「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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「龍馬伝」もあと2回!それについて、素直な想い!

2010年11月16日 | お昼間カフェ
どうも!ゆるちょです!

いやー、しかし、「龍馬伝」も、あと2回ですかぁー。

なんかねー、こう、毎週、ドラゴン通信を書いてきて、いろいろ愚痴を言ってきたわけですけど、

まあ、要はヘビー大河ドラマウォッチャーなわけですよ。

毎週、感想文をまとめているわけですからねー。こんなに、ひとつのドラマに真正面からとりくんだことは

ありませんでした。まあ、いろいろなことが、龍馬伝を通じて、わかりましたけど、

なんかね、いろいろありがたかったなーと、そんなことを今は思っているわけです。はい。


でね。


やっぱり、ちょっと寂しさがわきあがってきますねー。

こう、容堂の寂しそうな雰囲気・・・あれには、参りましたねー。

それを後藤さんが、見ている。

その後藤さんに盃を渡す・・・あれね、あとは頼んだぞ的に見えて・・・なんか、よかったなあ、と素直に思いましたね。

ずーっと、敵だった容堂さんが、こころを開いてはじめて、後藤さんと同じ高さに降りてきたわけですから、

最初、後藤さんが驚くわけです。そして、改めて、その杯を受ける決意を荘厳な表情で、見せるわけです。

まあ、非言語コミュニケーションなわけですけど、そこにストーリーがちゃあんと見えている。

このあたりが、よーく伝わるんですよ。言葉がないからこそ、余計に、ジーンと胸に伝わってくる。

このあたりが、男性大河的でね、すごくいいんですよ。

後藤さんは迫力演技をしながら、そういう細かい表情をうまく作るんですね。それが演技力です。

そして、その後藤さんのまなざしを受けながら、決意した表情で、容堂さんが言う

「将軍も武士もない国にするがか!」

この時のニヤリが、いいんですよ。

男の決意!という奴ですよ。この時の表情がほんとうによかったですね。そして、後藤さんもいい・・・。

このあたりが、僕にとっての「土佐の大勝負」の大好きなシーンになりましたねえ・・・。


男って、生きていて、いろいろあるじゃないですか。


リアルライフ、賢明に生きても、うまくいかないことなんて、たーくさんある。

悩んで悩んで、自分を破滅させたい、そんな気持ちになることだってある。


嫌いな奴、いやな奴、二度と会いたくない奴、そんな人間が周りにいて、毎日を迎えるのがいやな時だってある。


でも、みんな、そういう中を、必死で生きているんですよね。必死で生きてきた。

そういうのを、くぐり抜けてきたからこそ、今がある。


そういうもろもろのいろいろなことを、くぐりぬけたから、決意というものができる。


なんか、あの、容堂の決意、そして、後藤さんの決意のシーンを見て、そういう自分のリアルライフの思い出が重なりましたねー。


それだけ、決意のシーンって、いろいろ思わせるんだなあって・・・だから、気分がよくなるのかもしれませんねー。


龍馬さんは主人公だし、かっこいいから、女性が賞賛するのに、任せたいんですよ。

そうでなくて、僕にとっては、あのくやしさをにじませた後藤さんや、葛藤の容堂の方が、近い存在に感じるんですね。


ひとに言えずたったひとりで、悩み苦しみ、飲んだ苦いお酒。

毎日、今日あったことを忘れたくて、飲んだつらいお酒。


お酒って、楽しいはずだけど、でも、そういう苦い思い出もあるわけですよ。


だから、あの酒をつぐっていう、それだけのことなんだけど、いろいろなことを思い出すし、そういう感情が乗るんですよねー。


そういうのを、容堂と、後藤さんのあのシーンが語ってくれた・・・決意ですよ。決意。


かっこいいなあって、素直に思いました。


だからね、僕なんかも、実際のリアルライフ、さらに、いろいろ決意して、臨んでいきたいなあって、素直に思いましたね。


なにか、つきものが落ちたような容堂、新たな決意に、荘厳な気持ちで、とりくもうとしている後藤さん。


次回が、楽しみです。



あとー、今回思ったのは、ほんとに、筋とか、関係なくて、龍馬が坂本家で、飯食っているシーンが、ほんとに、ホッとするっていうか、

そのシーンを見ているのが、好きなんですよ。

これね。やっぱり、終りが来るのが、こわい、という気持ちをどこかに持っているからだと、思うんです。


なんか、あの第一部の頃ののほほんとした、龍馬にもどってほしいような、あの頃がなつかしいような、そんな気持ちなんでしょうねー。


もう、乙女姉やんと龍馬のふざけっこも、ないのか、と思うと、なんだか、さみしい気持ちになりました。

やっぱり、あの坂本家、好きなんですよね。明るくて、楽しくて。

春猪も、かわいいし。

龍馬は、そこに似あっていたなあ・・・と素直に思うわけです。

だから、あの龍馬の脱藩した日の、龍馬のいなくなった朝の坂本家のシーンが脳裏に浮かんでくるんですね。

龍馬だけがいなくて、皆、静かに飯を食べている。誰もそのことを口にはしないけど、

目が寂しさを語っている。

あのシーン、いまだに、強い印象が残っています。

だれも、言葉を発しないからこそ、強い寂しさを感じたんですねー。


それは、龍馬暗殺のあと・・・あんな感じになるんじゃないかっていう示唆でもあるわけで・・・。

今から、龍馬がいなくなること・・・龍馬伝が終わることを、恐れている自分がいる・・・そういうことだと、思いますねー。


なんかね。今はそっちに感情が動いちゃって・・・でも、ずっと見続けてきたからこそ味わえる感情なんだなあ、と素直に噛み締めてますけどね。

こういう自分に素直に文章をかけるのが、おもしろいなあって思っているわけです。

だって、感情ってのは、そこらへん素直ですからね(笑)。

「へー、そんな感情になるとはなー。おもしれーなー」

とか、自分で思っているんですけどね。

愚痴愚痴言いながら、要は、この作品を愛していた・・・ということなんでしょうね。

まあ、僕から言わせると、

「ベビーフェイス福山さんを助けるゆかいな仲間たちショー」

みたいに、見えてますけど、それが終わるのが、いやなんですねー。


しっかし、ずーっと記号化していた慶喜さんも、来週は、ちゃんと描かれるのかなー。

なんか、かわいそうでねー、この慶喜。ほんと、頭悪そうに笑っているか、怒っているかのどっちかしかなかったからねー(笑)。

もっとも、「龍馬伝」のことだから、どういう扱いか、やるまで、わからないけどね(笑)。

最後くらい、まともな演技をさせてあげたいです。田中さん(笑)。


しかし、この「龍馬伝」で、大きく成長したのは、後藤さんだよねー。

後藤象二郎という人物を、光り輝かせたと言っても過言ではないと思うしねー。

プライドと葛藤を渾身の演技で、表現した後藤さんは素晴らしかったと思いますねー。


言葉でなく、表情やしぐさで、表現できる。その素晴らしさを存分に魅せつけてくれた後藤さんだったと、改めて思いますね。

演技力は武市さんに教わったけど、それ以来、演技力の素晴らしさを、たーくさんのひとに、教えてもらいました。


太っているひとや、お年寄りが、なぜ敬遠されるのか、という問題も、

「それは表情の変化が、わかりにくいから」

という一因があることも、教えてもらいました。

非言語コミュニケーションが、うまくとれない人間には、本能的こわさを感じるんだと思いますね。

だから、ポーカーフェイスという技がある。相手にこちらの意図を読ませないためなんですけど、

感情は表情に出るんですよ。だから、感情がわかりやすい、ひとは、好感をもたれたりするんですね。

そして、いつもころころ笑っている、若い女の子は、みんなに愛されるんですねー。


そういうあたりのつながりを教えてくれたのも、きっかけは、この龍馬伝を見ることでしたから、ほんとにためになった感じです。


なんかね。存分に楽しんだなあ・・・という満足感と、終わっちゃうんだなあ・・・という寂寥感が、ないまぜになって、変な感じです(笑)。


でも、あと2回、最後まで、同じような気持ちで、おもいっきり堪能したい。


今は、そんな気持ちですね。



「龍馬伝」



しあわせな出会いだったと、今は素直に、思えますねー。実際、このブログを通して、いろいろなひと達と出会い、語らうこともできたし、

僕という人間を大きく成長させた、ドラマになりました。


まあね。まだ、終わったわけじゃないんでね(笑)。



あと2回。存分に楽しみましょう!(笑)。



ではでは。

自分の評価を確認したかったに過ぎない小倉処平!

2010年11月16日 | 先人の分析
おはようございます!

しっかし、最近は、朝が寒いです。

もう、すっかり冬な感じで、朝から暖かいココアでぬくもってます。

まあ、でも、寒いと頭がシャッキリしてそれはそれで、いい感じです。

まあ、何でも、とりようですね(笑)。


さて、前回、この「翔ぶが如く」シリーズでは、土佐勢力の動きを書きました。

なんか「龍馬伝」を見ているので、なんとなく、土佐のあたり、気になりますけど、

やはりこの時期、土佐には、人物がいなかったようだなあという感じがあります。

さて、土佐の次は・・・ということで、「翔ぶが如く」では、薩軍と共同した部隊の話になっています。


薩軍が薩摩を出発したあと、西郷には冷たくあしらわれたという県令大山綱良は、各府県に檄文や密使を出しているそうです。

おいおい。西郷が密使を出したということを、前々回書いてませんでした?それで、前に書いた西郷の密使も

「西郷の密使というより、実際は大山の密使だったのだろう」

と、ここで、けつまくってます。まったくもう・・・。


この薩軍の雷発に対して最も強く結束して行動したのは宮崎県の飫肥藩だったそうです。

飫肥藩の藩風は、「飫肥の正直」と言われるくらい、正直という徳目に価値をおいていたようです。

この飫肥藩で人物として評価されていたのは、小倉処平という人物だったそうです。

この小倉処平、幕末、19歳で京都において、藩の全権を帯びて、藩外交を一手に切り回していたそうで

なかなかの才幹のようです。このひとは、維新後、太政官の命令で、英国へ留学していたわけですが、

征韓論の決裂を聞いて、急ぎ帰国したという人物です。


「日向の飫肥へゆけば小倉処平を尋ねよ」

というのが、当時の不平家の常識だったそうですが・・・飫肥まで行く理由ってなんだ?

まあ、江藤新平も佐賀の乱で敗れたあと、小倉処平を頼り土佐へ脱出させたそうです。

そういう意味では、江藤新平に信頼されるくらいですから、なかなかの人物だと言えるでしょうね。

佐賀の乱の後、小倉処平は禁錮刑をくらいますが、数ヶ月で出てくると、東京に出ました。

そこで、大蔵省に出仕させたそうです。つまり、太政官としては、不平士族の親玉を取り込む気持ちがあったんですね。


おもしろいのは、同じような形で官に取り込まれた陸奥宗光なんですけど、彼は伊藤博文や大久保利通を暗殺しようと企てたことがあるんですね。

その陸奥、大久保が暗殺されたことで、警察に捕まってしまうんですね。これ、何故かって言うと、

「大久保が内務省の自室に保管していた書類の中に、陸奥の(昔の)暗殺計画の証拠書類が見つかったから」

というもので、要は大久保、自分を暗殺しようとした陸奥を

「使えるから」

と、言う理由で、暗殺のことなぞ、お首にも出さず、使っていたってことなんですねー。


これ、信長と一緒なんですよ!


信長も、敵側に回って自分に対抗した人間でも、使える人間なら、ガンガン使っていますからね。それと同じ状況が、大久保にも現れている。

「自分を殺そうとするくらいだから、度胸もあるし、使えるやつなら、そりゃ、ガンガン使うべきだ!」

と、信長と大久保は思っていたということなんですねー。

まあ、

「自分を殺そうとした」

ということをどう評価するかなんですね。これ。

普通のひとだったら、

「やだ、そんな奴。自分の周りにおけるか」

という自分保護の気持ちが強く出るでしょうけど、信長と大久保は、

「使える奴は、使うべきだ!」

その度胸と能力を高く評価した、ということなんですね。つまり、信長も大久保も

「そんな奴に殺されるくらいなら、俺はその程度の男だ。まあ、殺されるような俺じゃないよ」

と、強い気持ちを持っていた、ということがわかるわけです。すごいですねー。


小倉処平も、そういう存在なわけです。だから、太政官は彼を離さないわけですけど、伊藤博文に

「飫肥藩を鎮撫する」

と言って書類をもらい、飫肥藩に帰るわけです。そして、途中で

「薩軍の決起に加わる」

と、伊藤に連絡したそうです。

「飫肥の正直」

そのものですねー。



小倉処平が飫肥藩に帰った時、すでに飫肥軍が組織され、熊本に去った後でした。

小倉処平は、すぐに鹿児島に行き、県庁の大山を訪ね、戦略を献策したそうです。

「政府軍は熊本に兵力を集中している。豊後方面が手薄だから、日向で募兵し、小倉を占領すれば、政府軍は腹背に敵を受けることになるから、福岡、長崎に後退するだろう」

という案だったそうで、ごく妥当なものでしょう。

しかし、起死回生の策でもないんですね。戊辰戦争から10年後という状況を考えれば、これくらいの作戦を考えられる人間は、それこそ、掃いて捨てるほどいると思います。

それに、政府軍も兵員の補充は暫時やっているんですよね。このあと、警察の人間が元武士であって、戦闘力が高いということで、兵士として送られてくるし、

小倉の策は、熊本に兵が集中していて、補給がないなら、使えるというくらいの手なんですよね。


しかし、大山はこの策に喜んで、熊本に使いをだしたそうです。

大山の考えの浅さが、この行動に出ていますねー。

後方の人間が、知ったかぶりして、前線の戦いのプロ達に献策なんて、あきれてものが言えませんけどね。

それが前線の人間のどういう行動を生むか、わからないのでしょうかね。

まあ、握りつぶすのがオチでしょ?普通に考えたらねー。

「それくらい俺たちだって、わかっている。でも、それよりもっと大切なことがあるんだ、ばかやろー」

くらい思うんじゃないですかねー?


それに対して司馬氏は、次のように書いています。

「が、西郷の奇妙さは、これについて是とも非ともいわず、何の決断も下さなかったことだった。この態度は彼が軍事に暗いことを示すのか、密かにこの戦いを」

「投げてしまっていたか、あるいは軍事は桐野らにまかせっきりということだったのか、よくわからない」

まあ、よくわからない、と言いながら、暗に

「西郷は軍事に暗い」

と言っています。これは、司馬氏が、人間というものに、暗いということを示しています。


まず、大山と西郷の関係性を考えてみましょう。西郷は大山を嫌っているということを何度も司馬氏は、指摘しています。

前線にいる西郷に、その嫌いな後方の大山から、誰でもわかるような安易な作戦を献策されたら、どうすると思いますか?

まず、不快な想いが西郷を襲うでしょう。それでも、西郷は大山のために、表情は変えなかったでしょう。表情を変えることすら、バカバカしいことだからです。

もし、桐野だったら、怒りを爆発させて、

「相手にするのも、馬鹿らしい」

くらい言うでしょうね。西郷だから、不快感に耐え、何も言わないことで、その態度を、示したんですよ。

不快感を周りに示したんですよ。まあ、非言語コミュニケーションのひとつですね(笑)。周りは、西郷の不快感をよーくわかったと思いますよ。



それを奇妙と言ってのけるんですから、どっちが奇妙なんだ?って感じですよ。この司馬氏の決めつけ!

現場の人間の機知というものを、司馬氏は全然わかっていないですね。というか、そういう体験をしてないんでしょうか?

新聞記者なら、現場とデスクの確執くらい、わかりそうなものなのにねー。


そういうものを当てはめるという能力さえないんでしょうか?ほんとに、何もわからない人間だなあ、浅はかな人間だなあ、とあきれてしまいます。


さらに言えば、西郷は、薩摩士族削除のために、いろいろやっているんですから、そんな献策、絶対に採用しませんから。


まあ、それを出す以前の問題ですよ。この話はねー。


さて、そういう献策をした小倉処平という人間も、このひと、俺偉い病の人間ですね。


西郷を中心とした薩軍を、自分の作戦で救えると考えているんですから、その底の浅さは、笑っちゃうほどです。


それだけ自分の名前が西郷、薩軍に効くと思っていたんでしょうか。それとも、この作戦がほんとに薩軍に起死回生な作戦になると思っていたのでしょうか。

いずれにしろ、アホでしょ。こいつ。

司馬さんが素晴らしいとか、人材だ、とか言うから、素直に信じて書いてみたら、その行動を分析すれば、どういう人間かわかってしまう。


司馬氏は、小倉処平の名をもってすれば、北九州の不平士族が、二千や三千の兵は募れるだろうとしています。それで小倉を占領すれば、さらに不平士族の参加は

増えるとしています。ほんとかねー。このあたり、信用できない気がします。要は、西郷をくさすために、わざとこう書いているように思えてしまうからです。

このあたりは、小倉処平については、あまり信用しないでいこうと思います。


さて、この献策に対して、桐野が判断をしたようです。

「そんな馬鹿なことをして何になるか。ともかく、そんな兵があるなら、熊本へ来てくれ。こちらは兵力の不足で困っている」

と、二名の使者を鹿児島へやったそうです。

これについて、司馬氏は、

「桐野は野戦部隊の長としては最適の男だが、戦略などという感覚や奇才がまったくなかったことは、このことでも明らかであった。彼は小倉処平の名もよく知らず」

「ましてやその存在の利用価値なども思いつかなかった」

と、桐野をこきおろしています。また、出ました。

「俺は、小倉処平の名も知っているし、その存在の利用価値さえ指摘できるんだ。それに対して、桐野はなんだ!」

また、自分アゲです。ほんと、このひと、こればっかりです。


でも、それ間違いですよ。この大山の献策にわざわざ二名の使者を鹿児島に送っているんですよ。これについて、司馬氏は、

「小倉処平への敬意だ」

と言っているんですけど、前後で、言っていることが、まったく違うわけですよ。桐野が小倉処平の名を知らなかったら、敬意だって表さないでしょ?

桐野は薩摩一藩主義の人間ですよ。他藩の人間から、しかも後方から作戦献策されたって、そんなの容れませんよ。

それでも、敬意を表した。すばらしいじゃないですか。


ひとが前線で戦っているのに、わざわざ後方の鹿児島に行って、作戦を献策するなんて、それが男のやることですか?


そんな男の話なんて、誰が耳を貸すんですか?


そういうのが、わからない小倉処平も、そのレベルの男なんじゃないですか?

こんな愚にもつかない作戦を、前線の人間に送って、それが容れられると思っている浅はかな人間ですよ。

あるいは、

「俺は頭がいいんだ。名前だって売れてるんだ。俺が言えば、薩軍だって、作戦を採用するはずだ」

という思い上がり、俺偉い病にかかった、だめだめ君じゃないですか?

まあ、とにかく、桐野の返事を聞いた小倉処平は、

「もはや戦いの決なった」

と大山の前で露骨につぶやいて、

「もう、前線には、行かない。行っても無駄である。それよりこれから、東上し、政府に陳情活動をする」

として、西郷に手紙を書いたそうです。そして、西郷はこの案に反対したんだそうです。

小倉処平は、自分の献策がことごとく破れて西郷の敗北することを予見したが、飫肥の士族三百が既に参戦している以上、それを見捨てることができない、と

熊本に参戦したそうです。


これ、小倉処平は、自分の名前に自信がなかったんじゃないですか?


だって、自信があるなら、最初から、熊本に行き、正々堂々薩軍の本営に乗り込み、自分の作戦計画を話し、理非を説いて、薩軍首脳の

考えを改めさせるくらいの気概があってしかるべきでしょう。


それができないかもしれない、という危惧があったから旧知の、大山を使ったんですよ。


事実、桐野には、敬意は表されたけど、それだけでしたしね。


自分に自信がないから、わざわざ後方の大山から、作戦案を提示させた。それも、それほど、素晴らしいという策でもない。

もし実際にその策に自信があるなら、実際に北九州で募兵をして、小倉を占領してから、薩軍と連絡をとって、既成事実をつくりあげるという手だってある。

それをしなかったというのは、この作戦は、彼のポーズにしか過ぎなかったということですよ。

だいたい、軍資金をどう考えていたのかも怪しい。司馬氏は、声をかけりゃあひとが集まるみたいなことを言っているけど、

武器や軍資金を調達できなければ、勢力にはなりませんからね。そういう基本的なところ、何も考えていないように見えます。

だから、要は、絵に書いた餅なんですよ。言葉では何だって言える。でも、実際にやってないんだから、評価なんかできないんですよ。


要は、自分というものが、薩軍にどれだけ評価されているか、確認したかったに過ぎないんですよ。小倉処平は。

だから、大山を使った。だいたい、大山如きを使っているあたりで、人間というものがわかっていないし、人を見る目もない。

なんか、小才子程度なイメージしかありませんね。


飫肥の正直といいますが、大久保や信長が、自分を殺そうとした人間を使っていた話と比べてみてください。


正直なんて、誰だってできる。それより、自分が嘘を突いている状態がこわいから、正直になっているだけでしょ?

要は一種の逃げだ。正直なんてのは。

信長や大久保のスケールと比較すると、なんとなく、器の小さい人間のように、思えますが、そこらへんどうでしょう。

まあ、まだ、エピソードはでるはずですから、そのあたりも見ていきたいものですね。


いやあ、はからずも、大久保、信長と、大山、小倉を比較してしまいましたね。


まあ、ちょっと相手が悪すぎたみたいですね。いずれにしろ、ひとというのは、その言語や行動で、どういう人間か、簡単にわかってしまうものです。

だから、自分の行動には、責任があるということになるんですねー。

まあ、司馬氏に至っては、言っていることが、あちこちで違うんで、もうあきれます。


ひとを見る目がないなあ・・・というのが、今日の結論でしょうか。毎回だけどね(笑)。


今日も長くなりました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました!

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。