
空が夕焼けに染まる頃、美大の一室。
「めーぐみ」「ん?」
「あたしさっきアンタの彼氏見たよー?」

同期はそう言って、毎日のようにデートする恋人達に言葉を贈った。
「今日も学校前でデート?ラブラブだね~」「へ?」

しかし恵はその言葉を聞いてもピンと来ない様子だ。
「え、蓮が?今日は会う予定ないよ?」「え?」

そんな恵の返答に、同期の子は目を丸くした。
「え?さっきこの近くで見かけたけど‥」「あ‥」

二人の会話はすれ違う。
そしてそれ以上に、恵は蓮の行動の意味が分からなかった。
「そんなこと言ってなかったけど‥どうしたんだろ‥?」

くりくりとした大きな目が、その真実の在処を探す。
小さな頃から知っている、幼なじみであり今は恋人のその人の。
そしてその頃当の本人は、路地裏で頭を抱えていた。
「クッソーー!俺の足踏みまくって、キンカンにもちょっかい出しまくってるヤツなのに!!
てか何で隠れた俺?!何でビビった俺?!元々ンなことなかったハズなのに!!」

蓮が悔いているのは、昼間大学で出くわした柳瀬健太に取った自身の態度のことだった。
あの巨体を見かけた途端、考えるより先に物陰に隠れた自分‥。


蓮は声を上げながら、頭を更に深く抱えた。
そしてその隣には、寒さに震える河村亮が蓮の嘆きを聞いている。
「ううう‥!」

「柳瀬健太とかいうヤツ‥
名門A大生だし、姉ちゃんの話だと良いトコに書類パスして面接まで進んでるって‥」

蓮は涙目になって深く息を吐き出した。
寒さが身に沁みるのは、低い気温のせいだけではないようだ。
「‥アイツだけの話じゃないよ。
この世には立派なヤツが山程居るんだ‥俺の恵が‥俺のキンカンが‥」

話せば話すほど覚える焦燥。
蓮は涙で目を潤ませながら、亮に向かって問い掛けた。
「俺よりイケメンにかっさらわれたらどーしよう?!どーすればいいの?!」
「んだそりゃ」

「俺だって‥」

声を震わせながら、蓮は自分の気持ちを口に出す。
亮はそんな蓮に呆れながらも、黙ってそれを聞いている。
「俺だって変わりたいのに‥。
家のこと一生懸命手伝って遊ぶの止めたら、「蓮は変わった」って皆喜ぶと思ったのに‥。
なんかそれ、間違ってたみたいで‥」

そう言って両膝の間に顔を埋める蓮を、亮は彼が本格的に泣き出したのかと思ってじっと見つめた。
しかし次の瞬間、彼は歯と白目を剥きながら強く主張する。
「あー!だけどさ!マジでマジでさ!アメリカには戻りたくないんだよ~~!!」

蓮の脳裏に、思い出したくもない場面が次々と浮かんで来た。
あれはアメリカに居た頃の、コンプレックスに押し潰されそうだった頃のこと。
「あの場所では俺、何も手に入れられなかった。俺、何者にもなれなかった」

「ここには何もかもがあるのに‥」

そう言って見上げた夜空は、建物の間から僅かに見える切れ端ほどのものだ。
アメリカの方がこの何倍も、何十倍も広かったけれど‥。
「友達も‥家族も‥キンカンも‥」

蓮の言葉が、気温の低い空気の中で白い靄となって消える。
その靄は亮の心にも、どこか当てはまるものだった。
「亮さん」

「亮さんも、ここにずっとずっと居てよね」

縋るような目付きでそう訴える蓮と、亮は目を合わせることが出来なかった。
前を見つめながら、居心地悪そうに舌打ちする。
「‥チッ」

そして亮は、蓮の頭を軽く小突いた。
「知るかよ」「ええ?」「甘えんじゃねーこの野郎」
「イテッ!亮さんが俺にそんなこと言うなんてぇ~!」「離せっての」

「ぐわっ!冷てーの!」

じゃれ合うように言い合いを始める二人。
するとそんな二人を、物陰からじっと見ている男が居た。

亮が地方で働いて居た時の、あの同期の男だった。
思わず目を丸くする亮と、訝しげな目付きで男を見る蓮。

「‥‥‥‥」

やがて男は、プイと彼らに背を向けて駆けて行った。
どこにでもある監視の目。ここにずっと居ることが出来ないことを、改めて思い知らされる。

「知ってる人?」
「中入って仕事手伝え」

蓮のその問いには答えずに、亮はそっけなくそう言ってその場から去って行った。
何かを抱えるその背中を、蓮はポカンと口を開けてただ眺めている。

「???何だろ?」

赤山家特有の鋭敏さで、蓮はその異変を感じ取る。
けれど既に亮の背中は夜の闇に溶け、蓮の心の中には白い靄がいつまでも揺蕩っていた。
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<白い靄>でした。
「ここには何もかもがあるのに」という蓮の吐露。
それが亮の心情にも重なるものがありますよね。
何もかもがある場所から、踏み出さなければならない時がいつか来ることを、どこか感じさせてくれる回でした。
次回は<晴れない心>です。
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