私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

アジョシ

2011-09-18 19:11:50 | 映画鑑賞
この映画は去年の今頃、韓国で字幕なしで一度鑑賞済み。
今日、字幕付きで見直して何か別の思いがあればと思ったのだが、やっぱり一番最初に見た感想の方が新鮮だし、感動した気持ちが伝わってっくるような気がする。

去年自分で書いたものを読み返し、今日の字幕付きの鑑賞を思い出し、そうそうと一人うなずいたりする。
韓国ではそのアクションシーンなどから、香港ノワールなどと言われていたが、今こうやって見てみると、香港ノワールというより、どこまでもどこまでもしつこく食らいついてくるアクションシーンの数々は、やっぱり韓国映画らしい。

三連休の中日、午後3時過ぎの回ということもあったと思うが、劇場の入りは8割程度。

******(以下 去年見た時の感想)*****

質屋を営む男。質屋を営むにはやや若すぎるその姿も長く伸ばした髪のせいでよく分らない。
髪を長く伸ばし、何かから隠れているかのような彼の元にやってくるのは、一人の近所の少女。

一緒に食事をし、窓際のサボテンに水をやる二人はまるでどこか別の映画を思い出させるが、そんなことはあっという間に忘れるような出来事が起こる。
少女の母が犯罪に巻き込まれ、少女も連れ去られ、そして質屋を営むこの男もその騒ぎに巻き込まれることになるのだ。

ネールアートをするのが好きなちょっと利発そうな女の子だった。
自分は笑顔を見せなかったのに、彼女のことを助けようとしなかったのに、自分の事を慕ってくれたそんな「隣の女の子」を助けるために、ただの隣のおじさんだった彼はこれ以上ない暴力と銃弾の中に独り乗り込んでいくのだ。

ただの隣のおじさんのはずなのに、ありったけの銃をバックに詰めて、女の子を助けに行くおじさん。子どもを犯罪の手先に使う、暴力をなんとも思わない男たちに「隣の女の子を助けに来た隣のおじさんだ」と名乗り一人立ち向かうウォンビン。

何故彼がただの隣の女の子を助けようとするのかは、見ていくうちにだんだんと分ってくるのだが、そんな彼の暖かい気持ちと反比例し、女の子に近づくためには、これでもかという位に続く銃弾と火薬の中に飛び込んでいかなければならないのだ。

子ども達の目の前でも容赦なしに飛び交う銃弾、絶えることのない銃声。
目を覆いたくなる暴力が後半ずっと続くのだが、それもこれも全て隣の女の子を助けるためなのだ。
その思いがずっと感じられるので、沢山の暴力シーンが続いても、皆ウォンビン演じるおじさんを応援し、女の子が助かるということを信じ、スクリーンから目が離せない。

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