「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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第四十六回 ドラゴン通信 「土佐の大勝負」

2010年11月15日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
翌日発信 炎上上等 ドラゴン通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

今週の一言:龍馬をヒーローにしたのは、後藤様と容堂公の深い演技力だった!素晴らしい!

●最後に残るのは日本人!クライマックスのお言葉がそれとはねー!ラスボス倒されて終わっちゃった感が濃い「龍馬伝」です!
うーむ、なんつーの、終わっちゃった・・・っていう感想かなあ。容堂とのバトル・・・もう少しいろいろあるかと思ったけど、簡単に説得されてやんの・・・。
ちょっと拍子抜けしたな・・・まあ、でもあんなもんかなー。ずーーーーっとインパクト芝居の容堂さんだったのに、最後、普通に気のいいおっちゃんになっちゃって・・・。
なんか、この大河って、敵側にいたひとが、龍馬側に落ちるとき、豹変するんだよね。すーぐいいひとになっちゃうからさー。
まあ、後藤さんもそうだったけど・・・容堂公まで、それとはね・・・いやあ、まあ、仕方ないか。もう、時間ないし・・・。
なんか、もう、終りだなあって感じですね。そりゃ、まあ、あと2回しかないわけだけど、なんか、収束感ばかりが、ある感じです。
まあ、龍馬さんの演説もまあ、よかったですが、なんだか、後藤さんのちょっとしたリアル芝居がよかったかなあ。
まあ、龍馬さんは主人公ですから、あんな感じですけど、今回、葛藤という意味では、一番リアルさが出てたのは後藤さんだったかなあ。もちろん、容堂さんも
葛藤してましたけどね。あの容堂さんのへたりこみが、武市さんの時と同じで、ちょっと笑ったんですけど、そこに武市さんの話を龍馬さんが被せてくるんで
ちょっと驚きましたけどね。っていうか、何であの話、龍馬が知っているの?って思っちゃいました。もう、あのあたり、記憶があいまいで、よく覚えてませんが、
まあ、どうでもいいですか、そんな小さなことは・・・。
しかし、
「武士も大名もいなくなったあと、何が残るがじゃ!」
と、言われて
「日本人です」
と、龍馬が言ったのには、ちょっと冷めましたねー。こう、このドラマの病気というか、小学生の学級委員的症状が出ちゃったねー。
まあ、確かに龍馬と言えば、日本人かもしれないけど・・・。まあ、クライマックス中のクライマックスだったから、ずっこけそうになりました。
まあ、龍馬伝だから、しょうがないか、という感じですね。
でも、あんまり感情動かなかったなあ・・・なんか、お約束の感じだったからか、
「終わちゃったなー」
という感じの方が強いですね。だから、後藤さんと龍馬の握手も特になんということもなく、ボーっと見てました。
あの「清風亭」の時のほうが、感情が動きましたねー。今回は、まあ、そういうものかなあって感じでした。
そういう意味じゃあ、容堂の豹変・・・、
「大政奉還を建白したら、お取り潰しになるかもしれん」
っていうつぶやきの方がびっくりこきました。なんだよ、もう説得されたのかよ・・・とねー。
まあ、ちょっとあの時点の幕府にお取り潰しをできる能力なんて、何にもないんだけどねー。
だから、長州だって勝ったわけだしー・・・こう違和感のあるセリフでもあったので、ちょっとなあって感じでしたけど、
なんかそういうちょっと変なところが、あるんだよね。このドラマは。
まあ、でも、あの容堂さんの弱り方は妙に説得力がありましたねー。
あれが、あったから、
「終わりだー」
と思っちゃったんだろうね。この龍馬伝のラスボスでしたから、容堂さんは・・・。
その容堂が弱っちゃったから、なんだか、終りを感じてしまったと、そういうことなんでしょうね。
そういや日曜日にも記事あげたんだけど、
「憎しみからは何も生まれない」
「上士も下士もない国づくり」
という二つのテーマってどうなったの?
「憎しみからは何も生まれない、だから憎むべきは、250年続いた幕藩体制だ。この国は新しい国にならなければいけない。最後に残るのは、日本人だ」
龍馬が言ったのはこれだよね。
「武士すらなくなる。だから、上士も下士もない国になる」
これだよね。
そうなると「憎しみからは何も生まれない」というテーマ性は、何の解決にも至っていないんだよね。ただの接頭語に使われたに過ぎないんだよね。
さらに上士も下士もない国という言葉も使われていない。武士すらなくなる、と言っているだけでさ。
なんで、ずーっとこれ言い続けてきたのに、その回収回でもある、今回で、しっかり決着つけなかったの?
もしかして、
「最後の残るのは日本人」
という結論でもって、この
「憎しみからは何も生まれない」
「上士も下士もない国づくり」
の決着にしたの?上士も下士もない国というのは、まあ、武士がいなくなっちゃって、階層がひとつになるわけで、それはまあ、わかるけど、
「憎しみからは何も生まれない」
というあたり、これでは解決されていないから、
これは大政奉還の理由づけとして、次回決着させるつもりかなー?
まあ、次回決着か。これも次回を見る視点にしておきますかね。
まあ、でも、容堂、後藤さん、龍馬と、なかなか演技合戦になった今回だったのではなかったでしょうか。
演技という点では、今回、申し分なかった、と思いますね。素直に。
まあ、春猪が子供抱いてて、僕もびっくりしましたけどね(笑)。

●岩崎さん!とはじめて呼ばれてびっくらこいた地下人弥太郎です!
えー、今回、弥太郎にとって、十代な転換点が描写されていましたが、岩崎さん!とか言われてたよ。上士から(笑)。
「私たちにも手伝わせてください」
って、その豹変なに?って感じで、こっちも豹変ですからねー。
弥太郎の驚いた顔が面白かったですけど、土佐にいる上士とは、違う人種らしくて、おもしろかったですね。
しかし、弥太郎は、一応土佐商会にいるわけね?主任を降ろされた、というだけなの?
まあ、そのあたり何の説明もないので、もう、どうでもいいですが、まあ、こちらも最終回に向かって、
準備がはじまったということですかねー。えーと、来月、のぼさんになって帰ってくるはずなんだけど、
そのあたり切り替えできるかな?(笑)。

●第一部のような平和な坂本家はもう戻らない!龍馬の食事シーンが却って悲しい、坂本家です!
「春猪が子供抱いちょる!」
という龍馬のセリフに激しく同意しちゃった土佐坂本家です。
いやあ、なんか、あの脱藩した朝、龍馬のいない朝の風景を思い出しましたねー。
あれ、3月だっけねえ・・・あれから、8ヶ月経ったんですねー。
なぜか、家で飯食っている龍馬を見ると、なんとなくうれしく感じるのは、なぜなんでしょう?
第一部の思い出があるから、ホッとしてそう見えるんでしょうねー。
そうか。もう、あの家には龍馬は帰らないんだ・・・そう思うとなんとなく、寂しく感じますねー。
こう、龍馬とあの家族の風景って、龍馬伝の原風景で、いつも楽しい思い出しかなかったから
でしょうねー。明るい乙女姉やんとも、あの桂浜のシーンが最後・・・と思うと、なんだか、寂しいですね。
ここにきて、急に寂しい感が、ひろがってきた、坂本家でした。

●ぶつくさ言うなら、俺にまかせろ!最初から最後までぶつくさ言ってた弥次郎さんです!
坂本家で、
「こんにちわー」
という女性の声が聞こえた時、
「あ?広末さん?」
と、思ってよろこんだんですが、弥太郎の奥さんでした。
「なーんだ」
という感じでしたが、弥次郎さん、元気でよかったです。
これが最後の出演ですかね。なんか、最初から最後まで、ぶつくさ言っている役でしたねー。
いやあ、まあ、そういうもんでしょう。まだ、あれか、弥太郎が三菱になるから、
そこで、出てくるかな?まあ、いずれにしろ、最後までにぎやかし担当の弥太郎家でしたー。

●今まで実は何も考えていなかった!上士は何も考えてない!だから、大殿様の思い通り!の土佐藩です!
長崎では、土佐上士も、今後の身の振り方を考えているというのに、土佐本土では、
未だに、上士じゃ下士じゃと、やってるわけで、ほんとに大丈夫か、この藩は、と思わせましたねー。
まあ、シェイクハンドは武器にもなる、ということで、なんだか、おもしろかった弱い上士様でした。
それにしても、龍馬が帰ったから、反幕か、親幕かの議論がやかましくなったような描き方でしたが、
そんなんでいいのか?今まで何も考えてこなかったのか?と、ひたすら土佐藩のみなさんのおバカさんぶりが
露呈してしまった今回でした。というか、後藤さんは早くから反幕で動いていたんだから、
下僚もいるだろうに・・・今回、下僚がはじめて議論してたようだけど・・・いかにもとってつけたようでした。
まあ、大殿様がああいえば、そうなる、という土佐ですからね。そんなもんでしょう。

●俺はあいつがうらやましい!でも上士のプライドもある!深い演技力で龍馬を側面支援した後藤様です!
というわけで、今回、最も動いた感のある後藤さんでしたー。
いやあ、やはり上士としてのプライドが残ってたんですねー。龍馬が下士のくせにしかも脱藩の身で、
次々といろいろ成し遂げることにむかついていたとは・・・前回のあの
「やるかい」
の裏腹にそこまでの気持ちがあるとは、決して思えなかったんですが・・・毎回登場人物の性格が変わるこの龍馬伝ですからね。
ま、そんなところでしょう。にしてもこのひとの演技力はすごいね。こう、目力の強さとモミアゲがちょうどマッチして
いい絵になっています。迫力という奴ですね。しかし、このひとに、
「坂本龍馬に会ってください」
なんて、言われると、
「そこまで龍馬LOVE?」
と思ってしまいます。まあ、龍馬さんも、
「絶対会わせろ」
的な攻撃をしてましたからね。龍馬もえらくなったなあ、と坂本家のみなさんでなくても思うところでした。
今回は、そういう自分への怒りも表現した後藤さんに感情が動きましたね。結局龍馬頼みだったりするわけで、為す術もなく、
ひたすら容堂公に懇願したり、龍馬との対面が実現しても、龍馬が盛り上がって土の上から部屋に上がってきちゃうあたり、
後藤さんが謝っているんですよね。そのあたりの後藤さんの有り様が、なんか、痛々しい部分があって・・・、
まあ、龍馬さんは主人公だし・・・ということで、後藤さんについつい目が行ってしまいましたー。
もうね、あのプライドの塊みたいだった後藤さんを思い出すから、ただただ、龍馬のために、頭をさげる
今の後藤さんに、気持ちが動きました。まあ、容堂にお酒ついでもらうあたりの芝居、気が入っていてよかったっすー。
あの酒、
「よかったね、後藤さん」
って感じになりました。なんか、今回は、龍馬より、後藤さんに目が行きましたね。素晴らしい演技だったと思います。

●将軍と大名を無くしたら何が残ると吠えちゃいます!でも、弱々しさも、表現しちゃう!硬軟自在の演技力、容堂さんです!
龍馬と後藤さんの演技をしっかりと受け、さらに、いつもの容堂的な動きもみせた近藤容堂さんです。
いやあ、やっぱり迫力が違いますね。それで、抜くときは、抜く。
あの、
「建白したら、やばいんとちゃう?」
と、後藤さんに言う辺りの弱々しさは、ほんと抜き方がうまいなあ・・・と思いましたね。
だって、今までずっとラスボス芝居してたので、あの抜きに正直参りました。
だから、
「あーあ、終わっちゃった・・・龍馬伝」
的な感想になったんだと思いますね。
「ラスボス倒しちゃったらあとは、なるようになるだけ・・・で、エンディング」
と、身体が勝手に思っちゃった、ということなんでしょうね。
確かに、最初の反抗、
「将軍も大名もない世にするがか!」
と怒る辺りは、いつものラスボス容堂さんだったんですよね。そこから、第二バトルが勃発か、と思ったんですけど、
そこから、龍馬の演説、後藤さん平謝り・・・ときて、
「刀をしまえ!」
で実質終わっちゃったんで、ちょっと肩透かし気味でもありました。まあ、尺を考えると仕方ないかなあとは、思いましたけどね。
そして、建白書書いて、後藤さんに渡し、龍馬の間近に座り込むあたり、武市さん時と一緒という演出はなかなかよかったですね。
なんとなく、シンクロして・・・武市さんと友人だった龍馬が、武市さんの代わりに夢を・・・上士も下士もない国づくり・・・を
容堂相手に成し遂げたという形にもなりますから・・・それを容堂が思い出すあたりのあの容堂さんの表情がよかったです。
自分のやったことに、思いを持つ・・・あの辺り深い芝居で、
「さすが近藤さん・・・」
と思わせましたねー。ヒーロー的な龍馬を盛り上げる、後藤さんと容堂さんの深い演技力・・・いい芝居だったなあと素直に思いました。
なんか、順番的には逆なんですけど、容堂と後藤さんが、酒を酌み交わしている図が、
「俺たち、龍馬を盛り上げられたな・・・」
的に飲んでいるようにも、見えて、ちょっとおもしろかったです。記憶の混乱というやつで、そこは、片付けておきましょう。
「武士の世を終わらせるかい」
あの言葉の容堂のニヤリとした目。よかったですね。
前回、龍馬に向かって
「やるかい」
と言った後藤さんの目と同じ光がたたえられていました。
あの寂しそうな容堂の抜きと、「終わらせるかい」のニヤリの表情の落差・・・そこに容堂の真骨頂があったんですね。容堂、飲むと元気になる、とも言えるか(笑)。

今週の愚痴
本来、この龍馬伝のクライマックス中のクライマックスですから、龍馬の説得芝居をほめるべきなんでしょうが、
そこらへんはお約束中のお約束な感じでとらえてしまいました。というより、容堂が軟化して、
「龍馬伝クライマックス終了・・・あとはエンディングまでのお楽しみ」
的に感じちゃった、ということで寂しさが先に立ってしまいましたー。
やっぱり、容堂よかったですね。大殿様という威厳、これはもう、龍馬と後藤さんが束になってかかっても全然たじろがないものだし、
これまで、やってきたインパクト演技が、さらに大殿様を大きくみせていましたからね。だから、もう少しいろいろ龍馬とのやりあいを見せるのか、
と思っていたので、ちょっとあれくらいで、大殿様が説得されてしまって、肩透かし感が残りましたねー。
それで、あの大殿様の寂しそうな演技ですからねー。抜きの演技・・・そっちにやられましたよ(笑)。
なんか、しんみりしちゃって・・・ラスボスが負けた瞬間ですから、寂しくなっちゃいましたねー。
だって、あの武市さんを倒した敵なんですよ!と、無理に言っても詮無いことですけど。
だから、一層終わった感が激しく感じられたんでしょうねー。こう、後藤さんと酒を酌み交わしちゃうあたりもしんみりとして・・・なんだか、
「龍馬伝も終りだねー」
という雰囲気が伝わりました。硬軟自在、さすが近藤さん、ほんとに、このひとが容堂でよかった・・・そう感じた今回でした。
後藤さんもよかったですねー。いろいろな思いがありながら、龍馬のために奔走するところが、なんとも同じ男として、そういう気持ちわかるなあ、と
共感を覚えてしまいました。ああいうことって、あるよねえ。そういうつらい気持ちを経験しているからこそ、今回の後藤さんのあり方に説得され、
感情が動きました。まあ、龍馬のためにというより、後藤さんのために、今回の建白書作成を喜んだ感じになったような気がします。
しっかし、後藤さん演技力高いよねー。あの最後、容堂公にお酒を頂くあたりの表情は、なんとも言えないものがありました。
大殿様からのお酒にちょっとびっくりして、もう一段、今度はありがたいものとして、意識を変えて、お酒を頂く。深いんですよねー。
とにかく、今回は必死な後藤さんが見れて、その高い演技力を見れて、満足でしたねー。後藤さんと容堂、今回、思い切りその演技を楽しめた、というところでしょうか。
そして、龍馬も一世一代の演説だったと思います。脇がよかっただけに、うまく龍馬という存在が強調された今回になったと思います。
そういえば今回、龍馬が、坂本家で、飯を食っている絵がありましたが、あれを見ると、なんだか、気分がいいんですね。
それは、第一部が濃厚に頭に残っているからで、あの頃の平和な頃のイメージが思い出されるんです。
「それも、これが最後か」
と、思うと、なにか、やりきれない感がありますねー。
最後、桂浜で、乙女姉やんと、アタック25さんの死の回でやった、海外渡航の夢・・・アタック25さんの回だからこその演出を思い出していたのは、
なんだか、なつかしいし、平和な頃の坂本家を思い出して、なんとなく、胸が痛みました。
なんだかんだ、毎回愚痴を言ってきた龍馬伝。それも、あと2回かと想ったら、泣けてきました。
もう、乙女姉やんと龍馬が一緒にいることはない。坂本家に龍馬がいることもない。
そう思ったらなぜか、寂しい気持ちになっちゃってね。
やっぱり、愛着がわいているんでしょう。
「終わっちゃったな・・・」
今回、それが、一番正直な気持ちですねー。
いつもは、次回が楽しみでしたが、なんとなく、今は、あまり次回が早くこないように祈りたいようなそんな気持ちです。

今週の評価ポイント
龍馬のヒーローとしての演技と、それを周りで固めまくった後藤さんと容堂さん、素晴らしかったです!

僕が花束を好きな理由!(猫のシータちゃんには・・・)

2010年11月15日 | お昼間カフェ
どうも、ゆるちょです!

えー、月曜日ですねー。

まあ、ドラゴン通信は、夕方、アップします!

しっかし、今年ももう、1ヶ月半ですか!なんか、今年はいつもより速く過ぎているような

気がしますねー。


さて、何を話しますかねー。


先日、友人夫婦の家におじゃました時のことです。

まあ、ここの家は子供がいないんですけど、猫を一匹飼っているんですね。まあ、これがかわいい猫でシータちゃんって言うんですけど、

女の子、ということで、僕は、この猫がマグロが大好きだっていうんで、遊びに行くたんびに、

マグロの赤身を買っていってあげてたんです。まあ、行くと、手づからあげてたわけです、マグロをね。


そしたら、このシータちゃん、おもいきり、なつきましてねー(笑)。


もう、僕が行くだけでニャアニャア近寄ってくるようになって、マグロを持っていくのをやめられなくってるわけですけど、

まあ、たまーに行くだけですから、まあ、楽しいっちゃ楽しいんですけど、やっぱり、おみやげは大事ですねー。

このシータちゃん、けっこう賢くて、狩りがうまいんだそうで、ちょっと大変なのは、ねずみを捕まえてきて、

だんなさんの目の前に、

「捕ったよん」

とばかりに、獲物をごろんと置くそうで、

「ちょっと気持ち悪いんだよなあ」

とか、言ってておもしろいんですよねー。まあ、ねずみばかりでなく、ゴキブリなんかも捕るそうなんで、

どんだけ狩猟好きなんだって感じですけど、僕の前ではニャアニャア言っているだけなんで、よくわからないんですけどねー。

「猫派、犬派どっち?」

なんてセリフ、女性との会話のつかみにいいらしいですけど、僕はどっちかっていうと、今まで犬派だったんですよねー。

それが、このシータちゃんの出現で、猫派に鞍替えしました(笑)。

猫ってかわいいよね?(笑)。

こう、シータちゃんはドライなところが、ないので、いつも、僕が行くと、べったりな感じで、なかなか、おもしろいですよ、これは(笑)。

「俺たちなんかより、よっぽど、お前のこと好きらしいぞ」

とか、だんなに言われますが、まあ、猫だしね(笑)。

まあ、でも、愛されるのは、人間でも、猫でもおんなじで、うれしいものですね。


まあ、そんな友人夫婦の家に、マグロ赤身と、ケーキの詰め合わせを持っていったわけですが、

もちろん、ケーキは、友人のかみさん向け!ということで、こう、かみさんの胃袋は握らないといけません(笑)。

まあ、ミスドのドーナツでも、なんでもいいんですけど、こう、女性は、甘いものをおみやげにすると、

ほんとに、うれしそうにするんですよねー(笑)。

いやあ、もう、

「すいませんねー、いつもいつも!」

とか、言いながら、もう、目が笑っていますから、相手の感情だだわかりって感じで、これまた、おもしろいわけです。


まあ、だんなには、別に何もやらなくても、一緒に酒呑んでりゃいいわけですから、こちらには餌やらないですけど、

ほんと、おみやげって、効果がありますね(笑)。


おみやげとは、ちょっと違うんですけど、女性への贈り物では、花束が案外、喜ばれたりするんですねー。


なんか、男性的には、もらっても、

「家に持って帰るの、めんどくせーな」

的な感情を持つ花束ですが、女性は、ほんと、うれしがりますよねー(笑)。


まあ、僕は、よくパーティーという名の飲み会を開くのが好きなんですが、こう、職場の女性が出産でお休みする前とか、外国赴任から帰ってきた女性とか、

まあ、何らか関係する女性のために、パーティーとか開くと、必ず、花束をあげてましたねー。

なんか、こう、女性が誇らしげにするんですよね。

その表情がまたよくって、

「また、花束、あげよう」

という気になるわけです。

こう、花束ってもらうと、家に持って帰って、ばらして、家の各所に飾ったり、ドライフラワーにしたりするんだそうで、女性って、花束への思いって、

男なんかがわからない程、強いものがありますね。まあ、そういうわけなんで、一種類の花による花束は避けますね。

こう、何種類も選んで、メインは薔薇にすることが多いかなあ。

あと、「純粋」を花言葉にするかすみ草もいれたりしますかねー。かすみ草が好きだ好きだと言っていた女性が過去いましたが、

その女性が聡明で、美しい方だったので、ついつい、それを思い出していれちゃうんですけど、花束は作るのも楽しいです。

それで、早めに店に行って、花束を奥に隠しておいてもらうわけです。もちろん、花束贈呈をやるなんて、誰にも内緒(笑)。

それで、飲みが盛り上がった頃に、奥から花束をもらってきて、おもむろに、

「はい、これ」

みたいに渡すと、まあ、盛り上がりますからねー。

そういうの大好きなんですねー(笑)。


こう、女性って、花束を渡されると、瞬間、きょとん、とするんですね(笑)。

あの表情がまずおもしろいでしょ。

そして、次の瞬間、こう、赤くなるというか、うれしそうな表情になるわけです。

その表情の変化が、気持ちの変化を表していてこれも気持ちがいいわけで(笑)。

ほんとうに、うれしそうな表情をしますからねー。そういう時の女性は、ほんとうに、美しいです。

なんていうのかなー。晴れやかな気分!という感じでしょうかー。

ちょっとした結婚式の時のシーンみたいでねー、なかなか、いいわけです。

そういう非日常を、女性は愛するんですよねー。


まあ、そういうのを、わかっているんで、花束贈呈は、やめられない、という、まあ、これも、猫のシータちゃん状態と同じわけなんですけど、

そういう意味じゃ、やめられないこと、多いです。


テレビを観ていると、もう、クリスマスのCMが流れ始めましたねー。

もう、そういう季節なんですねー。

まあ、そんなことを話しながら、友人の家で、過ごしたんですけど・・・実は、そこでコロッケ作りをやらされまして・・・。

その話を書こうと思ったんだけど、まあ、花束の話になっちゃいましたね。ま、コロッケ話は、また、次の機会に(笑)。


クリスマスかあ・・・今年はどんなクリスマスになるんでしょうかねー。

なんだか、猫のシータちゃんと過ごしそうな予感もするんですけどねー(笑)。

シータちゃんにまぐろの詰め合わせでも、あげるか(笑)。


そんなことを考えながら、11月を過ごしているゆるちょなのでした。


みなさんは、どんなクリスマスを予定していますか。って、まだ、早いか(笑)。


いずれにしろ、楽しい年末を過ごしたいものです。

早く年賀状書かなきゃね!

では、今週も楽しく行きましょう!



ではではー。



非言語コミュニケーションの大切さ!(音楽も、美術も、非言語!)

2010年11月15日 | 日本人の秘密
おはようございます!

このところ、天気のいい日が続きましたが、

今日は午後から雨だそうで・・・まあ、乾燥していますから、たまには、お湿りも必要かな、という感じです。

さて、月曜日は、いつも歌詞論考をやっているんですが、

要は、

「いい歌の理由」

を考えてきたわけで・・・今日は、歌でなく、音楽一般について、考えてみたいと思います。

というのも、先日、ある女性音楽家の方の話を聞いていて、なんとなく、考えるところがあったからですねー。

まあ、そのあたり、考えを深める意味を持って、論考してみましょう!


その女性は、音楽を作る上で、どういう順番でつくっていくか、について話していました。

「音楽というのは、最初、言葉で考えていくんです。やっぱり言葉がないと、考えられませんから」

と、彼女は、言うわけです。そして、

「でも、ある段階から、言葉で表現する以上のこと・・・音に成り代わってしまうんです。その音が欲しくなる・・・」

と言うんですね。つまり、言葉以上のことを表現するために、音で表現することになる、ということなんですね。


これ・・・別の表現で言うと、まあ、僕は長く美術部にいたので、絵画で表現すると、最初は写実的な絵を描いていたものが、

より多くの表現をしようとしたら、抽象画になった、ということを言っているのと同じなんですね。


例えば写実的な絵・・・目の前にある赤い自転車を描いたとしましょう。これは、単なる自転車です。でも、赤いから、女性のモノなのかな?

くらいのストーリーしかありませんね。それしか、表現されない。では、これにいろいろなストーリーをつけようと考えるとどうなるか。

例えば、自転車の形を、女性のボディラインに似せて描いてみましょう。実際にそういう自転車があるわけではないですから、

これは、抽象画ということになります。でも、そういう女性のボディラインを持った自転車を描けば、そこにいろいろなストーリーが表現される。

例えば、この自転車は、オーナーから、女性のように愛されているんだ、というストーリーも表現できるし、自転車は女性のように、繊細な乗り物だ、

とか、女性のように美しい乗り物だ、とか、いろいろたくさんのストーリーが表現できるようになったわけです。

もちろん、他にもいろいろなストーリーを内包することができた。つまり、音楽における、言葉から、音への表現の移行は、この写実から抽象画への移行と

同じで、ストーリーの多様性を模索した結果、導かれた表現!と言うことができるんですね。


これね、よく考えてみると、言葉による呪縛が解かれたことによる、多様性表現ということなんですよ。


これ、要は、非言語コミュニケーションそのものなんですよね!


このところ僕は、非言語コミュニケーションの有用性について、考えてきましたが、なんのことはない、言語というのは、呪縛でもあるんです。

言語というのは、ひとつの意味か、あるいは、複数くらいの意味しか、表現できません。しかし、音だったり、抽象画だったり、そういうものは、

多様なストーリーを表現できる。それらは、言葉の呪縛から、抜け出ているんです。だから、多くのメッセージを相手に提出できるわけです。

それに個人個人で、見方も大きく変わる。そこに、おもしろさがあるんですね。


言葉は、言葉にしか、過ぎない。たしかに、正確さで言えば、これほど便利なものはないけれど、多様性はない。一意性です。


だから、多くのことを語りたければ、非言語コミュニケーションにならざるを得ないんですね。


ベートーヴェンは、音楽を哲学の域にまで、高めた、とその女性音楽家は、言っていました。

それまでの音楽は写実だったそうです。この音階とこの音階の音を続けると、それは稲妻を意味する・・・などという表現方法が確立していたので、

例えば、ビバルディの春なんて、春の訪れを写実し、遠雷を写実し・・・そういう感じで、春を写実した音楽でした。

それに対して、ベートーヴェンは、哲学の域にまで、高めた・・・そういう音の言葉が散りばめられているのが、ベートーヴェンの音楽なんだそうです。

それでも、音の言葉だから、多様性が非常に高いわけで、言葉の呪縛からは解き放たれているからこそ、そういう表現ができている、ということなんでしょうね。


つまり、非言語コミュニケーションの方が、多くの情報をメッセージとして、与えることができるということなんですね。


先日、戸井十月さんの世界走破のドキュメンタリーを見ていたんですが、この戸井十月さん、外国の方と話すのに、あまり言葉は使わないんですね。

大事なところだけ、例えばSorryとか、メルシ!とか、そういう辺りは英語やフランス語を使うわけですけど、例えば買い物やら親愛の表現なんかは、

身振り手振りなんですよ。指で指したり手のひらで数を表現したり・・・親愛の表現は、肩を叩いたり、肩を抱いたり・・・そういう身振り手振りの方が

確実に伝わるし、より感情が伝わるんですよ。それは、相手の表情を見ていればわかりますからね。


つまり、言葉より、身振り手振りの方が感情が伝わる・・・そっちの方が、相手にダイレクトに伝わって、相手も感情を動かすんですね。


つまり、非言語コミュニケーションの方が、感情がダイレクトに伝わるということなんです。


音楽だって、美術だって、本能をダイレクトに刺激されて、感情が動くじゃないですか。


人間は、感情が、動くと、感動するんです。だから、音楽を聞いて涙を流し、素晴らしい絵を見て、感動するんです。感情が動くと行動するのが、人間なんです。


だから、気持ちを伝えたい時、感情を伝えたい時には、言葉でなく、非言語コミュニケーションが有効なんですね。

つまり、我々が聞く音楽は、作曲者による、非言語コミュニケーションだ、と言えるわけです。

作曲者達が、非言語コミュニケーションで感情やらなにやら多くのことを伝えて、こちらの感情を揺り動かしている、それが音楽を聞くということなんです。

クラッシックを聞いて、感情が動くのも、非言語コミュニケーションだから、多くの感情がダイレクトに自分に伝わるからなんです。

それは、絵画も同じです。言葉でない別の形で、表現することで、多様な情報をメッセージとして伝えることができるのです。


そういう意味では、演技力というのも、非言語コミュニケーションなんですよね。


顔の表情や声の感じ、立ち居振る舞いが、すべて言語から解き放たれた表現として、観ている我々に伝わる。


それこそ、最も我々が毎日、目にするものですから、受ける側も鍛えられているし、より理解力がある。


だから、演技というのは、難しいし、演技力のある演技者の演技は、僕らを感動させるんですね。


僕はドラゴン通信を書いていく中で、

「感情が動かない」

「感情が動いた」

というのを、演技評価の指標にしてきました。それは、正しかったということになります。

高い演技力による演技だから、感情が動かされるんです。感情が動かない、というのは、やはり、問題がある、ということになりますね。


つまり、僕らは、なぜドラマや音楽や絵を見るのか、と言えば、非言語コミュニケーションによって、感情を動かされたいという欲望を持っているのだ、と言えるんです。


感情が動かされるのを楽しいと感じているということになります。


つまり、エンターテイメントとは、そのひとの、感情を動かすことができて、初めてその役割を果たすということになるんですね。


だから、エンターテイメントは、言語だけでなく、非言語コミュニケーションも使って、お客の感情を動かそうしているんです。

それに対して、非言語コミュニケーションの役割は、大きいと言えるんですね。

それがわかれば、なぜドラマにBGMがあるのか、その役割の大きさもわかるわけです。音楽という非言語コミュニケーションによって、感情を動かそうとしているのが理解できます。

であれば、人間は、他人を見るとき、その言語を聞くより、言葉以外の部分をたくさん見ているんだろうということも推察できます。

だから、ひとりの人間と相対した時、その人間が自分に対してどういう感情を持っているのか、雰囲気でわかってしまうんですね。

そう。雰囲気とは、非言語コミュニケーションなんですよ。

女性はそういうのうまいですよね。雰囲気で悟らせる・・・そういうの、よくやっていますよね(笑)。

言葉にしなくてもわかる・・・そのあたりが、感知できるのが、経験のある大人なんだと、思いますね。


非言語コミュニケーションというくくりで考えると、それが、実はとても重要なことだ、ということがわかりましたね。

音楽、美術だけでなく、非言語コミュニケーションというものは、膨大にあります。そして、非言語コミュニケーションがいかに重要かもわかってきます。

例えば、夫婦のいい形・・・言葉をちょっといっただけで、

「ああ、あれね」

的につながりあえる。あれも、非言語コミュニケーションがお互い理解できているから、言葉にしなくても、わかりあえる、ということなんですね。

僕は「リアル・ニュータイプ理論」で、しあわせとは、つながること、と言い切っていますが、

そういう意味で言うと、非言語コミュニケーションでつながりあうことは、非常にレベルの高いしあわせを獲得する、ということが言えると思います。


つまり、自分の非言語コミュニケーション能力をシビアに高めておけば、しあわせ獲得に有用だ、ということが言えるわけです。


相手の雰囲気を察したり、こちらの気持ちを言葉にせず、伝えること。


この能力をシビアに鍛えるためには、それは、経験を高めることだと、思いますけど、ドラマなんかで演技力を見極められるようになることも、有用だと思いますね。

何も言わなくても、表情で伝わる。いや、何も言わないほうが、何倍も伝わるんです。


だから、男性大河ファンは、演技力を欲するんですね。言葉ではなく、顔の表情や雰囲気で表現するほうが、何倍も感情が伝わるんです。


それに対して、女性は、男性主人公の言葉を、聞きたいから、女性大河では、登場人物がセリフで、表現するんですね。


なるほどねー。


まあ、少し脱線しましたが、非言語コミュニケーションが、人生に有用なことがよくわかりました。

他人とのコミュニケーションに、非言語コミュニケーションを意識して使うことをオススメします。

より、多くのことが、相手に伝わると思います。

そういう意味では、おしゃれも、非言語コミュニケーションだね。


非言語コミュニケーション。意識して、大切にすることにします。


大切なことは、言語コミュニケーションより、非言語コミュニケーションの方が、より多くのことを伝えられる、ということですね。


それを今回の結論としましょう。


うーむ。なんか、いろいろなことが、つながった、今回の論考になりました。

音楽の話は、どこいったの?って感じですが(笑)。


なんか、いろいろなモノの見方が、変わったような気がしますね。


まあ、しぐさとか、大事ってことですよ。そういうのに、気をつけることにしますかねー。



ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう。


ではでは。