淳は瞬きもせずに、雪のことをじっと凝視していた。
相変わらず、彼女の紡ぐ言葉は淳の耳には入って来ない。
彼が自分の話を聞いてないことに気付いた雪は、若干苛立ちながらこう問い質す。
「ねぇ先輩、私の話流し聞きしないで‥」
淳はその言葉に応える代わりに、そっと雪へと手を伸ばした。
傷の無い左手で、彼女の肩を抱き寄せる。雪は、突然接近して来た彼に思わず驚いた。
「それより‥」「?!」
「どうしてまた話してくれなかったの‥?」
淳はそう言って、至近距離で彼女の瞳を見つめた。
雪はいきなりのその問いに、動揺を隠し切れずにたじろいだ。
「え‥?」
淳は更に雪を自身の方へと抱き寄せた。雪の額に彼の唇が触れる。
「危うく大変なことになるところだった。健太先輩の話、どうしてしてくれなかったの?」
「あ‥」
「それは‥」
狼狽える雪を、淳はじっと眺めていた。
雪はなんと言って良いか分からず、彼の唇が触れた額に手を伸ばす。
「‥‥‥‥」
やがて雪はバッと彼から身を離すと、正直なところを口に出した。
「だって証拠とか何も無かったから‥。
まさか健太先輩があそこまでやらかすなんて、本当に思いもしなかったんですもん!」
そしてその勢いで、雪は彼に対して聞きたかったことを切り出した。
「てか先輩はどうしてこのこと分かったんですか?!どうして大学に‥」
「ん?俺も教えない」「えぇ?!」
まさかの秘密返しに、雪はあんぐりと口を開けたまま固まった。
なんなのよぉ、と文句を言っても尚、彼は笑顔を崩さず話してはくれなかった‥。
教えてくれてサンキュ
淳からのメールが、柳楓の携帯に届いていた。
柳はその文面に対して、一人夕焼け空に返事を呟く。
「ありがたきお言葉~」
普段雪の傍に居られない淳が配置した、”目”としての役割。
その役割を見事果たした柳は満足そうに、そのまま一人帰路についたのだった‥。
「これからは証拠なんか無くっても、全部話してよ」
淳はそう言葉を続けた。
雪と向かい合いながら、自分達の間にある決め事を改めて口に出す。
「お互い何でも話そうって決めたろ?あの夜、」
「俺の家で‥」
”あの夜”、そのキーワードが出た途端、雪は血相を変えて淳の口を塞いだ。
こんな明るい時間から大学内で何を言い出すんだと、気が気じゃなかったのだが‥。
「? 話しただろ?」「あっ」
雪が思い出した”あの夜”の前半部分の話を、先輩はしていたのだった。
「あ‥そう‥ね、そうですね、話しましたね‥」
「うん。でしょ」
雪は自分が”あの夜”の後半部分を思い出していたことに赤面し、何度か咳払いをしてやり過ごした。
しかし今彼から言われた言葉は、まるで雪が常に秘密を抱えているかのようだ。
それを素直に聞き入れるには、どこか釈然としない思いだった。
いやいや‥最近毎日電話でつまんないことも全部話してたじゃん‥。
なぜよりによって今日に限って‥
しかもこの過去問盗難事件に関しては、簡単に口には出せない理由があった。
雪は慎重に言葉を選びながら、ゆっくりとその理由を説明する。
「ん‥でも今回は人を犯人として疑うようなケースだったから‥ちょっと慎重になる必要が‥」
「いや、雪ちゃんが疑うってことはある程度根拠があるってことだよ。
だから話してくれて構わない」
しかし淳はそんな雪の懸念など何も気にしないかのような、そんな言葉で雪を肯定した。
これには雪も少し笑ってしまう。
「えぇ~?」
冗談ぽくポンポンと肩を叩きながら、彼の発言に対してこう返した。
「どうしてそう言い切れるんですか!私、めっちゃ信頼されてるってことですか?w」
「当然でしょ」
けれど淳は笑わなかった。
雪のことをじっと見つめながら、その細い腕を掴む。
「俺以外の誰が、君の言葉を信じて君の味方になってくれるの?」
「だろう?」
真っ直ぐに自身を見つめる淳の瞳から、雪は目を逸らせずに固まった。
彼の瞳の中には、目を見開いて固まる自分が映っている。
それきり何も言わない淳を前にして、尚も固まる雪。
そしてどこか照れ臭さを感じながらも、やがて雪は小さくこくりと頷いた。
ゆっくりと、手を伸ばす。
淳は自身の領域の中へと、彼女を招き入れた。
「ほら、やっぱり」
ここは、線の中。
彼が大切にしているテリトリーの、最も重要な場所ー‥。
「俺しか居ない」
雪は目を見開きながら、いつの間にか身動きも取れない程彼の傍にいることに気がついた。
自分のせいで傷を負った彼の右手が、手の上に置かれている。
首元に置かれた左手。
彼が触れる自身への接点は、まるでピンのように雪を固定する。
まるで気に入った蝶の標本を、そこに留めるかのように。
「だろう?」
耳元でそう囁かれた途端、脳裏にとある記憶が蘇って来た。
雪の心に暗雲が立ち込める。
遠くで聞こえる雷鳴が、雪を過去へと引き摺り込んで行く。
一年前の回想を終えた雪の中で、あの言葉が蘇った。
取って食われる
目の前には自身をじっと見つめる彼の姿。
取って食われてしまう
あの頃雪は、彼から異常なほど影響を受けていた。
どんなに逃げても逃げ切れない彼の前から姿を消すために、休学まで決意して。
まるでピンで固定されているかのように、彼の左手が触れた箇所が動かない。
目を見開く雪に向かって、淳は目を細めながらこう言った。
「だろう?」
蘇る。
本気で取って食われてしまう
あの頃の言葉が、感情が、雪の心を縛り付けるー‥。
雪は僅かに顔を上げた。
そこには、穏やかに微笑む”青田先輩”の姿があった。
暗雲が立ち込めていた雪の心の中に、ふと一筋の光が差し込む。
‥と、思っていた。
雪は淳のことを凝視したまま、そっと彼の左手に自身の手を伸ばした。
手は動く。当たり前だ。
本当に、ピンで固定されているわけじゃない。
雪は自身が辿って来た数奇な運命の軌跡を、彼の手に触れながら思い出していた。
いつか思い描いていた理想の幻の体温は、随分と温かかった。
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<線の中>でした。
主人公カップルがこんなに触れ合っているというのに、どうしてこんなに怖いんでしょう‥。
耳元で囁くラストは、「これからは気をつけろよ」のあの場面を彷彿とさせますよね‥。
この保健室では、淳が常に雪を観察しているというか‥。
自身が撒いた種が雪の中に芽を出しているかを確かめているかのような、どこか不気味な印象を受けました。
この後は再び過去回想です。また過去に隠された真実が、新たになるのでしょうか‥。
次回は<<雪と淳>あの日の続き>です。
カテゴリは<学祭準備>に入ります。
2016.5.12
4部33話の最後の8コマを加えました。
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