「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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彼の失敗が日本の政治のカタチを決めた!「後鳥羽上皇」!

2014年07月07日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「先人考察編」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「うん。そうだな・・・今日は鎌倉時代の帝「後鳥羽上皇」をとりあげてみようか」

と、タケルは話し始めます・・・。


さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「彼の歌が百人一首に残されている・・・その歌をまず鑑賞してみよう」

と、タケルは言葉にする。


「人もをし 人も恨(うら)めし あぢきなく 世を思ふ故(ゆゑ)に もの思ふ身は」

(人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には)


「承久の乱に失敗して、隠岐に配流された後鳥羽上皇らしい歌ですね・・・実際の彼はどんな人間だったんでしょう?」

と、レイカ。

「ま、そこを見て行きたいんだ・・・実際、何回か前に後鳥羽上皇を配流した北条泰時を言葉にしたけど・・・彼は簡単に言うと弱者の味方だった」

「・・・それが武家の本質・・・基本、元百姓だからね・・・」

と、タケル。

「・・・となると、後鳥羽上皇はどういう人物像が考えられますか?タケルさん」

と、レイカ。

「まず、後鳥羽上皇の生まれから、見ていこう・・・彼は1180年年7月の生まれだ。彼は高倉天皇の子供で要は安徳天皇の弟に当たるんだね」

と、タケル。

「だから、平家が壇ノ浦で滅んだ1185年の3月は・・・後鳥羽上皇はわずか5歳に過ぎなかった。もっとも後鳥羽天皇が即位したのは1184年7月だから」

「後鳥羽天皇はわずか4歳で・・・しかも、神器は安徳天皇の元にあったから、いわゆる「神器なき即位」という非常に異例なカタチを取ったんだね・・・」

と、タケル。

「その事が彼にコンプレックスを生み・・・後の強引な政策を生んだとも言われていますね」

と、レイカ。

「まあ、4歳の頃には何にもわからなかっただろうけどね。自分が他の天皇と違うということは・・・おいおいわかっていっただろうしね・・・」

と、タケル。

「1202年・・・政界の実力者達がこの世を去ると・・・後鳥羽上皇は22歳の若さで「治天の君」になっている。もちろん、源頼朝もすでに亡くなっていて」

「翌年の除目から、非常に偏ったカタチになったと言われているんだね・・・」

と、タケル。

「後鳥羽上皇の暴走が始まる・・・22歳にして、ですか?」

と、レイカ。

「頭を抑えていた実力者達がいなくなり・・・自由が効くようになれば・・・「治天の君」と言うのは、ある意味、農民からは最も離れた場所だから」

「要は世間知らずの「知識者」の「俺偉い病」になっちゃうんだよね・・・」

と、タケル。

「世間知らずの「知識者」の「俺偉い病」だと、「万能感」をもってしまうという事ですか?」

と、レイカ。

「そ。まあ、このあり方って、後に出てくる後醍醐天皇に非常に似たカタチなんだよね・・・」

と、タケル。

「後鳥羽上皇も後醍醐天皇も、幕府勢力を滅ぼそうと画策したところは、全く同じですからね。そして、どちらもその計画に失敗し、配流されている」

「・・・後醍醐天皇が隠岐に配流されたのは・・・後鳥羽上皇の先例に習ったんですか?」

と、レイカ。

「そういう事だろうね。ま、後醍醐天皇はまた、別途語るとして・・・要はだから「治天の君」というのは、世間知らずになりやすいってことなんだよね・・・」

と、タケル。

「農民に寄り添う「武家」に対して・・・農民から最も離れた場所にいる「治天の君」だから・・・世間知らずになるのは、当たり前・・・そういう事ですか?」

と、レイカ。

「そ。要は現実主義にして、どこまでもリアリストである「武家」に対して、「治天の君」や「公家」達は理想主義者になりやすいって事だね・・・」

と、タケル。

「後鳥羽上皇に関するエピの中で印象的なのは・・・非常に剣を好んだ事・・・自分でも常に手にしていたし、刀工によく剣を作らせた」

「・・・それが沖田総司で有名なあの「菊一文字」ですよね・・・」

と、レイカ。

「やはり剣を好んだのは・・・壇ノ浦で神器の中でも、最も大切と言われた剣が失われたから?」

と、レイカが聞く。

「それもコンプレックスになっていただろう。今まで古来から伝えてきたものを・・・自分の代で失ったんだからね。天皇家として後ろめたい気持ちはあっただろうね」

と、タケル。

「ただ・・・彼が平素から、剣を手にしていた・・・というのは、彼自身、武家への対抗意識が非常に高かったからじゃないだろうか?」

と、タケル。

「「俺偉い病」の人間の持つ「万能感」!」

と、レイカ。

「ああ・・・彼の一つの特徴として、非常に個体として優秀なオスだったと言うことだ・・・」

「歌だって、それなりにこなすし、その歌は、後世に大きな影響を与えたとまで言われている・・・」

と、タケル。

「世間とは隔絶された空間に身を置き、治天の君として、権力を振るえる立場にあったとすれば・・・そして、そういう自分に「万能感」を感じていたとすれば」

「正当な血を持った権力者たるべき自分が・・・見えないモノに怯える必要などない・・・後鳥羽上皇は、そう感じていた、ということですか?」

と、レイカ。

「だろうね・・・身辺近くに侍る公家たちも同じこと・・・結局、口あたりのいいことしか報告しなくなるだろうからね、公家たちも・・・」

と、タケル。

「つまり現実が全く見えなくなった「俺偉い病」の人間が・・・「万能感」を感じて単に暴走しただけ・・・それが後鳥羽上皇の本質と言うことになりますか?」

と、レイカ。

「そういうことになるかな・・・実際、鎌倉幕府、3代将軍の実朝と言う名乗りは、後鳥羽上皇がつけている・・・名前を与えると言うのは本来権力者側が」

「臣下に与えるものだろう?・・・まあ、実朝が受けたと言うことは鎌倉幕府の創意と言ってもいいだろうから、あれだけど・・・」

と、タケル。

「このあたりから、すでに後鳥羽上皇が勘違いを始めていた・・・そう言えるってことですね?」

と、レイカ。

「ああ。それが実朝12歳だから・・・実朝は1192年9月生まれだから、1204年と言うことになる。後鳥羽上皇24歳の事になるね・・・」

と、タケル。

「まさに後鳥羽上皇の暴走が始まって以後の話になりますね・・・」

と、レイカ。

「・・・で、いよいよ承久の乱なんだけど、これが1221年5月だから・・・後鳥羽上皇40歳・・・最もオトコとして脂の乗り切る頃だ・・・」

と、タケル。

「しかし、その7月・・・19万とも言われる大軍を率いて京に入った北条泰時の軍に完敗し、隠岐に流されちゃうんですね」

「現実の見えなかったオトコ・・・「俺偉い病」もここまで来ると呆れ果てますね」

と、レイカ。

「歴史上初めて・・・三上皇の配流と言うカタチになったんだね・・・後鳥羽上皇も、そこまでやられるとは思っていなかったろうに・・・」

と、タケル。

「だから・・・人を愛しながら、人嫌いな・・・そんな冒頭の歌の境地に達したんですね、後鳥羽上皇は・・・」

と、レイカ。

「彼を境にして・・・天皇家は政治にタッチさせない・・・そういう日本のお約束が出来るんだけどね・・・もちろん、例外もあるけど・・・」

と、タケル。

「リアリストである武家が政治をし、天皇家は儀式や有職故実を伝承する神主的役割を担うことになった・・・ですね?」

と、レイカ。

「・・・そういう事だ・・・彼の失敗が日本の政治のカタチを完全に決めたんだ」

と、タケルは言葉にした。

「なるべくしてなった失敗ですね。結局、「知識者」の「俺偉い病」がコミュニティの長に収まると・・・そのコミュニティは消えるの法則に近いじゃないですか?」

と、レイカ。

「そうだね。この場合は天皇家を無くすわけにはいかないから・・・天皇家から政治の実権が完全に奪われた・・・そういうカタチになったんだね」

と、タケル。

「やっぱり、怖い病ですね、「俺偉い病」・・・ふしあわせスパイラル一直線だし・・・」

と、レイカが言葉にした。

「そういうこと・・・それが今回の結論だな・・・」

と、タケル。


「結論も出たようだし・・・さて、んじゃ、レイカちゃん、今日も飲みに行こうか」

と、タケルは言葉にする。

「はい、どこまでもお供します」

と、レイカは言うと、赤縁のメガネを取り、髪を解いた。


(おしまい)


結局、この日本では周りが見えなくなったら、その政治家はその時点で終り・・・そういうことでしょうね。

まさに「天網恢恢疎にして漏らさず」・・・あの政治家も職を無くすんでしょうね・・・。


では、月曜日から、飲み行っちゃいましょう!


ではでは。