統天皇も、完全に「知恵者」だった事が伺えるんだ」
と、タケル。
「「知恵者」のみが「知恵者」の素晴らしさを見抜ける・・・ですものね」
と、レイカ。
「そういうことだ・・・天武天皇の御代は大臣を一人もおかず決済はすべて天武天皇がやったらしい・・・それが出来ちゃうんだから、抜きん出た「絶対の知恵者」」
「だったんだね・・・」
と、タケル。
「同じ事をやろうとして、ダメダメだった後醍醐天皇を思い出しますね」
と、レイカ。
「ああ・・・比較相手が出来ちゃうから、歴史と言うのは、面白いんだ」
と、タケル。
「その「皇親政治」をやっていた天武天皇の政治を実質的に補佐していたのも、持統天皇らしい・・・ま、壬申の乱に勝利した天武天皇には強烈なカリスマ性が」
「あったし、とにかく、今の日本の大部分の基礎的なところを天武天皇が創りだしたとも言われているんだから、それこそ、毎日の仕事量は膨大だったろう」
「それを毎秒補佐していた持統天皇なんだから、その時に、政治のトレーニングになったろうね。先生は夫自らやってくれるんだから、ガンガン成長したんじゃないのかな」
「持統天皇は・・・日本の統治者として、ね・・・」
と、タケル。
「なるほど・・・逆にそれがあったから、持統天皇は、自分が天皇になることを快諾したんでしょう。それに天武天皇の孫、軽皇子を文武天皇とした時も」
「持統天皇は引き続き、天皇を補佐し、政治を行ったそうですから・・・政治家としても女性としてもオトコマエな人間性の大きい、仕事の出来る女性だったんでしょうね」
と、レイカ。
「持統天皇は、元々は天武天皇の死去後、自分の息子である草壁皇子を次期天皇にしようと画策していたんだ。もちろん、そこには天武天皇の同意もあっただろう」
「681年に天武天皇は、持統天皇に補佐されながら、皇太子をその草壁皇子にすると発表するんだね。この後、685年頃、天武天皇が病気がちになると」
「持統天皇と草壁皇子が共同で政務を取るようになっている。要はそこまでは順調だったんだ」
と、タケル。
「しかし、686年の9月・・・天武天皇は死にますが、その年の10月、持統天皇の子ではない、天武天皇が別の女性に生ませた大津皇子の謀反が発覚」
「・・・大津皇子はあえなく自殺しています・・・わたしはこれは持統天皇の謀略と見ます・・・」
と、レイカ。
「壬申の乱程の謀略を成功させたうちの一人、持統天皇だ・・・それくらいの謀略は朝飯前だったろうね」
と、タケル。
「このエピを見ると、わたし女性として妄想しちゃうんです。もしかしたら、壬申の乱そのものも・・・持統天皇の謀略だったんじゃないかって」
「挙兵するか悩む天武天皇に発破をかけたのは、どう見ても持統天皇じゃないかって・・・」
「「あなた、今立ち上がらなかったら一生天皇になれないのよ。今こそ立ち上がる時よ」・・・と、持統天皇が天武天皇に発破をかけたからこそ、壬申の乱が起こった」
「・・・わたしは一女性として、そう見たいです」
と、レイカ。
「もし、そうだとしたら・・・さらに、すごい女性だって事になる・・・面白いねー」
と、タケル。
「でも、この後、その大事な持統天皇の息子、草壁皇子なんですが・・・689年の4月に若くして亡くなってしまうんですね。天武天皇の死から、まだ、3年目でした」
「その次の代の天皇に、持統天皇が望んでいたのは、天武天皇の孫、軽皇子・・・当時、まだ、7歳・・・というので、やむなく持統天皇が自ら即位するんです」
と、レイカ。
「持統天皇は、天武天皇の執務を補佐していたし、草壁皇子とも補佐した経験があるからこそ・・・自分が天皇をやらなきゃ、誰がやるんだ・・・と言う気持ちに」
「なっていたんだろうね。だって、前例がないんだぜ・・・それを突破するチカラは並大抵じゃないよ。「いよっ、オトコマエ!」って所だね、完全に」
と、タケル。
「ほんと、オトコマエな「知恵者」だったんでしょうね、持統天皇は」
と、レイカ。
「持統天皇の政治は天武天皇の政治の継承が主なテーマになりました。その2大の柱は「飛鳥浄御原令の制定と藤原京の造営」で、どちらも天武天皇が」
「実現を熱望していた政策と言われています」
と、レイカ。
「法律の制定と都の造営か・・・天皇でなければ、出来ない仕事だね」
と、タケル。
「まるで、男性並みの精神的タフさ、ですね・・・謀略すら、可能とするオトコマエな「知恵者」・・・すごい女性政治家がいたんですね、古代には・・・」
と、レイカは感心するように言った。
「いや、天武天皇と言う政治の巨人がいたからこそ、教育された女性政治家だったのかもしれない」
「・・・やっぱ、すごいオトコには、素敵なオトコマエのいい女の「知恵者」が嫁に行くものさ」
と、タケルは結論的に言った。
「それは確かだと思います・・・いい結論ですよ」
と、レイカも笑顔で言った。
「さ、結論も出たし、仕事はこれくらいにして、飲み行こうか、オトコマエな「知恵者」のレイカちゃん」
と、笑顔で立ち上がるタケルでした。
「はい。もちろん、お供しますわ」
とレイカは立ち上がり、赤縁のメガネを取り、髪を解いた。
(おしまい)
巷にも「知識者」の女性、「知恵者」の女性がいろいろいますよね。
「知恵者」の女性って、頭の回転が速くて常にコロコロ笑っているから、僕も大好きですね。
人生大切なことは、どこまでも「知恵者」であることです。
そういう女性達と楽しく生きていきたいですね。
ではでは。