「違いは」7月20日
『中1自殺 市を提訴 両親「学校、安全配慮怠る」』という見出しの記事が掲載されました。『名古屋市名東区で2018年1月、市立中学1年の斎藤華子さん(当時13歳)が自殺したのは、学校がいじめを防ぐ安全配慮義務を怠ったためだとして、両親が19日、市に1540万円の損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴した』ことに関する記事です。
詳細をなぞることはしませんが、私はこうした記事を目にするたびに不思議に感じることがあります。記事によると、『市教委は19年4月、いじめは認められなかったとする第三者委員会の結果を公表したが、調査が不十分だとして遺族が再調査を要望。市の再調査委員会は21年7月、部活動でいじめを受けていたとする報告書をまとめた』ということです。
なぜ、二つの調査が正反対の結果を出したのか、それが不思議でならないのです。私はこうした調査結果の齟齬を目にするたびに(それは非常に多いのですが)、それぞれの調査について、誰が、どのように行い、そこで明らかになった事実は何で、その事実を基に委員間でどのような話し合いが行われて結論が導き出されたか、を知りたいと思ってしまいます。
今回の事例で言えば、いじめの主な舞台となった、部活の顧問、所属する生徒、所属する生徒の保護者、更に必要に応じて学級担任や級友などについては、どちらの調査委も聞き取り調査をしているはずです。
調査委の委員が5名として、聴取対象者は約80名程度、聴取記録は教員職員や教員に担当させるとして、一人の委員が15人程度の聴取を行えば済むことになります。平均して一人15分かかるとして、約4時間あれば聴取は済みます。このとき、証言を拒否した関係者がいれば、無理に証言を強要はせず、拒否したという事実を記しておけばそれでよいのです。
その後、委員間で聴取内容の突合せをします。矛盾や食い違いがある事柄については、再度聴取をしたり、別の関係者の聴取したりします。全ての聴取が終われば、委員が集まり、事実の確定をします。事実の確定とは、いじめの有無を決めることではなく、いつどこで誰が被害者にどのようなことをしたか、ということを一つ一つ確定していく作業のことです。事実確定作業を終えるとは、確定された事実、事実であると強く推認される事実、るか否か不明なこと、おそらく事実ではないと推認されることに分類ができるということです。
そして最終的に、確定された事実と強く推認された事実とを基に、いじめの有無を判断することになります。こうした経過が全て記録されているはずですし、この記録は市の個人情報保護条例等に則って、遺族からの開示請求に応じて公開されるのが正しい在り方です。
第三者委員会でも再調査委員会でも、基本的には同じことをするはずです。それにもかかわらず、結論が異なる場合、調査過程のどの部分が異なるのかを明らかにする必要があります。そして、その原因が、第一次調査委員会のミスや能力不足であるのであれば、その点を明記し、もし何らかの悪意や作為によるのであればそれも明記しておくべきなのです。
こうして残された調査記録は、個人名を伏せた状態で公開されることにより、今後のいじめ問題発生時における調査のあり方を示す貴重な資料となり、それは全国の学校や教委で活用される財産となるはずです。そうなれば、私の疑問も解消されるはずなのですが、実際には、多くのケースで、第一次調査は学校・教委寄り、それを首長主導の第二次調査委が被害者の味方になって覆す、という図式にしか見えないのが実情です。なぜなら、調査委の具体的な活動が見えないからです。残念でなりません。
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