「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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「人生にモテ期は三度ある!」って言葉は、ほんと?

2010年11月09日 | お昼間カフェ
どうも、ゆるちょです!

えー、最近、本棚から探し出した「ひとは見た目が9割」という本を読みながら、

「確かにそうなんだろうなあ」

と、思ったりしているわけです。この本に書いてあるのは、言葉でのコミュニケーションは、7%に過ぎないということで、

あとは、非言語コミュニケーション、しぐさや、目つきなど、言葉以外のコミュニケーションで占められているのだから、

「見た目が9割なんだ」

としているわけです。まあ、簡単な話なんですよね。


まあ、モテるというのは、どういうことか、というと、

女性にとって、よりよいストーリーを、相手に伝えること、ということになりますから、

言葉が7%に過ぎないんだったら、それ以外のところを、使えばより、たくさんの情報を相手に送れるから有利だ!

ということになるわけです。


僕は龍馬伝を見ていくうちに気がついたんですが、女性というのは、外見に説得される傾向があります。

それに対して、男性は、ストーリーやら情報に説得されるんですね。

だから、男性はモテたい!と思った時、ついつい自分のストーリーをよいストーリーとして伝えればモテる!と勘違いしやすいんですね。


「僕はセンター試験で、700点満点中、698点だったんだよ」


これ、ある女性が飲み屋で、ある高級官僚に口説かれた時に聞いたセリフだそうです。

もちろん、女性は、

「はあ?」

となるわけですけど、まあ、口にはださないわけで、その高級官僚はとくとくと自分がいかに秀才だったかを語って、女性が落ちるのを待っていたそうです。

アホだよね!(笑)。

女性はそういうので、落ちるわけじゃないんです。


まず、外見と、そのひとの持っている雰囲気に、やられるわけです。


まあ、外見はかっこいいに越したことはないんですけど、かっこいい外見を持つ男なんて、まあ、限られるわけだし、そのあたりは、各自努力するとして、

雰囲気のほうは、これは、なんとか、なります。



でね、これについて、考えてみようと、思って!



あのー、テレビCMで、

「あなたのモテ期がわかります。グリー」

なんて、やってましたが、まあ、あんなの適当ですから、おいておいて、

「人間には、モテ期が、3度ある」

という、本当かよ!と昔から、思っていたモテ期格言について、まず、考えてみたいと思います。


これ、本当でしょうか!


これね、努力すれば、という条件がつくと思います(笑)。


僕は、これまで生きてきて、明確なモテ期が、2度ありました。しかも、10代の頃。

しかも、その2度のモテ期の間は、超モテない期だったんですねー。

つまり、なぜモテたか、なぜ、モテなくなったかが、明確にわかっちゃったわけなんですねー。


その話を、まず、しましょう!


僕が第一期のモテ期に入ったのは、小学6年生の頃でした。

それも突然、モテ始めた!という感じだったので、ちょっとびっくりした記憶があります。

突然、周りの女の子がやさしくなり、僕に恋ごころを抱いてくれる女性まで、できたからです。

「俺は、選ばれた人間なのではないだろうか!」

まあ、当時、妄想気味の少年でしたから、そんなことも考えちゃうわけです。バカだよねー。

でも、中学二年生の頃、途端にモテなくなりました。というより、今までやさしかった、周りにいてくれた女の子達が、潮が引いていくように消えていったのです。

そして、女の子が冷たくなっていったのでした。

「な、なぜだーーーーーー!」

と、僕は困惑して、知恵の輪が解けないサルのように、のた打ち回ることになったわけです。

そして、その原因にようやく気づいたのが、高校三年生の頃だったんですねー。バカだな、ほんとに(笑)。


ま、簡単に言うと、小学6年生で、たまたま、成長して、背が高くなったので、たまたま、女子にとって魅惑的なボディラインを持つことになっただけ・・・、

それが僕がモテた原因です。成長したおかげで、たまたま、顔もシュッとしただけ、つまり、外見がたまたま女子好みになったということなんですね。

そして、中学に入ると周りのみんなは、スポーツ系のクラブに入り、僕は美術部へ・・・食も太くなり、夕ごはんもたくさん食べるようになった・・・、

結果、僕は太ってしまったわけです。そして、周りの男子は、スポーツマンに成長していた・・・女子は、みんなそっちに行っちゃって、僕は取り残された・・・

それが、モテなくなった理由だったんですねー。まあ、簡単な理由です(笑)。


僕は、それに気づくと、浪人している間、ダイエットをし続けました。まあ、つらいときにこそ、さらにつらい修行をするつもりだったんですね。

まあ、夕食に出されたおかずを、次の日の朝、食べることにして、夕食は、牛乳をカップ一杯だけにした・・・簡単なダイエットですけど、

半年で、4キロくらいやせて、また、モテるようになったんですねー。


結局、10代の頃って、外見がすべてだったりするわけですよ。だから、ダイエットが有効なわけですけど、

20代以降になると、また、違う要素が必要になってくるんですねー(笑)。



会社に入ってから、まったくモテなくなりました。まあ、日頃のストレスを食や酒で解消していった結果、壮大に太りましたし、

さらに、自分の仕事に自信がもてなかったんですねー。僕は僕なりに自分にあった仕事を選んだつもりだったんですが、まあ、現実にはそうじゃなかったわけで・・・、

まあ、苦悩するわけで、さらに自分に自信がなくなるという悪循環を生んでました。まあ、その頃ですね、うつ病をやったのも・・・。


しかし、捨てる神あれば、拾う神あり、ということで、ひょんなことから、自分が最もやりたい、やるべき仕事を見つけてしまうわけです。


僕は、そっちに転職すると、あれよあれよと言う間に、自信の塊になってしまいました。もちろん、自分に自信があったから、そっちの仕事に転職したわけですけれど、

やればやるほど、結果も残るし、それが成長につながるし、さらに自身も湧くといういい循環に入ったんですね。まあ、それが今の自分につながってくるわけですが、

おもしろいことに、十代のモテ期で、外見がモテの主要素だったのに、比べて、大人のモテは、

「自分への自信」

がキーワードだということに、この悪循環の時期の自分と、いい循環の時期の自分を比較することで、気づいてしまうわけです。


まあ、悪循環の頃の僕は徹底的にモテませんでした。それでも、自分に自信が出てくると、モテる時期がくる。また、悪循環になると、モテない・・・というのが、大悪循環時期の

僕でした。だから、女性は、男性の自信というのを、見抜いているということになるわけです。


ということは、女性は、それを外見で判断しますから、じゃあ、その自信はいったいどこに出ているのか、というと、これは、もちろん、目と、そのしぐさなんですね。


そうです。非言語コミュニケーション領域に、そういう自信が出るんですよ。


僕ら男性だって、同じ男性の表情を見るとき、

「こいつ自信ありげだな」

とか、

「こいつ自信なさそう」

とか、判断しているじゃないですか。あれと一緒で、自信のある人間には、目に強い光が灯ります。それも経験から来る自然な自信が一番、強い。


だから、そういう人間は、男性にも、女性にもモテるようになる、というわけなんですねー。


そして、そういう人間は、しぐさにも、自信があらわれるわけですから、女性はそれを思い切りアピールされて、へなへな!となってしまう、そういうわけなんですね。


だから、男性を見ている女性は、雰囲気にやられる、と言ったわけです。そう、男性の持つ雰囲気とは、目としぐさから表現される、自信により、作られているものなんですねー。



よく、女性が、男性を評価する言葉に、

「頼もしい!」

という言葉があります。

「別府選手のところに、フランス人記者がやってきて、質問するんですけど、ちゃあんとフランス語で返してたし自信ありそうに答えていたんで、頼もしくなっちゃいました!」

なんて、女性が言ってたりするわけですけど、これ、要は、

「好きだ」

ということを、遠まわしに言っているだけなんです。

「頼もしい!」

というのは、

「自信があるのが、見えている!」

ということですからね。


つまり、自分に自信がある男性を、女性は、大好きなんですねー。


20代以降の女性は、男性を見るとき、

「結婚」

という視点も追加されます。自分を養ってくれるかどうか、一緒に生きられるひとか、どうか、・・・この判断に、

「その男性が自信を持って生きているか」

という点は、非常に大きいんですね。すべてと言っても過言ではない。


だから、僕が悪循環の時モテなかったのは、自分に自信がなかったから、モテ期に入るのは、自分に自信が出来た時だったから、と言えるわけなんですねー。


そして、男というのは、社会人になって、社会に揉まれれば、だんだん自信をつけていくものです。


だから、子供の時に一回か二回、そして、大人になって、自信をつければ、三回目のモテ期がくる、


そうあのモテ期格言は言っているんですね。


自分の人生に自信があって、目やしぐさによる、非言語コミュニケーション力がつけば、必ず、女性にモテます。


そうなってから、パートナー探しを始めても、遅くはないんじゃない?


そんなあたりが、今回の結論ですかね。


もう、完全に、モテ道場的な話だな、こりゃ(笑)。


まあ、たまにはいいんじゃないでしょうか。モテ期格言の真偽もわかったし!



ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました!

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。

今だからできる!「龍馬伝」四大ヒロインの評価!

2010年11月09日 | お昼間カフェ
どうも!ゆるちょです!

えー、今日はリアルライフで、急にいろいろありまして、

論考シリーズ、お休みにします。まったく、昨日から再開したのにねー。

まあ、なんだか、ドタバタしてますが、ゆっくり落ち着きたいものです。

まあ、人生いろいろ、という感じですねー。はい。


さて、というわけで、お昼間カフェなんですけど、

「龍馬伝」も、とうとうヒロイン編が終わりを迎えた、ということで、

龍馬伝に出てきた四人のヒロインについて、

「なんだったの、あれ?」

的に考えてみたいかなーという記事を挙げてみよう!という感じですー。


っていうのも、メインヒロインだった、お龍さん、

「あれ、なんだったの?」

という思いが強いんですね。


どうも、全然、入ってこなかった。


いや、美しい女優さんだと思いますよ、真木よう子さんは。


でも、なんだろ、こう、最初から見ていたのに、全然、気持ちが入らなかったんですねー。


これね、じゃあ、他の3人は、どうだったの?って比較してみようって思うわけですよ。


さて、最初のヒロインは、広末さんでした。

こう、彼女は、10代の龍馬ラブの相手でしたね。

だから、感情的で、わかりやすいラブを表現していました。まあ、弥太郎いじり係でもあったんですけどね。

その彼女は、収二郎に利用されて・・・京都でお仕事しながら、収二郎の助けをする・・・そんな境遇になっていくわけで、

彼女は、はからずも尊皇攘夷運動に協力することになるわけです。

そのあたり・・・自分の恋愛より、兄に協力することをとった広末さん・・・あのあたり、すごい演技力で表現していましたねー。


でね。


僕は広末さんの芝居に当然、説得されて・・・

「ああ、広末さん、大変だなあ」

と、思っていたわけです。普通に。


というか、これが、普通の大河の芝居だろ、という感じで、普通に説得されていたんです。


でも、お龍さんには、説得されなかった。


これね。


要は、大河好きってことは、ストーリーに説得されるということなんですよ。


以前にも言いましたが、男性は、ストーリーに説得され、女性は、見えるものに説得される傾向があるんですね。


龍馬伝で言うと、女性は、福山さんのビジュアルに説得され、男性は、福山龍馬がやることに、説得される・・・ストーリーに説得されるわけです。


とすると、僕は、広末さんに説得されたのは(感情が動いたのは)、兄思いで、尊皇攘夷運動に、はからずも動いてしまうから・・・だから、


そういうストーリーに説得されたんですね。そういう広末さんのあり方が、あったから、説得されて感情が動いたんですよ。


それが、今になって、わかりました。


彼女を一言で、言うと、「十代ラブ」ですかね。それだけ、幼いけど、透明で、必死な愛を表現していたように思います。



さて、次はおさなさん。



僕は4人の中で、このひとが、一番好きですが、これは、なんといっても、凛とした風情、龍馬を追いかけるのではなく、徹底的に待ちの姿勢であったことに

つきると思います。もちろん、自分の思いは、言うのだけれど、押し付けがましいわけでなく、凛とした風情を失わない女性だからこそ、

説得され感情が動いたんだと思います。やはり、大事なのは、あり方であって、彼女の持っているストーリーなんですね。

そして、もちろん、そのストーリーを十全に表現する演技力も表現力もありました。だから、

「ああ、いいな!このひと」

と、感じることができたんだと思いますね。

彼女を一言で、言うと、「凛としたラブ」ですかね。

押し付けがましいことがなく、つねに自分を持っている、そんな恋愛。それがおさなさんだったと思いますねー。



さて、それに対して、少々違和感があるのが、めんどくさいお元さんです。

もう、このひとは、リアリティが消失していましたから、そういうあり方では、説得されないんです。

蒼井優さんの高度な演技力によってのみ、説得されていたんですねー。

だから、彼女の場合は、演技力を楽しむための、存在でしか、なかった。それだけが、楽しみだったような気がしますね。

だから、彼女の場合、ラブではない。

彼女を一言でいうと、「演技力ピエロ」ですかね。

いろいろな要素があって、それは、楽しかったけれど、もはや、それは、そういう設定でしかなかった。

ピエロとして楽しんだので、ラブは、感じられませんでしたねー。


さて、この3人のヒロインに対して、メインヒロインたるお龍さんは、何がいけなかったんでしょう?


それは、彼女のあり方でしょうね。

おさなさんにしろ、広末さんにしろ、持っているストーリーがよかったんですよね。おさなさんは、凛としたあり方だったし、広末さんは、一途な愛と兄への献身があった。

それに比べると、お龍さんには、確たるストーリーがないんです。

確かに、寺田屋騒動では、風呂から飛び出して、龍馬に危機を知らせたし、献身的に看病もした。

でも、それだけなんですよ。

普通の恋人だったら、普通にやることをやったに過ぎないんですね。

それ以外は、ただ、きつい性格の女という表現だけ・・・なんだか、わがままなだけの女にうつるわけです。

そういうストーリーしかないから、

「なんだか、つまらない、いや、好きになれないおんな」

としか、映らなかったんでしょうね、僕には。


確かに、真木よう子さんは、美しい方だと思いますが、それだけでは、説得されないんですよ。


ストーリーが、あり方が、よくなければ、そんなもん、感情なんて、動きませんよ。


だから、お龍さんに、なんの感情も動かなかったんでしょうね。


そういう結論なら、シナリオが僕向きでなかった、というのが、結論になります。


もちろん、龍馬伝は、女性向け大河ですから、それは当たり前っちゃー、当たり前のことなんです。


では、女性には、お龍さんは、どう見えていたんでしょうね?


まあ、そのあたり興味深いですが、僕からすれば、ただのわがまま女にしか、見えないなあ・・・。



史実の龍馬が、なぜ、お龍さんを愛したか・・・と言えば、なぜ、おさなさんを愛さなかったかを考えれば、おのずとわかると思います。

おさなさんは、名門であり、尊敬できる女性だった・・・だから、龍馬は、自分の仕事に、おさなさんを巻き込みたくなかったんでしょうね。

それに対して、お龍さんは、独立した女性で、自分なりの考えで行動できる女性だった・・・だから、

「こいつなら、一緒に歩いていけそうだ」

という思いがあって、好きになっていったんだと思いますね。

「自分が突然死んでも、こいつなら、生きていける」

そんな思いがあったんだと、思いますね。多分、話していて、おもしろかったんだと思いますよ。実際のお龍さんって。

龍馬伝では、そういうあたり、全然、描かれていないじゃないですか。

だから、魅力もなければ、おもしろくもない、ただわがままなだけの、お龍さんになってしまったんだと、思います。


だから、お龍さんを、一言で、言えば、

「ただのわがまま女」

ということになりますね。まあ、一番近寄りたくない、人種ですね。


だから、お龍さんが、何をしようと、どうなろうと、何とも思わなかったわけです。


「十代ラブ」「凛としたラブ」「演技力ピエロ」「ただのわがまま女」


これが、四人のヒロインの印象です。


やっぱり、僕としては、「凛としたラブ」を、選びますね。


「龍馬伝」の四人のヒロイン、最終的な評価は、こうなりました。もちろん、僕的には・・・ということですが。


こんな評価をできるのも、一年(11ヶ月だけど)見続けたおかげ、ということでしょうかね。


それが、大河ドラマの醍醐味!ということで、まあ、メインヒロインが残念でしたけど、その理由もわかって、スッキリ!ということかな(笑)。


まあ、このあたり、今後のドラマ視聴やら、人間観察の一助にしていこうと思います。


まあ、「演技力ピエロ」も、おもしろかったけどね(笑)。



そのあたりが、今日の結論かな。



ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました!

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。