Trapped in me.

韓国漫画「Cheese in the trap」の解釈ブログです。
*ネタバレ含みます&二次使用と転載禁止*

不条理

2013-11-28 01:00:00 | 雪3年2部(聡美父病院後~遠藤負傷)


その不条理に倒れた男を、月だけが見ていた。

遠藤は暫くそのまま横たわっていたが、やがてゆっくりと体を動かし、ポケットに入れてあった携帯電話を探った。



どくどく、と脈拍に合わせて血が流れていくのが分かる。

その血液は今や後頭部から、額を伝って地面に染みを作っていく。



朦朧とする意識の中で、震えながらリダイヤルのボタンを押した。

しかし耳に入って来たのは、またしても”ただいま電話に出ることが出来ません”という無機質な音声だった。

遠藤は携帯を置くと、再び力無く地面に横たわった。



空を見上げると、満月が浮かんでいた。

高いところから、手を差し伸べることなく、それがこの世の常であるというように、

何も語ることなく、ただそこにぽっかりと浮かんでいた。



汚れた地べたに横たわりながら、遠藤は先ほど男から言い捨てられた言葉を、ぼんやりと反芻した。

虫唾が走る、反吐が出る、汚らわしいと、無遠慮に投げつけられた心ない言葉の数々。

遠藤は、どうしても分からなかった。

悪いことをしているわけでも、犯罪を犯したわけでもないのに、なぜ度々人々から後ろ指を刺されて非難されるのか‥。

俺が秀紀と一緒にいて、何が悪い?



世の中には、自分より”悪い奴”が沢山居る。

それは遠いどこかの話ではなく、すぐ隣にあるリアルな話だ。

金持ちだからって人を見下す人間もいる、道行く人をこうして襲う人間もいる‥。

  





ニュースを見れば、自己中心的な人間が罪の無い人を踏みにじったりする事件が毎日起こっている。

事の真偽などお構いなしに、ただ気に食わないからと言って他人を傷つける人間もいる。

そんな人間たちに比べたら、自分は遥かにマシな人間じゃないか‥。

俺の何がそんなに間違ってるってんだ‥



意識が少し遠のいて、遠藤は母親から罵倒された記憶を思い返していた。

母は遠藤が同性愛者だと知ると、号泣しながら遠藤の足元に縋り付き、彼を責めた。



このままでは病気になって死んでしまう、と言って泣き叫ぶ母親の顔が、脳裏にありありと浮かんだ。


そして秀紀とまだ知り合って間もない頃の記憶も、浮かび上がって来た。

いつも遠藤の行く先行く先を、秀紀はついてきた。隠れることが下手な彼は、すぐに見つかってしまう。



遠藤は彼に向かって、よく声を荒げたものだった。

「ったく!俺はそちらさんが気に食わねーんだよ!不細工だし!金の自慢ばっかりしやがって!」



そう言った後は決まって、秀紀は涙を浮かべて俯いた。



気に食わなかったはずなのに、なぜだかその姿を見ると放っておけなかった。



それから二人は何度も食事を共にし、長い時間を共有していった。

秀紀の天真爛漫なところや、根が温かいところ、そして何より自分を想ってくれるところに、だんだんと遠藤は惹かれていった。



頭に思い浮かぶのは、いつだって嬉しそうに笑う秀紀の笑顔だった。

ただ彼と一緒に居たい、そんなささやかな願いを持ち続けることが、どうしてこんなにも難しいのだろう‥?



そうして遠藤は目を閉じた。

薄れゆく意識の中で、その瞼の裏側で、秀紀が幸せそうに微笑んでいる‥。












遠藤が意識を失ったその頃、

雪、淳、秀紀の三人は、テーブルを囲んで談話している最中だった。

とはいっても、秀紀はもうノックダウン寸前で机に突っ伏し、ウダウダとくだを巻いている。

「あれ?」



不意に雪が、床に落ちた携帯電話に気がついた。秀紀が落とした物のようだ。

雪はそれを拾い秀紀に手渡そうとするが、彼はそれに気を留めず嘆きを続けていた。

「あたしだって分かってるわよ、情けないってこと‥」



「馬鹿みたいでしょう? あんなに偉そうにしておいて‥」



秀紀はそう淳に向かって言った。

幼い頃から兄貴分として、彼に上手に世の中を渡っていくための処世術を教えこんだこともあった。



しかし今やこの姿だ‥。

淳の、彼を見る視線は冷ややかだった。



尚も嘆き続ける秀紀の隣で、雪は先ほど拾った携帯を見る。

どうやらもう充電が無いようだった。



雪はそのままそっと携帯を秀樹の隣に置いた。

彼の感情の吐露を邪魔せぬように、その嘆きを静かに受け入れるように。

「もうとっくに落ちぶれちゃって、このまま実家に帰ろうかって何百回、何千回思ったわ。

ずっとずっと、考えてたの」




だけど、と秀紀は言った。

閉じた瞼のその裏には、彼の笑顔が浮かんでいた。

「だけど、どんなにずっと考えてみても‥」



心の中にある幸せな記憶が、いつも秀紀を押しとどめた。

直面している現実から酒を煽って逃げる度、その記憶が枷となって動けなかった‥。




それきり秀紀はテーブルに突っ伏したまま眠り込んでしまった。

雪と淳は顔を見合わせて、彼をどうすべきかと思案する‥。










同じ頃、雪の家もとい秀紀の家の近辺を、河村亮はぐるぐると回っていた。

「ったく!どこも似たような道ばっかじゃねーか!迷路か?!迷路なのか、ああ?!

おりゃ一体何回まわってんだ?!また回って~!回って!!」


  

大声で騒ぎ立てる亮に、通行人は目を留めるがすぐに足早に去って行く。

そうしてまた静かになったところで、ようやく亮は雪の家へ続く細い道を見つけた。

「あっ!みーっけ!」



そこで亮の目に飛び込んで来たのは、

倒れている一人の男の姿だった。亮の心臓がドクンと脈打つ。



亮は恐る恐る近づくが、男は地面にうつ伏せに倒れたまま、ピクリとも動かない。

まずい、と亮は思った。

「お、おい!しっかりしろ!」



慌てて駆け寄った亮が見たのは、ベッタリと頭部に張り付いた血痕だった。

依然として男の意識は無い。



普段見慣れない血を見たせいか、亮は気分が悪くなって口元を押さえた。

そんな亮を見た通行人の女性が、誤解をして叫び声を上げる。

「キャアアア!」



亮は顔を上げると、その女性に向かって「早く119番しろ!」と言い、

着ていたシャツを脱いだ。女性はパニックのあまり泣き出している。



バサッと、亮は脱いだシャツを男の頭に掛けてやった。



怪我の箇所が見えなくなると、幾らか冷静に亮は物事を見れるような気がしたが、

依然として女性は当惑しながら、なかなか電話を掛けられないでいる。

「おい!電話は?!早くしろよ!!」



ふと亮が男の方を見ると、先ほど掛けたシャツに血が滲んでいた。

必死なんですと言って震える女性と実は同じくらい、亮も身が竦んでいた。



早くしろ、とがなる亮の大声が、暗くひっそりとした路地に響く。

空ではやはり満月が、その騒動を密やかにただ照らしていた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<不条理>でした。

亮が雪の家の界隈で「また回って~!回って!」と言っているのは、歌の歌詞だそうです。

チョンイングォン 「回って回って回って」 (1988年)



日本ではここでの曲はこれでしょう!

♪ 夢想花 / 円 広志


飛んではないですが、回って回って回って回りますからね‥(^^;)


次回は<義理堅い彼女の提案>です。

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災難の渦中へ

2013-11-27 01:00:00 | 雪3年2部(聡美父病院後~遠藤負傷)


ひょんなことから顔を合わすこととなった、雪、淳、秀紀の三人。

秀紀があまりにも騒ぐので、彼らはテーブルを共にすることにした。

すでに秀紀はベロベロに酔っており、テーブルに突っ伏したかと思うと低い声で語り出した。

「あたしは捨てられたの。一言で言えばうまく振られたみたいよ」



なんのことはない‥。流行りのポップスの歌詞であった。

雪は思わず白目である。



顔を上げた秀紀は、悔しそうに歯をギリリと噛むと、今度は大きな声を出した。

目尻には涙が滲んでいる。

「恋人は去り!家には見捨てられ!勉強も出来ず!近所では変態扱いされる始末!

完全にこの世から捨てられたのよ~~!!」




うわぁぁと声を上げて泣く秀紀を、雪は若干引き気味に、淳は淡々と眺めていた。

周りからの視線が痛い‥。



テーブルに突っ伏している秀紀に、見かねた雪が言葉をかける。

「おじさんそんなに落ち込まないで‥。そんな時ほど元気出さなきゃ。

ずっと部屋に篭りっぱなしだと、もっと憂鬱になっちゃいますよ。運動したりして外の空気吸わなくちゃ」




雪の慰めを受けて、秀紀の瞳に涙がうるうると溢れ出す。感動のあまり、思わず雪に抱きついた。

「マイハニー!!」



秀紀は雪のことをハニーと呼んだかと思えば、今度は嬉しそうに肩を組んだ。

「今まで邪険に扱って悪かったわぁ。知れば知るほどあたしの味方になってくれるのは、

ハニーちゃんしかいないわぁぁ」




雪が乾いた笑いを立てていると、不意に秀紀の腕が雪の肩から外された。

先輩が、秀紀を雪から離す。

「秀紀兄さん、飲み過ぎだよ」



淳は笑顔を浮かべたまま言葉を続けた。

「ハニーって何だよ。雪ちゃんは兄さんの恋人じゃないだろ。しっかりしてくれよ」



誤解されたらどうするんだと続けられた言葉を受け、雪は秀紀に代わって口を開く。

「私なら大丈夫ですから。酔ってるわけじゃなくって、おじさんは元々そういう言葉使うじゃないですか。

今さら‥」




笑って流せると思った雪だったが、それを聞いた淳の表情が変わった。

「え? 兄さんが、どうして?」



そんな淳の反応に、雪も目を丸くする。

「え?知らないんですか?幼い頃からの仲だから知っているものだと‥」



淳は酔いつぶれてテーブルに突っ伏した秀紀を眺めながら、以前の彼の姿を思い出していた。

少し思い当たるところがあるような気もして、

「いや、まぁ昔から女っぽいところはあったけど‥」



そう言葉を紡いだものの、しっくりとは来なかった。思わず口を噤む。


その後秀紀はノックダウンしたり再び起きたりを繰り返し、雪と淳を困らせ続けた。



店の外はネオンの光が幾数も灯り、

その喧噪をやんわりと飲み込んで行く‥。















プルルル、と電話口から響く着信音が、暗くひっそりとした夜道に響いている。

街灯は少なく、遠くのネオンの光だけが僅かに空に灯っている。



家の外に出た遠藤は、耐え切れずにもう一度秀紀に電話を掛けていた。

出てくれ、お願いだと何度も空に祈ったが、それは叶わない。

”ただいま電話に出ることが出来ません”の音声案内が、虚しく響くだけだった。

「チクショ‥最低野郎‥」



拭っても拭っても溢れてくる涙。泣きながら紡ぐ言葉は、切れ切れになる。

遠藤は哀しみと孤独に引き止められ、その場から動けない。

そんな遠藤の後ろから、一人の男が足音をひそめて近づいていた。キョロキョロと、周りを窺っている。



そして音もなく懐からレンガを取り出すと、泣きじゃくる遠藤の頭目掛けて、それを振り上げた。

「秀紀‥」



彼が恋人の名を呟いた後、鈍い音が響いた。

燃えるように熱い後頭部を押さえながら、遠藤はその場に崩れ落ちた。



男は倒れた遠藤の腹を、マジムカつくと言って蹴った。

後頭部に続きみぞおちにも一発食らわされた遠藤は、今度は腹を抱えて苦しそうに咳をする。

  

遠藤の姿勢がうつ伏せから横向きに変わったのをいいことに、男は遠藤のポケットを探り、鍵を取り出した。

そのまま鍵を握りしめながら、低い声で遠藤に向かって囁く。

「さっさと出てくればいいものを。住人でもないくせに何なんだお前?」



男は立ち上がると、汚らわしいものでも見るような目つきで遠藤を見下ろした。

「まぁ、じゃなくても前々から一発殴ってやりたかったんだよ」



「虫唾が走るぜ」

男は遠藤と秀紀が恋人同士にあるということを知っていた。

外で見かける度に反吐が出るかと思ったと、そう忌々しそうに言った。



ペッ、と男が遠藤に向かって唾を吐く。

それはうつ伏せになった遠藤の顔近くに落ちた。

遠藤は朦朧とする意識の中で、男の足音が小さくなっていくのを聞いていた。



そして足音が聞こえなくなると耳に響くのは、自分が吐き出す呻き声だけになった。

硬く冷たい地面が、遠藤の体温を奪っていく。

この世の不条理が、遠藤の心を蝕んでいく‥。


夜空に浮かんだ満月だけが、全てを見ていた。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<災難の渦中へ>でした。

秀樹が語った歌詞はこちら↓

Certain Victory Seo TaiJi


有名な曲だそうですね!色々なグループがカバーしているとか‥。


さて今回もまた呼び方の問題が出てまいりました。秀樹兄さんの言う「チャギ」です。



一般的にはかなり親しい間柄で使う敬称だそうですね。恋人同士で呼び合う場合にも使うと。

なので、雪に抱きつき+「チャギ」+肩組みをした秀樹に、先輩がストップをかけたのですね。

先輩の台詞、本家版に忠実に「ハニーって何だよ。雪ちゃんは兄さんの恋人じゃないだろ」

としました。(↓笑顔ですが相当頭来てそうです、先輩ww)



日本語版では「あんたって。俺の恋人だからもうちょい丁寧にしてくれないかな」

でしたよね。「チャギ」の持つ「マイハニー」感を消し、「あんた」として「失礼な感じ」を出したのですね~。

考えられてるなぁと感じました!


そして遠藤さん‥(T T)本当不憫すぎます、彼。目から汗が‥。


次回は<不条理>です。


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夜に紛れて

2013-11-26 01:00:00 | 雪3年2部(聡美父病院後~遠藤負傷)
「ここ、安くて美味しいんですよ」



雪の案内で、二人は近所の居酒屋へとやって来た。

席に座り、焼酎とチヂミを注文する。

「‥けど私お酒弱いんですよね。一口飲んだだけでも真っ赤になるので‥」



飲まない代わりに一生懸命注ぎます、との雪の言葉に、

先輩が意味ありげに笑う。

「俺だけ飲ませてどうするつもり?まさか雪ちゃん‥俺を‥」



先輩の言葉に雪は思わず青ざめ、ワタワタと慌てる。

そんな彼女を見て、プハハと先輩は笑った。

「心配しないで。もし酔ったら俺が責任持って送るから」



雪が口ごもると、先輩は上目遣いで彼女を見つめた。

ダラダラと冷や汗に似たものが沢山浮かぶ。

「あはは‥いえ‥ひ‥一人で帰れま‥」



「何想像してんの?」



いきなりの超至近距離&耳元への囁きに、ひいっと雪の全身に鳥肌が立つ。

しばし髪の毛をも逆立てて固まる雪に、先輩はプッと吹き出して笑った。



遊ばれている‥。

悔しがる雪の前で、尚も笑い続ける先輩‥。




すると、離れた席で酔っぱらいが大きな声で店員のおばさんを呼んだ。

酒を出せと絡むその男に、おばさんは「飲み過ぎだよ」と呆れたように諭す。どうやら彼は一日中飲んでいたようだ。



尚も酒だ酒だと騒ぐその男を見て、雪と淳は固まった。

その視線を受けて彼も二人の方を見て、結果三人共固まった。



先に声を発したのは秀紀だった。

「これはこれは誰かと思えば~。お隣のお嬢ちゃんと~イケメン淳くんじゃな~い?」



雪は秀紀に向かって「おじさん」と、淳は彼に向かって「秀紀兄さん」と、彼らはそれぞれ呼びかけた。

雪と淳が顔を見合わせる。

「兄さん?」  「お隣?」



しかし再び声を発したのは秀紀だった。

「何よ何よ、二人知り合いってこと?!ってか‥付き合ってんの?!!」



ギャーギャーと騒ぐ秀紀に、居酒屋店内はにわかにざわめき始める。

雪がそんな彼を宥めようと傍に呼び、三人はテーブルを共にする‥。





そして同じ夜、河村亮は上機嫌で帰路に着いていた。

鼻歌交じりに、夜の道を行く。



もう何度も見たのだが、もう一度ポケットから左手を出して眺めてみる。

貼られたバンソコウは、ヒーローの証。



ふふん、と亮は息を吐いてから、夜道で一人シャドーボクシングを始めた。

通行人は誰もが見てみぬフリをしていたが、亮は満足そうである。

「いいぞぉ~!やっぱ男はタフでなきゃな!」



この際キックボクシングでも始めるかと、上機嫌な亮は呟く。

しかしふと、通りの向こうで光る場所が見えた。

そこだけ輝いて、目を引かずにはいられないもの。

  

亮は暫し、中にあるピアノに目を留めていた。

しかし自ら目を背けると、こんな貧乏学生しかいない街に楽器店があるのは問題だと言って、皮肉って笑った。



握った拳が、その左手が、疼いて痛んだ。

もう思い通りには、動かないその指が。



かつて何百何千の音符を、幾数もの旋律を奏でてきた指。

鼓膜に焼きついた幾つもの曲が、未だにその奥で鳴り続けているのに‥。







亮は振り返ること無く、暗い道を歩いて行った。

そして交差点に差し掛かった時、帰路とは別方向の道の方を亮は見やった。

こっちに行くとダメージヘアーの家だよな。未だに変態がうろついてるんじゃねーだろうな?



今日は塾の日でもないから家に居るだろうかと、亮は雪のことを考えていた。

いつも一人で夜道を歩く彼女を心配しながら。



すると雪の家に続く道中で、一人の男がその場で屈んでいるのが見えた。

道の端でレンガを拾い、懐に仕舞うのも。



目を疑わずにはいられなかった。

なぜ夜道でレンガを拾う必要があるだろう?



亮は暫し男が歩いて行った方向を見ていたが、やがて男の後ろ姿は小さくなり見失った。

脳裏に不吉な想像が浮かぶ。

まさか‥



先日雪に絡んでいた男の姿が思い浮かんだ。

顔はよく見えなかったが、背格好は似ていたような気もする‥。

 

しかし亮に殴られヘロヘロになった姿も思い浮かんで、思わずククク、と笑いが漏れた。

あいつにそんなことする度胸があるはずないな



けれど‥。

「いや、待てよ‥。ああいう奴ほど、頭にきたらなにやらかすかわかんねぇ」



眼中にも無かった奴から受けた傷が、今も残っているじゃないか。

あの狂ったような笑い顔を、絶望の淵で見上げたじゃないか‥。





亮はギリッと唇を噛んで、次の瞬間駆け出した。

このモヤモヤする気持ちにキリをつけるように、大きな声を上げながら。

「あーもう!!チクショーー!!!」



先ほどの男が歩いて行った方向、雪の家への方向へと、亮は全速力で駆けて行った。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<夜に紛れて>でした。

この日は塾自体が休みの日なのか、雪の授業が無い日なのか‥。

亮の出で立ちがいつも通りなだけに、気になります‥。


次回は<災難の渦中へ>です。

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受難の序章

2013-11-25 01:00:00 | 雪3年2部(聡美父病院後~遠藤負傷)


雪の家の周辺は小さな建物が隙間なく建っていて、窓と窓との距離も近い。

雪の家の向かいに住む女性が通話をしながら、最近物騒になってきたこの近所のことを嘆いていた。

「なんか最近いつも誰かに見られてるような気がしてさぁ、引っ越そうかと思って部屋調べてるとこ。

町内で変態も出没してるみたいだし‥」




ふと彼女が窓の外を見ると、お向かいの男性の姿が見えた。

こちらを向いている。



女性は下着同然の格好をしていたため、その男性に向かって思い切り顔を顰めた。

小さな叫び声を上げて、カーテンを引く。

「きゃあッ!マジありえないんだけど!」



それを聞いた秀紀は怒り心頭だ。

覗く趣味も無ければ、女性をそういった対象で見ることも無いというのに。

「な‥何なのよ一体?!」



秀紀の怒号がその場に響いた。

ここに住むようになってからというもの、こうした誤解を受けるのが常だった。

その度に人々は後ろ指を指し、秀紀に汚いものでも見るような目つきを向けていく‥。








日が暮れる前、橙が徐々に色を濃くしていく空の下で、一人の男が歩いていた。

茶と白のTシャツ、焦茶のズボンという平凡な出で立ちで、キャップを目深に被っている。



男は口笛を吹きながら、とある建物を見上げた。

できるだけ目立たぬように、凡庸な一通行人に見えるように、何気ない仕草で。



男は建物を見上げたまま暫しその場に佇んでいたが、

通行人の姿が見えるとキャップをますます深く被り直し、その場を後にした。



男が吹く口笛が、不穏な旋律を奏でながらフェードアウトしていく‥。

そして男が見上げていた窓の中から、携帯電話の着信音がし始めた。

壁が薄いのか、その音は外まで聞こえている。



建物の中、その部屋の中では、一人の女性が机に突っ伏して眠っていた。

部屋は散らかっており、無造作に広げたノートやPCの前で、彼女は眠りこけていた。



深い眠りの淵から、呼びかけるように響く携帯電話の着信音。

彼女は、赤山雪はようやく目覚めた。



雪は弾かれるようにして飛び起きた。夢の中で、随分長い間着信音が鳴っていたような気がする。

慌てて隣室に面している壁の方を見やるが、そこは静かなままだ。



雪はヨダレを拭きながら、隣人の留守を思ってホッとした。

いつも大きな音を立てる度に、壁を叩かれて注意されるのが常だった。

そして次の瞬間、着信音が鳴り続けていることに改めて気が付き、通話開始ボタンを押す。

「もしもし?!先輩?!」



慌てて出した声が掠れる。

先輩が「出ないかと思った。寝てた?」と雪に問いかける。

雪は勉強しようと思っていたものの、気が付かない内に熟睡してしまったようだ。

今日の晩、先輩と夕食を共にする約束をしていたことを思い出し、何時にしますかと問い返した。

「じゃあ俺がそっちへ行くよ」



疲れている雪の声を聞いて、先輩がそう提案した。お酒でも飲もうか、とも。

雪も乗り気で賛成する。この近所は居酒屋が沢山あり、安くて美味しいお店がいっぱいあるからだ。

「じゃあ一時間以内に行くよ」



はいっ!と勢い良く返事をしたものの、雪は電話を切って我に返った。

散らかった部屋、ボサボサの髪の毛、ヨダレの垂れた顔‥。

雪は慌てて準備に取り掛かった。

「もう一回髪洗った方がいいかな?一応朝洗ったけど‥。ドライヤー時間かかるのにどーしよ?

な、何着てこう?あんまり気合入れすぎても不自然だよね?まさか家に入るなんてことないよね?」




アタフタと右往左往する内、雪は足を滑らせてその場で転んだ。

ドッターンと大きな音を立て、古い家が僅かに揺れた。

「?」



それを隣の部屋に居た遠藤が、訝しげな表情で窺っていた。

秀紀から隣室の女がうるさいと散々聞いていたことを思い出す。一体何者なのやら‥。

「ったく‥秀紀の勉強の邪魔だろうが‥」



舌打ちをしながら、再び読んでいた雑誌に目を落とす。

しかし内容は一向に頭に入ってこなかった。ギリッと唇を噛み、雑誌をその場に放る。



もう時刻は宵の刻。

遠藤はこの部屋でもう何時間もこうして座っていた。

秀紀の野郎、こんな時間までどこをほっつき歩いてやがるんだ‥。また音信不通だしよ



秀紀に苛つき、そしてこうしてまた待ちぼうけをくらっている自分自身にも苛立った。

この間電話でもう終わりだと、距離を置こうと自分から言い出したのに関わらず、またこの部屋で独りでいることに、

胸中はもうグジャグジャだった。



頭を抱えたまま、その場でゴロゴロと転がった。

苦しい胸の内を吐露するように、一人苦悶の唸りを上げながら。

暫し遠藤はそうしていたが、やがて横たわったまま携帯電話に手を伸ばした。

寝転がったまま、もう一度メールを打つ。

最後に会って話し合おう。頼むよ‥



いつも怒りが去った後は、虚しさと寂しさに襲われる。

そして寂しさが残ったまま、彼への愛しさを実感する。



まだ愛していることに、気が付かされてそれに苛立つのだ。

遠藤の目に涙が溢れた。

会いたい、二人で居たい、ただそれだけなのに‥。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<受難の序章>でした。

遠藤さんが健気すぎて‥(T T)

そして謎の男、出て来ましたね‥。受難の始まりです。


次回は<夜に紛れて>です。


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Sympathy

2013-11-24 01:00:00 | 雪3年2部(聡美父病院後~遠藤負傷)


青田淳は実家にて、本を読んでいた。

机の上には箱が三つ置いてあり、その箱の説明を、今青田家の家政婦がしているところだった。

「旦那様が海外から送ってこられたものです。大きい箱二つは河村教授のお孫さん宛てだそうですよ。

最近お誕生日を迎えられたそうで‥」




亮の誕生祝いに淳の父親は、実の息子よりも大きな包みを彼に寄越した。

そして淳には、その隣にある小さな箱に入った時計を贈ったのだった。

家政婦は話を続ける。

「河村教授のお孫さん宛ての方の箱は、できるだけ坊ちゃんから直接渡して欲しいとのことでしたよ」



家政婦の話す父親からの伝言に、淳は本から目を離しもせず返答する。

「前みたいに郵送して下さい」



その返事に家政婦は少し躊躇ったように返したが、やがて溜息を吐いて言った。

「まったく旦那様は何を考えてらっしゃるんだか‥奥様は今回もご立腹でしたよ。

河村家の子供達に対して何だってここまでしてやるのやら‥」




実家にて家事をしてくれるこの家政婦と青田家は、長い付き合いだ。

そのため青田家と河村姉弟の関係や経緯を、彼女はよく知っている。

淳の父親が彼らに関して過干渉なことも、淳の母親がそれを良くは思っていないということも。

しかし長く時間を共にしているといっても、他人は他人だ。

淳はその境界に、ピッと程度の線を引く。

「おばさん、そんなことまであなたが気にする必要はありませんから」



家政婦は淳の言葉に、出すぎた真似をしましたと言って退室した。

彼女が去ってから、淳は机の上に置かれた三つの箱に目を留める。



父親からの関心が、象徴的に現れたその贈り物‥。

その箱を見ている内に、淳の脳裏には去年のとある場面が浮かんできていた。

それは大学の中庭にて、雪と彼女の母親との通話を耳にした時の記憶だった。



俯いた彼女が、ギュッと噛んでいたその唇。

父親に認めてもらいたいのに認めてもらえない、ジレンマを抱えたその横顔‥。



脳裏に浮かぶ彼女の姿は、淳の心の泉に雫を落とし、波紋を広げる。

波立つ心の襞が、彼女を求めて震えていた。











一方その彼女、赤山雪はというと、両親の経営する飲食店がとうとうオープンし、

その手伝いに追われていた。

開店日の今日、店の前には幾輪の花が飾られ、お客さんもひっきりなしに入り盛況だ。



忙しい業務の傍ら、雪は母親に弟からの連絡の有無を尋ねた。

「蓮から連絡あった?」 「昨日来たわ」



昨日母親が、飲食店を今日オープンするという旨を息子に伝えると、彼は留学中のアメリカから帰国すると言ったと言う。

カツを入れてやった、と言う母親に雪が呆れ顔で頷く。



お調子者でいつもおちゃらけている長男の蓮は、赤山家の女二人にとって心配の種だ。


二人が会話をしていると、店のドアから父親の予てからの知人が入ってくるのが見えた。

にこやかに笑いながら、雪の父親に話しかけている。

「やぁ~!赤山社長!今度は飲食店の社長さん?楽しみですな~」



かつてスーツ姿で事業を営んでいた父親は、エプロン姿でその知人に頭を下げた。

「赤山社長、エプロン姿も似合ってるよ!」そう笑って言う知人に、

父親は笑顔を返せなかった。汗を拭い、溜息を吐いて、今の自分の状況を俯瞰して俯いた。

 

父親は雪を呼ぶと、一服してくるからレジ番しててくれとエプロンを渡して店を出て行った。

その小さくなった背中を見て、雪はなんとも言えない気持ちになる‥。





三十分が過ぎても、一時間が過ぎても、父親は戻って来なかった。

レジを任されたものの、雪は慣れないその操作に四苦八苦だ。



その拙さを見かねて、同じく手伝いに来てくれている叔父さんが助け舟を出した。

レジは彼に任せて、雪は再び給仕の仕事をすることになった。



ふと雪が母親の方を窺うと、彼女は何かを考えている風で、ぼんやりとしていた。

心なしか少し落ち込んでいるようにも見える。



雪は父親が戻ってこないことについて、フォローするように母親に声を掛けた。

開店日だから、どこかに電話でもしているんじゃないかと言って。

すると母親は「違うね」とぶっきらぼうな様子で言い捨て、言葉を続けた。

「お父さんは店を始めることに初めから反対だったのよ。恥ずかしいって言って‥」



そんな母親に、叔父さんがフォローを入れる。

「まぁまぁ、兄さんは元々頑固なとこがあるから、少し時間が必要なんですよ。

それでもちゃんと顔出してくれて、誠実じゃないですか」




雪は何も言葉が見つからず、口を噤んで母と叔父のやりとりを見ていた。

振り返って見た店内は、沢山のお客さんで溢れていた。

 

それでもこれは、父親の望むものではないのだ‥。






雪は暫し休憩のため外へ出た。

凝り固まった体を伸ばして息を吐く。



すると店先に、数本のタバコの吸殻が落ちているのに気がついた。

勿論そこに父親の姿はない。

  

雪はやるせない気持ちになって、その場に佇んだ。

先ほどのように小さく背中を丸めて、この道を歩いて行った父親の姿が想像出来る気がした。



不意に、携帯が震えた。

見てみると、青田先輩からのメールが入っている。

仕事は上手くいってる?



雪はすぐさま返信した。

淳の手元にある、携帯電話が震えた。

はい。店の方は上手くいっています。ただ時間が経つとどうなるかが心配ですが‥。



淳は広い廊下を歩きながら、彼女に文字を送る。

きっとうまくいくよと、優しい言葉を。






そして二人は、メールを送り合った。

それぞれの暮らしの中に互いが存在することを、その小さなメッセージのやりとりの中で感じ合いながら。


花輪、ありがとうございます

どういたしまして

先輩は何してるんですか?

用があって今から出るとこ。次は必ず顔を出すから

はい。運転気をつけて下さいね



塾の無い日に、一緒に夕飯食べに行こうか

そうですね。ではその時また会いましょう




何のことはない、平凡なやりとり。

しかしそのやりとりの中で、二人は小さな癒やしを得る。



赤山雪と青田淳。

二人は別々の人間であり、育ってきた環境も生い立ちも、その価値観も違うが、

今二人は確かに言葉にならない何かを共有している。

互いに言い出すことはなく、言えないのかもしれない。

しかしいつの間にか互いが互いにとって、どこか繋がり得る存在になりつつあるのは事実だ。

小さなメッセージの行間に、そんなシンパシーが存在した。


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<Sympathy>でした。

日本語版でのこの回は、途中で謎のカットがかかり、最後までは描かれていませんでした。

久しぶりに自分の訳のみで書いてみると‥すごい不安‥(^^;)もし誤訳等ありましたら、教えて下さいませ。

お店の前に飾ってあった花輪↓



先輩が贈ったものだったのですね!さすが太っ腹!

贈り主「娘の彼氏」ってすごいですよね。。まだ雪の両親とは会ったこともないのに花輪‥。さすがです。


この回のカットがかかった、二人でメッセージを送り合う場面好きなんです~~。

お互いがお父さんのことで(無意識かもしれないけど)寂しさを感じて、癒やしを求めて言葉を交わす場面。

そこにあるシンパシーが、踏み込むことはないけど互いの存在を確かめ合っているその感じが、あのメッセージのやりとり場面に表れてると思います。

あの場面で二人が背を向け合ってメッセージを送っているのもきっと意味がある。

雪と淳、二人の抱える孤独は二人それぞれが持っているものであって、二人が分かち合えるものではない。

それが、向かい合わず別々の方向を向いてメッセージを送り合う二人の姿に表れているのではないかと思いました。

ああ、なぜこんな大事な場面がカットされたの‥(T T)



次回は<受難の序章>です。

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