「露呈」9月1日
『気候対策「自国は強化を」8割』という見出しの記事が掲載されました。『国連開発計画は、日本を含む世界77ヵ国で実施した気候変動についての意識調査を発表(略)日本について他国に見られない、ある特徴も浮かび上がった』ことを報じる記事です。
記事によると、『(日本の特徴は)いくつかの質問で「わからない」と回答した人の割合の多さだ』『「あなたの国は気候変動にどの程度対応しているか」という問いでは(略)「わからない」は18%だった。「わからない」は国別ではロシア(19%)に次ぐ高さで世界全体では4%だった』ということです。
また、『「あなたの国で気候変動対策に最も影響を与えたのは誰か」との設問で、日本では50%以上が「わからない」と答えた(略)世界全体では11%だった』という記述もありました。
私はこの結果について、我が国の主権者教育の弊害が表れていると考えました。気候変動は、全地球的な大きな政治課題です。最近の異常な台風や夏の酷暑など、我が国にとっても影響を無視できない課題です。実際、「異常気象だ」「何とかしてほしい」と口にする人も少なくありません。しかし、そうした人々の関心は、「猛暑でクーラーを使うのに電気代の補助打ち切りは困る」といった目先のことに集中しがちです。
その一因は、身近なことから政治に関心をもたせる、という方針で取り組まれている主権者教育なのではないか、ということです。もちろん、発達段階等を考慮し、身近な課題を入り口にするのは問題ありません。しかし、そこから身近とは思えないが実は自分たちの生活の重大な影響を与える問題について視野を広げていく、という部分が弱いように思うのです。
そうした問題は、政治的に意見が対立することが多いものです。米大統領選においても、気候変動問題を軽視し、大規模な石油開発と使用を口にするトランプ氏と環境を重視し国際協調を進めようとする民主党陣営が対立しています。我が国でも、再生可能エネルギーの活用を重視するリベラル派と原子力発電の拡充を解決策とする与党の見解が対立しています。
こうした状況下では、下手に取り上げると偏向教育だと批判されるという懸念から、学校や教員が及び腰になり、結果として、いつまでも「身近な問題」しか取り上げず、高校生になっても校則の問題について話し合って終わり、というような実践が積み重ねられているのではないでしょうか。
気候変動、戦争や武力行使、宗教弾圧、人種差別と人権侵害、AIによる社会変化、民主国家と独裁国家の対立、さまざまな問題が人類の生存を脅かし、国家全体で、国家の壁を越えた連携での対応が必要となってきています。そうした広い視野で、主権者としての在り方について考える、主権者教育はそうあるべきだと思います。
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