
あれから雪はその足で店に寄り、閉店まで仕事を手伝った。
家に帰って自分の部屋に戻る頃には、疲れ果ててしまっていた。
「はぁ‥仕事に課題に‥ゲッソリだよ‥」

雪は疲れが取れない身体で、溜息を吐いてベットに突っ伏す。
そのままボンヤリとしていると、今日目にした父の姿が瞼の裏に浮かんだ。

街頭でたった一人、ビラ配りをしていた。あんな父の姿を見たのは初めてだ。
お父さんがやたら店から出てってたのは、アレのせいなのか?
何でお母さんに話さないんだろ‥

亮の口ぶりから言って、父がビラ配りを随分前からやっていたのは事実のようだった。
けれど今日も父は家族には何も言わぬまま、帰って来て一人テレビを見ているだけだ。

言い出せないのは、プライドの高い父の性格のせいもあるかもしれない。
雪はそう思いながら、続けて最近の父の姿を思い起こした。
考えてみれば、前より店に顔出してるし‥ちょっとは店の仕事にやる気が出て来たのかな?

ちょっと様子を見てみたら、徐々に変わってくるのかもしれない。
私も今回の期末とバイトが上手く行けば、この家も安泰かな?

常に先の見えない不安と戦ってきた雪にとって、今日はその未来に小さな光が見えた気がした。
一旦そう思えると前向きの気持ちは連鎖して、心配が尽きない弟のことに於いても希望が見える気がする。
蓮も恵となんだかんだ上手く行ったし、
蓮もアメリカへ帰る前に浮ついた所直ってくれたら‥

そして今日亮が口にしていた、
「デート費用が必要だから亮のシフト分も働いている」蓮に対して、単純な疑問が湧いた。
けど毎週デートするお金なんてあるのか?バイト料も出ないのに‥。
恵の方が多く出してるのかな‥

カードも止められている、他にバイトもしていない、一体蓮はどうやって交遊費を工面しているのだろう‥。
一つ知りたいことが思い浮かぶと、心の中におせっかいの虫が湧いて出る。雪は蓮と恵のことに思いを巡らせた。
てか蓮がアメリカ行った後、恵はどうするつもりなんだろ‥?
遠恋になるの?まだ付き合い始めなのに‥

そのままモヤモヤと色々考えていた雪だったが、ふと我に返って自分にツッコむ。
そう言う私はどうなんだっつーの‥

人の恋路の心配をしている場合ではない。まずは自分と彼のことを進めなければ。
雪は携帯に手を伸ばすと、ようやく重い腰を上げた。
そろそろ連絡してみるか‥

雪はメールフォルダを開き、先輩宛にメールを書き始めた。
しかしいざ書き始めると、なかなか上手く筆が進まない。

雪は一旦顔を上げて気持ちを仕切り直すと、先輩、お元気ですか と冒頭文を打った。
しかしなんだかすごくぎこちない。彼に向けて今までどんなメールを打っていたのか、まるで忘れてしまったかのようだ。

雪は深呼吸を一回してから、もう一度冒頭から文字を書き直そうとした。
すると、雪が勢い良く「先輩‥!」と口にした途端、携帯が震えた。

雪は「ギエエ‥!」と部屋で一人大声を上げた。リビングでテレビを見ていた父は、娘の奇声にビックリである。
「あーもう!ビックリ‥!」

雪は突然震えた携帯に仰け反りながら、届いたメールを開いてみた。先輩からのメールだった。
元気にしてる?大学、変わり無い?

またもやすごいタイミング‥。雪は「オバケ淳」に驚かされっぱなしだ。
雪が心臓麻痺になったら、彼は責任を取ってくれるのだろうか‥。

雪がそのメッセージを睨んでいると、続けてもう一通メッセージが来た。
全部上手くいくよ

そこには、彼が度々口にするその言葉が書かれていた。
自信に満ちた笑みを浮かべて、いつも雪に掛けるその言葉。
「Everything's gonna be alright.」

雪は胸の中が、両極の感情に揺れるのを感じていた。
彼の言葉に共感出来ない居心地悪さと、どこか感じる安心感と‥。雪はボンヤリと、一人心の中で考える。
数日ぶりのそんなやり取りが、懐かしいような、どこか面倒なような‥。
なんだかハッキリしない気分だ。

雪の脳裏に、様々な彼の姿が浮かび始めた。
最初に浮かんだのは、横山に送ったメールのことを追及したあの秋の夜道での彼だ。
本当に先輩が送ったんですか? そうだよ


彼は雪の追及に対して、顔色一つ変えずに頷いた。
雪は、物事の善悪や底に潜んだ悪意より、飄々とした彼の態度に何よりも腹が立った。
”この人のことは理解出来ない”と、彼の暗い一面に触れる度にそれを思い知らされる。
折っちまうか‥

変態男の手を、そう言いながら踏み付けていた。
あの時彼の表情は見えなかったが、その口調は恐ろしいほど冷静だった。

怖い。この人が何を考えているか分からない。
雪は恐怖で声が漏れそうになるのを、必死で堪えて震えていた‥。
けれど同じ様な路地裏に居る状況でも、正反対な印象を持つこともあった。
俺に寄って来る人達の目的は、大体知れてるから‥

酔った彼が発したその言葉は、彼の本音だとそう素直に思えた。
何かを諦めたようにそう口にする彼の横顔が、儚げに揺れていた。
そして最後に浮かんだのは、何度も謝る彼の姿だった。
ごめん

雪の顔に薬を塗りながら、淳は一人で呟くように「ごめん」を繰り返した。
そして彼は雪のことをいつまでも待つと、そう言って彼女の手を握った。
雪の頭の中で、彼はじっとその場に佇んでいる。
鍵の掛かった扉の向こう側で、微かに口元に微笑みを浮かべて彼女を待ち続けている。
その表情は、長い前髪のせいでいつもよく分からない。
覗く度に模様の変わる万華鏡のように、彼の印象はその都度変わる。
全部ひっくるめて”先輩”なんだろう。
もうそんなことを一つ一つ気にしても、何の意味もない気がして来た。

彼の二面性は一見「表と裏」、「善と悪」のような印象を受けるが、実はそれらは円となって繋がっている。
丸い万華鏡を回すとその度に模様は変わるが、その筒の実体は一つだ。

「青田淳」という人間の性質に、もう雪は気がついている。
彼は”そういう人間だ”と、認めなければいけないのだ。
不意に額が、微かに疼いたような気がした。
亮に「しっかりしろ」とデコピンされたのは、自分の考えが盲目的になっていたからだった。

私は段々と鋭さが薄れて行っているような気がするけれど、
先輩はどのくらいすり減らされて来たんだろう

清水香織との一件で、雪は彼が課されてきたその我慢の断片を知った。
人は、追い込まれると視界が狭くなる。
生まれた時からそんな境遇に置かれた彼が、盲目的にならないと一体誰が言えるのか。
そして私は、先輩と一体どうなって行きたいのか‥。

その彼の実体を知った上で、この先どうするのか。
別れるのか、付き合い続けるのか、ただの先輩と後輩に戻るのか‥。
そこから先は自分次第だ。
そして雪の心情もまた、万華鏡のように様々な模様を描いて回っていた‥。

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<万華鏡のように>でした。
横山のメールを追及した時はいっぱいいっぱいだった雪ちゃんも、
ようやく冷静に先輩のことを考えられるようになってきたみたいです。
見ないふりをしていた彼の本性を認めた上で、彼とどうなって行きたいかと考える‥。
「即別れる!」にならないところが、雪ちゃんだなぁという感じがします。
離れていく手(愛情)に追い縋る性質が影響しているんでしょうね‥。
次回は<その価値>です。
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