どうも!ゆるちょです!
いやー、しかし、「龍馬伝」も、あと2回ですかぁー。
なんかねー、こう、毎週、ドラゴン通信を書いてきて、いろいろ愚痴を言ってきたわけですけど、
まあ、要はヘビー大河ドラマウォッチャーなわけですよ。
毎週、感想文をまとめているわけですからねー。こんなに、ひとつのドラマに真正面からとりくんだことは
ありませんでした。まあ、いろいろなことが、龍馬伝を通じて、わかりましたけど、
なんかね、いろいろありがたかったなーと、そんなことを今は思っているわけです。はい。
でね。
やっぱり、ちょっと寂しさがわきあがってきますねー。
こう、容堂の寂しそうな雰囲気・・・あれには、参りましたねー。
それを後藤さんが、見ている。
その後藤さんに盃を渡す・・・あれね、あとは頼んだぞ的に見えて・・・なんか、よかったなあ、と素直に思いましたね。
ずーっと、敵だった容堂さんが、こころを開いてはじめて、後藤さんと同じ高さに降りてきたわけですから、
最初、後藤さんが驚くわけです。そして、改めて、その杯を受ける決意を荘厳な表情で、見せるわけです。
まあ、非言語コミュニケーションなわけですけど、そこにストーリーがちゃあんと見えている。
このあたりが、よーく伝わるんですよ。言葉がないからこそ、余計に、ジーンと胸に伝わってくる。
このあたりが、男性大河的でね、すごくいいんですよ。
後藤さんは迫力演技をしながら、そういう細かい表情をうまく作るんですね。それが演技力です。
そして、その後藤さんのまなざしを受けながら、決意した表情で、容堂さんが言う
「将軍も武士もない国にするがか!」
この時のニヤリが、いいんですよ。
男の決意!という奴ですよ。この時の表情がほんとうによかったですね。そして、後藤さんもいい・・・。
このあたりが、僕にとっての「土佐の大勝負」の大好きなシーンになりましたねえ・・・。
男って、生きていて、いろいろあるじゃないですか。
リアルライフ、賢明に生きても、うまくいかないことなんて、たーくさんある。
悩んで悩んで、自分を破滅させたい、そんな気持ちになることだってある。
嫌いな奴、いやな奴、二度と会いたくない奴、そんな人間が周りにいて、毎日を迎えるのがいやな時だってある。
でも、みんな、そういう中を、必死で生きているんですよね。必死で生きてきた。
そういうのを、くぐり抜けてきたからこそ、今がある。
そういうもろもろのいろいろなことを、くぐりぬけたから、決意というものができる。
なんか、あの、容堂の決意、そして、後藤さんの決意のシーンを見て、そういう自分のリアルライフの思い出が重なりましたねー。
それだけ、決意のシーンって、いろいろ思わせるんだなあって・・・だから、気分がよくなるのかもしれませんねー。
龍馬さんは主人公だし、かっこいいから、女性が賞賛するのに、任せたいんですよ。
そうでなくて、僕にとっては、あのくやしさをにじませた後藤さんや、葛藤の容堂の方が、近い存在に感じるんですね。
ひとに言えずたったひとりで、悩み苦しみ、飲んだ苦いお酒。
毎日、今日あったことを忘れたくて、飲んだつらいお酒。
お酒って、楽しいはずだけど、でも、そういう苦い思い出もあるわけですよ。
だから、あの酒をつぐっていう、それだけのことなんだけど、いろいろなことを思い出すし、そういう感情が乗るんですよねー。
そういうのを、容堂と、後藤さんのあのシーンが語ってくれた・・・決意ですよ。決意。
かっこいいなあって、素直に思いました。
だからね、僕なんかも、実際のリアルライフ、さらに、いろいろ決意して、臨んでいきたいなあって、素直に思いましたね。
なにか、つきものが落ちたような容堂、新たな決意に、荘厳な気持ちで、とりくもうとしている後藤さん。
次回が、楽しみです。
あとー、今回思ったのは、ほんとに、筋とか、関係なくて、龍馬が坂本家で、飯食っているシーンが、ほんとに、ホッとするっていうか、
そのシーンを見ているのが、好きなんですよ。
これね。やっぱり、終りが来るのが、こわい、という気持ちをどこかに持っているからだと、思うんです。
なんか、あの第一部の頃ののほほんとした、龍馬にもどってほしいような、あの頃がなつかしいような、そんな気持ちなんでしょうねー。
もう、乙女姉やんと龍馬のふざけっこも、ないのか、と思うと、なんだか、さみしい気持ちになりました。
やっぱり、あの坂本家、好きなんですよね。明るくて、楽しくて。
春猪も、かわいいし。
龍馬は、そこに似あっていたなあ・・・と素直に思うわけです。
だから、あの龍馬の脱藩した日の、龍馬のいなくなった朝の坂本家のシーンが脳裏に浮かんでくるんですね。
龍馬だけがいなくて、皆、静かに飯を食べている。誰もそのことを口にはしないけど、
目が寂しさを語っている。
あのシーン、いまだに、強い印象が残っています。
だれも、言葉を発しないからこそ、強い寂しさを感じたんですねー。
それは、龍馬暗殺のあと・・・あんな感じになるんじゃないかっていう示唆でもあるわけで・・・。
今から、龍馬がいなくなること・・・龍馬伝が終わることを、恐れている自分がいる・・・そういうことだと、思いますねー。
なんかね。今はそっちに感情が動いちゃって・・・でも、ずっと見続けてきたからこそ味わえる感情なんだなあ、と素直に噛み締めてますけどね。
こういう自分に素直に文章をかけるのが、おもしろいなあって思っているわけです。
だって、感情ってのは、そこらへん素直ですからね(笑)。
「へー、そんな感情になるとはなー。おもしれーなー」
とか、自分で思っているんですけどね。
愚痴愚痴言いながら、要は、この作品を愛していた・・・ということなんでしょうね。
まあ、僕から言わせると、
「ベビーフェイス福山さんを助けるゆかいな仲間たちショー」
みたいに、見えてますけど、それが終わるのが、いやなんですねー。
しっかし、ずーっと記号化していた慶喜さんも、来週は、ちゃんと描かれるのかなー。
なんか、かわいそうでねー、この慶喜。ほんと、頭悪そうに笑っているか、怒っているかのどっちかしかなかったからねー(笑)。
もっとも、「龍馬伝」のことだから、どういう扱いか、やるまで、わからないけどね(笑)。
最後くらい、まともな演技をさせてあげたいです。田中さん(笑)。
しかし、この「龍馬伝」で、大きく成長したのは、後藤さんだよねー。
後藤象二郎という人物を、光り輝かせたと言っても過言ではないと思うしねー。
プライドと葛藤を渾身の演技で、表現した後藤さんは素晴らしかったと思いますねー。
言葉でなく、表情やしぐさで、表現できる。その素晴らしさを存分に魅せつけてくれた後藤さんだったと、改めて思いますね。
演技力は武市さんに教わったけど、それ以来、演技力の素晴らしさを、たーくさんのひとに、教えてもらいました。
太っているひとや、お年寄りが、なぜ敬遠されるのか、という問題も、
「それは表情の変化が、わかりにくいから」
という一因があることも、教えてもらいました。
非言語コミュニケーションが、うまくとれない人間には、本能的こわさを感じるんだと思いますね。
だから、ポーカーフェイスという技がある。相手にこちらの意図を読ませないためなんですけど、
感情は表情に出るんですよ。だから、感情がわかりやすい、ひとは、好感をもたれたりするんですね。
そして、いつもころころ笑っている、若い女の子は、みんなに愛されるんですねー。
そういうあたりのつながりを教えてくれたのも、きっかけは、この龍馬伝を見ることでしたから、ほんとにためになった感じです。
なんかね。存分に楽しんだなあ・・・という満足感と、終わっちゃうんだなあ・・・という寂寥感が、ないまぜになって、変な感じです(笑)。
でも、あと2回、最後まで、同じような気持ちで、おもいっきり堪能したい。
今は、そんな気持ちですね。
「龍馬伝」
しあわせな出会いだったと、今は素直に、思えますねー。実際、このブログを通して、いろいろなひと達と出会い、語らうこともできたし、
僕という人間を大きく成長させた、ドラマになりました。
まあね。まだ、終わったわけじゃないんでね(笑)。
あと2回。存分に楽しみましょう!(笑)。
ではでは。
いやー、しかし、「龍馬伝」も、あと2回ですかぁー。
なんかねー、こう、毎週、ドラゴン通信を書いてきて、いろいろ愚痴を言ってきたわけですけど、
まあ、要はヘビー大河ドラマウォッチャーなわけですよ。
毎週、感想文をまとめているわけですからねー。こんなに、ひとつのドラマに真正面からとりくんだことは
ありませんでした。まあ、いろいろなことが、龍馬伝を通じて、わかりましたけど、
なんかね、いろいろありがたかったなーと、そんなことを今は思っているわけです。はい。
でね。
やっぱり、ちょっと寂しさがわきあがってきますねー。
こう、容堂の寂しそうな雰囲気・・・あれには、参りましたねー。
それを後藤さんが、見ている。
その後藤さんに盃を渡す・・・あれね、あとは頼んだぞ的に見えて・・・なんか、よかったなあ、と素直に思いましたね。
ずーっと、敵だった容堂さんが、こころを開いてはじめて、後藤さんと同じ高さに降りてきたわけですから、
最初、後藤さんが驚くわけです。そして、改めて、その杯を受ける決意を荘厳な表情で、見せるわけです。
まあ、非言語コミュニケーションなわけですけど、そこにストーリーがちゃあんと見えている。
このあたりが、よーく伝わるんですよ。言葉がないからこそ、余計に、ジーンと胸に伝わってくる。
このあたりが、男性大河的でね、すごくいいんですよ。
後藤さんは迫力演技をしながら、そういう細かい表情をうまく作るんですね。それが演技力です。
そして、その後藤さんのまなざしを受けながら、決意した表情で、容堂さんが言う
「将軍も武士もない国にするがか!」
この時のニヤリが、いいんですよ。
男の決意!という奴ですよ。この時の表情がほんとうによかったですね。そして、後藤さんもいい・・・。
このあたりが、僕にとっての「土佐の大勝負」の大好きなシーンになりましたねえ・・・。
男って、生きていて、いろいろあるじゃないですか。
リアルライフ、賢明に生きても、うまくいかないことなんて、たーくさんある。
悩んで悩んで、自分を破滅させたい、そんな気持ちになることだってある。
嫌いな奴、いやな奴、二度と会いたくない奴、そんな人間が周りにいて、毎日を迎えるのがいやな時だってある。
でも、みんな、そういう中を、必死で生きているんですよね。必死で生きてきた。
そういうのを、くぐり抜けてきたからこそ、今がある。
そういうもろもろのいろいろなことを、くぐりぬけたから、決意というものができる。
なんか、あの、容堂の決意、そして、後藤さんの決意のシーンを見て、そういう自分のリアルライフの思い出が重なりましたねー。
それだけ、決意のシーンって、いろいろ思わせるんだなあって・・・だから、気分がよくなるのかもしれませんねー。
龍馬さんは主人公だし、かっこいいから、女性が賞賛するのに、任せたいんですよ。
そうでなくて、僕にとっては、あのくやしさをにじませた後藤さんや、葛藤の容堂の方が、近い存在に感じるんですね。
ひとに言えずたったひとりで、悩み苦しみ、飲んだ苦いお酒。
毎日、今日あったことを忘れたくて、飲んだつらいお酒。
お酒って、楽しいはずだけど、でも、そういう苦い思い出もあるわけですよ。
だから、あの酒をつぐっていう、それだけのことなんだけど、いろいろなことを思い出すし、そういう感情が乗るんですよねー。
そういうのを、容堂と、後藤さんのあのシーンが語ってくれた・・・決意ですよ。決意。
かっこいいなあって、素直に思いました。
だからね、僕なんかも、実際のリアルライフ、さらに、いろいろ決意して、臨んでいきたいなあって、素直に思いましたね。
なにか、つきものが落ちたような容堂、新たな決意に、荘厳な気持ちで、とりくもうとしている後藤さん。
次回が、楽しみです。
あとー、今回思ったのは、ほんとに、筋とか、関係なくて、龍馬が坂本家で、飯食っているシーンが、ほんとに、ホッとするっていうか、
そのシーンを見ているのが、好きなんですよ。
これね。やっぱり、終りが来るのが、こわい、という気持ちをどこかに持っているからだと、思うんです。
なんか、あの第一部の頃ののほほんとした、龍馬にもどってほしいような、あの頃がなつかしいような、そんな気持ちなんでしょうねー。
もう、乙女姉やんと龍馬のふざけっこも、ないのか、と思うと、なんだか、さみしい気持ちになりました。
やっぱり、あの坂本家、好きなんですよね。明るくて、楽しくて。
春猪も、かわいいし。
龍馬は、そこに似あっていたなあ・・・と素直に思うわけです。
だから、あの龍馬の脱藩した日の、龍馬のいなくなった朝の坂本家のシーンが脳裏に浮かんでくるんですね。
龍馬だけがいなくて、皆、静かに飯を食べている。誰もそのことを口にはしないけど、
目が寂しさを語っている。
あのシーン、いまだに、強い印象が残っています。
だれも、言葉を発しないからこそ、強い寂しさを感じたんですねー。
それは、龍馬暗殺のあと・・・あんな感じになるんじゃないかっていう示唆でもあるわけで・・・。
今から、龍馬がいなくなること・・・龍馬伝が終わることを、恐れている自分がいる・・・そういうことだと、思いますねー。
なんかね。今はそっちに感情が動いちゃって・・・でも、ずっと見続けてきたからこそ味わえる感情なんだなあ、と素直に噛み締めてますけどね。
こういう自分に素直に文章をかけるのが、おもしろいなあって思っているわけです。
だって、感情ってのは、そこらへん素直ですからね(笑)。
「へー、そんな感情になるとはなー。おもしれーなー」
とか、自分で思っているんですけどね。
愚痴愚痴言いながら、要は、この作品を愛していた・・・ということなんでしょうね。
まあ、僕から言わせると、
「ベビーフェイス福山さんを助けるゆかいな仲間たちショー」
みたいに、見えてますけど、それが終わるのが、いやなんですねー。
しっかし、ずーっと記号化していた慶喜さんも、来週は、ちゃんと描かれるのかなー。
なんか、かわいそうでねー、この慶喜。ほんと、頭悪そうに笑っているか、怒っているかのどっちかしかなかったからねー(笑)。
もっとも、「龍馬伝」のことだから、どういう扱いか、やるまで、わからないけどね(笑)。
最後くらい、まともな演技をさせてあげたいです。田中さん(笑)。
しかし、この「龍馬伝」で、大きく成長したのは、後藤さんだよねー。
後藤象二郎という人物を、光り輝かせたと言っても過言ではないと思うしねー。
プライドと葛藤を渾身の演技で、表現した後藤さんは素晴らしかったと思いますねー。
言葉でなく、表情やしぐさで、表現できる。その素晴らしさを存分に魅せつけてくれた後藤さんだったと、改めて思いますね。
演技力は武市さんに教わったけど、それ以来、演技力の素晴らしさを、たーくさんのひとに、教えてもらいました。
太っているひとや、お年寄りが、なぜ敬遠されるのか、という問題も、
「それは表情の変化が、わかりにくいから」
という一因があることも、教えてもらいました。
非言語コミュニケーションが、うまくとれない人間には、本能的こわさを感じるんだと思いますね。
だから、ポーカーフェイスという技がある。相手にこちらの意図を読ませないためなんですけど、
感情は表情に出るんですよ。だから、感情がわかりやすい、ひとは、好感をもたれたりするんですね。
そして、いつもころころ笑っている、若い女の子は、みんなに愛されるんですねー。
そういうあたりのつながりを教えてくれたのも、きっかけは、この龍馬伝を見ることでしたから、ほんとにためになった感じです。
なんかね。存分に楽しんだなあ・・・という満足感と、終わっちゃうんだなあ・・・という寂寥感が、ないまぜになって、変な感じです(笑)。
でも、あと2回、最後まで、同じような気持ちで、おもいっきり堪能したい。
今は、そんな気持ちですね。
「龍馬伝」
しあわせな出会いだったと、今は素直に、思えますねー。実際、このブログを通して、いろいろなひと達と出会い、語らうこともできたし、
僕という人間を大きく成長させた、ドラマになりました。
まあね。まだ、終わったわけじゃないんでね(笑)。
あと2回。存分に楽しみましょう!(笑)。
ではでは。