
夕闇迫る大学のキャンパス。
ここ最近は、日が落ちると本当に寒く感じる。
「うう‥」

雪は寒さに震えながら、外の道を駆けていた。
目の前には図書館があるが、そこは通り過ぎるだけだ。
図書館‥は‥PASS

残りは家帰ってからやろ。最近はかどってるから大丈夫そう

そう思いながら、とある場所を通り掛かった時だった。


そこにあるのは、一脚のベンチ。
そこに座っていた時の場面が思い出される。

鼻から喉へと、流れる痕跡。
あの時初めて雪は、彼の気持ちを自覚したーー‥。


雪はベンチを眺めながら、亮のことを思い出していた。
もう長いこと、きちんと会話すらしていない。
そういえば‥河村氏は頑張ってるのかな?

以前この道で音大へ向かう亮の背中を見たことを、ふと思い出した。
ちょうどこのアングルで、カーキ色のジャンパーを着た彼の姿を見かけたことを。


今日はまだスケジュール的には余裕がある。
雪は時計にチラと視線を走らせた後、音大の建物へと足を踏み出した。
「今日は来なかったが」

そこで出会ったのは亮のお師匠さん、志村教授であった。
志村教授は最近の亮の様子を雪に教えてくれた。
「何か用事があるのか、最近忙しいらしい。呑気なヤツだ」
「忙しい‥?」「ああ」

そう聞いた雪に志村教授は頷き、代わりに雪に質問を返す。
「君もよく知らないの?」

「はい‥」

雪はそう答えるしかなく、若干気まずそうに首元を掻いた。
すると志村教授は雪の顔をじっと見た後、思い出したように声を上げる。
「あ」

「君が名刺を渡してくれたんだよね。ありがとう。アイツはあれでも頑張ってるよ」

志村教授が亮のことを語る声は、それは優しいものだった。
「キッカケがなければ、あのプライドの高さだ。ピアノを始めさえしなかっただろう。
アレでも練習は頑張っていて、この間は一曲まるまる通して弾いたんだよ」

志村教授の脳裏に浮かぶのは、初めて自身のところに訪ねて来た時の亮の姿だった。
プライドを捨てることが出来ず、それでもピアノへの未練が断ち切れなくて、いつも足掻いて見えたその姿‥。
「ありがとうね」

志村教授はそう言って、はははと笑った。
その温かな言葉と表情に触れて、雪の心は自然と綻ぶ‥。


日が落ちてすっかり暗くなった空に、街灯の明かりがぽっかりと浮かんでいる。
ジャンパーのポケットに両手を突っ込んで歩いているのは、河村亮その人だった。

一歩一歩踏み出す足が重い。
それは寒さのせいで身が縮こまっているからというわけではなさそうだ。

亮の脳裏では、先日自身の元を訪ねて来た元同期の男の言葉が何度もリフレインしている。
「ねぇ亮、お金‥返せそうなの?社長、本気で狙ってるけど‥」

「あの人、前は組のメンバーだったでしょ‥。俺が思うにお金を返しても‥」

「結局はズルズル付きまとわれるだけだと思う‥絶対‥」

路地裏で聞いた男の言葉は、そのみすぼらしい容姿と相まってリアルに響いた。
男は身体を震わせて、自分が置かれている状況を憂う。
「俺だって同じだもん‥」

そう言って涙を浮かべる男に対して、亮は苛立ちを隠し切れなかった。思わず拳を振るう。
「オレだって分かってんだよこの野郎!だから連絡すんなっつったのによぉ!」
「うわああ!」

男を何度殴っても、気が晴れることは無かった。
そして、今自分が直面しているこの現実が変わることも‥。

亮は店の前まで来ると、気を取り直してそのドアを開けた。
「オレっす‥」

そう言ってキャップを取った途端、亮は息を飲んだ。
思いも寄らない人物が目に飛び込んで来たからだ。
「やぁ」

雪はノートPCや教科書を机に広げながら、叔父のカフェで勉強をしていた。
そんな彼女の姿に動揺した亮は、少し後退りながら声を上げる。
「な、なんだよ!」

「河村氏‥」

雪は幾分気まずそうな表情で彼の名を口にした。
亮は未だにこの状況が理解出来ず、ただその場で固まっている‥。

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<温かな痕跡>でした。
登場人物それぞれが持つ亮さんへ対する温かな気持ちが、今回の話を繋げている感じがしますね。
だからこそそっけない亮さんがもどかしい‥!
さて次回は<彼との対話(1)ー静観ー>です。
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