「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

この記事一応いいんじゃね?ボタン(作ってみました!) ちょっとさ、押してくれると、うれしいんです!(笑)

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「由美ちゃん物語」(「江」のつまらなさの理由編)(4)

2011年05月25日 | ドラマについての小ネタ
「これは、リベンジだったんだ。田渕久美子の、兄に対する!」

と、沢村くんは、新しい答えでも見つけたように、皆を見回しながら、話します。

「「私は、兄の力を借りなくても、十分、視聴率のとれる作品をつくれる。そういう大河ドラマをつくれる!」そう、彼女は思ったのね・・・」

と、その沢村くんの思いを、説明するように、由美ちゃんが、つぶやきます。

「そう。そうです。田渕久美子は、自分の力を兄に見せつけるために、「江」を執筆したんです!」

と、沢村くんは、皆を見回しながら言います。

「しかし・・・その証拠は?証拠がなければ、その仮説は、単なる仮説に過ぎないままだ」

と、僕が言うと、沢村くんはニヤリとしながら、説明を続けます。

「まあ、そのあたりは、少しずつ、話していきましょう」

と、沢村くんは、黒板の前に戻ります。

「まず、第一に、「篤姫」を執筆したばかりの田渕久美子氏が、また、「江」で脚本家に選ばれた理由は、「篤姫」で成功したからだ、というのが一般のひとの考える理由でした」

と、沢村くんは説明します。

「しかし、事実は異なっていた」

と、佳乃さんがつぶやきます。

「そう。佳乃さんの言うとおり、「篤姫」は、高志さんの作である、ということは、NHK内部では、常識だった」

と、沢村くんが説明します。

「だとしたら、なぜ、「江」の脚本家に、田渕久美子さんが選ばれたのー?」

と、まひるちゃんが質問します。

「そう。そこだよ、鍵は!」

と、沢村くんは、笑顔で、話します。

「一応表向きは「篤姫」の成功は、田渕久美子氏の功となっている。しかも、NHKは、その田渕久美子氏の顔に泥を塗った形だ。そこがNHKの弱みになったのさ」

と、沢村くんは言います。

「だから、NHKと、田渕久美子氏の間で、話し合いが持たれたと見るべきだろう。そして、田渕久美子氏のリベンジの場として、「江」製作が決まったんだろう」

と、沢村くんは、確信を持って、話します。

「海のものとも山のものとも、判断の付かない脚本家を、大河ドラマに起用することに、問題はなかったのかな?」

と、僕がツッコむと、

「まあ、今までの実績があったから、「篤姫」起用があったんでしょうから、本人の実力も、ある程度評価を得ていたんでしょう」

と、沢村くんが言います。

「でも、今までの実績すべてが、兄によるものと、仮定したら?」

と、僕がツッコむと、沢村くんは、静かに僕を見ます。

佳乃さんも、まひるちゃんも、そして、由美ちゃんも、僕を見ます。

「さすがだね、ゆるちょくん。そのツッコミこそ、田渕久美子が、一番恐れていた、ことだったんだよ!」


階段教室には、戦慄が走っていました。

湘南の海岸にも、風が吹き始めていました。


(つづく)

女性の美しさ、は、どこから、作られる?(オールドスタイルお昼間カフェ(笑))

2011年05月25日 | お昼間カフェ
どうも!「由美ちゃん物語」の沢村です!まひるです!

今日もあのカフェに遊びに来てしまいました!

わたしも試験が終わったので、新しい気持ちで、さわさんに付いてきてしまいました!

初夏の季節に、この場所はぴったりですからね!

海風も気持ちいいし、なにより、このずーっと広がっていく海が気持ちいいよね!

さて、それじゃあ、この坂を登ってカフェまで、歩いていこうか!

もう、江ノ電、久しぶりだった!歩きなら、ゆっくり登れるね、さわさん!

うん。そのための歩きだもの。あ、いや。


あなたも、あのカフェに?

じゃ、ご一緒しましょう!



江ノ電の鎌倉高校駅前から続く一本の坂を、海を右に見ながら登って、ちょっと左に折れると、ほら、ありました。小さなカフェが。

海を見渡せるこのカフェは、昼下がりの気持ちのいい時間を過ごすのに、うってつけ。

さあ、ドアを開けますよ!

「カランコローン」

そして、もちろん、いつものように、奥のカウンターには、マスターのゆるちょさんが、立っています。

「いらっしゃいませ。いつものお席ですね!」

彼は、そう告げるとにこやかに、席を用意するのでした。



さて、今日は水曜日!今日は一日、気持ちのいい快晴のようです。

天気も絶好調だし、海風が気持ちいいです!

さあ、いつものように、テンション高目で、開店です!



というわけで、お昼間カフェ初期の感じに戻してみました。

そういえば、こんな感じだったんですよねー。


まあ、あの頃は、会話劇で、進めてたんですけど、このあたりは、

湘南のカフェにいる感じで、おしゃべりする感じで、いきますかね。

と、実際に、アイスティーも、用意して(笑)。

いやあ、風が、気持ちいいですねー、湘南は(笑)。


僕は、今日に至るまで、いろいろな女性に出会い、おしゃべりをしてきました。

まあ、若い頃は、モテ期と非モテ期(長いんだ、これが(笑))を繰り返して、

非モテ期に、突入した時の、あの潮のように引いていく、女性の冷たさ、そして、つきあい始めの、うれしそうにしゃべってくれる女性のやさしい笑顔、

自転車で、転んだ時に、やさしく介抱してくれる見知らぬ女性のやさしさ、別れを予感した時の女性のさみしい笑顔、など、

いろいろな女性の表情を見てきました。

まあ、うれしさとせつなさと、さびしさと、やさしさと、いろいろ見てきましたねー。


でも、やっぱり女性のいいところっていうのは、その素直さですかね。

自分の感情に素直!というところが、男性としては、やりやすく感じますね。

もちろん、オトナの女性になれば、自分の感情に嘘をつく、なんてこともあるんですけど、それもこれも、相手のことを思って、ですからね。


和田アキ子さんのビューティーコロシアムを論考した時にわかったのですが、

あの番組は、外見を美しくすることで、内面に美しい女性をつくりあげることが、最終的な目的になっているんですね。

だからこそ、最後に、変身して出てくる女性達は、一段と光り輝いている。

自分の外見に自信が取り戻せたからこそ、多くの男性の目に自分の姿を見せて、自信を取り戻す作業を、

あそこに出てくる前に、やっているんですね、あれは。

そして、自分に十分自信ができてから、あの舞台へ、立っているんですね。


これね。僕が男性達に言っている、

「男度確認装置として、女性の目を使え!」

と、同じことを実践しているってことになるんですね。


僕が男性達に言っているのは、

「女性は、外見に直接説得される生物である。だから、自分がどれくらいいけているか確認するためには、女性に自分を見せてみることだ」

「女性の目がおもっそ笑えば、合格。青信号。女性の目が反応しなかったら、赤信号だと思って、自分を磨け!」

ということです。

つまり、ビューティーコロシアムの変身した女性達は、これの逆、男どもに、自分の姿を見せて、男どもがいい表情をしたら、

「合格!青信号!」

と、判定して、自分に磨きをかける作業をたーくさんしたんでしょうね。

だから、女性も自分を磨くのに、男どもの目を使えばいいんですよ。

まあ、男性は、女性程、ダイレクトに表現しない恥ずかしがり屋の男性も多いですけど、それでも、いい表情をすると思いますね。


だから、男性も女性も、異性の目に、自分を映すこと、これが、自分を磨くことになるんですねー。

ほら、よく、

「女性は、見られることで、美しくなる」

という言葉がありますが、あれの具体的理由が、これなんですよ。


#あ、レモンティー、遅くなりました。それから、クリームブリュレ、こちらです。

#音楽を変えましょう。小野リサさんなんて、どうです?この感じ、初夏の湘南には、ぴったりですね。


と、話を戻しましょう。


僕は女性の美しさというのは、二つあると思っているんです。

ひとつは、もちろん、外見。特に、その美しさは、目に集約されると思います。

人間のこころというのは、目にディスプレイされますからね。

だから、目を見れば、その女性の、強さや弱さ、心の美しさ、真摯さが、わかる。

人生を、「めんどくさい!」なんて考えているひとは、すーぐにわかってしまいます。


人生は、楽しく生きていかなければならない。

人間は、しあわせになるために、生きているのです。


だから、そのために、真面目に人生を考えて生きる必要があるんですね。


そして、もうひとつの美しさは、しぐさや、行動に現れます。

これも、実は、こころが、しぐさや、行動に現れている、ということなんですね。


だから、こころを美しくしておけば、自然としぐさや行動も美しくなるんですよ。


すべては、こころの美しさ、なんですね。


さっきの、ビューティーコロシアムの話も、自分に自信があるから、美しく見えるという結論だったでしょ?

つまり、それが、目やしぐさに出ているから、人々は外見以上に輝きを感じる!ということなんですね。


だから、コラーゲンやコエンザイムQ10も必要だけど、それは、二の次、三の次。


自分の人生に自信を持ち、真摯な気持ちで、真面目に、人生を歩んでいるひとこそ、美しくなるんです。


なんということのない、漁港の婦人部のやっている食堂で、そういうおばちゃん達に給仕されて食べるお昼ごはんは、おいしいです。

みーんなあったかで、それでいて笑顔が輝いている。みーんな自分の仕事に、自分の人生に自信があるからですね。

だから、笑顔が輝いている。そういうひとが、ほんとの美人なんですよ。

そういうひととしゃべっていると、心が、ほっこりする。

とっても、しあわせを感じます。


人間は、しあわせにならなければ、いけない。

であれば、こころが、ほっこりするひとと、一緒にいればいい。

心の美しいひと、自分の人生に真面目なひとほど、どんどん、笑顔の似合う、美しい女性になっていくんだと思いますね。


これが、今日の結論かなあ。


自転車で、どかーんと、落車すると、近くにいる、大勢の女性が、思い切り、集まってきて、傷のようすを見てくれたり、身体をきずかってくれたりします。

最初は、僕もびっくりしましたけど、これが、女性の本当のやさしさなんだなって、いつも感激します。

女性って、ほんとに、いい。

女性がいるからこそ、男性が生きていられるんだと、素直に思いますね。


まあ、そんなことを、感じながら、生きていきたい、ものですねー。



#さて、いい天気ですね。

#今日も、いい一日になりそうです。


さて、長々としゃべってきましたが、

今日はこのくらいにしましょうか。

海も綺麗に見える時間に入ってきました。

みなさん、楽しんでいってくださいね!

ではでは。




そう言って、マスターは、カウンターの中へ、戻って行きました。

「それ、おいしそうだね!」

と、沢村さんは、楽しそうにしゃべっています。

まひるさんも、ティラミスを食べながら、うれしそうな表情です。

みなさん、楽しい時間を過ごされているようですね。

静かな時間が、波音と共に過ぎていきます。

太陽がさんさんと降り注ぎ、海はどこまでも、気持ちよく、広がっています。

海の見える静かな午後。ここでは、気持ちのいい時間だけが過ぎていきます。

跳びはね問題に見る、家族のしあわせの作り方!(立ちションをめぐる問題!離婚はなぜ、起こる?)

2011年05月25日 | 日本人の秘密
おはようございます。

いやあ、昨日は、午前はやたら肌寒かったですけど、

午後から、晴れまして、急に温度も上がって、なんだか、初夏に戻ったような感じでしたけど、

今日は、貴重な晴れの日になるんだそうですねー。

いやあ、洗濯機、回さないと!また、明日から、天気悪くなるみたいなんでねー。


まあ、僕はサイクルウェアは、何着ももっているんですけど、こう、その時代の流行りってあるんですよね。

もちろん、自分の中にある、流行りなんですけど、だから、以前流行っていたウェアは、あまり着たくない・・・。

というわけで、どうしても、ある一着のウェアを週末2日間着たりしてきたんですが、やはり、季節的にも、

暖かくなってくると、どうしても、2日目は、汗臭くなる・・・これもよろしくないわけでー。

まあ、今は、白い色をベースにしたウェアがお気に入り!ということで、フランセス・デ・ジューの白いウェアを

来ているんですが、もう一着、必要だな!という判断の元、FDJチームの白いウェアを買うことにしました。

これ、フランセス・デ・ジュー・チームが進化してFDJチームになったわけですから、まあ、柄も進化したんですけど、

白ベースは、一緒、ということで、土曜日は、少し前のFDJチーム、日曜日は、現在のFDJチームのウェアで走ることになりました。


で。何が言いたいか、と言うと、


洗うウェアの数が増えるので、洗濯が大事!ということですね(笑)。


こう、梅雨の季節なんて、部屋干し普通なんですけど、匂いが残ったりあれですからねー。これから、ちょっと大変かもしれませんけど、

まあ、だから、太陽の出る日は、貴重!ということになるんですねー。


まあ、素直にウェアが増えるのが、たーだ、うれしいだけなんですけどね(笑)。

ここで、買ったんですけど、今日、到着予定でーす(笑)。


さて、昨日は、離婚報道なんか、あったりして、どうなんですかね?

僕は結婚したことがないので、まあ、よくわからないんですけど、同棲なんかは、したことがあって、と言っても数週間程度のプチ同棲ですからね。

まあ、楽しいだけだったって感じですけど、なんか三谷さんが、

「夫婦って言ったって他人同士ですからね」

というようなことを、何年も前のインタビューで話しているのが、印象に残りましたねー。


この言葉は、やっぱり、

「夫婦というのは、やっぱり、わかりあえない部分はあるんだ。これは、しょうがないことだ」

というあきらめの言葉なんですかねー。


まあ、僕も女性とは何人もつきあってきましたけど、なんだろう、

「自分ではそう思わないけれど、でも、彼女なら、そう思うだろうなあ」

と思うことは、できたと思うんですね。


これは、「わかりあえない」ということなのか、それとも、「わかりあえている」ということなのか、どっちなんでしょう?


以前、我らが沢村一樹男爵が、対談番組で、おもしろい話をしていたんですけれど、

「僕はかみさんに、「お互い期待しないようにしよう」と、言ってあります」

ということを言っていたんですね。


例えば、お風呂の出口付近を子供と一緒になって出てくるものだから、ビシャビシャにしてしまったり、

トイレでおしっこして、跳びはねさせてしまったり・・・。


まあ、あの跳びはね問題は、夫婦の間の問題としては、おもっそポピュラーらしいですね。


まあ、実際、女性の方は、座ってするわけだから、男性も座ってやればいいのに!と普通に考えますからね。

でも、やっぱり、そこは、座ってやることに、抵抗があるんですよね。これは、もう、子供の頃から、男子は、立って、女子は、座ってみたいな、

そういう区別感があるからで、男性ってのは、子供の頃から、

「やーい、女のくさったの!」

と言われることが、最も侮辱感があったんですね。まあ、このことを、女性に言うと、

「女性を侮蔑している!」

と言われそうですけど、まあ、男性社会の中での、話ですねー、これは。

そういう幼児体験(?)があるからか、自然と、女性的になることを拒否しているんですね、精神的に。

だから、座って、しょんべんしたくない・・・そういう自然な気持ちがあって、やっぱり、立ってすることになるんだと思います。

このあたり、微妙な男性心理だったりするわけです。決して女性を侮蔑しているわけでもなく、ごく普通の微妙な男性心理なんだと思いますね。


このあたりを、うまく、女性側に説明して、わかってもらうってところから、始めないと、いけないのかもしれませんね。


それに、こう、立ちションって、やっぱり、爽快感が伴いますからねー。


昔、と言っても、江戸時代後期のあたり、農村のあたりに行くと、女性はいろいろ仕事に忙しいので、立ちションを普通にしていたそうです。

まあ、もちろん、そういう囲われた場所に、トイレ壺みたいなものがあって、そこで、こっそり、ということらしいですね。

これが、江戸の芸者衆なんかになると、お座敷からお座敷へ、それこそ、忙しく出入りするものだから、

おしっこなんて、そうそう行けないので、店から店への移動の途中、ふっと暗がりに入って、立ちションして、

さーっと次の店に行くなんて、やっていたそうです。

当時は、それが「いなせなこと」とされていたみたいですよ。

まあ、時代が違えば、価値観は変わるものですけれど、そういう時代もあったということで、

やっぱり、かみさんに、トイレで、立ちションしてもらって、その爽快感を感じてもらってから、いろいろ説明しないといけないのかもしれませんね(笑)。


つまり、相手の身になって、考える前に、相手と同じ経験を、身を持って体験することで、そのひとの気持ちや気分に近づく努力、というのが、いるのかもしれませんね。


ということは、そういうことを、理解してくれる女性でないと、僕の結婚相手は難しい!ということになりますねー。


そんなひと、いるのかー?(笑)。


おっと、話がズレた(笑)。


沢村一樹さんが実践されているのは、

「相手に期待しないこと」

つまり、トイレに跳びはねがあっても、

「そういうものだ。男というのは」

と、かみさんには、諦めてもらって、

「男がトイレを使用したら、跳びはねができるもの」

と考えて、対処していくようにする、というものだそうです。

「期待するから、それに裏切られて、怒りがわく。だから、初めから、期待しなければ、「そういうもの」とあきらめがつく」

ということみたいですね。


このあたりは、すべきこと、と、したいこと、のどっちをとるか、という話にも、なってきそうですね。


日々、人間っていうのは、したいことを、のんびり、やって生きていきたいものです。それが人間ってものですよね。

普通に子供の頃から、やり慣れている立ちションして、怒られるって、やっぱり理不尽に感じますからねー。


でも、教育っていうのも、必要ですよねー。


跳びはねをなくす努力ってのも、必要ですよね。毎回、豪快に、跳びはねを作られたんじゃ、かみさんだって、困りますからね。

つまり、子供の教育のために・・・という観点を導入すると、また、答えが違ってきそうですよね。


「子供の教育のために、お父さん、跳びはね、させないで!」


と、かみさんに言われたら、そりゃ、白旗ですからね(笑)。


と、言って、子供(男の子ですよ、もちろん)に、座りションベンさせるのも、なんか感情的にいやだしね(笑)。



やっぱり、技術を磨くことか!(笑)。


跳びはねさせない、技術だね(笑)。



でも、大切なのは、このあたり、照れずに夫婦間、親子で、話し合い、かみさんや、子供に、考えさせて、一緒に答えを見つけていくことなんじゃないかなーって思いますね。


つまり、


「問題があったら、自分で答えを出して、それを押し付けるのではなく、一緒に考えて、意見を戦わせて、家族の答えをみつける経験をたくさんする!」


それが、家族の結束をより育むように、思えますね。


結論を押し付けるのではなく、一緒に考える経験をガンガンする。そうすると、家族というものが、進化、成長していくんだと思います。

そういう経験が一番大事なんじゃないかなーと、今は思えますね。


だから、つねに、お互いおしゃべりして、家族の間で、つながっていることが、とても、大切なんだと思いますね。


結論を押し付けるのではなく、一緒に考えて、家族としての、答えを出す。


これが、家族のしあわせを呼ぶ、ひとつの形なんだと、思います。


それが、この記事の結論かな。



離婚しちゃうってのは、ある意味、お互い「自分」に逃げ込んじゃったってことなんですよね。


結束するのではなく、自分に逃げ込んじゃったから、その家族は崩壊してしまった。


それが、離婚という形を生むんだと思います。


やっぱりね、「逃げ込み者」になっちゃ、いけないんですよ。


それも、この記事の結論かな。



太陽が上がってきました。

今日もいい一日になりそうです。

今日も楽しく、気持ちのいい一日を送りましょう!


ではではー。


家族ってのは、お互い話しあいながら、期待もしながら、気長につくっていくもんなんじゃないですかねー。

最初は、慣れてないんだから、たくさん失敗もするだろうし、でも、めげずに、あきらめず、期待もなくさず、

気長につくっていく、プラスティック・モデルのようなものかもしれませんね。

やっぱり、期待しなくなっちゃうのは、やだな、俺(笑)。

笑顔で、いつまでも、相手に、期待していたい、それが、素直な、今の気持ちですねー。