Trapped in me.

韓国漫画「Cheese in the trap」の解釈ブログです。
*ネタバレ含みます&二次使用と転載禁止*

友達とは

2013-09-30 01:00:00 | 雪3年2部(塾にて~告白)
夏の日の朝に、雪の着メロが大音量で鳴り響いた。



着信画面には”聡美”と出ている。

今日の夕方に会う約束じゃ‥と雪は寝ぼけ眼のまま電話に出た。



しかし聡美の慌てふためく口調に、雪は目を丸くする。

「えっ?!」



聡美の身に何かあったようだ。

雪は急いで出かける準備を始めた。





雪が聡美の家へと駆けつけると、彼女は玄関先で腕組みをして苦い表情を浮かべていた。



雪の顔を見た途端彼女は雪に泣きついて、思わず大きい声を出す。

「もうマジ最悪なの!あたしの下着がぁ‥!」



しかしドアの前で作業しているおじさんに気を留めると、聡美はすぐに口を噤んだ。

やがて作業は終わり、おじさんが去って行くのを見届けると二人は顔を見合わせる。



正気に戻ると、やはりぎこちなさが漂っているのだ。

聡美はとりあえず中に入るよう雪に促し、雪はそれに従った。







聡美がコーヒーとクッキーを持って来てくれて、二人はお茶をした。

一息ついた後聡美は、雪の住まいは正門の方だったよねと確認した。

「そうだけど」と言う雪。聡美は大声で説明を始める。

「今、裏門側にあるアパート全体がパニック状態なの!変態が出没するわ下着泥棒が出るわ!」



聡美の話によると、最近近所で変態の目撃情報や盗難など、物騒な事件が度々起きているということだった。

お隣さんはお金に宝石まで盗まれ、かく言う聡美も下着を盗まれた。警察にも届け出をしたらしい。

それで早速ドアロックの入れ替えをしてもらい、今に至るというわけだ。

「あんたも気をつけなよね。ここら一帯が全滅ってことは、

かなり悪どいヤツに違いないわ。今後何されるか知れたもんじゃない!」




雪は初めて耳にするその物騒な話に、戸惑いながら頷いた。

そして何はともあれ聡美が無事だったことに安心しつつ、太一には連絡したのかと聞いてみた。



すると聡美は凄い形相で雪にこう質問する。

「最近あいつと連絡取れた?!」



確かに雪も、太一にメールした際やけに返事が無いなと思っていた。

聡美は最近太一は音信不通なのだと言う。

携帯の電源も切っており、実家に掛けてもつながらない、何を考えているのか全く分からないと。

「まったく‥何があったんだか‥」



そう言って俯く聡美は、怒りの中にも心配そうな気持ちが見え隠れする。

雪は頭を掻きながら、曖昧な言葉を選んだ。

「ほんと‥どうしちゃったんだろうね?呼べばいつでもすっ飛んでくる子なのに‥」



「何かあったのかな」と言う雪に、

聡美はスネたように「さーね」と言った。

それ以来二人の会話は途切れて、気まずい沈黙が漂う。



二人は同時にコーヒーカップに手を伸ばすと、同じタイミングでそれを一口飲んだ。

カップ越しに、気まずい視線が交差する。



それに耐え切れず、ガチャンという音を立てて聡美がカップを置いた。

息苦しくてやってらんないと、聡美はプリプリと怒りながら喚いた。

こんなのうちらじゃないよと。



ハハハ、と雪は笑って見せた。

聡美らしいその態度は、どこか憎めず愛らしい。



雪は一度俯いてから、聡美の名前を呼んで顔を上げた。



その真っ直ぐな瞳には、決意が滲んでいた。

自分が無意識に引いていた線を、飛び越えようという強い決意が。

雪はかしこまって、話したいことがあると聡美に切り出した。

聡美も「実はあたしも‥」と口を開きかけたのだが、雪の衝撃的な一言の前に彼女の言葉は尻切れになった。

「お父さんの会社が倒産したの」



思いがけないその言葉に、聡美は思わず飛びついた。

「マジで?!あんた大丈夫なの?!それじゃあ今後どうなっちゃうの?!」



雪は予想外に動揺した聡美に驚いて、精一杯安心させようと彼女を宥める。

「家が潰れたわけじゃないからさ」と。



いきなり結論から言い出して聡美を動揺させてしまったことに、雪は少し後悔していた。

そのため雪は、倒産に至った経緯とこれからの展望を、詳細に聡美に説明し始める。





父親の事業は元々不安定気味だったところに不景気がたたって、結局店を畳んだということ。

そして近々母親が宴麺屋を開店させ、借金もそんなに無いことも考えると心配要らないということ。

雪の丁寧な説明に聡美は幾らか胸を撫で下ろし、大変だったでしょと雪に抱きついた。



雪はそんな流れでアルバイトも始めたし、一人暮らしの部屋もいずれ引き払うという事も伝えた。

そして多少言いづらそうに、雪は旅行のことを口に出す。

「旅行のことだけど‥今の状況だと無理に近いけど、行けるように努力するよ‥」



雪は無理矢理そう言っているんじゃなく、二人と旅行がしたい気持ちは本物だと言った。

行き先がどこであれ、三人一緒ならそれでいいと思っていたから。それが本心だったから。



聡美は真っ直ぐ雪を見ている。

そんな彼女の視線を受けて、雪は少しぎこちなさを感じている。

「実はこんなこと言葉にするの、まだ恥ずかしいんだ‥」



雪は心の内を話すことに慣れていなくて、どこかこそばゆい気持ちでいっぱいだった。

けれど雪は言葉を続けた。ずっと聡美に対して思っていたことを。

「今まで聡美とお父さんとの仲が羨ましくて、言い出せなかったの。

私、父とはあまり仲良くないから‥」




「それで尚更話せなかったみたい。子供みたいだね」

雪は環境の変化と、そういう精神的な理由で、今まで聡美を気遣うまでの余裕が無かったんだと思うと言った。

「ごめんね」



そう静かに言う雪は、優しい顔をしていた。




聡美は俯いたまま、何かをこらえるような表情をしていた。

雪は聡美に手を差し伸べながら、心からの言葉を紡ぐ。

「決して二人を疎ましく思ったこともないし、ずっと友達でいられたらなぁと思う。

素直に言い表わせなかったんだ。もうこれ以上些細なことで意地張ったりして、二人と気まずい関係になりたくない。

これからは色々と努力するから。何かあったらちゃんと話すし‥」




そう言った雪に、聡美は大きな声で「ちがう!!」と叫んだ。

「あんたのこと何もかも全部話せって言ってるわけじゃない!」



勿論それはそれで嬉しいけれど、聡美が言いたかったのはそういうことではないのだ。

聡美は頭を抱え、弱々しく言葉を続けた。

「あんたの事情も知らずにバカみたいに振る舞ってた自分が情けなくて‥」



この間雪にぶつけた自分の暴言が蘇った。

なんであたしばっかり悪者にするの?!





自分の感情ばかりを優先して嫌な態度を取ってしまい、それが腹立たしくて逆ギレのようなことを口にしてしまったと、

聡美は自身の行動を後悔していた。

しかしそう言う自分自身がどこか決まり悪くて、聡美は雪に向かって身を乗り出す。

「だってうちらは親友だって思ってたのにそうでもないみたいだし、

横山の一件だって太一だけ知っててあたしは何も知らされて無かったし‥!なんか寂しかったんだもん!」




そして聡美は、去年雪がストレスが原因で倒れた事件を口にした。

あの時の雪は奨学金問題の他に色々と重荷を抱えていたように見えたのに、何も助けることが出来なかったと。

それは雪が聡美を頼ろうとしないので、深く踏み入ることが出来なかったことに要因があったのかもしれない。



そこまで言ったところで聡美は頭を抱えた。

色んな感情がごっちゃになって、何を言うべきなのか分からなくなる。

雪はそんな聡美を見て「ごめん」と謝ったが、

聡美は自分の方こそ興奮し過ぎたと、自分中心に考え過ぎていたと謝った。

そして聡美も、自分の心の中にわだかまっていたものを口に出した。

「‥あたしもあんたが羨ましかった」



聡美は自分には無いものを沢山持っている雪が羨ましかったと言った。

例えば自分と違ってバカな真似はしないところや、要領の良い所、

そして母親と仲が良さそうなところ‥。



雪は最後の母親のことへの言及に、疑問符を浮かべた。

なぜそんなことを口にするのだろう‥?

すると聡美は若干言いづらそうに、そして哀しげに口を開いた。

「あたし、母親いないんだよね」



雪は初めて聞くその話に、身を乗り出した。

聡美は俯きながら、両親は聡美が小さい頃に離婚したこと、母親はその時家を出て行ったことを説明した。

母親はすでに再婚しており、今は当然何の連絡も取り合ってないと言う。


昔一緒に住んでいた時も、可愛がってもらった記憶も特に無いんだと聡美は寂しそうに言った。

姉も現在外国に住んでおり、傍に居る身内は父親だけなんだと。そのせいで、あんなに仲が良いんだと。

聡美はポツリと呟いた。

「二人っきりだからさ」



そして雪が度々母親と電話してる姿‥心配してもらったり仲良さそうに話している姿を見ては、

羨ましく思っていたんだと、聡美は自分の本心を打ち明けた。



雪は聡美の話を聞いて、ぼんやりと彼女と過ごした日々を思い返してみた。

そう言われてみれば、お母さんの話って一度も聞いたことないかも‥。

薄々感じてはいたけどまさか本当に居なかっただなんて‥




人と人との間においては「話すべき話」というものがあって、

聡美と雪は互いにコンプレックスもあって「親の話」をしてこなかった。

だからこんなに昔の話を今知ることになり、二人はそのぎこちなさを今必死に埋めている。


脳裏に太一の姿が思い浮かんだ。

太一は知ってるのかな‥?知らないはずないか‥。



雪はそのことに寂しさを覚えた。

そして知らなかったとはいえ、今まで聡美の前で散々母親の話をしていたことも思い出して、

いたたまれなくなった。

ああ‥聡美もこんな気持ちだったのかなぁ‥



知らない、ということは罪ではない。

しかし時にそれは、とても残酷に相手を傷つけてしまうことがある。

雪は先ほど頭を抱えていた聡美の気持ちが、心から分かるような気がした。


聡美がそんな雪を見て、ぎゅっと手を握って来た。

「雪、本当にごめんね。これからは駄々こねたり我儘言ったりしないから!

あんたとずっと友達でいたいよ‥」




「あたし達、もうこれ以上ケンカはやめよ。これからはお互い素直に生きようよ」




二人は高校三年生の時、受験単科ゼミのある塾で初めて出会った。

違う学校同士なのにすぐに打ち解けた二人はそれから五年間、ずっと楽しくやってきた。



これからもずっと友達でいたい。

もう二度とこんなぎこちない関係は嫌だ。



二人はそう言って手を握り合った。

雪が涙を流す聡美を見て、力強く言った。

「私、努力するからね」



線を越えるために、そして二人がいつまでも、友達でいるために。

微笑んだ雪に、聡美が彼女の名を呼んで抱きついた。



号泣する聡美につられて、雪の目にも涙が滲んでいた。



その後二人はスッキリした心持ちで、お菓子を食べたり話をしたりした。

先日雑貨店で買ったピアスをプレゼントすると、聡美はぴょんぴょんと飛び跳ねながら喜んでくれた。

  

二人の間に流れる空気は弾んだ。

彼女の耳についたピアスが、七色の光を反射してキラキラと煌めく。



そして雪は、一人考える。

友達とはなにかということを。

結局、長い間積もっていた話を通して、聡美と仲直りすることが出来た。

仲直りって、ごく当たり前のことかもしれないけれど、

結局互いの穴を埋められるのは、時間と努力なんだと思う。




仲直りは出来て良かったものの、未だに誰かにこういう話を無闇にしていいものなのか、

煮え切らない思いは消えないままだ。

何が正解なのかは分からない。

全てを打ち明けるということは、かえって互いの距離を尚感じさせられるだけなのかもしれない。



けれど、と雪は考える。

友達とは何かということを。


けれど、こうして考えさせてくれる友達が傍にいるということは、すごくありがたいことだ




友達とはきっと、傍にいるだけで、それだけでいいものなんだろう。

違う環境で育ってきた別々の人間である私達が、数々の偶然を経て今ここにいる。

奇跡なんて言葉でまとめたらそれで終わりだけれど、ここまでくるのにも様々な努力があり、時には衝突し合うこともある。

友達とはきっとそれらを全部ひっくるめて、それでも互いを認め合い相手を尊重出来る、かけがえのないものだ。



それだけで良いんだと、彼は言っていた。





そうきっと、友達とは傍にいるだけで、それだけで良いんだ。




線を飛び越えた先で見えてきたものを、雪は大事に心にしまった。

楽しそうに笑いかけてくる聡美の笑顔が、何よりも嬉しかった。


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<友達とは>でした。

前回が短かった分、今回は長文記事になってしまいました。お付き合いいただきありがとうございました☆

聡美と雪の仲直り、互いに腹を割って話した良い話でしたね。


ちなみに‥。

雑貨店で先輩が聡美に選んだボンボン付きのゴム。



雪は「聡美の好みじゃない」と言ってましたが、今回の聡美‥。



ボンボン付きのゴムしてるやん!

‥とちょっとツッコんでしまいました。(笑)


次回は<仲良きこと>です。ちょっと短い記事になりますです~


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彼らは塾に居る

2013-09-29 01:00:00 | 雪3年2部(塾にて~告白)


雪の通うA大学の近くには、数多くの学習塾が建っている。

その中の最大手がSKK学院塾であり、河村亮はそこでモデル兼補助講師として働いていた。

パンフレットやポスター等に亮の顔が載り、それを振り返って見て行く学生達も少なくない。



しかし実際はというと、雑用係として働かされる日々が続いていた。

今日も亮は散らかった幼稚部の教室の片付けを言いつけられ、そのカオスな部屋を見て、亮は頭を抱えた。



毎日毎日キリが無いと愚痴をこぼしながら、散らばったパズルやブロックを片付ける。



すると、とあるおもちゃの前で亮の手が止まった。

無意識に眉を顰める。



ピアニカだった。

白と黒の鍵盤は、昔は見飽きるほどだった。



亮はおそるおそる、それに向かって左手を伸ばした。

人差し指で、鍵盤を弾く。



しかしそれは下にへこむばかりで、当然音は出なかった。

そんな亮を見て、子どもたちが一斉に寄ってきた。

「ちがうよー!チューブをはめて息を吹いたら音が出るんだよ!」「トーマスのバーカ!stupid!」



子どもたちは寄ってたかって亮をバカにする。

その中の女の子の一人が、亮に一曲リクエストをした。

「トーマス!”純情マッチョ”弾いて」 「なんだそりゃ?」



そんな女の子に、「そんなもんトーマスが弾けるわけないだろ」と男の子がたしなめにかかった。

「見るからにピアノなんて弾けなさそうじゃんか」 「そっか~」



男の子の言葉にカチンと来て、そしてその子の言葉にすんなり納得した女の子に、また亮は苛ついた。

今にも子どもたちをぶっ飛ばしたい衝動を堪えながら、亮はいつまでもバカにされ続けたのだった‥。











いつの間にか陽は傾いて、空には綺麗な夕焼けが広がっていた。

カラスの鳴き声が聞こえる頃、子どもたちは一斉に帰って行った。

「トーマスバイバ~イ!」 「I love you!」



なんだかんだ言って、子どもたちには愛されている亮だった。

そんな亮の後ろから、経営者の男性が笑顔で声を掛けてきた。

「やぁ河村君!仕事は順調かい?」



彼は嬉しそうにこう言った。

亮をモデルにしてからというもの着々と生徒数は増え、隣のPJ学院塾にも大差をつけて勝つことが出来たと。

これからも頑張ってくれたまえと亮を労い、亮はそれにニヤッと笑って鼻を高くした‥。






そんなSKK学院塾の前の道を、とある男が一人歩いていた。



彼が向かう先は、SKK学院塾の隣にあるPJ学院塾だ。

慣れた動作でエレベーターのボタンを押し、目的の講座の受付まで歩く。



オープンクラスに参加したい旨を伝えると、受付の女性はにこやかにその流れを説明した。

男は躊躇うことなくそれに同意する。彼は以前ここの塾に通っていたのだった。



お名前を頂戴してもよろしいでしょうか、と言われ男は口を開いた。

「横山翔です」



横山が帰って来た。

夏休みが明ければ彼は復学する。

とある思惑を抱えて、横山は水面下で着々とその準備を進めている‥。


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<彼らは塾に居る>でした。

女の子が亮にリクエストした曲はこちら、「純情マッチョ」↓

파리돼지앵 - 순정마초 (뮤직비디오 버전)


韓国のテレビ番組「無限挑戦」で発表され、話題になった曲だそうです。

ピアノ、難しそうな曲!でも全盛期の亮なら軽く弾きこなしちゃうんだろうなぁ。


横山が通うのは、本家版では「日本語講座」日本語版では「韓国語講座」になっていました。

このへんも考えられているんですね~♪

次回は<友達とは>です。

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憎らしく愛らしい

2013-09-28 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)
雪と先輩は雑貨店を出ると、連れ立って道を歩いた。



少し俯きがちな雪に、先輩は「伊吹と何かあったの?」と聞く。

誕生日でもないのにプレゼントを探す雪に、先輩も何かと気を揉んでいたのだろう。



雪は先日聡美と喧嘩した旨を話した。

「どうして?」と更に詳しく聞いてくる先輩に、頭を掻きながら説明する。

「私がいけないんです。なのにウヤムヤにしたまま何も出来なくて‥

でも考えてみたらやっぱりそれじゃダメだと思って」




ぎこちない今の関係を変えるために、知らず知らずの内に引いていた線を越えるために、雪は自分を変えようと思った。

それは小さな一歩だったが、雪にとっては大きな決心だ。

「そっか。仲直り出来るといいな」



先輩の言葉に、雪は照れ笑いをした。

言葉を続けようとした矢先、あるものに目が留まる。

「あっ!」



雪は思わずその屋台に駆け寄った。

「ポンテギだ!」



雪のテンションが上がる。

なぜなら近頃では屋台でやっている所は少なく、なかなかお目にかかれないからだ。

雪は先輩の返答も待たず、屋台に寄りポンテギを1カップ買った。

「わぁ、これ食べるのすっごく久しぶり!」



雪の手にはなみなみと盛られたポンテギのカップが握られていた。

ポンテギは雪にとっては大好物というよりも、思い出の食べ物なのだ。

「小さい頃弟と一緒に、公園に行く途中とかよく食べたんですよ」



思い出の中に、小さい雪と蓮が手を繋ぎ「ポンテギ♪ポンテギ♪ポンポン♪テギテギ♪」と歌いながら歩いた場面が浮かぶ。

楽しかった思い出と共に、その食べ物は雪の頭の中に優しい記憶として残っている。

懐かしさに促されて思わず買ってしまったと雪は先輩を笑顔で仰ぎ見たのだが、

先輩は浮かない顔で「そっか‥」と言った。



ん?



先輩の反応がどこかおかしい。

育ちの良い先輩のことなので、もしや食べたことがないんじゃないかと雪はそう聞いてみた。

すると先輩は言葉を濁しながら、「あるっちゃ‥あるけど‥」と小さく答える。



淳の脳裏には、苦い記憶の一場面が浮かぶ。

昔河村姉弟に「食ってみろ食ってみろ」と無理矢理食べさせられた思い出が頭を掠める‥。


そのまま視線を逸らしたままの先輩を見て、

雪は「あ‥食べれないんですね‥」と残念そうな視線を送った。



すると先輩は弱々しい微笑みを浮かべながら、

「いや‥ただそこまで好きじゃないというか‥」と最大限の表現のぼかしをした。



二人の間に沈黙が流れ、ふいに先輩がポンテギから背を向けた。

  

雪がそれを差し出すと、先輩がビクッと身を震わせる。



依然としてポンテギからは視線を外したままだ。



雪はそんな先輩を見て、そういうことかと口元を緩ませた。



弱点である。

これは希少な青田淳の弱点なのである。

雪は心を決めると、上目遣いで先輩に近寄った。

「先輩‥一口くらい食べてみて下さいよ。昔食べた時とは味が変わってるかもしれませんし」



そんな雪を前にして、先輩は幾分慌てた。

そうかもしれないけど、と口ごもりながら言うものの、躊躇いは隠せない。

雪は視線を落とすと、残念そうを通り越して哀しげに言った。

「先輩にあげようと思って買ったのに‥どうしようかな‥」



淳は青ざめた。

もう残された選択肢は、一つしか無かった‥。













ポンテギを食べた後の先輩は、口元を抑えたまま動かなくなってしまった。

雪はそんな彼の横顔を眺めながら、少しやり過ぎたかも‥と様子を窺っている。



まさかここまで苦手だとは思わなかった。

雪はなんだか彼が可哀想になるも、このチャンスは見過ごせないと思う自分もいた。

私だって一度くらい仕返し、もといからかってやりたいと常日頃思っていたのだ。

しかも、俯いてしょげている先輩は思いのほか可愛らしい感じもした‥。



その後話しかけても首を横に振るだけで俯きっぱなしの先輩を見て、雪は頭を掻いてみせた。

「私‥ちょっとふざけ過ぎたみたいですね‥すみません‥」



先輩は雪にスネたような視線を送ってから、「いやいや、大丈夫‥」とようやく口を開いた。



(その後先輩は「でももう二度と食べないから」とスネた口調で宣言し、躊躇いながら雪はそれに了承した。)










いつの間にか陽は傾いて、空には綺麗な夕焼けが広がっていた。

そろそろ帰りましょうかという話になり、雪は笑顔で先輩にお礼を言った。

「あの、今日はありがとうございました。一緒に買物付き合ってもらっちゃって」



笑顔の雪に、機嫌の直った先輩もニッコリと言葉を返す。

「え?ううん。伊吹、喜ぶといいな」



そう言われて、雪は先輩もプレゼントを買っていたことを思い出した。

微妙な気持ちのまま、雪は口を開く。

「はい、先輩も‥プレゼント喜んでもらえるといいですね‥」



先輩は雪からそう言われて、何か考えるように天を仰いだ。



そしてカバンから紙袋を取り出すと、雪に向かってそれを差し出す。

「どうぞ」



雪は先ほど先輩が買っていたそれを見て、目を丸くした。

「え?これって‥」そう尋ねた雪に、



先輩は「プレゼント」と言って微笑んだ。

雪はにわかには信じられなくて、何度も貰っていいんですかと先輩に尋ねた。



先輩はもともと、雪にあげるために買ったんだと言った。

「憎らしいからあげるのやめようかとも思ったけど、あげる」



まだポンテギの恨みが残っている先輩はちょっとスネて見せた。

しかしそんなことよりも雪は、先輩が自分にプレゼントをくれたことが信じられなかった。

どうして私なんかに、と尚も追及しかけたが、雪は口を噤んだ。



これ以上聞くのは、野暮というものだ。

「あ‥ありがとうございます」



雪の笑顔を見て、先輩はニッコリと微笑んだ。



そのまま二人は別れの挨拶を交わして、先輩は去って行った。

雪は小さくなっていく先輩の後ろ姿を見送った。



両手でプレゼントを大事そうに抱えながら。




さっきまで微妙だった心が、なんだか軽くなった。

それがどういう意味なのかまだ彼女は知らないが、自然と口元には笑みがこぼれていた。











その夜。

お風呂あがりの雪は、紙袋を両手に持って座っていた。



何が入っているんだろう。

先輩から貰ったその袋を、雪はワクワクしながら開けた。

「まさかあの得体の知れない人形じゃないでしょうね‥」



自分に似てると言われたあの人形‥なワケ‥



あった‥。




‥それでもプレゼントはプレゼントだ‥。感謝しなきゃね‥。



すると紙袋の中に、もう一つ何か入っているのに気がついた。

「まだ何か入って‥」



手のひらにコロンと落ちてきたのは、あのヘアクリップだった。



雪は思わず「うわっ!」と声を出した。

欲しかったけど金欠で買えなかったあのヘアクリップである。雪は嬉しさのあまりそれを握り締めた。



でも気に掛かることがあった。

頭に浮かんできたのは、このヘアクリップの値段である。

すごく嬉しいけど‥これ4000円じゃなかったっけ?



あの人形はまだしも、4000円の物を気軽にもらうことは躊躇われた。決して安くはない金額だ。

思い返してみれば、先輩にご飯もまだご馳走出来ていない。

これらを貰ったからには、私も何かプレゼントした方がいいのか‥?



考えても答えが出なくて、雪は布団に潜り込んだ。

うーん‥もらったからってお返ししたんじゃ、逆に気を遣わせちゃうかなぁ‥



どうしよう‥。

そう考えながら雪は、いつの間にか眠りの中に吸い込まれて行った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<憎らしく愛らしい>でした。

今回はあれが出て来ましたね‥そう、ポンテギです。



wikiによると、ポンテギとは‥カイコの蛹を茹で、または蒸して味付けした韓国料理のおつまみ、だそうです。

大体カップ一杯で1000ウォン前後(日本円でいうと90~100円前後)ですって。これなら金欠の雪でも大丈夫ですね!

食べたことある方、いらっしゃいますでしょうか?また感想等お聞かせ下さいね!

しかし日本語版訳の「おでん」‥苦渋の決断だったと思いますが、ちょっと無理があるなぁ。。


次回は<彼らは塾に居る>です。


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小さなデート

2013-09-27 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)
まだ陽が高い時刻だが、事務員さん達はもう仕事を退けて事務室を出る所だった。

今日は職員さん達全体の親睦会があるようだ。



雪は品川さんと木口さんの背中に声を掛けると、プリントを取り出した。

「友達にプレゼントをあげようと思うんですけど」と、雪は彼女らに相談した。



明日の夕方、聡美と会う約束をしている。

雪は自分の前に引いている線を飛び越えるために、聡美にプレゼントをしようと考えたのだ。

「この中で何がいいですかね?」



プリントには、プレゼント候補の物品リストがズラズラと並んでいた。

三人でそれを見ながら、徐々に候補を絞っていく。

結局無難にアクセサリーはどうかという話になり、品川さんが学校の前のお店がオススメだと雪に教えてくれた。



遠藤はその間、腕組みをしながら思いに耽っていた。

目の前にはあの男の姿がある。



青田淳‥。

遠藤の脳裏に、先日発覚した事実が浮かび上がった。

‥青田のレポートが無くなったせいで、奨学金を貰ったのが、お前だと?



遠藤の質問に、彼女は小さく肯定した。

レポート紛失、奨学金、噂の二人、そして夏休みのアルバイト‥。

パズルのピースが合わさっていくように青田淳の思惑は浮かび上がり、

今彼がここに座っている現実へと繋がっていく。



不意に視線を感じたのか、遠藤と淳は目が合った。

戸惑いながら視線を外した遠藤に、淳は不思議そうな顔をした。



そのまま品川さんたちに合流する遠藤とすれ違った雪は、その苦虫を噛み潰したような表情に疑問符を浮かべたが、

特に気にすること無く自分の席に戻った。

「あ、先輩今日は早めに上がっていいみたいですよ」 

「そう?雪ちゃん正門の方行くんだよね?」



「はい。でも今日は友達のプレゼント買う用があってお先に‥」

そう言った雪の方を見て、先輩はニッコリと微笑んだ。

「そうなの?俺もプレゼント買う用があるんだ。一緒に行こ!」 「え?」



戸惑う雪を気にすること無く、先輩は彼女にカバンを渡すと、自分もリュックを背負って立ち上がった。

二人が一緒に居る風景は、事務室でもいつの間にか見慣れたそれになっており、品川さんたちがそれを微笑ましそうに見つめていた。









大学の前には様々な店が軒を連ねており、特にここの雑貨店は女学生達に人気のお店だった。



雪は口元に手を置きながら、聡美へのプレゼントについて思いを巡らせていた。

何がいいかなぁ‥聡美の好み‥可愛いながらも子供っぽく無く、ありふれてもないもの‥。



雪の目は獲物を狙う鷹のように鋭い。今彼女を見た者は背景に切り立った岩山が見えることだろう。


しばらく考えに耽っていた雪だが、ふと顔を上げると先輩の姿が目に入った。

キョロキョロと辺りを見回しながら、珍しそうに女の子の物を見て回っている。



女性客ばかりのこの店では、彼がここにいる風景はどう見ても珍妙な感じがした。

しかもそのスタイルと容貌が、女子達の目を留めて皆頬を染めて振り返って行く。



雪は苦笑いを浮かべながら、先輩の方へ駆け寄った。

「すみません、退屈ですよね?女の子のプレゼント探しなんて‥」



そう彼を気遣った雪に、先輩はキョトンとした顔で否定した。

色々見物出来るから、と言って口笛まで吹き始めた。

「俺も買おっと。女の子のプレゼント」  



雪はその言葉を聞いて、先輩も聡美にプレゼントを贈るのかと考えてみたが、すぐにそれは違うと思い直した。

では誰にあげるんだろう?

知り合いとかかな?親戚とか?彼女は居ないって言ってたし



雪の脳裏に、度々女性と電話していた先輩の姿が思い浮かんだ。

  

あの時の電話先の女の人にあげるのだろうか‥?

そう考えた雪だったが、すぐに自分の気持ちを切り替えた。

あーもう誰でもいいじゃん!何気にしてんの‥!



雪は敢えてもう考えないようにして、再び聡美のプレゼント選びに専念した。





また鷹の目で色々見て回っていた雪のところに、不意に先輩がやって来て言った。

「雪ちゃん、これなんかどうかな?」 「え?聡美にですか?」 「うん」



先輩が持って来たそのボンボンは、どう見ても聡美の好みでは無さそうだった。

雪は正直にそう言うと、先輩は「じゃあこれは?」とうさぎの形をした鏡を差し出した。

「ちょっと留め具が不安定ですね。すぐに壊れそうです」 「ええ?」



さすが鷹の目の雪である。

それに比べておそらく初めてこういったお店に来た先輩は、いまいちピントがズレていた。

ありがちなちゃちな製品をマジマジと見ながら、「ここは製品管理がなってないのか?」と至極真面目に考えていて、

少し笑えた。





色々見て回った結果、鷹の目の雪は、遂にプレゼントをピアスにすることに決めた。



そして数多くのピアスの中で、シンプルな物を探そうとその目を光らせた時だった。

先輩が嬉しそうに駆け寄ってくる。

「雪ちゃん雪ちゃん、これ見て」



先輩が手に持っていたのは、奇妙な動物のストラップだった。

目を丸くする雪に向かって、先輩はニッコリ微笑んで言った。

「これ、雪ちゃんに似てるよね」



髪型が、と言って先輩は笑った。雪はそのモジャモジャな毛を持つストラップを前に、何も言えず固まった‥。



(先輩はそれを見て「可愛いよね」と言ったが、雪はどうにも同意することが出来なかった‥)








再びお店を見て回っていると、一つの髪留めが目に入り、思わず「わっ」と雪は声を上げた。



すごく好みのヘアクリップだった。

雪は聡美へのプレゼントは暫し忘れ、鏡を前にそれを髪につけてみようとした。



店員さんが雪に、「それ人気商品で最後の一個なんですよ」と言いながらそれを雪の髪に付ける。

「わぁ!スッキリしてとてもお似合いです~」



鏡を見た雪は、自然と口元がほころんだ。

先輩がそんな雪を見て「よく似合ってるよ」と言って微笑んだ。



照れた雪は浮足立った気持ちでそれを眺めたが、次の瞬間聡美の顔が思い浮かんだ。

おいおいあたしのプレゼントを買いに来たんじゃないわけ~?

あたしショートだから留める髪なんてないし~そういうのもあまりしないほうだし~




雪は脳内聡美に諭されて我に返ったが、ヘアクリップを握りしめて一人考えた。

でもこれ気に入ったしなぁ‥聡美の買う時に一緒に‥



そう思って、商品を裏返すとそこには「4000円」と書いてあった。

た、高すぎる‥。

ピアス‥ピアスにしよう‥



雪はヘアクリップは見ないことにして、聡美のピアス選びに没頭することにした。

突然ヘアクリップを手放した雪に、店員さんと先輩は不思議そうな顔をして彼女の背中を見つめていた。





結局このピアスを、聡美へのプレゼントにすることに決めた。

値段は4000円弱。貧乏学生の雪にとっては正直痛い出費である。晩ご飯抜きも確定した。

あのヘアクリップ、欲しいなぁ‥。でもあれまで買ったらほぼ一文無しだし‥



そう思って視線を送った先で、露出の多い女性が大きな声で店員と話しているのが聞こえてくる。

「え~?あのヘアクリップもう売り切れちゃったの?!可愛かったのに~~」



なんとなくその後姿に見覚えがあるような気がしたが、

雪はヘアクリップが売り切れたことの方がショックで、しゅんと俯いた。




ふと先輩の方を窺うと、彼は会計を済ませているところだった。



またどうぞ、と店員に言われ微笑む先輩の手には、紙袋が下がっていた。

雪は本当に女の子のプレセントを買った先輩を前にして、なんとも微妙な気持ちになる。



その正体が何なのか、まだ分からないまま。

雪と先輩は、その後共に店を出た。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<小さなデート>でした。

ヘアクリップに4000円は高いですね‥。韓国のアクセサリーってそんな高いんでしょうか。

先輩が持って来たのがうさぎの鏡なのは、作者さんの描く自画像がうさぎのキャラクターだからでしょうね。

前ゲームセンターでシューティングゲームをした時も、うさぎのゲームでした。

ところどころ見てみるとうさぎのモチーフが結構出てくるので、それを探すのも楽しいですよ。


次回は<憎らしく愛らしい>です。

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彼の思惑

2013-09-26 01:00:00 | 雪3年2部(遠藤に反撃~小さなデート)
その日の夕方、雪は塾の廊下を教材を持ちながら歩いていた。



考えるべきこともやるべきことも沢山ある。

早足で教室へと向かっていた時だった。

「よぉ、ダメージヘアー!」と、不意に後ろから声を掛けられた。



一瞬気付かずにやり過ごそうとしてみたが、すぐにまた雪はこう呼ばれた。

「ダメ~ジ~ヘア~」



‥こんな呼び方をする人間は二人としていない。

雪は赤面して振り返った。

こんな人の多い所で止めて下さい、と言いながら。



すると河村亮は雪の持っていた教材をひょいと持つと、その重さに目を丸くした。

「うひゃ~こんな重いもん持ち歩いてんのか?レンガじゃねーかレンガ」



いきなり教材を奪われて、雪は何するんですかとそれに手を伸ばした。

しかし亮はそれを返そうとせず、ニヤリと笑みを浮かべながら言った。

「重いだろ、オレが持ってやるよ」



「‥はい???」




雪はどうして彼がいきなりこんなことをするのか理解できず、頭に疑問符を浮かべた。

周りはザワザワと雪と亮‥すなわちトーマスとのやりとりに目を留めて何かしら囁いている。



亮はそんなざわめきには気を留めず、「行くぞ」と言って教材を持ったまま教室へと歩を進めた。

雪は当然戸惑い、その背中を呼び止めた。

「あの、どうして私の教材を‥」



困惑する雪を見て亮は、自分の行動はさも当然のことのような顔をした。

「どうしてって?ただ目についたから持ってやっただけだけど」



「何か問題でも?」

口の端を上げて笑うその表情は、独特な雰囲気があった。

言っていることも紳士な振る舞いのそれで、雪は幾分赤面した。



亮は「モタモタすんなよ」と言ってそのまま教室へ歩き出したので、雪はよく分からないままその後に着いて行った。

「あ、そういや前に言ってた仕事は上手くいってんのか?」



振り返ってそう聞いてくる亮に、雪は頭を掻きながら「お陰様で‥」と答えた。

お陰様で‥? 合ってるっちゃ合ってるけど‥



確かに亮のアドバイスのお陰で、遠藤に自分の意見を言えたような気もするが、なんとなく雪はしっくりこなかった。

そんな雪に亮はもう一度振り返り、口の端を上げてニヤリと笑って見せた。

「また何か困ったことがあったらオレに言えよな?オレ結構使えるヤツだぜ?」



雪は以前携帯を受け取りに行った時に亮から言われたことを思い出した。

淳に何かされたら、オレ様に連絡しろよな



考えてみれば変な縁もあるものだ。

青田先輩繋がりとはいえ、ここまで彼と接点が出来るなど雪は想像もしなかった。



教材の分厚さに目を丸くしている亮は、ペラペラと指でページを捲った。



滑らかな動作でそれを行う様を見て、

雪はこの間彼が言っていたことを思い出した。


普段はなんら問題は無いけど、たまに感覚が無くなる時がある



そしてこの間塾で、口に出したあの言葉。

お前、Impromptuって知ってるか?




想像はつかないが、おそらく即興曲という意味を持つImpromptuへの言及や、指を広げたあの仕草からして、

昔ピアノをやっていたことには違いないようだ。

でも今は指を故障してしまっている‥。





欠伸をしながら歩く亮の後ろ姿を見て、雪は微妙な気分だった。

なんで私はここまで彼のことを考えているのだろう、いやそれ以前に、なぜこの人は私にこんな構ってくるんだ?


亮の言葉が、脳裏に数々蘇ってくる。


お前、青田淳とどういう関係?



始まりは駅のホームだった。

不躾にそう聞いてきた彼に、最悪な第一印象を持った。



これ、淳のせいなんだ



指を故障した原因が、青田先輩にあると彼は言った。

アイツは恐ろしい奴だと、亮は続けて言ったのだった。






雪は俯いて考えていた。

どう回り道をしたとしても、結論は一つしか浮かび上がらない。



次のご飯はいつおごってくれるんだと言う亮に、雪は手のひらを差し出した。

教材を返して下さいと言って。



雪は「私にはよく分かりませんけど」と前置きをして、言葉を続けた。

「私にこうして近付くんじゃなくて、言いたいことがあるなら青田先輩に直接言った方が‥」



亮は雪の言葉に、一瞬の沈黙の後眉をひそめた。

「はぁ~?何を言ってやがんだお前は?」



亮は教材を担ぎながら、これも仕事の一つなんだと言った。

重たいものを持ってやることが悪いこととも思えないし、雪だけが特別ということもなく他の子に手を貸してやることもある。

「お前なんかカン違いしてんじゃねーか?」  「!」



雪は赤面した。

きまり悪さに視線を逸らしながら、「くそぉ‥失敗した‥!」と後悔した。



バツの悪くなった雪は、亮に向かってもう一度手を伸ばした。

自分で持てるから教材を返して下さいと言って。



しかし亮はなかなか返してくれない。どうやら雪が頑なな態度でいることが、理解出来ない様子だった。

亮は呆れ顔で口を開く。

「ダメージ、お前見てるとマジもどかしいわ」



「持ってやるって言ってんだから、そのまま甘えりゃいーだろ?なんでそんなに頑ななんだ?」



誰?あの女‥ トーマスの知り合い?

ヒソヒソと、周りの学生たちが囁く声が聞こえてくる。

しかし亮はそんな周りの様子には気づかずに、

「つーか何その顔?おいダメージヘアー」と、

雪の顔をマジマジと眺めてくる始末だった。”ダメージへアー”も連発している。



赤面した雪は衆人環視の中、亮を引っ張って非常階段まで連れ出した。









「何だ?どーしたんだ?」



亮は強く掴まれた腕をさすりながら、雪に文句を言った。

しかし亮の方を振り返った雪は、それ以上の剣幕で彼への不満を捲し立てた。

「人が大勢居る所でダメージヘアーダメージヘアー言わないで下さいよ!!

恥ずかしいでしょうが!てか何で私がダメージヘアーなんですか?!」




しかし雪の必死の訴えも、亮の前には通用しない。

彼はキョトンとした表情を浮かべながら、率直な気持ちを口にした。

「何でって? ダメージヘアーがダメージヘアーだからダメージヘアーって呼んだんだよ

なんでダメージヘアーかって聞かれても‥」




何度も繰り返される”ダメージヘアー”に、

とうとう雪の堪忍袋が切れた。

ブチッ!



「あのですねぇ、河村氏!!」



言葉を続けようとした雪だが、そういえば初めて彼の名前を呼んだ。

丁寧にしようとか礼儀を重んじようとか日頃考えている雪だが、今は色々な感情が一緒くたになって、変に上から目線な敬称で呼んでしまった。

当然亮も困惑顔だ。

「はぁ? 河村氏~~~~~??」



雪は思わず口元を押さえたが、時すでに遅し。

亮は険しい形相で雪ににじり寄った。

「氏って何だよ氏って!アンダー・ザ・シ~♪でもあるまいし!鳥肌立つわ!この生意気小娘め!」



雪はたじろぎながら、「口が勝手に‥すいませ‥」と口ごもった。

「じゃ、じゃあ何て呼べばいいんですか?!」



困惑しながらそう質問した雪に、亮は「そりゃオレの方が年上だから‥」と自分の敬称を考えた。

]

「おにいさま‥」



亮がそう言った所で、二人共興ざめした。

それはないわ‥。



亮はそのまま教材を雪に向かって放り投げると、

「あーもー河村氏でいいよ、ったく!」と言い捨てて背を向けた。



肩をいからせて去って行く亮を見て、雪はつい独りごちた。

「何でそんな怒ってんの?!」



怒りたいのはむしろ雪の方だ。

改めて持った教材が、よりズッシリと重く感じられた。






亮はドカドカと廊下を歩きながら、未だ「河村氏」と呼ばれた時の変な怖気に身を震わせていた。

すれ違う女学生たちは、皆「トーマス!」と声を掛けていく。



それにしても‥





頭の中には先ほどの、雪の言葉がこびり付いていた。

私にこうして近付くんじゃなくて、言いたいことがあるなら青田先輩に直接言った方が‥




そして先日静香のところに見舞いに行った時に、淳から言われたあの言葉も‥。

お前、これ以上俺の周りの人間に付きまとうなよ





亮は、一筋の汗が頬を伝うのを感じた。

「ダメージヘアーあいつ‥すぐに見破りやがったな」




淳に当てつけるため故意に親切にしてやったのだが、雪は見事にそれを見抜いた。

廊下を歩けば皆が振り返るような端正な彼に親しげにされると、大多数の女は浮かれ上がる。

しかしあの女は‥。



亮の思惑は見事看破された。

淳とはまた違う彼女の鋭さに、亮は一筋縄ではいかないこの先を思って、口を噤んだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<彼の思惑>でした。

今回は翻訳の難しさを実感し直す回でした。

というのも、日本語には無い「人の呼び方」がキーになっていたからです。

韓国での敬称は日本よりも細かいですね。
http://korean-culture.com/language/other04.html

日本語版ではそれら全て変えて、意味が通るように訳されています。

ですので下の「Under the sea」も勿論出てこないわけで‥。



未だなぜ亮が↑の曲を言及したのか謎です‥。氏って言われたからアンダー・ザ・シー‥。???

あー‥難しい回だった‥。

今回はお悩み相談所にて解決してもらいました(^^;)

まだまだ勉強不足です。。


次回は<小さなデート>です。

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