「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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第六回 ピチピチ通信 「沖田総司の恋」

2011年05月11日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
僕の心は、ピチピチ通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

●沖田総司の恋はふたつ!お悠さんは可憐!加納惣三郎も可憐(笑)!しかし、沖田は、間違えなかった!間違えたのは、近藤さん!
いやー、気分いいねー。
「沖田総司の恋」に加納惣三郎のエピを絡めて、「男女の恋」と「男同士の痴情」を対比させて描いていました。
非常に、似て非なるものを、同じ場所に置くことで、お互いを強調する、という手法ですね。
まあ、これ、第一回の
「土方強い→ひとを斬ったことで、弱くなる→近藤が心配する→武士になったのは近藤を助けるためだと思い出す→元の強さに戻る」
という土方強弱物語の沖田総司版!と言った形でしたね。
まあ、労咳の影響もあるんだけど、ひとに恋したおかげで、
「死にたくない!」
という想いが出来て、それが沖田の剣を弱めてしまう、という奴なんだけど、同時に、加納惣三郎の色香に迷うという状況でもありましたねー。
いやあ、しかし、僕も加納のあの表情を見たら、ドキリとしてしまいましたから、男の色香というのは、普通に作れるんですねー。
まず、指摘できるのは、髪の毛の多さですかね。
それと、大きな目、そして、端正な顔、そして、形のいい唇。
まあ、お梅さんもポッテリ唇で、色香を表現していましたけど、唇もだーいじなんですね。
いやあ、しかし、色香で、沖田総司さえ、落とせるという自信がみなぎっているあたりが、こわいねー(笑)。
こう、10代から20代前半の、自分の容姿に自信のある女性な感じでしたね、あのあたりの行動は。
まあ、外見というのは、ある水準以上になれば、まあ、異性は、バンバン落とせるでしょうからねー。
そりゃ、自信にみなぎっちゃうのは、わかりますけど、加納の目がすごかったですね。
やっぱり、目で落とすんだろうな。女性的な妖しさをたたえた目でしたけど、あれは、どうやってやるんだ???
自分の中に女性をつくるんだろうか・・・さすがにこのあたりは、経験がないんで、よくわかりませんねー(笑)。
まあ、いずれにしろ、加納惣三郎が、リアルに作られていたので、原作ファンとしては、満足ですねー。
で、沖田も美男子・・・というより、さわやか青年という感じですから、
こーの二人のやりあい・・・というのは、女性にも見ごたえあったんじゃないですかね。
特に、加納惣三郎は、おもっそボーイズラブですからねー。女性はそういう要素にテキメンに弱いですからね。
まあ、そのあたり楽しんだ、女性も多いのではないでしょうかねー。
まあ、だから、お悠さんに惚れたことで、花の美しさだったり、女性の美しさに目覚めちゃって、死にたくなくなった総司ということで、
そっちが、弱くなった大きな理由なわけですよ。そこに、加納惣三郎の誘いがある。
というか、加納惣三郎の目があったからこそ、今度は、剣に迷いが出てしまうということで、要は、総司が人間的になったことで、
いろいろな誘惑に負けそうになる、ということなんですね。
それが、お悠ラブと、加納惣三郎の妖しさの二つ・・・ということで、正当な恋と、ボーイズラブが同時に存在していたわけです。
だから、沖田さんは、加納惣三郎と手合わせした時も、咳が出たこともあって、負けちゃうんですね。
結局、二人の隊士を殺したの下手人が、加納惣三郎だとわかった沖田は、惣三郎を倒す覚悟を決めるわけですが、
これがまた、加納惣三郎に一度負けているという沖田というストーリーにしておくことで、
「沖田の成長」
を描いているんですねー。
つまり、第一回の土方の成長を描いたのと同じフォーマットで、沖田を一度弱くして、その問題を処理することで、元に戻るということを描いて、
沖田の成長を描いたんですねー。
その問題が、お悠さんとの恋、そして、加納惣三郎からのボーイズラブだったんですねー。
しかし、原作ファンとして楽しかったのは、原作通り、近藤が勇み足をしちゃうことで、沖田さんに、
「僕は遠くから見つめているだけで、よかったのに・・・」
と泣かれてしまうということで、あのあたりは、ニヤリとしてしまいましたね。
近藤さんが土方さんに
「何があったすか?」
的に見つめられて、
「勇足だったかな」
と、とぼけるあたり、さすが近藤勇・・・という感じで、素直に笑えました。
まあ、でも、加納惣三郎と同時に描いたことで、お互い強調されました。
加納の妖しさと、お悠さんの初々しさ。
いーなあ、あれ!って素直に思えましたね。もちろん、お悠さんの初々しさですよ(笑)。
最後、土方さんの木を斬るシーンまで、あって、なつかしい大島渚監督の「ご法度」を思い出しました。
あれ、源さん役が、坂上二郎さんだったんだよねー。なつかしい(笑)。
まあ、でも、好みもあるんだろうけど、今回の加納惣三郎の方が色香がすごかったような・・・。
それとも、色香を感じる能力があの頃より上がったということか?(笑)。
いずれにしろ、沖田総司主人公ストーリーで、大満足でした。最後、さわやかに終われたしね。
次週は、なんと、「胡沙笛を吹く武士」ですからねー。
いやいやー、原作ファンとしては、うれしい感じが毎週続きます。

●だじゃれで言うところが、制作側の「あ、これ、お遊びだから」というメッセージ!今回だけあんぽんたん近藤でした!
「勇み足だったか」
と、思わず言ってしまう近藤勇!ということで、まあ、ダジャレなんですけどね(笑)。
まあ、今回、
「俺はお前のアニキみたいなもんなんだから。おめえの姉上にも、おもっそ頼まれたしー」
と近藤さんが言って、はじめて兄弟的な想いを吐露する近藤という表現がありましたが、
原作にある、どこかあんぽんたんな近藤になっちゃってました(笑)。
まあ、「新選組血風録」の近藤は、少々あれな人物として、描かれていますから、
まあ、最後、沖田の恋に口出しして、大失敗させるためには、
近藤の兄弟的想いは、ぜひやらなきゃいけないシーンだったということです。
まあ、沖田を、兄弟的に思っているから、縁談をうまくまとめようとして、あれしちゃった、ということですね(笑)。
まあ、はっきり言って最低なアニキですけどねー(笑)。
「僕は遠くから見ているだけでよかったんだ!」
って、弟に泣かれちゃあ、アニキも形無しです(笑)。
その弟を心配して、後を追って、あきらめた弟の想いをわかってやる土方の方が、
能力は、何段も上って感じで、まあ、土方さんが主人公だから、そうなるのは、当たり前ですねー(笑)。
まあ、ちょっと今までの
「出来る男表現」
とは、一線を画しちゃうので、ちょっと今回の近藤勇だけは、原作のひとになっちゃったかな?
という感じです。まあ、こういうアニキは、欲しくないな。
土方さんは、もっと、怖い(笑)。
まあ、今回の近藤さんは、ご愛嬌と言ったところでしょうかね。

●自らやらかしてしまったことに責任を感じちゃう!でも、恋の力は無限大!負けしまへんのお美代さんです!
えー、お美代さん、池田屋の記事を見ながら、寝込んじゃっているみたいで、
まあ、自分が行動したせいで、池田屋騒動が起こっちゃったわけだから、
そりゃー、寝こみもしますよねー。
まあ、彼女は丹藤の跡取り娘でもあるわけで、長州様を裏切るなんてことは、絶対やっちゃいけないわけです。
まあ、それを知っていても、恋の力は、無限大。
恋する土方さんのためなら・・・と、突然行動力全開になっちゃうのが、毎回のお美代さん!
ということで、このあたり、女性の弱さと強さが同居している感じです。
まあ、今回は、かなり弱々しく泣いていましたが、これが、土方さんを思うと、ガンガン行動しますからね。
そういう意味では、女性の強さと弱さなど、女性というものが、おもっそ表現されている「新選組血風録」!ということになりますかねー。
まあ、あの、お美代さん付きの女中さん、いろいろわかっているようで、ぜーんぜんわかっていないのね(笑)。
んなもん、長州様を裏切った理由なんて、土方さんに一緒に助けられているんだから、
すーぐ、見当がつきそうなもんだよね?
まあ、このあたり、女中さんが、そのあたりわかっていると、家から抜け出せなくなっちゃうんで、
あんぽんたんにしてあるんでしょうけどね(笑)。
まあ、お父さんも、女中さんもあんぽんたんなおかげで、行動力全開ができるお美代さんなわけでした。

●やっぱり影が薄かった!回想じゃなかったけど、一瞬で処理された、悲劇の山南さんです!
「山南さんは、回想シーンで処理されるのでは」
と、危惧していましたが、回想シーンではなく(よかった(笑))、1シーンで(笑)処理されていました。
ま、切腹シーンでしたけどね。ま、ナレで処理という、まあ、いたって普通に処理されていましたー。
まあ、ね。前回、
「病人は寝てろ!」
的に言われてましたから、まあ、最後は近いと思ったんですけどねー。
まあ、今回、沖田さんの物語の一端として、
「山南を連れ戻したのも沖田であった」
的に描かれたので、近藤、土方の反応などまったく描かれないという、この扱いですよ(笑)。
ま、めんどくさいひとでしたからねー。
こういうひと、いますよね。こう、社会に(笑)。
なんか、自分だけ特別みたいに、考えちゃって、自分の意見が通らないのに、腹を立てちゃう。
そいで、結局、周りから、
「うぜえな、こいつ」
と思われて、その思われているのもわかって、どうにもならなくなって、自滅しちゃう。
結局、自分の属している団体の意味というものが、わからないんだよね。こういうひとは。
自分だけ特別視しちゃうから、そういう団体の意味より、自分に重きを置いちゃうから、結局、消えることになるんだよね。
まあ、いわゆる、俺偉い病ですよ。
俺偉い病にかかって、周りが見えなくなったから、結局、消えざるを得なくなる。
団体の意味がわかっていれば、そこに身を処すものだけれど、あえて、
「俺偉いんだから、その言葉を聞かないなんて、考えられん」
とか結論づけて脱走→切腹なわけで、脱走した時点で、切腹は決まるわけだから、ある意味、構ってちゃんなんだよね。山南は。
まあ、行動が子供だよねー。
ま、いわゆるめんどくさい奴ってことで、こういうひとは、どうしようもないよね。
しっかりとあの時代、辛いことにも目をつぶらず対処した近藤、土方、沖田に比べて、子供的な行動の山南ということが、わかっちゃう。
まあ、得てして、俺偉い病の悪いところが出た、山南というところでしょうか?
ま、だから、これくらいの扱いのわけね。
結局、このひと、なーんの社会的役割も果たさなかったわけだから、まわりから、嫌われるのは、当たり前なんだよね。
この日本においては。
俺偉い病にかかって、勘違いした、だめなひとの末路は、日本においては、こんなもの、ということでしょう。
憐れ、としか、言いようがありませんね。合掌。

●たなごころにこだわりを持つ!近藤さんより、沖田さんを見ている!泣いているところに現れる、沖田さん思いの土方さんです!
というわけで、今回もおもっそ脇の土方さんでした。
まあ、今回は鬼表現もなかったし、お美代さんの回想シーンに出たくらいで、あとは、なんかあんまり印象がありませんでしたねー。
まあ、沖田総司物語でしたからね、今回は。
山南さんに対する思いとか、そこらへんまったく描かれなかったし、まあ、今は、新選組を強くすることだけ、
考えている、ということでしょうかねー。
原作だとお悠さんとのデートの時に、あんぽんたんな土方さんが隣にいたりしたんですが、
まあ、そんな無粋は、いや、ということでしょうかね。デートは二人っきりになっていました。あたりまえか(笑)。
まあ、そういうわけで、今回は特になーんも印象にない、ということで、それだけ、沖田総司さん物語になっていた今回、ということでしょうかねー。
来週は、また、暗躍しそうですけどね(笑)。
それにしても、「たなごころ」シーンをやっていて、このあたり、製作側がおもっそこだわった感じでしたね。
「たなごころ」から蝶というシーンも沖田総司で、表現していましたから、このあたりの表現が制作側におもっそ共感されたっちゅーことでしょうか。
さらに、最後、何かを感じて、木を斬っちゃうシーンもやっていましたねー。
まあ、「ご法度」では、たけしさん扮する土方さんが気合いれて、木を切り倒していましたが、
今回の土方さんは、なぜに、木を切り倒したのか、ちょっとわかりづらかったですね。
原作は素直に、気持ち悪い妖怪加納惣三郎を斬りにいったであろう沖田総司と同じ気持ちで、
「妖怪め!」
という気持ちが行動に出た、ということになるんですけど、
今回は、それがわかりづらかったですね。
ま、いずれにしろ、近藤さんよりは、沖田総司さんのことを、見ている土方さんというところでしょうか。
だったら、
「労咳!」
と沖田総司さんが白状したとき、もうちょっと驚いてもよかったんじゃない?
と思いましたけどね(笑)。

●沖田総司に恋するふたり!加納惣三郎とお悠さん!お悠さん、可憐でかわいらしかったね!
というわけで、加納惣三郎さん、登場!ということで、しっかし、このひと、ほんとに男の色気を表現していて、驚きましたねー。
まあ、髪の毛が多いこと、目がキラキラしていること、そしてしゅっとしていること、そして、唇ですねー。
このあたりが、整備してあると、男性でも、女性並の色気を発することができる!ということを教えてもらって、
「ひえー!」
って感じでした。
いやあ、今回、実際、ぞくっとしてしまいましたから、こわいね。この道は(笑)。
まあ、だから、男性もけっこう、外見にやられる、ということを勉強しましたね。今回(笑)。
まあ、実際は、加納惣三郎物語は、原作に比べるとかなり薄められていた、というか、原作では、男同士の団体だと、こういう妖怪のような人間も現れる、
ということを主張したくて、加納惣三郎を創作しているわけですけど、そのあたりの主張は、少なくて、
確かに妖怪ではあるけれど、沖田物語に登場する、ひとりの妖怪、程度に薄められていました。
沖田を落とそうとする、妖怪、という感じでしたかね。
沖田に恋する二人がいて・・・ひとりは、お悠さんで、ひとりは、加納惣三郎、的に並べられて、対比されていました。
だから、お悠さんの可憐さが引き立ったし、加納惣三郎の妖しさも引き立った。
非常によくできた、ストーリーだったと思いますね。お悠さんの可憐さ・・・あの最後の泣きのシーンが際立ちましたね。
というか、沖田と二人の初デート?のシーンが、なんか、あーゆーの、いいね(笑)。
こう、恋愛の最初の頃の二人、みたいな感じで、こう、ちょこっとずつ、相手のことを知っていく喜び、というのかな。
そのあたりが表現されていて、おもしろかったですね。二人ともそういうあたりの表現、うまいなあ、と思いましたねー。
まあ、初々しいあたり、ちゃあんと表現していて、ちょっとそういうの、いいなあと素直に思わせてもらいました。
こう、女性の方が、そういうあたり、大胆だったりするわけだよね。思わず、相手のことしか、考えられなくなっちゃって。
それで、聞きたいことがわんさか出てきちゃって、相手を知ることに喜びを感じる。
でも、聞くのも恥ずかしいんだけど、聞きたい・・・そういうあたりが、存分に表現されていましたねー。
まあ、沖田さんも日頃の冷静さはどこへやら。
まあ、最後、近藤さんの対処の仕方に、泣いちゃうんだからねー。
ま、思いの重さが出ていた、というところでしょうか。
まあ、最後には、そこを乗り越えた強い沖田さんがいましたから、恋愛もひとつの試練だったという描き方になりましたかねー。
で、それに比較された形の加納惣三郎なわけですけど、沖田さんを落とそうとする感じが、
「いや、そーれは無理だろ」
と思わせましたねー。
まあ、二人の男を、落として、
「わたしは、沖田さんさえ、落とすことができる!」
と勘違いしちゃったって、ことでしょうねー。
まあ、実際、途中で、沖田さん、半落ちしていたようでしたから、あながちその考えは間違ってはいなかったようですが、完落ちまでは、いかなかった。
ま、男ってのは、外見だけじゃあ、落ちませんね。
相手の人間性が、よければ、落ちるかもしれませんが、加納くん、最低の人間性の持ち主ですからねー(笑)。
やっぱり、男って、外見がいいだけでは、だめなんですね。相手の中身を知って、そこに感動があれば、好きになる。
献身的・・・というか、仕事をしっかり真面目にやるタイプを好きになるんじゃありませんか?
女性って他人を思いやるところに、価値があると思いますけどね。
他人を思いやって、一生懸命仕事する、そういう姿勢に男性は感動するんじゃないですかね。
まあ、今回、沖田さんは、お悠さんに一目惚れでしたけど、外見になにがしか、出るんでしょうね。
そういうやさしさだったり、真面目さだったり。
そして、沖田さんを気遣うお悠さんが描かれて、そこに感動して、さらに好きになっちゃう沖田さんがいた。
やはり、気遣いできる女性が一番なんじゃないですかねー。
ま、そのあたり、いろいろな男性によって、一番は違うでしょうけど、まあ、加納惣三郎くんの最低な人間性は、受け入れられないというのは、
同じなんじゃないでしょうか(笑)。
というわけで、外見だけで、いけると思った加納惣三郎くんの間違いが結局、自分を苦しめる結果になった、ということなんですね。
まあ、美しいひとって、案外、俺偉い病にかかっていて、人間性がだめだめなひとも、いますからねー。
外見が美しいことにあぐらをかいたら、終りです。
まあ、そういうひと、実際に、見てきていますからねー(笑)。
というわけで、外見も美しく良い人間性も出ていたお悠さんと、外見は美しいけれど、そこにあぐらをかいた加納惣三郎くんの
大きな違いが、沖田さんの対応によって、表現されていた、と見るべきでしょうね。
ま、沖田総司的にいえば、彼に恋した二人の人間、それも試練だった、そしてそれを乗り越えた沖田総司ということが語られた今回、
ということになったでしょうかね。
しかし、お悠さん、可憐だったなあ(笑)。

●一度にふたつの恋をもらった!でも、やっぱり女性の方がいい!恋したから弱くなった!でも、化物倒したから強くなったよ!の沖田総司さんです!
というわけで、今回、主人公だった、沖田総司さんでした。
沖田総司さんに関する恋、二つ!ということで、まあ、二つの恋を対比させることで、お互い強調出来ていましたね。
可憐な女性との恋と、忌まわしい化物からの恋。
まあ、僕は思うんですが、やはり、時代的にこのストーリーは、受け入れられないものがあります。
つまり、加納惣三郎を通して、司馬遼太郎という人物は、衆道を否定し、男性であるにもかかわらず男性に恋をする人間を化物として否定しているわけです。
外見は男性でありながら、こころは女性、という人々を我々はすでに知っています。
そして、そういう人たちがどれだけ苦労して、生きているかも、我々は知っている。
幼少のころには、いじめに遭い、自分を素直に出して生きることすら、できない。
彼らの笑顔の裏には、たくさんの涙があったことも、我々は知っている。
だから、我々は彼らを受け入れている。
その現状から考えれば、男を思う男は化物、とするこのストーリーは、浅すぎるし、偏見に満ち満ちている。
司馬遼太郎の人間としての浅さがまた、そして偏ったモノの考え方がおもっそ露呈しているわけですねー。
まあ、もちろん、時代が違うということもありますが、このひとは、ダメだしをして、ストーリーを書いているんですね。
弱い人間は、だめ。男を思うような男は、だめ。
全部単なるダメだしストーリーなんだな。だめな人間と、よい人間がいる。
そういう浅い思想なんだな。人間社会は、そんな単純な物じゃない。だから、浅いし、人物に奥行きがなく、説得力がない。
人間というものを見てこなかった証拠でしょう、これは。
ま、いいか、そっちはそれくらいにしよう(笑)。
沖田さんは、恋を知って、はじめて生に執着したことになっています。
それまでは、剣に生きてきただけだったから、死んだらそれまでのこと、という覚悟があったんだな。
でも、恋を知って、その覚悟が揺らいだ。
だけど、今回、化物加納惣三郎を斬ることで、そして、お悠さんとの恋が壊れることで、そこから、成長した、というストーリーになったわけです。
しかし、お悠さんに恋をしている人間が、加納惣三郎の色香に迷うか?
そのあたり、ちょっと説得力に欠けますね。
つまり、お悠さんとの恋と、加納惣三郎からの恋を対比させようと考えたおかげで、実際の説得力が失われた、ということなんですね。
このあたり、どうも、浅い。
確かに、ストーリーを作る上で強調するには、この手法は素晴らしいと言えるんですが、肝心な説得力が弱くなってわかりづらくなっている。
だいたい初めての恋らしいですから、沖田さんは、そっちに夢中のはずですよ。
だから、加納惣三郎のことなんて、眼中にないはずですけどねー。
それが、色香に迷って、剣がおかしくなるなんて、まあ、ありえないことなんですよね。
そのあたり、無理があって、やっぱり、ちょっとなーということになります。
まあ、確かに、加納惣三郎を絡めることで面白くはなりましたが、まあ、そのあたり、点数が辛くなっちゃいますかね。
まあ、いずれにしろ、化物にも勝ったし、恋は経験した、ということで、強くなった沖田総司さんが今後描かれるんでしょうか。
まあ、最初は手放しでほめてましたが、いろいろ考えると、アラが見えてきちゃうね。
まあ、原作が原作だからなー。ま、そんなところでしょうか。
今後の、ニュー沖田に期待しましょう!


今週の喜び
「沖田総司の恋」
ということで、沖田さんに恋する二人の男女が出てきて、いろいろ表現してくれたわけですが、
まあ、お悠さんの恋の方は、初々しくて可憐で、わかりやすいんですが、加納惣三郎さんは、沖田さんを落とした後、何を狙っていたんでしょうかねー?(笑)。
というか、原作では、加納惣三郎は、もともとはまともな隊士だったのに、衆道好きな男達によって、そっちの道に放りこまれて、
最終的におかしくなって、妖怪変化の類になった、というストーリーなんですけどね。
これって、戦争に行って軍隊嫌いになった司馬遼太郎による、男性のみの団体非難のストーリーですよね。
男同士の団体だったから、衆道好きな連中すらいて、そいつらにやられた加納惣三郎の悲劇のストーリーを語ることによって、男性のみの団体を否定しているわけです。
まあ、新選組のあり方を否定することで、暗に、戦中の日本軍を否定した、そういう司馬遼太郎の思いが見て取れるわけです。
多分、司馬遼太郎本人も、軍隊にいる時に、そういう男性同士の恋愛、というものを近くで見ていたんでしょうね。
それに対して、
「汚らわしい!」
という感想を持っていたんでしょう。そして、その思いをこの作品に結晶したわけで、まあ、ある意味、衆道差別とも言える内容なわけです。
「衆道に落ちるとわけわかんなくなって、妖怪になっちゃう」
ということを主張しているわけで、まあ、ちょっとあまりな見解と言えるでしょうね。
まあ、この作品が書かれた時代では、これが普通な考えだったんでしょうけど、
今の時代には、合わない。
男性の外見でも、こころは女性ということもある、というのが、広く認知された今の時代には、到底合わないストーリーです。
だから、やっぱり、昔の原作をそのまま、ドラマにすることに、問題がある、ということが、ここでも、露呈してしまった。
まあ、実際、加納惣三郎は、そのあたり、リアルさがありませんね。
たーだ、男性を落とすことに快感を感じてしまった、若いガキンチョ、程度の話で、
なんつーのかな、外見は男性だけど、心は女性というところまで、いってない。
たーだ、落とすという行為と結果に満足という、それだけで、危うい行為をしてしまうことに、違和感がある。
それだと、ただのガキンチョの遊び程度ということになってしまう。
だから、話に奥行きがない、ということになる。
ものすごく、浅い話なんですね。
というか、人間を見ていないんですよ。司馬遼太郎というひとは。
だから、頭の中で考えた浅いキャラで、物語を書いちゃう。
深みというものが、まったくありませんね。
まあ、だから、大衆作家と言われたんでしょうけど、池波正太郎大先生の作品と比べると、浅い物語だなあ、という感想になってしまいます。
しかし、加納惣三郎をヴィジュアル化したのには、驚かされましたねー。
実際、色気を感じて、
「う。ヤバ!」
と思っちゃいましたから、そのあたり、
「俺も大人になったのかなあ」
と素直に思いました。
あと、やっぱり、お悠さん、よかったですね。初々しさ爆発で。
それに、好きになると、相手のことばかり考えてしまう・・・というあたり、描いてあってよかったです。
そして、最後に、お悠さんも涙して、
「ああ、お悠さんも、沖田さんのこと、好きだったんだな」
と、納得できて、よかった。
原作は、そのあたり、踏み込んでませんからね。
ま、そのあたりで、最後納得できたかな・・・という感じで、まあ、満足満足という形ですか。
原作では、沖田さん、告白しているんですけど、今の時代的には、雰囲気でわかりあえる、という形になっていましたね。
これね、やっぱり、そうですよ。
お互い好きになりそうなポテンシャルを持っていれば、告白しなくても、わかりあえるものです。
そのあたり、よかったですね。
まあ、やはり、時代の違いが如実に現れるもんです。
原作と違う点を見れば、時代というものがわかってくる。
そういう意味では、この「新選組血風録」。今の時代に合わせて表現するからこそ、時代の違いというものが、鮮明に見えてくるんですね。
来週は、「胡沙笛を吹く武士」ですかー。
これも、原作ファンとしては、うれしい限りですね。
っていうか、これも、突然、強い武士が、弱くなっちゃうという、ちょっと問題のある作品ですけどね。
人間、わかっていないんだなー、司馬遼太郎って。
ではでは。

今週の「?」
山南さん、あっさり表現でしたねー。ま、あんなもんでしょうけどね。まあ、最低限の表現だったかなー(笑)。
あと、突然あんぽんたん化する近藤さんも、どうでしょう?「勇み足か」のセリフに、製作側の、
「これ、ま、遊びみたいなもんだから」
という意思表明が見えますが(笑)。