「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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この震災、原発事故が教えてくれたこと!(警鐘は活かされなければいけない!)

2011年05月16日 | お昼間カフェ

さて、午後用にもう一本記事を書いておきましょう。

なんか、一本記事を書いたら、なんとなく、インスパイヤされたので(笑)。


結局、この東電の清水社長というひとは、会社にとって、仇をなす行為しか、していないってことがわかりますよね。

だいたい、震災が起こって、原発が破壊された時、倒れちゃって、復帰してきたのは、一ヶ月後ですからね。

責任者として、弱いハートを持っているとしか、思えない。

一番、しっかりして、部下を率先して励ます立場にいる人間が、一番最初にケツまくったような恰好ですからねー。

ま、頼れる指導者で、なかったことは、確かだ。


欧米の新聞の論調は、この震災によって、

「日本人指導者の指導力の欠如。逆に被災者の尊厳ある立ち居振る舞いから、民族としての強さ、というものが顕になった」

ということを伝えています。


もちろん、指導者の指導力の欠如は、菅直人首相が、首相の任に耐えられていない、ということを間接的に揶揄したものでしょうし(直接的か(笑))、

さらに、清水社長が、震災から逃げたことも、日本人指導者のイメージを悪くしたと言えるでしょう。


しかし、どうですかね?

そんなに日本人の指導力が悪かったとは思えない。


例えば、東北各地の地方の行政のトップ達は、現地の責任者として、考えられる最大限の指導力を発揮したと言えるんじゃないですか?

国はアテにならない、と早くに見切りをつけ、新潟県の泉田知事と横で、連絡を取り合い、いち早く、村民や町民を非難させた指導者達がいるじゃないですか。

YOUTUBEを積極的に使い、世界に窮状を訴えた町長がいたじゃないですか。


この場合、指導者として、あてにならなかったのは、日本政府と、首相と、東電清水社長だけじゃ、ありませんか?


唐突ですが、寺島実郎という民主党のかつての最大の応援者が、日本には、います。

まあ、このひとの言っていることは、全然あてにならない、あんぽんたんだと言う事を、僕は知っていたので、しれっと、流していたんですが、

まあ、外見だけは、立派そうなあんぽんたん装置だなあ、というのが、このひとに対する僕の普通な印象です。

まあ、このひと、アメリカの対日政策の人間から、「ファンタジー」というあだ名をつけてられたいたんだそうで、ま、おもしろいですね(笑)。

そんな、民主党の最大の応援者であり、団塊の世代の応援者である、このおっさんが最近、次のようなことを言っているんですね。

「菅さんのように周囲の人を駆り立てる側にいた人物は、組織の下支え経験や問題解決のためのプロセスに呻吟することもなく」

「薄っぺらな戦後なるものを、体にあふれさせている。そんなふうに団塊の世代が終わってしまうのかどうか」

「もしかすると、この世代は本当の危機に直面したときに解決に立ち向かう力がないことを露呈しているんじゃないか、というのが現政権に対する私の印象なんです」


おせーよ、おめー!

そんなこと、最初っから、わかってただろう!

あの鳩山の顔を見ろ!菅直人の、仕事が出来ない人間が見せる、醜汚極まりない、周りを盗み見る表情を見ろ!

責任ある行動なんて、一度もとったことのない、ただ口だけで生きてきた、心無い人間の代表が、鳩山や、あのバカ首相だろ!

だから、問題解決に立ち向かう力がないどころか、だーれも、あんなバカに協力したがらないんだよ!

「パフォーマンスだけやっていりゃあ、日本の国民なんて、バカなんだから、騙せるさ!」

と踏んでいる、うんこバカ首相だから、誰も信用しないんだよ!

はっきり言って、今、日本のガンなのが、あのバカ首相なんだよ!


まあ、首相は、こんな状態ですから、あてにはならないことが、確定しています。


さらに、日本政府があてにならないのは、震災及び原発への対応の後手後手さ、逆に現地の行政のトップの頑張りを比較すれば、

もう、日本政府のどうしようもなさ加減は、身に染みてわかると思います。


さて、そこで、東電、清水社長問題です。


まず、震災直後、倒れちゃうなんてのは、指導者として、論外です。

まあ、それは、まず、置くとして、このひとが、どういうひとか、少しだけ探るために、経歴を見てみましょう。


このひとの出身は、慶応大学経済学部、ということで、東電での職歴は、資材部オンリー。

金勘定を大学で覚えて、資材調達をずっとやってきたひと、というところでしょうか。

東電というところは、東大閥が幅を効かせているので、慶応出身の清水社長は、動きにくいのだ、ということを指摘する向き(「東洋経済」)もあるみたいですが、

じゃあ、なぜ、トップに置いたのかという問題が出てきます。

その東大閥が、了承しない限り、トップにおけませんからね。だから、そのあたりは、能力を認めた、あるいは、能力を認めた形で、

トップに置くことで、東大閥が、なんらかのメリットを手にしたと見るのが妥当だと思います。

であれば、彼の動きを阻害する要素というのは、会社内部にそれほどあるとは、思えない。


やはり、清水社長本人に問題があるとしか、思えない。


それを解く鍵は、この資材部オンリーという経歴にあると見ていいと思います。

この清水社長というひとは、資材部での成功体験を積み重ねて、社長になった人間であろうということが、推測できます。

資材部に配属され、誰よりもうまいやり方、効率のあるやり方を実践することで、出世の階段を登ったタイプであることが、

容易に推測できます。そして、その資材調達能力は、経営能力にも有用と、東大閥が認識した、ということも、容易に推測できます。

つまり、彼は、ソロバンをはじくことで、成功体験を積み重ねた人間だ、と言えるわけです。


それは、つまり、彼は、ソロバンをはじくことしか、できない人間だ、ということも意味している、ということになります。


失敗を知らないから、いざ、失敗すると、どうリカバリーしたらいいか、わからない。

失敗を知らないから、失敗した人間の心細さも、わからない。

失敗を知らないから、人の立場にたって、気持ちを勘案することさえ、できない。

失敗を知らないから、失敗した時に、手をさしのべてくれる指導者の価値がわからない。


だから、失敗したから、逃げ込んじゃったのが、この東電の清水社長、ということになりますね。

つまり成功体験しか知らない人間を指導者の立場においてしまった、東電の人事ミスということが、はっきりと指摘できるわけです。


こういう震災なり、原発事故なり、逆境に、人々が置かれて、はじめて、そのひとの真価が問われるんですね。

首相、日本政府、東電の清水社長、みーんな、だめだということが、露呈した。

そして、日本人の強さ、尊厳ある態度が、世界に見せつけらた。


そういうことなんじゃないですかね?


ソロバンしか、はじけない人間だから、謝り方すら、わからない。

トップの行動というのは、戦略的でなければ、いけないはずです。

だったら、少なくとも、被災者の方に、自分を最低限信じてもらう必要が生じていたはずだ。

「このひとの言うことなら、信じて待っていよう」

そう、被災者に思わせることが最低限必要だったはずだ。


であれば、自然と、渾身の土下座になったはずだ。

申し訳ない!という強い気持ちがこちらにまで、伝わってくる、そういう渾身の、気持ちの入った土下座になったはずだ。

 

いや、実際に、清水社長が、被災者にすまないという気持ちがあるのなら、自然と、そういう行動に出るはずだ。

それが、土下座はしても、おざなりの土下座、保証に関する話は一切しない。

被災者の身になって考えていたら、とてもできない行動ですよ。

だから、皆わかっちゃったんだ。

「清水社長というひとは、被災者のことなんて、一切、考えたことのない、ひとだ」

ということが。


それが、行動に出ちゃったということでしょうね。


アホだ、こいつ。

営業の人間に聞いてみろ。

問題が起きた時の、謝り方を。

それすら、してないんだから、不勉強もいいところ。

さらに、被災者の身になって考えるどころか、一切考えていなことが露呈したわけだから、最低のトップですね、こいつは。


これは、やはり、経営トップを選択するスキームが、

「成功体験を積み上げた人間を経営者として選択する」

というところから、

「成功体験を積み上げる過程で、失敗体験も経験している人間、そこからのリカバリーに対する評価も勘案することが大事であり」

「硬直した経営にならないためにも、経営者というより、指導者としてのトップを選択する」

という方向への舵取りが必要なのではないかと考えます。

この東電の清水社長問題が、これらの事実を裏付けていると思います。


この震災、原発事故を警鐘として、今後に活かすのであれば、まず、経営者より、指導者をつくっていくことが、今後の方向性になるのではないでしょうか。


以上


なんか、論文みたいになっちゃったけど(笑)。

いやー、途中から、随分真面目に書いちゃったけど、口だけで生きてきたバカ首相みたいな人間は、論外だけどね(笑)。

まあ、トップになるのに、成功体験の積み重ねだけだと、清水社長みたいに、ポッキリ折れやすいってことも、考えないとねってことだよ。


やっぱり、責任ある仕事をしっかりと体験してきた、そして、失敗も知っている、硬軟自在の人間こそ、指導者になれるんじゃないのかな。


この震災は、それを僕らに教えてくれたんじゃないのかな?


それが、この記事の結論かなー。


僕らは、もう、震災後の新しい政治体制や、指導者の育成について、考えねば、ならないところに、来ているんですよ。



自分の人間性を良くしておかなければ、いけない理由!(心無い人間になっちゃだめ!)

2011年05月16日 | 日本人の秘密

おはようございます。

いやあ、朝からショックですけど、もう、こりゃ、どうしようもないねー(苦笑)。

2番組を連続予約すると、なんか、おかしくなっちゃうみたいで、

まあ、もう、対処療法で、乗り越えましょう。


しかし、春はあけぼの・・・とは、よく言ったものです。

ようよう白くなりゆく・・・最近は、3時半をまわると、ほんの少しずつ白々と明けていくんですねー。

まあ、その、ようよう白くなりゆく・・・を感じながら、いろいろ考えたりしているわけです(笑)。

そして、明けたら、お仕事などして・・・ちょっと片付けたので、「新選組血風録」を見ようとしたら・・・ショック!というわけです。

ちゃんと予約したのに・・・まったく、理に叶ってないよなー・・・まあ、しょうがないっすね。


と、軽く諦めたところで、何かネタでも・・・。


最近、ユッケで人殺しをしちゃった社長が、週刊誌でいろいろ叩かれているようですが、

まあ、あのひと、一番大事なところで、逆ギレをやらかしちゃったんですからねー。

まあ、仕方ないって感じですかねー。


まあ、人間、外見やら行動にそのひとの人間性というのが、如実に現れるんで、

「こいつ、怪しいぞ!」

と、週刊誌の記者連中に、その人間性の妖しさを嗅ぎつけられちゃった・・・ということでしょうか。

まあ、僕は別に週刊誌を読んでいるわけではないので、中身はよくわかりませんけど、こう、電車の中吊り広告とか、新聞の下の方にいろいろ出ているからね。

まあ、そんな風にも思うんですけど、

やっぱり、結果的にでもあれ、ひとを殺しちゃったんだから、普通に、謝るべきところだったんですよね。あの場は。

それが、逆ギレってんだから、

「どんだけ人間出来ていないんだ。あれが、社長か、笑わせるな!」

と、多くのひとが、思っちゃった、ということでしょう。


まあ、今まで自分のやってきたことが、パーになって、頭来ちゃったんでしょうけど、

「死んだひと当人のことや、家族のことなど、全然考えずに、自分のことが、先かよ。最低な人間だな!」

と、その人間性の浅さを、簡単に見破られちゃった、ということです。


日本人は、他人の人間性を観るのに、非常にシビアな能力を備えています。


だから、だめな人間性を示すと、すぐに反応されて、結果、その人間は、不幸になっちゃうわけですよ。

そのあたり、日本人は、シビアですよねー。


社長ということで、思い出されるのは、昔、雪印乳業で、問題が起きた時、社長が記者に向かって、

「わたしだって、寝てないんだ!」

と、激高しながら言っちゃって、そのあと、ボロクソに書かれたことがありましたが、

「ひとが死んでいるってのに、自分の睡眠の方が大事だってーのか、この社長!」

と、思われて、雪印をさらに苦境に追い込んだことが、ありましたねー。


まあ、あの社長にとっては、自分の睡眠は、死んだ人より大事だったんでしょうね。


そういうのが、すーぐバレちゃうわけですよ。

まあ、今回のあの社長とほぼ同じ構図ですね。


まあ、どっちの社長も、俺偉い病にかかっちゃって、人生失敗したってことでしょうね。


社長ということでは、東京電力の社長、このひと、どうでしょう?


被災地の避難所で、避難しているひとに、頭は下げるけれど、決して保証のことについては、言わない。

まあ、一度でもサラリーマンをやった経験があるひとなら、お偉いさんが、そういう態度をとる理由もわからないでもないでしょう。

確かに、企業人としては、それは、正解な態度かもしれない。経営者としてはね。

保証にどれだけ、お金をかけられるか、わかりもしない状態で、口には出せないということでしょう。


でもさー、実際は、加害者という立場なんだよね。このひとは。


自然災害が発端とは言え、エラー処理を甘く見積もったおかげで、被災者のふるさとを、放射能汚染した、加害者なのが、あの社長であり、東京電力なわけよ。

まあ、はっきり言って人災です。原発の運用に「想定外」なんて言葉は、ありえませんからね。

「想定外」という言葉を使って、しれっと逃げている人間がいますが、因果応報なのがこの日本ですからねー。

許されることは永久にありませんよ。今はまだ、そっとしてあるだけで、もちろん、責任とらされますからね、この日本では。

問題を起こしたら、責任を絶対にとらなければ、いけないのが、この日本です。


さて、話を戻しましょう(笑)。


被災者からすれば、経営者ではなく、加害者なんだよね、あの社長は。


その加害者が、加害しておいて、何の保証の話もしない。


つまり、

「被害者のことなんて、なーんも考えていない人間だ」

と被害者は、あの社長について、みーんな思うわけ。


だから、不信感や、不快感を、被害者全員が、感じているわけ。

 

だから、保証の額を今後提示されても、

「はい、そうですか」

と、簡単に飲みはしないでしょうね。

 

そして、

「こんなんじゃ、保証とは、言えない。元の土地を返せ!ふるさとを返せ!」

という言葉になるんじゃないですか?

 

東電としたら、一番、起こしたら、いけない状況じゃないですか?それ。

 

つまり、最初に被害者の感情を害したことが、のちのち、倍返しで、あの社長や東電に戻ってくる、ということで、

あの社長の、保証を口にしない態度は、大失敗だった、ということになるわけですよ。

自分や東電をさらに不幸にする態度だった、ということになります。

 

実際、あの場で、人間が出来ていたり、日本人というものを知っていれば、即座に、土下座して、

「今はどんだけ保証できるか、私にもわかりません。でも、誠心誠意、一生懸命、がんばらさせて頂くので、ほんの一時、待ってください」

とでも言っていれば、

「まあ、東電だって、一企業に過ぎないから、限界もあるだろうな。よし、わかった。あんたの態度に免じて、ここは、待つことにするよ!」

って、言葉が被災者から、当然、出てきますよ。

 

それが日本人だ。相身互いの社会だ。

 

そこまで、やってこそ、会社の指導者ってもんだよ。

あの社長の態度は、そこまでいっていない。人間が、いや、日本人がわかっていない証拠だよ。

 

この日本においては、加害したら、被害者のことを思わない人間は、否定されてしまう、こわーい法則があるんだよ。



実際に、あの社長が、

「いや、私は被害者のことを、一日中、ずーっと考えている。ずーっと思っているんだ」

と、言ったとしても、被害者側が、

「ああ、あのひとは、被害者である私たちのことを誠心誠意考えてくれているんだ」

と思わなければ、何にもならないわけ。


それは、やっぱり、被害者に謝りを入れている場で、被害者が、感じないといけない思いだったりするわけなんだよね。

それを経営者の論理で、被害者に接するもんだから、

「こいつ、被害者のことなんて、ひとつも考えていない・・・」

と判断されちゃうってことなんだよね。


まあ、この社長さんも東京電力も、ひどいことになるとおもうよ。まあ、不幸になるってことですよ。


日本においては、

「問題を起こしたら、責任をしっかりとる」

ということが大事な価値なんだよね。


つまり、日本社会というのは、経験的に、

「人間誰だって、間違いを犯すものだ」

という経験的知恵があるわけです。


だから、一回目の間違いは、しっかりとその間違いに対する責任をとれば、許してくれる、ありがたい社会なんですね。

でも、そこを甘く見て、責任をとらない態度を示すと、途端に冷たくなる社会なんです。


今回見てきた、3人の社長は、

「被害者のことなど、考えず、まず、自分たちのことを先に考えている」

と、被害者の人間達から、そう判断されたから、不幸への道を用意されてしまったんですね。


誰かに被害を与えた場合、経営者としてではなく、加害者として、過ちをまず認め、その責任をしっかりとる、態度を示さないと、

世論は、急速に悪化し、その責任者に不幸が訪れる、という非常に日本的な状況が生まれるんですね。


なんか、こう、経営者とか言っているけど、僕的には、人間を知らなさ過ぎる、日本人を知らないだめな人間達って感じですねー。


日本人はそういうところ、シビアです。

例えば、バカ首相がいくら手をつくそうと、誰も相手にしないでしょう?

あれは、彼に、こころがないことを、皆が見抜いているからです。

そして、そういう状況になっていることに、気づかないふりをしているのが、バカ首相なんですね。

だから、もう、あんなバカが率いている日本政府なんか、見捨てちゃっていいんじゃないの?


と、普通に思うけどね(笑)。


ま、事程左様に、日本人は、人を見る目がある、ということです。

そして、心無い人間は、否定されるということです。

今日の記事に出てきた人間は、全員、心のない人間でしょう?

だから、否定され不幸になっていく、ということです。


それが、この記事の結論かなー。

だから、人間性は、よくしておかないといけないんですよ。

どこで、誰が自分を見つめているか、わからないからねー。


ではでは。


ピチピチ通信は、次の土曜日発行とします・・・。

2011年05月16日 | 投稿について

どうも、ゆるちょです。

超朝で、「新選組血風録」見て、ピチピチ通信書いちゃおう・・・と、録画機を確認したら・・・。

やっちまいました!(涙)。

また、BS時代劇、録画失敗・・・。

もう、絶対、予約しない!!!!!・・・。

というわけで、ピチピチ通信は、次の土曜日の夕方、薄幸、いや、発行としまーす。

くーーー・・・・。

以上