
亮は自室にて、コンクールの為の練習をしていた。本番はもう来月に迫っているのだ。
ヘッドフォンをして、譜読みをしながら、そのしなやかな指を動かす。
「河村亮よ‥」
「どわぁあああっ!ビックリしたぁっ!!」

不意に音もなく、静香は弟の肩に手を掛けた。
亮はヘッドフォンを外すと、冷や汗をかきながら心臓を高鳴らせる。
「何なんだよっ?!マジでオレの寿命が縮まっ‥」
「あたし、淳ちゃんと結婚したい。」

その静香の発言を聞いて、あれだけ狼狽していた亮も思わず黙り込んだ。
静香は目を丸くする弟を、冷静な顔をしてじっと見つめている。

亮は姉の発言の意味が分からず、静香に何度か聞き返した。
静香はそんな弟の反応も想定内とばかりに、冷静に返答する。
「は?」 「あたし淳ちゃんと結婚したいの」
「???どーしたんだ?」 「ただそう言ってるだけ。協力してくれたら嬉しいけどね」

静香はそう言った後、悩ましげな表情をして深い息を吐いた。
その顔は微かに赤らんでおり、まるで恋する乙女だ。そしてそれを目にしている亮は、とてつもなくイライラした。

この天真爛漫な姉に、弟の自分はいつも振り回されっぱなしだ。
亮は姉に背を向けると、その苛つきを噛み殺しながら皮肉を垂れる。
「そりゃまた御大層なお話なこって‥何が高校生の分際で結婚‥
することねーんならクソしてもう寝ろよ」

そんな亮に対し、静香は「出来ないっての?なんでー何でよぉ?」としつこく聞いてくる。
亮はブチ切れ、姉に向かって声を荒げた。
「つーか淳に振られて大騒動起こしといて、何バカなこと言ってやがんだ?!
お前はプライドっつーもんがねーのか?!それにアイツがそんなバカだと思うか?!
お前がそう言ったからって、アイツが素直に了承するとでも思ってんのかよ!
お前のせいでオレはアイツに頭が上がりませんよ?!マジで!」


しかし静香は折れず、「まぁ、一度振られはしたけど、それで腐るようじゃ河村静香の名が廃るわ」と言って落ち着いている。
亮はまじまじと静香の顔を見ながら、目元を指差しながらこう言った。
「なぁ‥お前マジでアイツがどっかの王子様にでも見えてんの?正気か?」

王子様‥。
静香の脳裏に、幼い頃に初めて見た淳の姿が蘇る。
柔らかく微笑んで、ズタズタだった自分を救いに来てくれた王子様‥。


そしてその純情を粉々にした、先日彼から言われた冷たい言葉が鼓膜の裏に響く。
「俺はお前を”自分の基準”で家族同然と考えて、
よくしてやっただけだ。勘違いするな」

踏み躙られた、柔らかな純情。
彼女は言葉に詰まる。
「それは‥」

そして静香は、その柔らかな部分を心の奥深く仕舞い込んだ。
もう二度と、こんな辛い思いをしなくても良いように。
「バッカじゃないの?幼稚園児じゃあるまいし~。
ただ淳ちゃんレベルなら、イケメンだし金持ちだし~、それに結婚したらあたしもアンタも安泰だし!」


静香の口にするその言葉の意味が分からない亮は、姉に向かって「は?一体何が‥」と言って首を捻った。
すると静香は亮の肩をぐっと掴むと、真剣な眼差しをしてこう口にする。
「家族みたいな関係じゃなくて、本当の家族になるの」

静香は続ける。
「そうすれば、ずっと三人一緒よ」

彼女は唱えた。
その不思議な呪文を。たった一人の、肉親の弟に。
「あたし達三人だけで」

家族‥

先日静香が口にしたその呪文は、亮の心の中に強く残った。
本当の家族‥

頭の中に、魔法のように数々の記憶が現れては消える。
喧嘩の後、三人で花火をしたあの瞬間。
燃えて咲く一瞬の花のように、その刹那の煌めきを垣間見たあの光景。

自分と姉を、実の子供のように心配し、気遣ってくれる青田会長。
父親という存在を知らない亮は、柔らかく微笑んでくれる彼に、会ったことの無い父親の幻影を見る。

青田家と出会うまでの自分の姿も、痛む心の片隅から浮かんで来る。
親が居ないと、純粋な本国の血筋じゃないと、
バカにされ続けた少年時代。

虐待を受ける姉。
そんな姉の姿を見て震えることしか出来なかった、
手を差し伸べることが出来なかった、幼き自分。

亮は逃げたかった。何もかもから。
亮は逃げたかった。ここではないどこかへ。
闇雲に手を伸ばして、必死に足掻いて‥。

亮はピアノの前に座りながら、ぼんやりとこんなことを考える。
そうだよな‥また静香がとんでもないこと考えてると思ったけど‥あながち‥

浮かんで来るのは、グランドピアノを前に、大きなホールのステージで佇んでいる自分の姿。
演奏が終わった彼に、轟音のような拍手が降り注ぐ。

亮が見上げたその先には、二人の姿がある。
嬉しそうに手を叩く、静香と淳の姿だ。その時の二人は亮にとって、姉と義兄かもしれない。

亮は誇らしげに、二人に向かって大きく手を振る。
本当の家族同士、微笑みを交わし合いながら‥。

亮はピアノに肘をつきながら、ぼんやりとそんな将来を想像していた。
風に揺れるカーテンのように、未来は大きく膨らんで行く。
これくらいは、想象してみてもいいんじゃねーか‥?これはそんなに、雲を掴むような欲じゃねーだろ‥?

亮は窓際に視線を流しながら、そのぼんやりとした思いが徐々に形作られて行くのを感じていた。
実際そうじゃねーか‥。だって、会長はマジでオレのことを息子みたいに大切に思ってくれてるし、
そんでオレはマジでそれだけの実力がある‥

自己の能力に対する確固たる自信が、亮に力を与えていた。
この十本の指で、輝く未来を全て手に入れることが出来るんじゃないかと。

風が吹く。
これはきっと追い風。
輝かしい将来に向かって邁進する亮の背中を、風は強く押してくれる。

亮はその風の中で、相棒のピアノに凭れながら甘い夢を見ていた。
夢の中では彼の本当の家族が、彼を囲んで微笑み合っている‥。

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<亮と静香>高校時代(16)ー本当の家族ー でした。
静香は淳から拒絶されたことで、心を仕舞い込んでしまったのですねぇ‥。
淳の財力や容姿を、彼に惹かれる見せかけの理由にして彼に執着する現在の静香の姿に、
だんだんと高校時代の静香が重なって行きます。
そして心地良い風の吹く音楽室での、亮の甘い夢。
風に膨らむカーテンが、未来への想像や期待を大きく膨らませているというモチーフになっているのが、素晴らしいですよね。
さて次回はまた現在に戻ります。
<劣等感>です。
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